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09. 11. 12

大してときめかなかったのはどうしてなのだろう

前途のある若い人が亡くなるというのは
本当に胸がふたがれる思いがします。
こないだ、広島で見つかっていまだ犯人の
捕まっていない、大学生の女の子の
殺人事件もそうですね。

事件に巻き込まれてしまった
彼女の卒業した高校には、商業科と、
もうひとつ実務英語科という科が
ありました。彼女はその実務英語の
卒業です。商業科は、簿記などの
商業科の科目を中心に勉強する
科だったのですが、実務英語科は
「英語」という名前こそついていますが
実際のところ、あの学校の特別進学コースでした。
国公私立を目指す生徒を受け入れるという
コースです。

普通科の高校なら、学区制があって、
彼女の住んでいる市からは、県庁所在地の市の
普通科の高校には受験・入学はできない決まりがあります。
ですが、商業高校は普通科ではありませんから、
全県下の区域から入学は可能だったわけです。でも、単なる
商業科に行くのであれば、彼女の地元の町に
県立の商業科の高校がありますから
そちらに行けばよかったわけです。しかし、
そうではなくて、わざわざあの高校の実務英語科に行った、
ということは、たぶん勉強もよくできたのでしょうし、
大学に進む、という意志が最初からはっきりとしていた
のでしょう。加えてわざわざ遠いところの学校に行かせる、
というのはそうした彼女自身の希望をご家族も尊重し、
応援していこう、ということだったのでしょう。
その程度のことは、地元に住む人間であれば、
容易に想像がつきます。

そんな彼女の生が、こうした形で閉じられなければ
ならなかった、というのは、彼女自身も、そうして
周囲の人も、みんな戸惑いと大きな憤りを
抱えて立ち尽くすしかない、と思います。

この日曜日に亡くなってしまったうちの仕事場の同僚の
若い人も、かつて俺ががんセンターに入院していたときに
同じ病室にいて亡くなってしまった大学生の男の子も同じ
ことを思います。
まだそんな歳で、、、これからなのに、と、抗いようのない
現実の前で、それでも、どうしても思ってしまいます。

とまれ、坂出の女の子の事件はまだ解決に至っていません。
おそらく犯人は男だと思いますが、
本当に早くに、犯人が捕まって、事件の全貌が明らかに
なって欲しい、と、朝、新聞を見ながら思っています。


          ×       ×


話を変えます。こういう話ばかりだと
あんまりお読みくださっているほうも
ちょっとなぁ、という気持ちになると思いますので、
このことはここで一旦措くことにします。
この間、俺が行った、コンサートとお話の会が90分ものの
番組になって土曜の午後、NHKから放送があるようです。
午後3時5分から4時半ちょっと前まで。
でもね、あの時に、そのお話の会に行って、
俺、ちょっと気がついたことがありました。
目の前に男前の本木氏がいたわけです。
生本木です。
でも、それを淡々と見ている自分がそこにいました。
どうしたことか、さして胸もドキドキせず、
冷静に座って音楽会の進行を見ている自分がそこにいました。
そういえば、昔、「寿司食いねぇ」なんていう歌
歌ってたよなぁ、とか。
もうちょっとドキドキしてもよかったような気もするのですが、
全然そういうふうにはならずに、至極落ち着いたものでした。
その心の動きが自分のことながら、ちょっと不思議な気がしました。

ひとつは、彼が出演する、というのが予めわかって
いた、ということもあるでしょう。
しかしそれをいうのであれば、今までもう数え切れないくらい
ミュージカルだって芝居だって歌舞伎だって能狂言だって
見てきたわけです。コンサートだって行きました。
そういう人が出るのが分かっていて
それでもその人が舞台に現れたら、やっぱりドキドキ
したし、頭の中だって冷静になんかいられずに
うわわわわわぁ、となりました。
知っていても、そうなったのです。
しかし、今回はそういうことがありませんでした。

おなじゲイの友達に、「ちょっと前に大リーガーの岩○選手の講演を
聞きにいった時はもう少しドキドキしたんだけどなぁ、今回は
ものすごく冷静でさー、なんかそれがすごく不思議だったんだけど、、。」
って言ったら、
「アホか。そんなもの、岩○選手はあんたの好みで、
もっくんはあんたの好みの範囲に入っていなかった、
それだけのことでしょ? 」
と言われてしまいました。
「ああ。」と一応笑いながら答えたのですが、
自分の気持ちの中で、整理して考えてみると
ちょっとそれも違うように、思いました。

京都にいたころは、右京区の常盤に住んでいました。
隣は太秦です。
当然のように撮影所とかフィルムの現像所で
バイトをしていました。
そういうところにいると、必然的に役者さんを
見かけます。 たまに家の風呂が故障して、
三条通の撮影所近くの風呂屋に行ったりすると
あ、この人、映画で見たことある、という役者さんを
銭湯でみかけたりすることもありました。
もちろん中にはカッコいい人も多々いたわけです。
いや、スターという人ではなくて、まだ大部屋の役者さんの
中にだって、やっぱり役者ですからね、普通の人とは
顔の水準が(笑)やはり全然違っていたりしました。
考えるとね、そういうカッコいい人を見た時も、
謙介、大してときめきがなかったのですよ。

目の前にいた本木氏の話を聞きながら、そういえば
撮影所でバイトしてたときもそうだったよなぁ、、
と思い出していました。
で、そうか、と思いました。
芸能人って、外見も含めてやっぱりその技量とか
才能にちゃんとした違いがあって欲しい、と思っているんだ、
違っていてくれてこその人だと思っているんだ、
という意識が自分にあるのだ、と
気づきました。
「だって、芸能人ってそういう人なんだもん。」
っていうことでしょうか。
やっぱりプロだったら、違うぞ、っていうところが
ないとね。多分そういう意識で見ていたから
存外冷静だったのかなぁ、と思い当たりました。

だから歌手なのに、しかも自分の作った歌なのに、
コンサートで3度もずれた音程で歌を歌う歌手って、
歌詞がいいから、とか、ゲイの人たちに人気がある、
と言われても、友達がいいから聞けよ、って
勧めてくれても、謙介の自分の中では
ちょっと許せないなぁ、と思ったりするし。
そうしたことで、見ていたんだな、と
思いました。

自分の心の動きとか、感情の行方、っていうのを
冷静に分析してみると、まだまだ
どうしてなのか、っていうところがあります。
多分、自分が自分のことを一番わかっていなかったり
する(笑)っていうことなのでしょうかね。


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Comments

そうだね、自分で自分わからない事ありますね、
トキメキが表面にでなかったのはね、歳を重ねたのもあるかもですよ、ちょとの事じゃ動かないドキドキもあるんですよ、心が枯れたんじゃなくて、深くなったから、ドキドキがあふれでないだけ、たぶん、底のほうで揺らしてたんですよ、タイプでないのもあるかもだけど、だって目の前のもっくんの顔と寿司くいねぇの曲は、頭に流れたんでしょ

Posted by: holly | 09. 11. 13 PM 11:56

----hollyさん
実はさっきまで、そのお話の会のNH○での放送をもう一度見ていたのですが、、。そうですね、年齢によっていろいろと感性は深化していきますし、思いもよらない方向に深く潜行することだってありますよね。そういうことになったのかなぁ、と感じました。

Posted by: 謙介 | 09. 11. 14 PM 4:51

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