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10. 02. 02

記事とともに思い出したこと

Salinger

先日、サリンジャー氏がなくなった、と
新聞の訃報欄に記事があった。
添えられてあった作家の写真は
彼自身がマスコミ嫌いだったから、
ものすごく若かった時期のものか、1981年ごろの
(たって、もう30年も前)ものだったようだ。
いつだったか、その1981年よりはもうちょっと後で
そのころ、新潮で「フォーカス」という写真週刊誌が
あって、確かその中に、どこかのスーパーで
サリンジャー氏を待ち伏せして撮った写真が出ていた。
ただでさえマスコミ嫌いの上に、隠し撮りされたために
サリンジャー氏はものすごく怒って、カメラマンの方に
向かってきた、その写真だった、と記憶している。

まぁそういう偏屈と言われる作家ではあったけれど
謙介は彼の作品は好きだった。

最初に読んだのは「フラニーとズーイ」だったと思う。
友達がサリンジャー、おもしろいから読んでみ、
と勧めてくれた。その時、彼の持っていたペンギンブックス
をパラパラと斜め読みしたら結構おもしろそうだったので、
次の日にバスに乗って三条まで出て、河原町にあった
丸善の京都支店に行って買ったのがこの本、だったと思う。

当時の丸善って、土曜の午後や日曜はお休みだった、から
平日、学校が終わってから買いに行ったんじゃなかったかなあ。
土曜日の午後なんて2時だったか3時だったかになると、
丸善は本日の営業終了、っていって
ガラガラとシャッターを下ろしてたものね。

当時は、サリンジャーの訳は二種類出ていた。
角川文庫から鈴木武樹センセイの訳のものと、
新潮文庫から野崎センセイの訳と。
どちらとも読んでみたけど、
原文の雰囲気を大切にして訳をしているのは
角川の鈴木訳のほうかな、と思った。


新潮の野崎センセイの訳では、なんだか
登場人物のお言葉が上品すぎて、
そういうスラングをめったやたらに口走る
ようなヤツには見えなかったのだ。
ちょっと優等生ぽいよなぁ、って思った、
その点、鈴木訳のほうは、文章が生き生きとしていて
動きもあったし、おもしろかった。
おまけに新潮のは「フラニーとゾーイ」なんて書いてあったし。
そんなの「ズーイ」だろう、って俺は思ったりした。

鈴木訳は、荒地出版社とか何社かから出していたのだけど
訳者の鈴木センセイが
まだまだこれから、という若さだったのに
胃がんで亡くなってしまわれたせいも
あったのだろうか。
早々に絶版になってしまった。
それでも丹念に本屋を巡っていったら
まだ俺が探していた頃は、売れ残り(!)が
ひょい、と本屋の棚にあったりして、その都度喜んで
買っていた。
俺の持っているのは角川文庫と荒地出版社と
東京白川書院のものだ。
iいつかサリンジャーは何度か繰り返して読む
大切な本になった。
ライ麦畑、、のほうは何度かの引越しでも
忘れずに持って移動していたのだけど、
何度目かの引越しの時に見失ってしまった。
そうしてすぐに2代目を買った。それが今の本。

丸善でサリンジャーを買った後は、
河原町通りを少し上がってそのころあった
ちきりやというカウンターだけのコーヒー屋さんに
入った。
店主のおじいさんのくゆらすパイプの煙のにおいと
店の中に低く忍び込んでくる街の音を聞きながら、
俺はあの店のカウンターで本を読むのが好きだった。

過去のことを懐かしむ、というのではないけれど、
なんだかあの頃は、今よりずっとずっと
生活の中にゆとりがあった、と思う。
今は加速度的に早まる時間の流れの中で
毎日毎日きりきり舞い。
やれやれ。

気がつくとフラニーとズーイの本も紙がすっかり黄ばんで
しまったし、ライ麦畑、、にいたっては、
ページがバラバラになりかかっている。
そう。『時間』は確実に経過しているのだ。


あの頃にはもう戻れない。

だけどだけど。
自分にはあそこであんな時間を過ごせた思い出が
あるということは本当にうれしい。
誰にもそんな思い出があるように思う。
『あのころ』のことを思い出すと、
心がわくわくするような、
そうそうそうだった、と
思い出すような、そんな記憶。


サリンジャーの記事を見ていたら、
あの頃の風景がいくつか浮かんできた。
大きなガラス窓の向こう、
街を歩いていた人。
行き交っていた車。


実家に帰ったら、今度は『九つの物語』を
もう一度読んでみよう、と思った。

(今日聴いた音楽 グッバイ・スクール・デイズ
 歌 ハイファイセット 音源はLPレコード)

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Comments

謙介さま、こんばんは。京都で学生時代を過ごされたというのは、とても羨ましく、恐らく東京や大阪、名古屋では経験できない特別な時間を過ごされたことと想像します。梶井基次郎から、最近の森見や万城目に至るまで、京都の街と学生の関係は他の都市では見られない、特別、特殊なものだと思います。多分、京都の河原町、寺町あたりの本屋、古本屋で過ごした時間は、東京や大阪の旭屋とか、三省堂で過ごした時間とは何かが違うのでしょう。京都では、街の本屋や喫茶店にいても、学校にいても、常に何かを考える、感じるようになっているように思いました。何でかわかりませんが。それが文化ということなのかもしれませんが。

Posted by: まさぞう | 10. 02. 03 PM 11:38

---まさぞうさん
 こんにちは。神戸、大阪、京都、とそれこそJRの新快速や阪急電車で走ってしまえば1時間ちょっとの距離ではあるのですが、3つの街とも非常にそれぞれの個性がはっきりあって、そこがまたおもしろいですね。実は京都の街と本屋の関係なのですが、最近では非常に怪しくなってきています。前にも書いたのですが、河原町通りに以前だと駸々堂、京都書院、丸善、オーム社、というような大きくてそれぞれ個性のある本屋さんが並んでいたのですが、今河原町にあるのはBALビルの中のジュンク堂
一軒になってしまいました。大学のキャンパスが洛外に移転したこと、文系学部が今それぞれの大学の改組でどんどん廃止されていること、本を読まなくなった人が増えたこと、そういういくつもの要因が絡み合わさって、本屋の急激な減少に歯止めがかかっていません。それはちょっと哀しいことではあるのですが、ただそうはいいながらも、まだまだ洛中にはおもしろいお店、個性のある店がたくさんあります。俺はひょっとしたら活字というジャンルから、生活全体への拡がり、ということに期待を持っています。そういうふうに見たら、個性のあるカフェとか、雑貨のお店でおもしろいところもたくさんありますよね。京都の街は伝統、と言いながらもその一方で新しいものをどんどん作り出す力はあると思います。ただ、東京と違うのは、なにぶん人口が少ないので、それがあくまで個人の域にとどまって拡がらない、という欠点?があるかもしれません。なのでメジャーにはなり得ないのですが。そういう柔軟性は大いにあると思います。それとやはり文化の重層性からくる懐の広さ、と。そこでしょうね、京都が他の都市とちょっと違う点は

Posted by: 謙介 | 10. 02. 04 PM 10:17

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