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09. 11. 30

森の里へ(その2)

さて大瀬に着きました。
ですが、車を停める場所がありません。
近くで道の掃除をしていたおばあさんに
「おはようございます。」とあいさつをして
「車を停めて街なみを見学したいのですが、どこかに駐車場
はありますか? 」と、聞いてみました。
「今日は日曜でバスも来ないから、そこの橋のたもとの邪魔に
ならんところだったら、ええですよ。」となんとまぁ
のんびりしたお答えでした。
おばあさんにもそう言われたので、そこに車を置き、
集落の中をカメラを持って歩くことに。

まずはやはり土地の神さまにごあいさつを、と思い、
近くの三島神社におまいりをしました。
肘木の重なりがものすごく立派なので、思わず一枚
撮ってしまいました。

Mishimagu

去年の暮れに行った大三島の大山祇神社
の分霊をおまつりした神社です。
こういう山里ではやはり、山の神さまである
大山祇神社、をおまつりするということになりますね。
しかしどうして山の神さまが海の島にご鎮座されて
いるのでせう。
まぁ海の神さまだって、海から離れた山の上に祀られて
いるのですが。
加えてこの神さまは日本の神さまではありません。
日本書紀を読むとよく分かるのですが、
日本固有の神さまでなく、外国から渡ってきた、
という出自の神さまも結構おいでです。神社の
神さまのご出身は決して日本だけ、ということは
ありません。

神社のお参りを済ませて集落の中を歩きます。
町の人は、こんなカメラ片手の胡散臭そうなおっさんにも
にこやかにあいさつをしてくれます。
小学校は参観日にでもなっていたのでしょうか。
日曜というのに小学生の集団登校の
列に何組もあいました。もうみんな元気に
「おはようございます。」とあいさつをしてくれます。
それだけではありません。
高校生くらいのにいちゃんも
庭を掃いているおっちゃんおばちゃんもみんな
あいさつをしてくれるので、ちょっと驚きでした。

まずは旧大瀬村役場をたずねます。

Yakuba


ここは、ずいぶん昔に近くの町に合併したために
役場の機能はもう今はありません。
地域交流の建物として「大瀬の館」というものに
変わっています。1日1組か2組の限定ですが
宿泊も可能、だそうです。(この日、宿泊j客は
ないようでした。)

旧役場の前には農協の旧米蔵と精米所があります。

Komegura


今はこの米蔵は米蔵としての使用は終わり、
ギャラリーとなって活用されているようです。

再び町並みに戻ります。
観光客は、俺以外いなさそう(笑)ですし、
落ち着いた風情が本当にいいなぁ、と
思います。

Osechuou1
こんなふうに誰も歩いていないのです。
小さな集落です。よそ者はすぐに分かるはずですし、
おまけにカメラ片手の挙動不審のなおかつ胡散臭そうなおっさんが
歩いているわけです。
そんな怪しいおっさんにちゃんとあいさつをしてくれるなんて、、、。
まぁいいや。街なみをさらに歩きます。

この家、、、、。


Oe


以前はここは燃料店をしていたのですが、
最近はどうなのでしょう???

街路灯にも燃料店、とあるのですが
どう見てもこの風情、燃料店という感じではありません、よね。

さて、問題です。
ここはある人の実家です。
ヒントはノーベル賞。(笑)

謙介がノーベル賞と言うと、
「またまたー。ほんまにノーベル賞かぁ?
のーへる賞とかいうようなフェイントと違うやろなー。」
というようなツッコミをもらったりするのですが
いえいえ。正真正銘のノーベル賞でございます。

え?
さっさと言え?

ここは大江健三○の実家です。
ほぉら、ちゃんとノーベル賞じゃないかぁぁ。
俺がソウルにいた頃に、大江さんがノーベル賞受賞
ということになったのですが、
韓国語には「ざ」の発音がありませんから、朝鮮日報の
ハングル表記、音に忠実にそのままに読むと「オエ・ケンジャブロ」
になっていて何じゃこれわ、と笑わせてもらいました。

地元の中学を卒業した大江少年は、
近くの県立高校に行くのですが、
途中から県庁所在地の街にある高校に
転校しています。
(そこで、伊丹十三と会うわけです。)
ところで、大江さんと故郷の間には
ちょっと複雑な屈折があるように思います。

というのも、この県は、今もずーっと保守勢力が強い
土地柄なのです。
そうした風土では、大江さんの目指す方向
とは、全く相容れないわけです。
大江さんもそうした「この土地の人間」というものに
対しては表立ってこそ言いませんが、やはり
素直に喜べないものがあった、のでしょう。
ノーベル賞の受賞祝賀会を県が開きたいと
言った時、即座にそれを断り、それは沙汰止みになりました。
(まぁそういうふうな面で目立つことの嫌いな、ということも
あるでしょうが。)
保守的なこの地の人間と大江さんはやはり
いわく言いがたい、確執がある、ということを聞きました。
うちの仕事場に高校のとき大江さんと同級生だった
人がいて、その人から直接話を聞きました。
そういうふうに故郷の人とはあまり好ましい関係はないのですが
故郷の土地には、その一方でものすごく深い
気持ちを寄せています。

Osechuo3

たとえば、万延元年のフットボールでもそうですが、
大江作品の主要なテーマである、
「四国のとある森の中の村」というのは、実はこの
故郷の大瀬がやはり下敷きになっています。
はっきり、この大瀬とは言わない場合もありますが
「オダ川」などというふうに、川の名前が
明確に出た作品もあります。
先に出した大瀬の写真で写っている川が、その小田川です。

何よりご自身が、出身の大瀬中学での講演会で
この大瀬こそが自分の文学作品の中での大切なテーマである、
と語っているのですからもう間違いはありません。

人には距離はあるけれども、土地には強烈な結びつきが
ある。ということでしょうね。


文学作品というのは、ひとたび作者の手許を離れたら
それはどんな読み方をされても、文句は言えないのですが
それでも分析的な読み方をしようと思ったり、専門的に
そのある作者の文学を専門として研究しようと思えば
その作者の行った後を追体験するとか、現地調査ということも
やはり大切になってくる場合だってありますよね。

そういえば、さっき農協の米蔵を紹介しましたが
その米蔵の2階には本がたくさん置いてあって、
大江少年はその本を全部読んでしまった、という
ことだそうです。

この大瀬、小田川の流れに沿った
美しい集落でした。

今度は夏に来てみたい、と思いました。


さらに移動して、今度はちょっと離れた、
街に行くことにします。

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