どこまでもぼく
最近よく聞く言葉なんだけど、いつの間にか
その言葉の意味が勝手に変わってしまったんじゃないか、
って思う言葉に「婚活」という言葉がある。
何だか最近のこの言葉の使われ方、というのは
結婚相談所、というのか、出会いの機会がほとんどない、
という独身の人に、相手を見つける場を提供する、というのか
是が非でもお相手になるような独身の男女をくっつけて
一組でも多い夫婦をつくるということで、その言葉が
使われているような気がしてならない。
それに、男女のカップル、男女のカップル、っていう部分ばかり
強調されてしまってるんだもの。
そもそもの「婚活」の言葉の意味をマスコミの取材した人が
十分わかっていないで、自分の解釈で書いたり言ったりする人が
多いから、いつの間にか結婚相手を探すための活動が婚活だ、
って見られるようになってしまって、あまりに異性の相手探し
っていう側面ばかりがクローズアップされるものだから、
ゲイの人の中には、やっぱり男女男女、ってそれがまるで
当たり前のように言われまくると不愉快だ、って思う人だって
出てくるんじゃないかなぁ。
そんな気がする。
もともとの婚活の意味って、そうじゃないものね。
俺も何度かこのブログで書いたことがあったんだけど。
前に、地元で誰かパートナーを探したかったから
掲示板に、友達募集、っていうことで載せた、
っていうことを言ったと思う。
そうしたら、何人かの人から
メールをいただいた。
でもねぇ、みんな全部うまくいかなかった、って書いたよね。
例えば、日曜の10時に紀伊国○書店のところで会いましょう、
って、一応会う約束をしてさ、俺、行ったんだけど、とうとう
その約束した人はこなかった、とか、
会いましょう、って、会ったら、それまでは、話も合ったし、
向こうも積極的に返事をくれていたのが、会った途端に
向こうの態度が急変したとか、
何かねぇ、いや、別に親密な付き合いになる、ならない以前にさ、
人として誰かと会う、とか接する、っていうことからして
一体これは何? っていうような人ばかりで、、。
そりゃ、会って失望させてしまうようなご面相だった
謙介にも原因はあるんだろうけど?
そもそも誰かと付き合う、ってどういうことなのか
そのことについてどう思っているのか、
そのあたりを聞いてみたいような人がすんごく多くて、、。
それから会って話をしていたら、もうねぇ徹頭徹尾
自分のことしか話さない人もいた。
ボクはこういう人間で、ボクはこうで、
ボクの服の好きなブランドは○○で、
最近気になっているボクの好きな俳優は××で。
ボク、その××が主演した映画の△△っていうの見たけど
なんかすっげぇタルくって、、。
「ボク」さんずーっとしゃべりっぱなしよ。(笑)
でもね、今までお会いしたゲイの人の中で実は
このタイプが一番多かったなぁ、、、って思う。
まぁねぇ、俺も人の話聞くのは嫌いじゃないから
別にそう、そう、って聞いていたんだけど、
2時間くらいそういうマシンガントークを一方的に
聞かされるだけ、っていうのもねぇ、、。
人と付き合う、っていうのはさ、
自分も、こういう人間だけど、キミはどうなの?
っていう部分がないとうまくいかないんじゃないか、って思うよ。
一方だけが主張する、とか受容するとか
偏った役割しかできないままにずーっと来てしまうと
いつかはその人、棒が折れてしまうもの。
人と付き合う、っていうのは、自分ではない、他者の存在を
どこまで認めて、それとどう接するか、どう向き合うのか、
っていうことを考えないと
成り立たない、ってあるんだけどさ。
今までお会いした人の中には「自分」っていうのはしっかり
あるんだけど、その先の「他者」っていう存在を
どこまできちんと分かろうとしているのか、うーん、
正直疑問だなぁ、っていう人が結構
多かった、ように思う。
つまりはどこまでも「ボク」しかない人、っていうのかなぁ。
人の付き合いっていうのは、ボクのことも言って聞いてもらいは
するけれども、同じように目の前にいる相手のことだって聞いて
あげないと。自分がいて、相手がいる、っていうことが
人として付き合うまず一番の基本だと思うけど、
そうじゃなくて、どこまでも自分だけ。
自分と他者は違う存在なんだ、っていうところからして
そもそも分かっていなさそうな人がいた。
だって、そういう人がどこまでもボクしかない人なんだもの。
それと人と付き合う、って、いうのは自分以外に
他者の考え方なり価値観がどんどん入ってくることでしょ。
そうなったときにどこまでもボク、の人は
そういう自分とは異なる価値観に接して、じゃあ一体どういう
反応をするのか?
他者の存在がおもしろい、って言って他者のそういう価値観をどんどん
受け入れれば、衝突は起こらない。
うまく他者を受容できる、っていうことだから。
だけど往々にして「どこまでもボク」さんってあんまりそうはならなくて、
他人が自分のテリトリーの中に入ってくると
ああ、うっとうしい、とか、何でそうなの?
って怒る。
どうしてか、って言えば、自分の価値観が
脅かされるから。
だから他者の存在が面倒くさくなって、自分にとって都合のいいだけの
他者の接し方しかしない。
そういう人がセックスをすると、どこまでも自分が気持ちよくなれば
いい、っていうんで、相手のことはお構いなしでさ、
自分だけ気持ちよくなって、先にイッちゃって、
「ごめん。オレ、出しちゃったら、醒めるんだ。」とか言って
相手のことなんか全然考えないの。
でもセックスはしたいからさ。(笑)
誰かを探そうとする。だけど人として付き合うっていう
面倒なことはしたくなくて、とりあえず快楽優先。
セフレを探す。
だからそういう人って必ず言うもんね。
「割り切った付き合いをしよう。」って。
それって「身体限定」のお付き合い、っていうことでしょ?
ふふん。
心理学をやってる友達の言うには、まず、こういうふうに
「誰かと付き合う、っていうことについての
基本的な対人関係の作り方」っていうのが
そもそも全然分かっていない人がすごく目に付く、って言う。
人間関係を作るのって、何もしないで自然にできる、
って思ってる人がいたら、それは間違いよ。
ちゃんと学習していかないといけないものだ、って
思う。
以前は、みんな集団で遊ぶ、ってやってたからさ
そういう対人訓練が自然にできていた部分が
あったんだけど、みんなはどうですか?
小さい時にワーッと集団で遊んでた、とか
いう経験はある?
そういう中でお互いはどういうふうにふるまっていけばいいのか、
とか、自分がいて、同じように相手もいるんだ、とか
分かってくるようになってた、って思う。
それから身体感覚、っていうのかそういうことだって
分かってきてた、だろうし。
誰かからぶたれたら痛い、とか、
自分の身体を傷つけたら痛い、とか
この程度の衝撃だったら、こういう怪我をする、とか
そういう自分と他者の痛みについても学習してたんだけど、、。
最近の事件なんか見てたら、自分の痛みもあんまりよく
分かっていない人と、だから他者の痛みだって
全く分かっていない、分かろうとしない、っていうような
人間の起こした事件っていうのにしょっちゅう遭遇するもの。
おそらく「自分」っていうものの存在と「他者」っていうのものの
存在について客観的にどう違うのか、考えたことが
ないんじゃないかなぁ、っていう人がものすごく多い。
だから、結婚、というのか、自分のパートナーを探すので
あれば、まず、そういう自分とは違う他者との付き合い方
をどうしたらよいか、その訓練というのか練習をしないと
まずお相手だって探せない。そういう人付き合いの
練習、対人関係をどうやって作っていけばいいのか、ていう
ことをレッスンするのが、そもそもの「婚活」の意味だったはず。
そういうことで言えば、異性の相手を見つける
同性の相手を見つけるに拘わらず、婚活って、すごく必要な
ことだ、って俺は思うけどね。
だってどこまでも「ボク」しかなくて、そこには
他者の介在してくる余地なんて、全くないんじゃ
ちゃんとした人間関係を築けない、っていうことでしょ?
他人と人間関係を築けない、っていうのは、
もう夫婦ができない、とか少子化問題がどうのこうの、
なんて言う以前のさ、もっと人間の生きる、
っていう点で大きな問題だと思うけど。
若い時はそれだって構わないんだろうけど、
やがて歳取ってからだの自由がきかない状態になって
そういうふうに自分の意志を伝えられなかったり
まともに人間関係を築けない、っていうんだったらさ、
あ、あのじいさん変わり者だから、って放っておかれて、、
そういう人とのつきあいが
自分の命と直結してきたりする場面が出てくるもん。
人とつきあうこと。他者の存在と自分の存在と。
そんなことをここ最近考えたりしているのだった。
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