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10. 03. 18

そして誰もいなくなった

今日からお彼岸。
お彼岸なんて、正しい仏教行事じゃないじゃないか、
とは思うものの、(お彼岸とお盆は、仏教を日本でひろめようと
したとき、農耕の始まる春にご先祖さまのたましいが
山から下りてくる。そうして秋のみのりとともにまた山に戻る
という日本の土着の信仰を取り入れて仏教に「新設」された
行事だもん。ゴーダマさんの説は、人は死んだらあの世に
行っておしまいだしねぇ。ついでに言うと、地獄とか極楽だって
元の仏教にはないもんね。あれも日本の付加新設分だし、、。)

でもまぁ、この時期、自分の来し方、行く末について
思いをめぐらして、悪しき点、不十分だったところは
反省をしてその行動を直す、というのも、決して悪いことではない、
とも思いますが。

坊さん友達の面々は、大学で「いんてつ(インド哲学)」を
勉強した人間なので、お盆とかお彼岸はそもそもの
仏教行事ではないことは知ってはいるけど、
「まぁ、カスタマーサービスの一環やわ。」と言って
この時期、スーパーカブにうちまたがり、ヘルメットをかぶって
檀家を回ってる。
とはいえ、昔なら檀家さんなんて、その寺の
近くにかたまってあったのだけど
最近は、いろいろと仕事の都合で家が
日本各地に散らばっているから、
こういうお参りも、時々突拍子もない場所に
行かなくちゃなんない、ということを聞いた。
岡山のお寺の坊さん友達は、「ふん。まぁ、
大半は岡山県内やけど、
八王子に1軒、高知に1軒、熊本に1軒あるわ。」
「八王子、って、東京の? 」
「ふん。」 とこともなげに彼は言う。
「え、そうしたら、八王子まで行くの? 」
「来てもらえますか? 言うたら、どこにでも行くよ。
それがつとめやし、、。」と。
「今時、大変やなぁ、」
「まぁ、国内で済んでるうちはまだええわ。」 と言って笑った。
「え? 外国もあるの? 」
「りよん、とか。」
「り、りよん、って、ひょっとしておふらんすの? 」
「そう。」
「え?  まさか、、フランスくんだりまで、行くわけ? 」
「そんなもの、無理やろ。一時帰国してもろうた時
念を入れて拝ませてもらう。」
「あーびっくりした。」
ということで最近は檀家の所在もワールドワイドなんだそう。


そうして彼はその話をしたあとで不意に
付け加えるように言った。
「あ、そうそう。××、去年亡くなってもうたで。」
××というのは高校の同級生だ。
ちなみに××のオフクロさんは、ある大学でピアノを
教えていたことがあって、(教授で)うちの姉も一時
ヤツのオフクロさんに習っていたことがある。
「え、ということは、、。」
「ふん。そうや。誰もいてへんようになってしもた。」

というのが、××の家で、家事一切をしていたのが
ヤツのオヤジさんだった。
オヤジさんは会社勤めをしながら家の掃除、食事の用意、
洗濯、ゴミ出し、と、家事の全てをやっていた。(それは
姉から聞いて知っていた。)
ヤツのオフクロさんは、ヤツの言うには、「ピアノしかできん女やから。」
というので、一切家事はしなかったらしい。
ヤツのオフクロさんは、芸術家、っていうのだろうだろうか。
ピアノのことしか知らない人で、家事は
全くしたことがなかったらしい。
そうして友達も、家事なんて、、って洗濯とか食事作りなんて
面倒やん、とか言って、そうしたことを
バカにしきっていたところがあって、
そういうことを一切したことがなかった。

要するに、よめはんも息子も家事一切を
オヤジさんにすべて頼りきっていて
何もしなかった。


ところが。
5年前のこと。日曜日、いつものように
庭で洗濯ものを干そうとしていたオヤジさんは、
「うっ! 」と言うと、そのまま倒れて意識を失った。
すぐに救急車で病院に運ばれたけれども、
病院に着いたときには、すでに死亡していた、のだった。

お葬式が終わって、オフクロさんとヤツとの暮らしになった
そうだが、ピアノの先生であったオフクロさんは
元々家事一切ができない人だった上に、旦那の亡くなって
しまったショックは大きく、半年後、旦那のあとを追うように
亡くなってしまったそうだ。
10年前に一度、街にでかけたときにデパートで見かけた
けれども、その時は、オシャレで派手な服を着て、
背筋を伸ばしてさっさと歩いていた。

それが亡くなった時は、もう何日も洗っていないような
汚れた服を着て、髪もボサボサで、ひどい状態で
見つかったのだそうな。息子は出張が多かった上に
このオフクロさんと折り合いが悪くて、ほとんど口を
きかない状態がずっと続いていたらしい。
家事はできない。頼りにしていた夫はあっけなく亡くなって
しまった、そのショックで鬱状態になっていた、とあとから聞いた。

そうして家事一切をせずに、毎度の食事をすべて外食に
していたヤツはどんどん肥えていって、、
とうとう最後は、太りすぎから来る心臓麻痺で
亡くなった、と聞いた。

オヤジさんが亡くなって、5年。
オフクロさんが亡くなって、そうしてヤツが亡くなって。
彼の家は誰もいなくなってしまった。

病気を得て、毎週がんセンターへ行っていることで
自分の身体のことをやっぱり考える、っていう部分も
あるし、同じ病室の人の最期に接せざるを得なくなって
しまったこともあって、やはり命の終わり、とか
どういうふうに最期を迎えるのか、という
ことを考える。

元気で毎日生活している時とか、仮に病気になっても
まだ病状がそう深刻にならない時は
余裕もあるから、何も要らない、とか
誰も要らない、なんて言うのだけど、、
果たして、病気が重くなったときも
同じことを思っていられるのかなぁ、、、とも
俺は思う。

病気が重くなっていって、気が萎えてしまって
弱い気持ちになっていくことだってある。
それにがんの種類によったら、最期まで
意識がクリアで、ぼやけたりしないままで
っていうこともあるからね。

そういう時になって、果たして元気だった時の
思いのままで居られるかどうか、、。
ちょっと意地悪な質問かもしれないけど、、
今まで俺の見てきた人、自分がもしそうなったら
という時のことを考えたりした時、
自信を持って、俺はこうしたい、って言える答えが
まだ見つかってはいない。

そういうことで、
自分自身のこととして、非常に重く考えさせられること
だったので、自分に対する記録として、このことを
書いておくことにした。


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