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10. 02. 08

がんセンター内科外来にて(その2)

長らくがんセンターのことは書いていなかったけれど、
相変わらず週に一度、通院は続けている。
病院に行く前には、こちらもそれ相応に
勉強していかなければならない。
こういうのもきっちり見ておく。

Suchi

数値は正直なところ、「ちょっと心配ではあるんだけど。」(主治医の話)

「謙介さんのこの状態だと、早晩悪化するのは確実なんだけど、、。」
「今の治療方法としたら、どういう手段がありますか? 」
「今まではインターフェロンとリパビリンの併用が1年までしか認められて
いなかったのが、1年半まで延長になったからね。これを使うと、
10パーセントほど治癒率が上がる。かなぁ。」
「他には? 」
「低容量のインターフェロンの自己注射を2年続けるか、、。」
「でも、先生、低容量のインターフェロンの注射では、
根治はしないんですよね? 」
「しないです。今より悪くさせないように踏みとどまらせるのが
精一杯ですね。」
「それと、先生前の治療のときに、こうおっしゃいました。
今、この併用療法で叩いておくと、将来も効果が残る、って。
でも、今のお話では悪化してきているわけですよね? 
そうすると、前にやったあの併用療法の意味は
何だったのでしょうか? 効果は残っていないわけですよね? 」
「そう言わざるを得ないですね。」
「じゃあ、今叩いてみても、その効果は? ということですよね。」
「効果はないとは言えないけど。」
「でも、将来にわたってその効果が残る、ともいえないですよね。」
「まぁねぇ。」
「それに、あの併用療法をして、日常生活がまともに
できなくなるのは辛いです。だから新しい治療に入るのは嫌です。」
ということで、とりあえず、
「じゃあ、現状の推移をしばらく見る、ということに
しますかね。」というところに話はいつもいきつく。

インターフェロン併用療法をはじめると、副作用があまりにきつくて
階段で2階にあがるのさえ途中で休憩しないと、
目の前が真っ暗になって倒れそうに
なるような毎日がずっと続くのだ。
主治医は治療が終わったら体調は元に戻る、と
前に言ったけれど、前の時なんかは結局治療が
終わっても、体力の回復が感じられないまま今に
至っている。

俺の恩師が言っていたけれども、医者は、病気の部分は
直してくれるかもしれないけれども
他の部分は「関知しない」のだ。
確かに肝臓はそれでよくなるのかもしれない。
しかし、身体全体が疲れ果てて、どうしようも
ない状態であることにはほとんど注意を払わない。

そのきつい治療のために日常生活のすべてが
まともに送れなくなってしまう、ということについて
想像できない、と思う。
だって基本的に他人の身体だもん。
日常生活の動作、仕事に行くこと、
そうしたものが全くできなくなる、と言っても、
想像の範囲外のことだと思う。
主治医は治療法は勧めても、その後の
フォローは全くしてくれない。
どんなに日常生活がしんどくて自分ではうまく
できなくたって、誰かが助けてくれる、ということもない。

まぁ悪化している、とはいっても、すぐに治療を開始するとか
強制的に入院しなければ、というような状況では
まだいたっていないからこんなことを言うのも許されはしている、
ということだとは思うけれど。

今日は、内科外来に行くと、主治医の先生が急に
病棟に呼ばれていったとかで、外来の診察が
ストップしていた。なので、あ、今日は長期戦だな、と覚悟する。
用意していた本を読もうと思って取り出すと
「あ、久しぶりやなぁ。」という声。
振り返ったら、前々回の入院のときに同じ病室でいた
おじいさんがそこにいた。
「あ、こんにちは。お変わりございませんか? 」
と声をかける。
「いや、お変わりはちーとあったのよ。」
と、おじいさんは言う。
「家内がのうなってしもうて。」
「え? 、、、そうでしたか。本当にそれは、、」
そのおじいさんの奥さん、俺が入院してたときは
元気に毎日お見舞いに来ていたのに。
入院患者のおじいさんより(当たり前のことだけど)
よっぽど元気ではつらつとしていたのになぁ、、。
「がんやったんよ。」
「どこ、のがんですか? 」
「肺。 あいつ、たばこも吸わんのに、、。肺がんじゃ
お医者に言われて、、。レントゲン撮ったら、
もうあかん、言われてなぁ。 最後はあっけないもんよ。」
「でも、あんなにお元気そうだったのに、、。」
「ほうよ。ワシのほうがはよお迎えが来る、と思うとったんやけんど。
あいつのほうが先に行きよりましたわい。」
「今、おうちは、おひとりでお住まいですか? 」
「息子が帰ってきてくれましてな。一緒に住んで
くれております。」
「それはお心強いことですね。」
「そうですわ。ワシもなぁ、息子の世話には
なりとうはない、と思いよりましたんじゃけど。
ひとりで暮らすのは、あいつがのうなりましてからは
ちいと身に堪えるようになりましてなあ。」


そういえばこないだもNHkで孤独死の番組やってたよなぁ。
と思い出す。
人の最期には本当にさまざまな形がある。
老衰というのもあると思うし、
病気で、というのもあると思うし、
その病気にしても、慢性的な病気でだんだんと衰えていって
というのもあれば、突然の死亡、というのもあるだろうし。
それから事件や事故、自殺。

何年か前に実家の近所のおじいさんが倉庫の鴨居に
紐を結わえて、、自殺をした。
自分の家の跡継ぎのことで、その息子夫婦と折り合いが
どうしてもつかず、先をはかなんで、、、ということであった
そうな。
ご近所だったから、お通夜にまいらせていただいた。
顔にはもちろん白い布がかけられていたのだけど、
その布が風でふわっと、取れたのだ。
そこにあらわれたのは、ものすごい形相の顔だった。
舌がのびて、、しばらくショックですっかり食欲も
生きる意欲もなくなってしまった。
あれほどの死に顔を俺はほかに知らない。

あの時のおじいさんの死から、
俺は自分の最期についての考え方が
根本的に変わった、と思う。
本当にそれくらいのショックだった。
「俺も基本的に一人暮らしなんで、死ぬときの
ことは、やっぱりいろいろ考えますよ。」
「いや、あんたはまだ若いじゃないですか。」
「そんなあ。 俺だって病気を持ってますもん。今の
状態がこれから先、悪化していって、いつか
自分の思いどおりに身体が動かせなくなったり、
日常生活をふつうに送れなくなった、となった時は
一人でどうするのか、ってやっぱり考えます。」
「ああ、それは入院してワシは本当に思うたですよ。
病気したら、なぁ我が身体の自由が急に利かなくなったり
あんた、あの大原れーこさんみたいに、突然亡くなって
おみなさいや。」
「そうなんですよね。最後までひとりで誰の世話にもならずに、、
静かに亡くなる、というのが理想ではありますけど、、。」

そりゃ、若い時は病気とか、年をとって自分の身体が
思うように動かなくなる、なんて考えない。
でも、そんなことだってやがては普通に起こるように
なるのだ。
いつだったか、例のお一人さまの老後の本を読んだけど
正直あれは全然参考になんてならなかった。
あの本を書いた人間が、病気と無縁過ぎるのだ。


「病気して足腰が立てんようになってごらんなさい。」
「そうなんですよね。病気をしたら、健康なときと
考え方とか状況だってガラッと変わりますもんね。」
「そりゃ、全然変わりますらい。」
「ねぇ。」

やはり自分のことを考える。
俺の場合、病院に行くとか
自分の病状のことを考えて、どうするのか、ということは
やはりひとりで判断して処置をしないといけないし。
とりあえず自分の身に何か事が起こった場合、誰と
誰に知らせるのか、ということは紙に書いて
いつも持っているけど。

そんな話をおじいさんとしていたら、主治医が戻ってきて
診察再開になった。
「あんまり病院でお会いするちゅうのも、どうかとは
思うんやけんど、、、。」
「そうですね。でも、どうぞお体お気をつけて。」
「ありがと。あんたもなぁ。」
そう言っておじいさんと俺はわかれた。


本当にこのことは「そういう状況にならないと想像の
つかない。」ことではあって「結論はない。」というのが
答えであるようなものだけど、、。
そう考えていたら、中待合に入れという指示がきた。
前回の採血の結果は、相も変らず。
「まぁしばらく経過観察で。」ということで本日も終了。
中央処置室で採血7本をして本日も終わり。

会計を済ませて外に出ると、
驚くほど暖かい。
帰ってから部屋の温度を見たら18度だって。
先週の寒さが嘘のようだ。

(今日聴いた音楽 雨のステイション 
歌 ハイファイセット 
このところ、ちょっと理由があってずっと
ハイファイセットを聴いている。
また理由についは後日お話を。)


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