緊張の場面
今、オリンピックの最中ですが、、
競技の場面でよく言われる言葉に
「オリンピックには魔物が棲んでいる。」
という言葉を聞きます。
それまで不調続きでどうしようもなかった人が、
本番では、もう今までの不調がウソのように晴れ晴れとした
一番いいパフォーマンスを見せてぶっちぎりで金メダルを
獲ったとか、逆にそれまで、リハーサルもバッチリだったし
予選とか事前の試技も大丈夫だったのに、
本番でこけてしまった、とか、、。
本番は何が起こるかわからない、競技が終わって、
ちゃんと確定した結果が出るまでは
どうなるか分からないのですが
その「突発的に何が起こるのか分からない」ということを指して
そういうのでしょうね。
謙介の場合、オリンピックについては、
競技そのものとか、その結果より
やはり「文系」人間なので、
その競技をする「人間そのもの」に興味が
あります。
競技をするにあたってどういう練習をしてきたのか。
それは単に技術の向上だけでなくて、
精神的な強さ、をどうやって自分のものにしてきたのか
またそのためにどういう訓練をしたのか、
そういうことに興味がいきます。
俺の小学校と中学校の頃、
毎年夏に競書会というものがありました。
これは各学校から、代表選手を出して、
その大会で、字を書かせて、学年で
1位から3位まで決めて、、誰がうまいかコンテストをするものです。
それは書道塾の行事ではなくて、全部の学校が参加するものでした。
まず市単位の競技会があって、さらに全県の郡市代表の集まる
県大会までありました。
で、なんだか知らないうちに謙介はその代表のひとりになっていて
出場選手として出ないといけないことになっていたのでした。
この競書会の選手になると、もう夏休みなんてありません。
毎日学校に行って、書写担当の先生の前で
字を書いては、ここをこう直す、
また書いては、ここをこう、と、
一夏、ずーっとその練習をしていたわけです。
それで、夏休みの終わりに、その競書会があって
その大会に出場、ということになりました。
で、課題は事前に決まっていますから、
その課題の字を、「はじめっ! 」という合図で
書きます。たぶんひとり5枚くらいじゃなかったかなぁ。
その中で良いのを一枚出して、審査員の先生に渡して
順番が決まる、というものでした。
市の競書会の結果、上位の3人の中に入っていたら
今度は県の大会に出場する、というわけです。
何度かその市の代表で県の大会にも出たことがありました。
一夏ずっと毎日毎日暑い中、学校に行っては字を書いて
また家に帰っては字を書いて、、
一夏で半紙1,000枚くらいは紙を使って字を書いてきて、
それで本番の競書会に出てた、、、小中の夏休みなんて
ずっとそれでついえていました。
俺の場合、そういう経験があります。
だもんで、謙介は文系の人間ですが、
他の一切のことをすべて犠牲にして
競技をしなければならない人たちの気持ち、とか
練習途上に起こる「いろいろなアクシデント」とか
「やめたい気持ち」とか、しんどいことって、確かに
分野は違うけれども、自分の経験から
想像がつくこともあるわけです。
ちなみに謙介の成績はいつも2等賞でした。
市でも2位。県でも2位。何か定位置のみたいに
いつも2番でした。
俺ね、人前に出てスピーチをするとか、
プレゼンテーションをするとか、学会発表、っていうのも
含めてですが、そういうふうに人前に出て話をするとき、
あがってしまったり、堅くなったりすることってほとんどありません。
人によったら、そういう時ってものすごく緊張する、というのですが、、。
俺の場合はそういう緊張って、ほとんどしないんです。
多分ひとつに、そういう競技会に出たりしてきたし、
合唱団の一員としてステージに立って歌を歌ったり
しているので、そういう場面に慣れている、ということも
あるかもしれません。
いや、ドキドキすることはあるんです。
でも、ドキドキが極限に達したら、早々に極限状態を
突き破ってしまって、居直って全然あがらなくなっちゃうんです。
そういうところも作用しているかもしれない。
逆にね、そういうふうに大勢の前で堅くなったり緊張したりする人ってね、
自分は「ちゃんとできるはずだ」と「ちゃんとしなければいけない」という
気持ちの間ですっかり余裕を失ってしまっているように思います。
そういう緊張をする人って、
自分は人前であがらずに話をする、という高い目的意識が
あるわけです。で、他の人を見たら、なんだか知らないけれども
落ち着いていそうで、それに較べて自分は全然ダメで、、とか
思い始めたりします。
そういう人って、自分はしっかりできるはずだ、と思っています。
もしくは、成功させなければ、と思い詰めていたりします。
その思い込みとかプレッシャーのためにすっかり身体が
硬くなって、あがってしまって、頭の中が真っ白、と
なってしまいます。
で、うまくできないと、こんなものではない、と焦りはじめて
こんなことではいけない、と思って、気分がどんどん
後ろ向きになっていって、自滅する、というような
ことだってあるんじゃないですかね。
やっぱりそういう人って、自分はできる、っていう思いがありますし、
自分の期待値とか目標値だって高いんじゃないですかねぇ。
俺なんか顔はいけてないですし、(オマエは
全然いけてない、とそれはもう何度も何度も出あってきた
ゲイの人たちから指摘されましたもん。すごいですよ。
会った途端に、相手の趣味の顔でなかったからでしょうね
態度を急変されて、軽蔑しきった顔をされたこともたびたび
ありました。ゲイの人の中には、そういうふうに
相手の外見だけを以て、付き合う付き合わない、の
判断の基準におく人が結構たくさんいます。
自分の付き合うタイプにものすごくこだわる人、という人が
います。もうそういう人の対象からいくと、謙介なんて論外の
タイプというのか、とにかくどうでもいいようなやつ、って
思われていますからねぇ。最初から他者の期待値は0です。
そういうことで 誰からも期待されてないですし。
だから人の思惑とかイメージにとらわれず、
自分のやりたいようにやれる、ということがありますね。
ちょっとカッコいいと今度は失敗したら、カッコ悪い、
とか、恥をかく、という思いがあって、それが結構プレッシャー
になったりしますが、、、謙介はそれがないから
本当に気楽です。
まぁそれよりも、俺がいつもやってるのは
事前の練習の時に、精一杯想像して、
やってしまいそうな失敗を全部実際にやってみるわけです。
こうなったら、あ、こう間違えたなぁ、とか
また別な失敗をやってみる。
で、失敗をやっておいて、今度はその復旧方法を考える。
この時にこういうミスをして、こう治したら、
ホラ、何とかモノになるようになったじゃないか、っていうのを何度も
しつこくやってみるわけです。
もう全部失敗。
それで本番に臨んでごらんなさい。
「思いつくだけの失敗は全部体験している」わけです。
少々こけたって、あ、その時はこうしたらいいよね、っていう復元訓練を
ばっちりしてきています。
もしものことがあっても、その時は「身体感覚」が覚えてくれている。
これだけ失敗ばっかりやってきたんだから、、、っていう
変な自信だってできますもん。
ただその時にちょっとミスったからといって
「また失敗する」と思ってはいけません。
当然、「後は成功するしかないじゃないか。」と思うわけです。
そうすると落ち着きだってできます。そうそう平常心。
もうバッチリです。(笑)
他者からの期待値は低い、場慣れしている、
後は成功するしかないじゃないか、って思う。(笑)
俺が人前で緊張したり、変なプレッシャーがかかってきたり
ということがあまりないのは、おそらくこうしたことが複合的に作用して
くれているからだろう、って思います。
この時期、入試がありますよね。最近では自己推薦にはじまって、アドミッション
オフィス入試、普通の入試にしても配点が自分の得意教科に重点的に加えられるもの
普通の配点の入試、とまぁ入試の方法もいろいろありますが、場合によったら
どうしても一発勝負、っていう場合だって
まだ結構ありますよ。
そう考えたらオリンピックの出場選手なんかより、われわれのような
普通の人のほうが、結構シビアな場面に立たされる、っていうことだって
あります。
多少の緊張は自分を奮い立たせるための起爆剤になり得ます。
その緊張も過度になったら、今度は自爆の原因になりますから要注意。(笑)
これからそういう大一番の場に臨む人は、
練習段階で自分をよく検討して、失敗しまくっておいて
本番では変なプレッシャーにかかることなく
実力を発揮して欲しいなぁ、って思います。
(今日聴いた音楽 藤田まことさんを偲んで、みましたぁ。歌のタイトルはもう
お分かりですよね。)
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