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10. 01. 17

夜の海を見に行こう。

大学のとき、一年先輩のOさんと神戸で古本屋めぐりをした。
Oさんは神戸に実家があったので、
元町の商店街の中にあった本屋から、
目立たない路地の奥にあるような店まで
よく知っていた。「何軒かはしごしたらええ。」

あのころはまだ三宮周辺に何軒かの古本屋があった。
神戸の古書店は、京都の目抜き通りにあった店のような
あこぎな値段のつけかたはしていなかったので、
そこで前から探していた万葉集とか古代史関係の本を
思っていたよりずっと安い値段で買うことができた。
なので、どうしても買いたい本があったら
結構神戸まで足を伸ばしていた。

三宮から、いつもだったら阪急に乗って、京都に帰る
ということになるのだけど、その日は、何の加減だったか
忘れたけれど、阪神に乗った。
たぶん大阪で何か用事でもあったのかもしれなかった。
その途中、深江まで来た時、Oさんが不意に言った。
「海見とうなった。」
俺が「う、 」
と、言うのを聞いたか聞かなかったかの間に、
Oさんは電車を降りた。
そして改札口を出ると南に向かって歩きはじめた。
俺はOさんの背中に慌ててついていく。
川に沿って道を下っていく。
すると広い国道に出た。
たそがれ時の道は車がすごい勢いで行きかっていた。
道路は水銀灯の明かりで白く輝いて見えた。
その道を東に、西に、車が行きかう。
目を少し上げると、
高速道路の向こうに暗くなった空が
長方形に切り取られたみたいに見えた。

Oさんと俺は近くの陸橋を渡った。
そこは商船大学のキャンパスで、
その横の道を沿うように歩いていった。
Oさんは何も言わずに、何かに惹かれたように
ただただ見たいという海を目指して歩いていく。
それまでの車の排気ガスのにおいがゆっくりと消えていって
急に海の匂いがたちこめて来る。
しばらく歩くと、ぽっかりと広い空間に出た。
向こうに水銀灯に照らされた建物が見える。
フェリーターミナル。
黒い塊が、重い音をあたりに響かせながら
この広場へと入ってきた。そうして建物のところで
きちんと整列する。
遠くに響く車の音を聞きながら、
Oさんはさらにどんどん歩いていった。
「あ、」と俺が言ったのと同時だったと思う。
岸壁の端まで来た時、Oさんは歩くのをとめた。
そこは、フェリー埠頭の端っこで、港の一番
奥の端だった。
でも、それでも、海は海で、
こちらから見ると、奥の奥のいちばん彼方に
港の入り口の灯台がゆっくりとした間隔を
置いて光っているのが見えた。


Oさんはジャケットのポケットから煙草を出すと
手で覆ってライターで火をつけた。
「あのなぁ、謙介よ。」
「はい? 」
「オマエ、自分がこれからどう進んで行くのか
考えたこと、あるか? 」
「そら、ありますよ。」
「そうか。」
「え? ど、どうしはったんです? 」
「あ、いや、うん。 そうか。あるか。」
「ありますよ。」
「それで、寝られへん、時ってあるか? 」
「悩んで、ですか? 」
「うん。」
「----何度かありますよ。」
「そうか。---あったか。」
「ありましたよ。」
「うん。」
俺はどうしたのか聞こうと思った。
何度も言葉が口のところまで出てきた、けれども
ただじっと黙って夜の海を見ているOさんを
見ると、俺の言葉はそこで止まってしまって、
そこから声になって出ようとはしなかった。

長い長い間があって、Oさんは
もう一度「そうか。 謙介にもそういう
夜があんのか,,,,,,,」と言った。

いよいよ端まで煙草を吸うと
Oさんは、その煙草を海に向かって投げた。
煙草は、赤い線を描きながら吸い込まれて
いった。

Oさんは、顔をごしごしと両手でこすった後で
少しかすれた声で言った。
「すまんな。変なことにつき合わせてしもて。」
「ええですよ。」
「ありがとう。」
俺はそのOさんの言葉にどう答えていいのか分からず
「はぁ。」 と言った。
「なんや、その気ぃ抜けたような返事は。」
「そやかて、どう答えたらええのんか、
分からへんですやん。」
「そら、決まったぁるがな。どういたしまして、やないか。」
「どーいたしまして。」
「ハハハ。」
俺までバカバカしくなって一緒に笑ってしまった。
「そうしたら帰ろか? 」
「もう海はええですか? 」
「ふん。」

そうして再びOさんと俺は元来た道を戻った。
俺の成人式の直前のこと。
そうして、その時の道路があの神戸の地震の時に
倒壊した高速道路だった。

この時期になると、俺はいつもその日の晩のことを
思い出すのだ。

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Comments

初めて神戸は、小学校のときに行ったポートピア。パンダを見て、パンダのヌイグルミをお土産に買ってもらったのを今でもよく覚えています。
地震のときは大学3年生でした。
クラスメートで神戸や明石の子がいて、家が全壊した子もいたけど、幸い、私の知り合いの範囲で死者はいませんでした。
生半可な気持ちでボランティアに行くのも、復興の様子を物見遊山で見に行くのも失礼だと思い、地震後5年くらいは神戸には行かなかったです。なので、地震で壊滅的な時の神戸は報道でしか知りません。
僕の中では今も昔も、海と山がいっぺんに見られるオシャレな街・神戸です。

いつのまにか美男時計が貼ってある・・・
謙介さんの好みの男性は見つかりましたか?

Posted by: mishima | 10. 01. 18 AM 9:28

---mishimaさん
 俺、あの頃、ソウルにいまして、正月すぎて当時あった釜山から神戸・大阪行きのフェリーで神戸に到着したのが、1995年の1月3日でした。三宮で買い物したり、元町から加納町をぶらぶらとしました。まさかそれが自分の見慣れた神戸の街の見納めになろうとは思いもしませんでした。うちの父方のおばの家が、淡路島の北淡町です。幸い家の中はめちゃくちゃになったのですが、鉄筋のコンクリートの家だったので倒壊はしなかった、と申しておりました。西日本に住む人間であれば、たどってみれば、直接経験した、とか、親戚が、友達が、その震災の被害に遭われた、という方、非常に多いのではないでしょうか。俺もあれからショックで、神戸の街に行けたのは、10年後、どうしても出張で行かないといけない用事ができたからでした。被害に遭われた方は15年とは言っても、時間はあの日、あの時で止まったままかもしれません。
 やはり、いろいろなことを考えますね。
 ふふっ、美男時計貼ってみましたぁ。(笑) ええ、もう、あ、この人、という方、おいででした。

Posted by: 謙介 | 10. 01. 18 PM 7:06

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