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10. 03. 04

とりあえずどっちでもええんですけどね

昨日はひなまつりでしたね。
うちの仕事場のパートのおばちゃんから
ひなあられをいただきました。
でもこの辺では「ひなあられ」とは言わずに
まめいり、と呼ぶのだそうで、、。
まめいり、という名前なので、煎った豆を
想像しがちなのですが、見た目はどう見ても
ひなあられを水あめでかためたようなお菓子でした。
この辺は旧暦でも祝うのでこの時期、ずっと
そのまめいり、スーパーで売っています。
また機会があったら写真をアップしたいと思います。

女の子の節句は桃の節句とも言われます。
同じことで言えば、男の子は菖蒲ですよね。

もうこのブログでは、何度も何度もお話しましたけれど、
医学の進んでいなかった昔は、折角この世に生を享けたにも
かかわらず、育つ途中で起こるいろいろな病気とか、自然災害や
戦乱、などで子どもの亡くなる率が高かった。

いや、むしろ、一人前の大人になるほうが、
(とまで言えば大げさですが)少ないほうだった。
ですから、子どもの誕生なんて、祝の中に入っていませんでした。
冠婚葬祭の「冠」は元服ですもんね。
しかし、そんな不確実な要素の多い時代だったからこそ
折角生まれてきた子が、病気や災害の難を何とかしのいで
一人前の大人になるように、との祈りをこめた儀式を
毎年繰り返して行ったわけです。

女の子の節句の桃も、男の子の節句の菖蒲も
どちらも邪気を払って、悪霊を退散させる霊的な植物でした。

確かに旧暦のその節句の時期に咲いている花では
ありますが、単にその時期に咲いている、というのでいれば、
別に桜だって連翹だって、何でもいいはずなわけです。
でも、桃でなければならなかった。
桃は悪霊から守ってくれる霊威のある植物です。

古事記にだって、

 しかして、伊耶那岐命、黒御鬘を取りて、なげうつ。
 すなはち蒲子(えびかづら)の子生りき。こを摭食の間、逃行く。
 猶追。亦其の右の御豆良に刺させる、湯津ゝ間櫛を引きかきて
 なげうつ。(中略) 黄泉比良坂に到り、坂の坂本に到りましし
 時、其の坂本なる桃子(もものみ)三箇を取らして、待ち撃ちしかば
 悉に坂に返りき。

とあります。おっかけてくる、ゾンビのようになってしまった
かつてのイザナミさんを何とかして撃滅しなくては、と桃の実を
3個投げたら、その桃の実の霊的な力によって、退けられた、
ということですね。

だから、可愛い自分の娘にそういう悪霊がついてはならじ、
という意識があって、それで女の子の節句には桃、という
ことになったのです。菖蒲も邪気を払う霊的な植物でした。
何も菖蒲の花を、ということでなくても良かったのです。
菖蒲の葉を家の軒に刺して、悪霊が来るのを防いだ
という行事もあります。
そうして、行事というのは、その年だけ一度だけ
したのでは意味はありませんでした。
毎年、毎年、繰り返して行うことで、よりその持つ意味が
深められて、確実なものになっていったのです。
だから一年だけの行事では絶対にいけなかった。

毎年、毎年、同じ時期に同じ行事を、繰り返して実修した。
同じ行事を何十回と「反復」をすることで、昔の人は少しでも
不確かな将来の「生」を確実なものに、と祈ったのでした。
この辺が俺の学部の時の研究分野でした。
だからこのことで、学会発表をして、1本の論文にまとめて
発表したこともあります。


日本でもそうですし、中国なんて神仙思想と桃、というのは
もうねぇ、謙介がここで何をいまさら、というようなものなので
省略しますけれど、、。

ただ、その中国の桃を尊ぶ考えが日本に入ってきて
よもつひらさかで桃をえいえいえい、と投げる、
という桃の霊威に期待する考えになったのか
それとも日本の中で古来から桃に霊威はある
と考えられていたのか、その関連は今のところ
わかんない、ということになっています。

中国で桃、と言えばですねぇ。
謙介、蘇州に住んでおりました時に、
一度上海経由で河南省の鄭州に行ったことが
ありました。
そのころ、上海の空港と言えば、虹橋(ホンチャオ)空港
だったのですが、(今もありますけど)
そこから、中華民航の飛行機に乗りまして
(確か機種はアントノフ24だったと思う。)河南省の鄭州に
行ったのです。
そのフライトが、ああた、もうねぇ、、離陸早々に雷雲の中を突っ切る
という恐ろしいフライトだったわけです。
機体はミシミシミシミシミシというし、グワングワン揺れるし、、
これはどうなるんだろう、と思っていましたら、
やがて、雷雲を突っ切りました。
途端、静かな飛行になったわけです。
何せ4時間のフライトです。早朝便だったので(7時20分発)
きないしょくが出ました。
紙の箱をあけたら中に黄色と赤の着色料をこってり使ったような
ももまんじゅうが5個。
それだけでした。

やがて空中飯盛女というのか服務員というのか
おねいさんが、お茶を持ってきてくれたわけです。
なんだか紅茶のカップのような浅めの容器に
飛行機が揺れるから、という理由で
底のほう3分の1くらいしかお茶を注いでくれませんでした。
その少しのお茶で、ももまん、を食え、ということのようでした。
ももまん、中の具はなにかしら、と思って一つ目を
割ってみました。中国ですから胡麻油で練った、
濃厚なお味のあんこが入っていました。
次はどうか、と思い割ってみました。
やはりあんこでした。
3個目に期待しつつ、割ってみました。
あんこでした。
4個目はどうか、と思ったら、やっぱりあんこ。
5個目、、あんこ。

どうやらあんこのももまんを5個食う、というのが
謙介に与えられた「工作」だったわけです。

いらんわ。5個も、と思いつつ、
ようやくのことで、その甘い甘いあぶらっこいあんこの
ももまんを1個食べて、後は服務員のおねいさんに
茶だけもらって飲んでいました。
飛行機は赤土の国土を飛んで、やがてまた次第に
高度を下げはじめました。
また雲の中を飛びます。
窓の外を見ると、チカチカと稲光というのか
何かの放電状態で、雲の中がネオンのように
光っています。再び、飛行機がみしみしとたわみはじめました。
うちは真言宗なので「南無大師遍照金剛」と祈りつづけました。
みしみしみし、ぐわんぐわん、と飛行機が揺れていたら今度は
ドスン、ギイイイ、バタンと大きな衝撃がありました。
どうやら飛行機が車輪を出したようです。

隣に居た、Tくんなんて、もう前傾姿勢をとっていました。
完璧二人とももう先はないんじゃないか、って思っていました。
ひえええええええええ。

やがて。それからひととき。 
お大師さんのおかげなのか、ももまんを空中でたべた
その霊力のおかげなのか、それとも優秀な中国民用航空総局の
飛行士のおかげなのか、飛行機は無事に鄭州空港に着陸
することができたのでした。
もも、というと謙介はその飛行機の中で
呻吟した、桃まんじゅう事件を思い出してしまうのでした。

桃、まぁ例を見てみますと、謙介の見た資料では
桃の実に霊威が籠る、と考えることが
多いようですが、春のこの時期、桃の実は、ちょっと
缶詰しか(笑)ありませんし、缶詰の実は二つ割ですし、、
だからまぁ実でも花でもどっちでもよろしい、と思います。
実でも花でも、まぁどっちでもいいんですけどね。(笑)

うーん。桃の話をこうして書いていたら、
缶詰の桃が食べたくなってきたぞ。(笑)
週末は委佐子の店で桃の缶詰を買ってこよう。


(今日聴いた音楽 ペイパームーン 歌 大橋純子
 何度聴いても、ホンマにカッコいい歌です。)


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