« 白川路 | Main | 記事とともに思い出したこと »

10. 02. 01

実体験

  
  春 すみれ咲き 春を告げる
  春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ
  楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋
  人の心 酔わす そは汝 すみれ咲く春

   すみれの 花咲く頃
   はじめて 君を知りぬ
   君を思い 日ごと夜ごと
   悩みし あの日の頃
   すみれの 花咲く頃
   今も 心奮(フル)う
   忘れな君 我らの恋
   すみれの花 咲く頃

今日はいきなり宝塚ちっく(笑)な出だしになってしまいました。
宝塚を代表する曲といえば、やはりこの『すみれの花咲く頃』ですね。
原曲は「リラの花咲く頃」だそうですが。
それを宝塚ではすみれにした、と。

先日、Ikunoさんが、沖縄ですみれが咲いた、
と書いておいでで、それに対して俺が内地だって咲いてる、と
書いたのです。
これがうちの実家の玄関脇の日陰で咲いていた
すみれです。


Sumire

すみれは今の時期に咲くのです。
前にも何度か言いましたが、
国文科の時に俺の取った副専攻のゼミは中世文学で
何をしたのか、と言えば、『新古今和歌集』の
解釈をずっとしていったわけです。
その解釈の発表の時には、学生は自分の言葉で行う
歌の解釈を求められました。
新古今なんて山ほど参考書だの注釈書が出ていますが
そういう本の解釈ではなくて、それぞれ各自の言葉で
作った解釈です。
そうしてその解釈を発表すると、必ずゼミの先生が
聴いてきたわけです。
「それはキミの実体験に基づくものなの?」


実体験。


それで、最初の『すみれの花咲く頃』の歌詞に戻ります。


今まで俺、この曲を何百回と聴いてきました。
何せ学部の国語学の先生ときたら、河原町⇔宝塚の阪急の
定期を持っていて、週に3回以上宝塚に通うわ、『歌劇』という
宝塚歌劇の雑誌に劇評を書きまくるわ、最後の寄せ書きに
だって「みなさん、これからは宝塚大劇場でお会いしましょう」
って書くわ、というような筋金入りの宝塚ファンでしたから、
国語学の飲み会では、必ずこの『すみれの花咲く頃』は、毎回
全員で歌うことになっている曲でありました。


今、実家ではすみれの花が咲いています。
ということは、今がすみれの花咲く頃かぁ、
とふと思いました。
そう言われてみたら、ちゃんと歌詞に
「春 すみれ 咲き 春を告げる」
とあります。
春を告げる花、ということは、
あ、と、そのとき思ったわけです。
曲はなんだかロマンチックで
いかにも春風駘蕩としていて春という感じですが、、、

しかし。

すみれの花が咲いているわけですから
今がその時期、ということです、よね。
まさに今がその時期です。

すみれの花咲く頃------


現実の光景たるや。

北風がビュービュー吹くわ、最高気温が8度しかないわ。
ちっとも暖かくない。暖かくないというか、はっきり言って
すんごく寒い。 コートは着ている。
マフラーはしている。 手袋はしている。


だけど、すみれの花が咲いて、それは春の訪れであるよ、
ということですね。

今まで、このメロディにごまかされていたように思います。(笑)
実際は寒風吹きすさぶこーんな寒い時期の歌だったんだ、
と、ようやっと現実と歌詞について、頭の中の線つながった(笑)
というわけです。

歌詞はロマンチックですけど、、
現実世界ははさむくてさむくて、
という時期です。

実体験として、そういうことを知った上で
歌詞をもう一度見ると、、
今までとは違ったふうな意識で歌詞が
見えてくるように思えます。

そういう意味でやっぱり「実体験」というのは
必要なことかなぁ、と謙介は今頃になって
思ったりしたのでした。

ちゃんちゃん。


(今日聴いた音楽 もちろん すみれの花咲く頃
 歌 高宮沙千 ほか宝塚歌劇雪組 
 何が吃驚した、って、宝塚歌劇のポスターの配役の
 並びが、宝塚音楽学校の卒業時の成績順、
 って聞いたときでしたね。 卒業成績って、ずーっと
 ついて回る、だって。 )

|

« 白川路 | Main | 記事とともに思い出したこと »

おもうこと」カテゴリの記事

Comments

>宝塚歌劇のポスターの配役の並びが、宝塚音楽学校の卒業時の成績順
音楽学校在籍中も、試験があるごとに順位発表されて、名簿はもちろん下駄箱も成績順に並べ替えるらしいですよ。
ビールのCMに出てる檀〇いが成績ビリだったのは、有名な話のようです。

Posted by: mishima | 10. 02. 02 AM 9:21

----mishimaさん
そうなんだそうですね。(恐)
そういえば、えらい古い話なのですが、鳳蘭さんは音楽学校のときは遊びほうけていて、全然身を入れてレッスンしなかったので成績もぱっとせずビリのほうだったようですが、本科を卒業して本格的に舞台に立つようになってからものすごく努力をされてあそこまでになった、と。ああいう化ける人もいるからおもしろいですね。そういう人もいるので、やっぱり大劇場に行って舞台の端々までじーっと見ておかないといけませんね。(笑)

Posted by: 謙介 | 10. 02. 02 AM 10:33

こんにちは。楽しく拝読させて頂いております。質問ですが、歌詞の「君を知る」というときの、知るは、やはり実事(というのでしょうか)という意味でしょうか?ドイツ語の歌詞がどうなのか知りませんが、文脈から見て、そうとしか思えず、でもそうだとすると、宝塚に相応しい歌なのか(清く正しい?)、考えてしまいました。肌寒い初春の一度だけの契りと別れが主題というのは、心痛む青春の主題ではありますが。

Posted by: 通りすがりのまさぞう | 10. 02. 03 AM 9:00

---通りすがりのまさぞうさん
 こんにちは。 ご無沙汰しています。お元気だったでしょうか。
 この歌詞の「知る」の解釈ですが、やはり宝塚でございますから、初めてかの君を見そめたということでしょう。
 たとえばですよ。「ある日の通学時間に男の子Aが阪急電車の今津線に乗った、と。それで宝塚のほうに行こうとしたら、小林の駅で、○心の制服を着たきれいな女の子が降りた、と。その女の子に一目ぼれというか、もうポーっとなってしまって、心を奪われてしまうようなことになって、それ以来、同じ時刻に電車に乗ったときに、つい彼女のことを探してしまう。」というようなことは、案外有り得る展開ではないか、と思うのです。いやまぁ、一晩の「すきんしっぷのかんけい」というのはやはり、宝塚歌劇ですから、ちょっとまずい(笑)と思われます。
 ちなみに、小林一三さんが提唱したもともとのキャッチフレーズは、「朗らかに 清く 正しく 美しく」だそうです。

Posted by: 謙介 | 10. 02. 03 AM 10:56

 うーむ・・・咲いてますねえ,スミレ。
 山口や広島にいた頃は,3月になってからだったと憶えているのですが・・・ますます季節感が狂ってきたぞ,と(笑)

 しかし,これからまだまだ冷え込む中,他の花に先駆けてぽつぽつとつけた花たちに「春の先触れ」を感じて表現するのは,昔の人の鋭いところではありますね。
 ・・・それだけ冬が今より過ごし辛かったから,と言ってしまえば身も蓋もありませんが(苦笑)

Posted by: Ikuno Hiroshi | 10. 02. 04 PM 6:19

---Ikuno Hiroshiさん
 そうなんです。動かぬ証拠(笑)しかも北向きの玄関の脇で、朝、わずかに数時間しか日が当たらない、寒いところでこうして咲いています。
 Ikunoさんのおっしゃるように、万葉集だの古今集だのと歌集を見ると、ちょっとでも先触れの季節の変化を見つけて、それを主題に歌を詠んだ、というのはやはり多いですよね。そうやってこの国の人は季節を感じ取る繊細さをどんどん高めてきたのかなぁ、と思います。

Posted by: 謙介 | 10. 02. 04 PM 10:23

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 実体験:

« 白川路 | Main | 記事とともに思い出したこと »