そんなことしてるからばったり倒れるんだよツアー
双が岡、といえば、けんちゃんですね。
え? けんちゃんはあんたやないか、って?
いえいえここのけんちゃん、でなくてですね、
徒然草を書いた吉田の兼ちゃんです。
彼の住んでいたのが
この双が岡の東の裾あたりだった、わけです。
けんちゃん、って、あんたは知り合いか。(笑)
そうして、この双が岡の北に真言宗の本山のひとつ
仁和寺があります。
徒然草には仁和寺の話が結構出てきますよね。
まぁご近所の話、ということで兼好さんのところに
うわさが聞こえてきた、ということもあるのでしょう。
京都という街では、表向きの報道とは別に
知り合いから入ってくる別の角度からの情報、
というのが結構大きな役割を果たします。
いわゆる「消息筋の情報」というヤツです。
そしてそれはネットなんかよりずっと速くて正確な
インサイダー情報だったりするわけです。
たとえば、近所のどこそこのお寺の管長さんが
交代した、というニュース報道があったとします。
でもそれは「外側の情報」です。
それとは別に「消息筋」から、
「祇園と北の新地にそれぞれ、ええお人が
居はって、それは内緒やったのに
ばれてしもうて、どもならへんようにならはった。」
というニュースが聞こえてくるわけです。
情報の伝達・受容はもう瞬時に行われます。
「こないなことがあったんえ。」と言っておいて、
目にこちらの意志を含ませます。そうして
聞く方は「ほうか。」とさらっと受けておきます。
情報の交換はそんなふうに電光石火のうちに終わり、また
二人、さっと何食わぬふつうの顔に戻るのです。
それはあくまで「内側」の情報の伝達です。
「外側」にはそういう情報は出ません。
そこに京都の人の「うち」「そと」がはっきりと
あるわけです。
京都は他国から入ってきて、この街を制圧しようとする人間に
何度も遭ってきています。その「内側の情報」を
流して情報を共有し、やがて来る災厄に備える
というのは、自分の命とか財産を守る
というためのものだったわけです。
それは京の人の生活防衛の意識が永年かかって
作り上げた情報伝達の流れなのだ、と思います。
兼好さんは、二条派の四天王とまで言われた、その当時の
一流の歌人でしたから、歌会にもしょっちゅう出てましたし、
仁和寺近くに住んでいて、寺にだって頻繁に出入りしていて、
当然お寺にも知り合いも多かったでしょうから、
そうした別の角度からの情報が、兼好さんのもとに
入ってくる割合は非常に高かった、と思われます。
徒然草はそうした情報に接して兼好さんが思ったことを
書いた作品群でもあるということですね。
さて、双が岡です。
大体が「岡」ですからねぇ。大した高さではありません。
同じ京都でもこの後ろにそびえている愛宕山ほどの標高は
ありません。愛宕山は924メートルもありますが
双が岡は80メートルもありません。
登る道は場所によったらちゃんと整備してある場所も
あるのですが、俺の登ったところは、そういう整備はあまりされていなくて
何となく近所の人がいつも登ってる、ということでできたような
踏み分け道がなんとなく続いているような場所でした。
その「なんとなく続いている道」を確かめながら上がっていきます。
以前は、もうちょっと木の繁りも少なくて、岡を登りながら
周囲の風景も見えた、はずなのですが、やはり月日の流れには
抗えません。
今日は、本当に木が繁っていて、周囲の風景はさっぱり
見えませんでした。
上の写真に岩が露出しているところが見えると思いますが
それはおそらく古墳だと思います。
この岡の上には幾つもの小規模な古墳があるのです。
亡くなった人は、小高い岡から天に登っていく、と考えた古代の
人々は、山の上、岡の上に埋葬をしました。
古の人は、自分の家の周囲の岡とか山に祖先の霊が籠っている、と
考え、その霊が春になると山から平野に下りてきて
田や畑の作物のみのりを生じさてくれる、と考えたのです。
そうでした。以前、常盤に住んでいた時に、当時太秦安井に
あった「清水ママセンター」でイチゴを買って、友達のところに
持って行ったのです。そうしたら、彼が、どうせだったら
双が岡のてっぺんで食べよう、とか言い出して、
イチゴの箱を持って、二人この岡に上がって
頂上でイチゴを食べたのでした。
でも、その時の岡の頂上はぽっかりと何も生えていない
見晴らしのいい小高い場所があったのです。
そこから下を眺めたのでしたが、今日はもう木が繁りに
繁ってしまって何も見えません。
双が岡は北から一の岡、二の岡、三の岡、と三つの岡が
なだらかに並んでいるんです。俺が登ったのは三の岡です。
一の岡に行ったら、少しは外の景色が見えるかな、と
思って行ってみたのですが、結局見えたのは
こんな感じでした。
息も上がって、ぜろぜろ言っていましたし、
眺望も、全然でしたし、何よりおなかがすいてきたので
岡を下りました。
丸太町通りを東に行って、再び花園駅の前を通り、
(今度は通り過ぎて)
着いたのがここです。♪
餃子の王○花園店
王○はあちこちにあれど謙介の中の王○は
やっぱりこの花園店かもしれません。
着いたのがお昼を過ぎてはいましたけど、
一階は、かろうじてカウンター席が空いていたので
早速そこに。
いや、何を食べようか、と迷うのですが、
以前のように量を食べなくなった、食べられなくなったので
つつましやかに餃子と焼き飯、ということにしました。
その間もお客さんはひっきりなしにやって来ます。
結構多いのが生餃子を買って帰って家で焼く、という人。
続けて3人、そういう人がいて、
ちょっとびっくりしました。
もちろん出来上がった青椒肉絲とか酢豚や餃子を
買って帰る、っていう人も多かったですが。
味は、、うーん。
以前に較べて、、焼き飯はちょっと違ったように
思いました。けれど、王○の場合、それぞれの店で、作った人に
よって違ってきますもんね。太子道の王○と四条大宮の王○
でも違うし、、。
でもいいんです。久しぶりに花園の王○でご飯を
食べられた、ということで。
店を出て、さらに東に。
ここで妙心寺に行く道と丸太町の分かれ目になるのですが、、、
あれま、とここでもちょっとびっくりしました。
かつてここには出○のガソリンスタンドがあったのですが
そこはなくなって、妙心寺の駐車場になってしまっていました。
その向こうにあった「チャームレコード店」もシャッターを下ろして
いました。(写真では正面に写っている茶色いビルです。)
その左隣のふとんやさんも閉まっています。
謙介は道を左にとり、少し上り坂の道を上がっていきます。
突き当たりが正法山妙心寺の南門です。
ちょうどお彼岸でしたからね。
いつもは静謐な山内も
門前、山内問わず、車でごった返していました。
妙心寺山内の塔頭におまいりに行く人、
散歩で通る単なる近所のおっちゃん、部活のトレーニングの
ランニングコースで走ってきた高校生、観光客の人、
もうすごい混雑でした。
謙介はまぁここまで折角来たんだし、ここにお参りをしないで帰る、
というのもなぁ、ということで、中に入ってお参りに行きました。
あとからあとから来る車をかわしながら、さけながら、仏殿に
行って、おまいりしました。
今日はここでおきたいと思います。
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Comments
オレが王〇をネタにしたばかりに・・・(笑)
王〇は、定食を選んじゃダメですね。
あの後、友達が行きたいというので、また行ってきました。
オレは、あの苦痛を味わいたくなかったので、素直に焼き飯と春巻きをチョイス。
友達は、この前オレが頼んだスペシャル定食にして、大いに苦しんでおりました(笑)。
Posted by: 悠太 | 10. 04. 05 PM 12:00
----悠太さん
もうホント、悠太さんのおかげです。悠太さんが王○へ行った、っていうので、あ、そうだ王○だ、っていうふうになったのですから。久しぶりに行った王○の花園店は中が小奇麗になってしまって、、(笑)注文を受けるのも女の子でしたし。前はホント、野郎(笑)ばっかりの店で、ちょっと荒っぽい、という感じがありましたが、今度は柔らかい雰囲気さえ漂っていました。(笑)
問題は何を食べるか、ですねぇ。10代後半の時であれば、スペシャル定食なり、ご飯の大盛りなり、苦もなく、っていうことだったのですが、、。いまやすっかり胃が小さくなり、、身体もオサーン仕様になってしまいましたから、慎ましやか(笑)に食べる、というふうになりました。でも、それをはっきり自覚するまでは、思い出だけで、結構無理なメニューを頼んでしまい、という失敗が俺も何度もありましたよ。何はともあれ、悠太さんのおかげですね。ありがとうございました。
Posted by: 謙介 | 10. 04. 05 PM 10:44