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10. 01. 19

う○こみたいな字

今日はいつもに増してのっけから
変なタイトルで申し訳ない。
いや久しぶりに、これを見たら、
思い出してしまって、、。

Koetsu

紀貫之

  しら露も時雨も 以(い)多(た)くもる山盤(は)  
   下葉乃(の)こらずいろづきに介(け)利(り)

伊勢

  三輪濃(の)山ゐ荷(か)尓(に)待見む
   年ふとも(画面の字はここまで)
  (ただし歌は、 たづぬる人もあらじとおもへば と続く)

これは「鶴図下絵三十六歌仙和歌巻」という作品で
実物は京都の国立博物館にある作品。字は光悦。
重要文化財の代物。
もちろんずいぶん前だけど、実物を見たこともある。

大学の時、かな書道をはじめてきちんと習った。
それまでも、実は謙介は漢字よりかなのほうが
書きやすかったし、見てくださった先生も
「オマエ、かなのほうが漢字よりええかもしれへん。」
という話も折にふれてしてくださっていたことが
あったせいか、比較的心理的な抵抗もなく、
すんなりとかなの練習に
入っていけた、と思う。

かなの先生の稽古は、大体90分の練習が1回の練習だった。
最初の30分はかなのいろいろな作品についての
見方、そうした作品の解説、作品それぞれの特徴
について教えてくださって、後の1時間が練習と
添削だった。(添削はもちろん家で書いてきたものを
見ていただくということ。)

で、あるときに、先生が、作品解説の時間に↑の作品の写真を出してきて
言ったのが、「見てみぃ。うんこみたいな字やがな。
うんこの字やでぇ、まっくろけのけ。、、、品のかけらもあらへん。」

いきなりですか、センセイ。これ、一応、重文ですぜ。(笑)

書道の字を書く、作品を創る、という立場の人間として
この作品を見たなら、この作品は、ちょっとなぁ、、、という気はする。
確かに先生のおっしゃりたいことは痛いほど俺も分かる。

どこがよくて、どこがまずいのか。
まず、いいところから。

かなの作品を書くにあたって必要な
筆の「当たり」はきちんとある。
当たりというのは、例えば
最初の貫之の歌の二行目一番下の「盤」の字の
横画の筆、前の画からトン、と筆が突き当たって
その反動で横画に動いている、その楔形は
しっかりと筆の当たりがあった証拠で、そういう
基本的な部分のテクニックはある。

以下どうしようもない点について。

この字は筆の穂先のたわみを利用して書いた字ではなく、
まるで鉛筆を持つように筆を寝かせて字を書いている。
筆の腹で書いているのが、どうしようもなく
汚い線になっていて、不精タレ、という感じ。
そこへ持ってきて墨の色が黒々としていて野太い。
しかも無駄な線が多い。
それを先生は「下品だ」と言ったのだと思う。


それから、貫之の歌、一番最初の文字が「し」
なのだけど、これはものすごく異例な書き方だ。
かな書道を習っている人間なら当然のことで
頭にたたきこまれていることではあるのだけど、
「し」の字は大抵行の頭には持ってこない。
なぜかと言えば作品全体のインパクトが弱くなるから。
普通は「し」の代わりに「志」という変体がなを遣う。
それから近くに同じ読みの字が来る場合は
片方が「し」なら、もう片方は「志」というふうに
同じ字が来ないように変化をつける。
だけど、これは両方とも「し」

筆の遣い方は不精タレ、字の配置の工夫はない、
墨の色はどうしようもなく濃すぎて下品。
本当にどうしようもないなぁ、とは思うのだけど、
だからと言って、基本的な部分がなおざりか、と
言えば決してそうではなくて、基本的な
テクニックは一応ありはする。
なので評価が難しい。

醜もまた美、といえば、それが一番近いかなぁ。
だってグロなんだもん。


じゃあ、うんこではない字ってどんなの、ということで
高野切の第三種を持ってきてみました。
高野切っていう作品は、第一種から第三種まであってね。
それぞれ筆遣いは違う。(ということは
書いた人は本当ならみんな違うはずなんだけど。)しかーし、作者は
全部、伝・紀貫之、ということになってるの。
と一応作者はそうなってはいるけど、
これはまぁいい加減な話だからね。

昔から貫之って、かな字の名人、と言う評判が高かったので
かなの名品、ときたら、あ、とりあえず貫之さんにしておいたら
ま、いいんだよ っていうことで
適当に貫之作、ってなっただけだからさぁ。

だからまぁ、昔の字の作者なんて、本当にいい加減の極致
だと思っていていいかもしれない。(笑)


これ、元は、それぞれ一巻の巻物だったのだけど、
お金に困った持ち主が、適当にじょきじょき切って、
文字通りの切り売りをした。それで
お金にしたの。だから「高野切」という「切」の
字が入ってるわけね。

Koyakire3rd

前にどこのサイトだったかブログだったかで、この高野切の字を
いかにもか細くて、ひよわ、と評していた人がいたけど、
俺、正直、どうしてそんな評が出るのか
よく分からない。
うーん。
俺、その人の目、どうなってんの?って思う。

ちょっと分かりやすいように翻字しておくと

 支(き)みをのみ おもひこしちのしらやまは
  いつかはゆきのきゆるときのある

  こしなるひとにつ可(か)はしけ累(る)
               徒(つ)らゆき
 おもひやるこし能(の)しらねの しらねども
  悲(ひ)とよ毛(も)ゆめのこえぬよ曽(ぞ)那(な)き

 たとえば一行目「お」の字。最初の横画、最初の入り方は
細いけれども、その後で筆にじわーっと力がかかって、筆が
しなっている。なので、途中から太くなって、その筆の反撥力で
最後は抜けているから、さっとまた細くなって終わっている。
それから「しらやま」の「し」の字も短いけれども、筆の穂先は
しなっている。
 
 この作品、言い出したらきりはないけど、細くてひ弱な
作品では決してない。筆に対する力のかけ方、その力を込めた
後の筆の自然な反撥力の利用、たわみの利用。そこから生まれる
強靭な線。そういうものが筆遣いから分かる。

それだけでなくてね。この作品で「し」の字が目立つと
思うのだけど、この縦に長い線を引こうと思ったら
簡単なことではないのよ。
横画を引くより縦画をゆがむことなくすっ、と引くというのは
すごく難しい。なぜかと言えば腕の自然な動きに
逆らった動きをするから。
線をまっすぐ引くには、息を吐きながら線を引く、という練習を
特別にするくらいだもの。息を吐きながら縦画を引くと
線がゆがみにくくなるからね。
それほどの特別な練習をしないとなかなか縦画を
こんなふうにきれいに引く、というのは難しい。

この高野切の第三種、確かに華奢だけども、
字そのものをよく観察したら、ものすごく筋肉質な字だよ。
そうして形に無駄がない。
無駄がない、というのは字のすみずみに
書いた人間の神経が行き渡っている、ということ。

たとえて言えば水泳選手のからだつきのような字、
といえばいいのかな。
最近の言い方で言えば細マッチョな字ですねぇ。(笑)

謙介はそういう作品だな、と思いながらこの作品を
見てる。


字を見るときには、大抵の人って、すぐ形を見ることが
多いんだけど、後、読めるとか読めないとか。

ただ、俺は、そんなふうに形ばっかり見ないで
字の線についても、よく見て欲しい、って思うなぁ。

え、どういうものが、いいのかわかんない?


そのためには、いい字をたくさん見ることだと思う。
最初はわかんなくても、いい。これは名品って
言われているものをたくさん見ておく。
そうしたらしょうもないのを見たら、
一発で、あ、これはダメ、って言えるようになるからね。

書き文字ってやっぱり目立つから
今も新聞とか広告を見たら結構使われて
いることが多い。 Tシャツなんかにも
筆で書いた字が使われているのあるよね。
やっぱり目立つから、だろうね。
形も見るけど、その線も、ちょっと見たら
結構いろいろな見方ができておもしろい、
って思うよ。

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