« そろそろ来るなぁ、とは思っていたんですけれども | Main | どこまでもぼく »

09. 11. 17

わけのわかんないものについての「おっさん的」な接し方について

お芸術の秋だから、っていうんでしょうか、
そこここで絵とか彫刻とか書とかの展覧会を
してますね。こないだの日曜も
書をやってる友達から何通か案内状をもらったので
そのひとつに出かけてきたわけです。
「お、ちゃんと漢字で書いたある。」
個展では、万葉集の長歌を
(たって、長歌なんてあるの万葉集だけですけどね。笑)
漢字作品として大きなパネルに仕上げていました。

何度か言いましたが、万葉集の時代は
ひらがなは存在しなかったわけです。
それでもって日本語の発音も今と全然違っていた。
今の日本語の発音は中世以降のものが定着した、
とされています。
母音だって8つあった、と考えられています。
だから、「こもよみこもち ふくしもよみぶくしもち」とあっても
果たしてそれが今の日本語の発音のように
こもよみこもち、と発音されたかどうか、
ということになると違ってくるわけです。 
ひらがなは表音文字ですから、
こもよみこもち、とひらがなで書くと
そのまま発音も「こもよみこもち」となってしまいます。

上代文学の研究やってる人間が、
そんなええ加減な考証で済ませてええのか、と
史学科の古代史担当の
先生にも言われたことありましたし、
かなの書道を師事した先生からもひらがなが
なかった時代のものをなかった時代の文字で
書くのはインチキじゃないか、
と俺に言われたことがありました。
俺もその辺、いい加減にしたくはないので、
ひらがなで万葉集を書くというのは抵抗があります。

それと似たようなことなんですけど、
あの奈良のせんとくん、
あれも一体なんだかなぁ、って思うんですよ。
せんとくん、という名前なんですから、
平城京に遷都した710年という年をクローズアップ
させてお祝いする、っていうことなんですかねぇ。
奈良というと、鹿。
奈良の鹿は春日大社の神のお使い、とされたのですが
春日大社の創建は768年と言われていますから、710年を
クローズアップさせて言うのであれば、春日大社はまだ存在していません。
そりゃ野生の鹿くらいはいたでしょうが、春日大社がないのですから
奈良を代表するようなものには
なっていないはずです。

仏さん、ったって、東大寺の創建は733年ですしねぇ。
興福寺だってまだできていません。
でも、あのせんとくん、って仏さんかしらん、と思ったら
童子だ、っていうんだけど、、。
でも奈良の仏教会が、「仏さんの頭に鹿の角を生やすなんて、
冒瀆しておるではないかぁぁぁ」と、抗議していたニュースを
見ました。ということはやっぱりあれ、仏さんに見えた人だって
結構いたのだろうと思います。
奈良なんだから、仏さんっぽいものと鹿を組み合わせたら
いいんじゃね? っていうようなことでああなったんですかね。
でも710年当時で言えば、ひらがなで書かれた万葉集と
同じで、存在しないものを適当に組み合わせているわけで。
なんか見ててなんだあれは、って思っちゃうんですよ。


それでもって、俺が「何だあれは。」ってずーっと言い続けているのが
坂の上の雲なわけですよ。

そもそもどうして坂の上の雲なのか、と言えば
今の松山の市長が、最初の選挙に出るときに
「坂の上の雲の街づくり」ということを言ったわけです。
市民みんなが自信と誇りを持った日本一の街に、、とか
なんとか、という選挙スローガンで出てきて
彼は当選しました。
で、しばらくして、やっぱり本人も気にしていたし、
選挙中にずいぶん言われたようです。そういうことがあって
坂の上の雲、というのは作者の司馬さんの歴史観で
あって決してそれは学問的な考証を経たものではないから、
あのスローガンはフェイドアウトさせる、
って、俺も市長が市の新しい文化行事のイベントのあいさつで
そう言っていたのを聞きました。

でも、その坂の上の雲の街づくりの話は当時の首相の小泉さんが聞いて
感動したのでしょう。国会の施政方針演説の中で
地方の優れた街づくりの事例として引用されて
しまったわけです。それで、フェードアウトさせる、はずのものが
ひっこみがつかなくなっちゃった。
止める、と言っていたはずのものを、国会の場でああ言われたからには
止めます、とも言えず。記念館は作るわ、シンポジウムは開くわ、で
えらいことになってしまったわけです。


そうしたものがまずあった上に、
諸外国の影響の中で翻弄されている現代の国際情勢やら
国勢があきらかに低下しつつある今の日本の国内情勢
を見た時に、もう一度確固たる指針と自信を持って前に進もう
というようなことを言いたかったのでしょう。
そういうようなまず最初の自信と誇りの回復としての坂の上の雲、
という掛け声があって、さらに今の社会情勢が
あれを作って、もう一度日本人の自信の復活、を意図でもしたのでしょうか。
原作者は映像化はするな、といっていたにも拘わらず、
今回、映像化することになってしまいました。

大河ドラマなんてあんなもの、ちょんまげを結った人間が
出るだけの現代ドラマですよね。だから、この坂の上の雲
だって、ざんぎり頭版の現代ドラマ、っていうことなんでしょう。

実は謙介、2年前に、鹿児島純○女大学の犬塚先生から、
江戸末期の薩摩藩や江戸幕府がヨーロッパに送った
留学生の動きを通して、次の来るべき社会に、その当時の
日本はどういうふうに人づくりをしようとしていたのか、という
ことについて直接お話を伺ったことがあったんです。

犬塚先生は、「ニッポン青春外交官―国際交渉から見た明治の国づくり」
(NHKブックス) というご著書も出していらっしゃいますし、
そのNHKのその時歴史は○いたの江戸末期の薩摩藩の留学生事情の
特集の時の説明・解説もされた方です。
先生のおっしゃるには、明治の新しい社会を見通して人材作りを
江戸末期にはじめていたのだけど、その理想は、明治の10年代に
挫折してしまう、ということでした。つまり新しい社会への理想は
一旦こけてしまったのだ、と。そうして、そのこけた側の
反対意見を持っていた連中が伸してきて、明治の中盤から
後半の社会を作っていった、ということでした。
そのお話を聞いて、なーんだ、って思いました。
明治の新しい社会の、、、ったって、そういう派閥闘争の
結果じゃないか、って。新しい理想、とは言うけれども
それは結構捻じ曲がってたりして派生的に出てきたものが
主流になっちゃったんだ、とか。
でも、おそらくは今度の坂の上の雲には、そうした本当の
史実はあんまり描かれないでしょう。
こないだの坂の上の雲のお話の会で伺ったところでは、
明治の新しい時代に生きようとした青年群像、との
ことでしたから。

最初にも言ったように、あれは創作であって作者が
自分の頭の中でのひとつのテーマに基づいて、
これとこれをひっつけて話を作ろう
って言って作ったものであって、言ってみれば作者が
提示したその時代の
ひとつの人物の見方、ということに過ぎないわけでしょ?

大学の時に史学科のゼミに出てたときに
発表者の誰かが、指導の先生から、
「その史料、どこからの引用やの? 」
って聞かれて「司馬リョータローの本です。」
って答えて、「アホ! 」って言われていましたけれど。(笑)
司馬さんのは小説だから、そういう史実から離れて
人物について想像を膨らませているわけですよね。
だから史実ではない。

俺もね、多分若い時だったら、そんな客観的な史実じゃない
ものをあたかも史実であるように書いて、うそつき、って
毛嫌いしていたように思います。
だから司馬さんの本って、俺、学部の時は5、6冊程度しか
読まなかったし。

でもね、おっさんになってくると、若い時みたいに何がなんでも
そんなのいかんやないか、とは言わなくなるんですよ。
だって一々目くじら立てるの面倒だし。
確かに坂の上の雲の経緯については何だあれは、って
怒るところも大ではあります。

ですがおっさん、ったら、そういう怒っている一方で、
そのお話はお話、として、「あらま、もっくんが出るんだ。こりゃ
ちょっと行ってトークショーを聞きにいかんとねー。」と、利用できる
ところは利用したら? っていう部分もあるわけです。
これをまぁ「おっさんは一筋縄ではいかない」とか、もっと言えば
「何を考えているのかわからない」とか、言うことに
なるわけですね。(笑)

変にこだわっている部分と、思考停止にして、
全然こだわらない部分がちょうどまだら模様のように
一人の人間の中で存在するようになってきます。
その判断基準は何か、と言えば、
まぁその時の気分、なのでしょう。(爆)
もっと言えば、「適当」の二文字かもしれません。


なのでそういう心の動きがあるものだから、
あの時は、やたら反対したくせに、
今回は、全然反対をしない、全然統一性が
ないじゃないか。一体、どうしてそうなんだぁぁぁ!
と言われたりすることがあるわけです。

だからおっさんになってくると、、(笑)
周囲から困ったヤツ、って言われることが
あるわけですよ。そういうことでおっさんはわかりにくい、
ということになるわけです。
だから政治家なんか見てたら納得するじゃないですか。
こっちでは反対反対、と言ったかと思えば
他方ではええやんか、で済ましている。
整合性は? って聞かれても、あーだこーだと
言い訳をする。 ね。(実のところ整合性なんて
大してないんだと思います。)

本当にまぁ煮ても焼いても食えないヤツですね。
おっさん、って。

|

« そろそろ来るなぁ、とは思っていたんですけれども | Main | どこまでもぼく »

おもうこと」カテゴリの記事

Comments

こんにちは、謙介さん。
「おっさん」的なもの論、たいへんたのしく、またこの自分自身としての「実感」を持って読ませていただきました。自分の中のこだわりとどうでもいいというまだら模様、本当に謙介さんの表現される言葉通りだと感じます。おそらく、何にだって反抗して誰にだって文句を言うというような「青い時代」の自分だったら、今のこの大いなるまだら模様の自分なんてとても古臭く歯がゆいものに映るのかもしれないなぁなどと想像しますけど、謙介さん、思いません?そんな一見は統制の取れたような心持に見えるけれども、実はその一貫した心の動きは、実際の体験や世の中の摂理(のようなもの)がこれからまだたくさん思い知ることになるんだ、と言う情報不足(!)だからこそだったのかもしれないなどとも思えるのです。歳を重ねて自分の体力のピークと言うもの過ぎて、周りの状況も(仕事や家族というような)以前には想像できないくらいにある意味で厳しくなって行くばかりなのです。そんな中において、自分の中でうまくそれらを消化はできないまでも、泣き叫ぶことなく何とか何とか歩いて行くこと。自分はそのことをこうやって謙介さんの書かれる文章から学びました。それはとても大事なことですし、ほかの誰もそんなことを口にして表現はしてくれなかったように思います。まだら模様…なんだか僕は好きな言葉です、この自分の強張った頬が思わず緩むようないい言葉です・・・

Posted by: b-minor | 09. 11. 18 at 오후 4:39

---b-minorさん
いえいえ、b-minorさんは、決しておっさんではありません。その証拠にきちんと自分なりのこだわりを持っていらっしゃる。それは、いいことだと思うんです。自分を高める意識だって強いし、頭の中だけではなくて実践まできちんとされています。「そうしよう、そうしょう、でも今日はだるいから明日からね。」っていう惰性に流されてしまう中で、これは自分はするんだ、というものをお持ちで、真剣に取り組んでいる、っていうのは、決しておっさん化してはいません。
 「今のこの大いなるまだら模様の自分なんてとても古臭く歯がゆいものに映るのかもしれないなぁなどと想像しますけど、謙介さん、思いません?そんな一見は統制の取れたような心持に見えるけれども、実はその一貫した心の動きは、実際の体験や世の中の摂理(のようなもの)がこれからまだたくさん思い知ることになるんだ、と言う情報不足(!)だからこそだったのかもしれないなどとも思えるのです。歳を重ねて自分の体力のピークと言うもの過ぎて、周りの状況も(仕事や家族というような)以前には想像できないくらいにある意味で厳しくなって行くばかりなのです。」
 これはすごく分かります。若い時は、まだ十分見えなくて、あれはダメ、これは、、って言ってたんですが、自分がその立場にならないと分からないこと、ってあるんだ、と思います。中学生の頃はオヤジのことを見て、何でああなんだ、って思っていましたけれども、今、そういう年代になってみれば、ああ、オヤジの取った行動もなぁ、と気がついたり、何となく分かる、というようになるものなんですね。
そういうことが分かってきた時に、じゃあ、その問題について、一方からだけ見て反対していればいいのか、っていうことだってあります。そういうふうにこっちの問題は反対、とかいいつつ、こちらでは妥協する、って、もうそれは生きるための知恵というか老獪というか。(笑)だけど、ヨーロッパの政治家なんて考えたらみんなこういうふうにやってきたわけですよね。ホンマ煮ても焼いても、、、ですね。お話ありがとうございました。こちらこそ考えさせられるところ、大でした。

Posted by: 謙介 | 09. 11. 18 at 오후 10:30

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91870/46650317

Listed below are links to weblogs that reference わけのわかんないものについての「おっさん的」な接し方について:

« そろそろ来るなぁ、とは思っていたんですけれども | Main | どこまでもぼく »