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09. 11. 26

自分のことは自分でしろ

謙介のブログですが、
こんなハンドルネームの人間の書いているブログでは
ありますが、出しているデータ、とか資料はなるべく
最新のものを、自分で調べてから出すようにしています。
それとデータを使うときは、決してウエブ上のものは
使いません。
確かにウエブ上のデータのほうが活字のデータより
新しい場合があります。刻々と変化をする
為替とか商品先物の価格、株式なんていうものは
ウエブ上のデータでなくては最新の状況が得られない、
ということはあるかもしれません。
瞬時に変化するその場の価格を見る、ということでは
ウエブ上のほうがいいでしょうが、1年とか5年
というような大局的に、大きな視点から傾向を
見る、となったら、別にウエブでなくてもいいようにも
思います。
ウエブ上のデータを使うのは危険です。
ひとつはそのデータの発信元について確かな身元のところが
出していない場合がありますし、ウエブ上のデータなんて
いつ削除されて見られなくなるやら分からない、という問題だって
あります。後から確認しようと思っても、その記事は存在しません
なんていう表示が出て、確認できない、こんなことだって
しょっちゅうあります。
ですから謙介はウエブ上のデータはあんまり信用していないし
使いません。
必ず仕事場の資料室で、昼休みとかの空いている時間を使って
自分の使いたい資料に当たって
自分で調べて、そうしてその調べたものを元に
ブログに載せるようにしています。
自分で足と手を使って調べて書く、というのが当たり前だと
思っています。
学部の時だって、自分の論文に使う資料で、たった1行、
○○である、という事実を入れたいだけのために
近畿地方の主だった図書館を全部回って調べたことが
あります、が、でもそれが当然だと思うのです。
そうして調べて原典に当たって、確認をして、だから
○○だ、といえる、という結論を出すことだってできる、
ものを書く人間は、自分の足できちんと調べて
それで書く、ということをしないといけない、
それは学部の時の指導教官にもこんこんと言われましたし、
そんなこと言われなくても、地味に資料を当たるのって
俺は好きなのでどんどんやっているわけです。


資料には一次資料、と言って原典そのもの、と
二次資料と言ってその原典を注釈したり解説したり
分析したものがあるのですが、問題は二次資料
を使う場合です。
二次資料の場合は、すでにその二次資料を書いた
人が、分析をしたり考察を加えたりしています。
それをあたかも自分で調べてきた、
考えたようにその資料を使う、というのは
著作権を侵害することになったり、そうした研究結果を
小説の地の文の中に入れるということは
解釈の仕方によったら盗作、ということにだって
なります。
今日、仕事場で、沈まぬ太陽の作者の話が出ました。
謙介は高校の時あの作者の作品は大体全部読んだ
ように思います。

が、
あの作者が白い巨塔とか、華麗なる一族と言った話題作を
何本も出しながら、文芸関係の人間から一切無視されているのは
そうした自分の書くものについてきちんと自分で調べる
こともせずに、他人の研究成果、著述を勝手に使った
ことが何度となくあったからです。
そうしておいて、その勝手に引用された著者から
抗議されると、「あれはバイトの学生が調べたから。」
「編集者に調べさせたから。」と弁解をしていました。
自分のための取材で、人に調べさせておいて
そのうえ言い訳なんてするから
すっかり信用を無くしてしまったのだ、と思います。

「人のものを勝手に使ってはいけない、
自分のことは自分でしろ。」それは
至極当たり前のことだと思うのです。
今は高齢でお病気だそうですが、
30年前、40年前はまだ今より若くて
元気だったはずです。
しかし、そんな時にでもどうして自分の書くものの取材を
自分の手でしなかったのか?
俺はそれが不思議でなりません。
それは当たり前のことではないですか?
そうしてそれが文章を書く人間の責任だと俺は思います。

あんた、そんな程度の志で
ものを書いてええのんか?
そのことを問いたいと思うのです。
たとえ出した著作が売れようと。


これからも自分の書く文章は、
やはりきちんと調べて裏づけを
取った上で書いていきたい、
それは文章を書く側の人間としての最低限の
責任だと思っています。

このあいだ、実はうろ覚えで映画監督の名前を
書きました。すると、いつもこの文章を読んで
くださっているmishimaくんから、「それはこうじゃ
ないですか。」というメールをくださって、
「あ、そうだったそうだった。」と
急ぎ訂正したことがありました。

やっぱりきちんと手と足を使って調べないで
いるとそういうミスをしてしまう、本当に
自覚が薄れかかっていたときに
いい経験をさせていただきました。
こんな匿名でやってる「たかだかこの程度の」
ブログですが、それでも、文章を外に出すに
ついて、そのことはきちんと果たさないと、
という自分への自戒を改めてしながら、
そう思ったのでした。


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Comments

某作家さんの小説は、いわば三次資料の上に文芸上の演出も加えられてます。それをドラマ化するとなると、ここでもまた演出が加えられます。
なのに、「歴史を知る参考に」ってことで、某作家さん原作のドラマを中学や高校の先生が生徒に勧めたりするんです(#`Д´)
確かに参考程度にはなるでしょうけど、そのまま鵜呑みにしてしまう危険性ってことを先生は考えてないんでしょうかね。もしかしたら先生自身も史実に基づいた小説だって信じてるのかも(;;;´Д`)

Posted by: mishima | 09. 11. 27 at 오전 10:35

mishimaくん
 こないだは本当にありがとうございました。おかげさまで、謙介のアホ度の拡大再生産を止めることもできました。(笑)
 そうなんですよ。そりゃ、基本的な事柄は、すでに歴史的事実ですから、動かしようはありませんけれども、人間がどう思ったとかこのときこう言っただろう、ということは全くの小説家の想像なわけで、、まぁ、あの人、それをあたかも歴史的な客観的事実のように見せかけるのも上手いですからね。(笑)ついだまされてしまうのかもしれません。どこまでが客観的事実なのか、どこからが作家の想像なのか、それを厳しく見分ける眼も、あの人の本を読む時は必要ですね。

Posted by: 謙介 | 09. 11. 27 at 오후 10:17

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