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09. 11. 10

現実

うちの仕事場では、近所にある授産施設が作っている
お弁当を毎日誰かが買っています。
(俺は自分で作って持っていくので、買わないのですが。)
そのお弁当、実際の調理は、さまざまな障害を持っている
人が作るのですが、献立は栄養士さんがちゃんと
カロリー計算や栄養所要量を計算して作っているもの
なのだそうです。
同じセクションではないのですが、Aくんとい採用2年目の
人も、「ついでに」ということで、うちで弁当の注文を
しています。
そのお弁当が届くのが11時半。
いつも11時45分くらいになったら、Aくんが「弁当取りに来ましたー。」
と言ってやってきます。
それは割と毎日規則正しい時間なので、一種の時計代わりに
なっていたりしました。
先週の金曜も、俺は隣の部屋で仕事をしていたので
彼の姿こそ見ませんでしたが、彼の声が聞こえてきて
時計を思わず見たら、「あ、お昼だ。」ということになっていました。
その時は彼の顔は見ないままで、3時前に郵便局に行って
帰ってきたとき、仕事場の入り口近くで彼に会いました。
俺が「こんにちは。」と言うと、
「お疲れっス。」と彼は言ってすれ違いました。
土曜は、俺は出勤はしない日だったのですが、
来ていたパートのおばちゃんの話で、
「朝、Aくん来たのよ。」ということでした。
うちの仕事場で取ってる新聞広告で
「電器屋の広告はないっスかねぇ。」と聞かれたので
「今日は入ってないわ。」とおばちゃんは広告の束を
そのまま渡して見せたそうです。
「あ、○ニクロのチラシが入ってる。これ、もらってっても
いいっスか? 」と彼が言うので、
「ええよ。」とおばちゃんは広告を渡したそうです。
「ありがとうございまーす。じゃあ。」
と言って彼は出て行った-------。

それから24時間後、
彼は気分が悪い、と言って自分の部屋で
倒れこんだそうです。
たまたま土曜の晩から彼女が来ていたのだとか。
慌てた彼女は救急車を呼びました。
しかし、もうその時は彼の意識は無かったそうです。
やがて救急車が来て、病院に搬送しました。
移動の車内では心肺蘇生がずっと行われていたとのこと。
20分後、日赤に運ばれたとき、彼はすでに亡くなっていた
のだそうです。
死因はくも膜下出血。
24歳でした。
実は、今日は彼のお通夜でした。
葬祭場に行くと、彼の同級生でしょう、同じ年齢の
人たちがたくさん来ていました。
彼にそっくりのおねえさんと、あ、、この人の息子だったんだ、
と一目瞭然のおかあさんが棺の横でいらっしゃいました。
おかあさんはしっかりと受け答えをされます。
「顔を見てやってください。」とおっしゃるので、
拝見させていただきました。
「お疲れっス。」と言ったあの時の表情のままの彼が
そこにいました。
しかし、彼の声帯はもう言葉を発することはないのです。
あのくるくると表情を変える眼も閉じられたままです。
自分ひとりに時間をいただいてはいけない、と
思い、ごあいさつをすると、お別れを言って、葬祭場を
後にしました。

これからの、将来のある人がこんなに早く人生を
終わらせてしまうなんて。
ご両親より早くに死んでしまうなんて。

金曜の午後の「お疲れっス。」が今生の最期のお別れの言葉に
なってしまいました。

前に勤めていたところでも、同じように若くて亡くなった
人のお葬式に参列したことがあります。
一緒に参列したそのときの同僚が、お通夜の帰りにずっと
くそったれ、くそったれ、、、と言い続けていた声が
今も耳の底に残っています。


まったく、くそったれです。誤解しないでください。
決して俺は彼に怒っているのではありません。
まだこれからのある人が、こんなに早く
現実としての人生を終えなければならなかった
そのことにくそったれ、としか俺は言う言葉がないのです。


Dくんの魂魄よ。
願わくばもう少しこの地平に止まって、
きみのことを憶う人たちの声や嘆きを聞いて欲しい。
そう思いながらお通夜から帰ってきました。

昨日は生の充溢した話を書き、
今日は、こうした話を書かなければならない。
これもまた現実、なのでしょうか。

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Comments

突然の死、しかも年下となると衝撃が大きいですね。
一昨年、取引先の40歳の男性が亡くなったのですが、葬儀では中学2年の娘さんが遺影を持っていました。
その様子を見たときの、鉛を飲み込んだような、息が詰まって胃にズシンとくる感じを思い出しました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

Posted by: mishima | 09. 11. 12 at 오후 12:43

---mishimaさん
本文にも書いたのですが、先週の金曜に、ごく普通に会ってた人が、その翌々日にいなくなってしまった、って、、、どう気持ちの折り合いをつけたらいいのか、ちょっと分かりません。お通夜に行ったら、彼のおかあさんは、気丈にみんなから愛されていい人生だった、と思う、とおっしゃってくださったのですが、おかあさんだって、愛していたわが子がこんな早くに、と思うとやっぱりお気持ちはいかばかりのものか、と思ってしまいます。コメント、ありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 09. 11. 12 at 오후 8:20

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