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09. 10. 22

「タイトル」の文字を分析してみる。

今日は、前回少し触れた、
このタイトルの字について、
分析してみたいと思います。


Tenchi03


それでは実際に見ていくことにしましょうか。
まず一つめ。

最初は、「天」の第1画目です。
1画目の途中から真ん中にぽっかり
穴が開いたみたいになっています。
これはどうしてこうなるか、と言えば
途中から筆先が割れたからです。

1画目、というのは、やはり非常に大切な画です。
1画目の位置をどこにするか、またはその一画目の
長さをどれくらいにするかで、文字全体の形も自然に
決まってきますし、大きさだって決まります。

字を小さく書こうと思えば、1画目を小さくすれば、全体の
字が小さくなりますし、逆に大きくしたければ
1画目を長く大きく書けばいいのです。

文字の全てがこの1画目で
決まってきます。字のすべてを
決定づけてしまう画です。

1画目はまだ筆が墨をたっぷり
含んだ状態のはずです。
普通、筆に墨がたっぷりと含まれていれば
筆の穂先は割れたりしません。
しかし、ここでは1画目の後半で、すでに割れています。
どうしてか、と言えば、筆先の撓みとか反動という筆自身に
発生する動きをうまく捉えて筆を動かしたのではなく、
筆を力任せに無理やり別な方向に動かそうとしたから、です。

自然な筆の方向というのは
左から右に書く横画の場合は
穂先が←(左方向)に向いて動いていきます。
穂先で言えば ←←←←← というふうに左を向きながら、
右へ右へと動いていくのが筆の自然な動きです。


ところがこの「天」の字の1画目、書いた人の筆の穂先は
↑を向いています。穂先が上に向いたまま
ずずずずと右に平行移動した線がこの「天」の1画目、
ということです。 ↑↑↑↑↑↑ ずーっとこんな感じです。
筆の自然な動きを無視して、
力任せに筆を動かしたから、
動きに無理が生じて、その結果、穂先が割れて
穴が開いてしまった、というわけです。

しかもみたところ、使った筆は
どうも穂先の長い筆を使っているようです。
なぜなら最後の「人」の字の右払いの画の
線のもたつき方を見たら、それが分かります。
穂先の長い筆は筆のコントロールがききにくい
のです。
穂先の長い筆は書きにくい。ならば、
なぜ穂先の短い(短鋒の)筆を使わないのでしょう。
この作品は楷書に近い行書なのだから
途中で墨継ぎしたっていいのですから。

穂先の長い筆は、穂先の長い分、墨を
たくさん含ませることができますから
一度墨をつけると長く書き続けることは
できるでしょう。でもこの字体は楷書に
近い行書ですから、墨つぎの間隔を
草書のように神経質に考えることは要りません。

穂先が長い筆は本当に筆のコントロールに
苦しみます。穂先の長い筆で字を書くときは、
書く速度を落として、しかも字を書いている時、
筆の真上から垂直に絶えず力をかけるようにして
やらないと、筆がコントロールできません。
ただ長所としては、ゆっくり書く分、線に溜めの表情が
出て、おもしろい作品ができるのは確かです。

しかし上の作品の筆の速度は速いです。
(速いから文字があちこちでかすれているでしょ。)
何で速く書く字に長い穂の筆を選んだのか?
この筆をわざわざ選んで書いた意図、というのか必然性が
俺にはわかりません。
長い穂先の筆がコントロールできないのであれば、
コントロールしやすい穂先の短い筆で書くのが合理的、
ではないですか?
題材に合った用具を選んで書く、
書きやすい筆で、書きやすい位置で字を書く、
当たり前のことだと思うのですが。
俺の言ってること、間違ってますかねぇ?

筆先を割ってしまう、というのは、別の言い方をすれば
穂先が揃っていない、ということです。

こういう楷書に近い行書という
書体で筆が割れてしまう、というのは、
実は相当にみっともないことです。
なぜなら「ボクは、筆遣いがさっぱりできていません。」
と公言することと同じですから。
俺が師事したかなの先生は
こういう筆の割れたり、終筆がきれいにできていない作品を
「パンツ穿いてへん。」
と言っていました。
「ちん○丸出し」とか。


筆先を割ってしまう、というのは、
それくらい不細工で、恥ずかしいことです。

俺なんかでも書いていて、筆先が割れた線ができることも
ありますが、もし、そうなったら、その時点で、即
その作品は書くのを止めますね。

ただ、それでも字を書いていたら、途中で墨が掠れてどうしても
筆先が割れることはあります。
かなとか草書のように墨つぎをしないで、どんどん続けて書いていると、
筆の墨が次第になくなっていって、やむを得ずそうなってしまうことは
確かにあります。でも、それはどんどん字を書いていって最後に
墨がなくなる、ということです。

しかし、この天地人の字で筆の割れているのは、
「天」の字の最初の第1画目ですよね。
1画目から筆先を割ってしまってどうするよ、ということです。
「最初からちん○丸出しやがな。」俺の先生なら
そういったかもしれません。


筆の動きを、物理的な筆の力の撓りとか、その方向を
うまく利用しながら字を書くのではなく、ただただ腕力で
押し切るだけで字を書こうとするから、
(つまり筆をうまく使いこなせていない
から、)こういう筆が割れて不細工なことになってしまうのです。


次。
同じように筆に無理をさせているのが
「天」の4画目の右払いです。
この字、4画目の最後、
ぼたっと押えて、その後、筆は真横に抜かれています。
右払いの最後、三角形になった部分の下を見てください。
下が平になっていますよね。そうしてその最後の部分を
注意して見たなら、真横に筆が動いているのが
分かると思います。
ボタッと押えておいて、そのまま右に
シャッと筆を抜いたのだと思われます。
右払いの部分だけ字が
かすれています。
 
なぜかすれたか。そこだけ筆の運筆速度を
速くしてはねてしまった。速度をあげた分
筆が紙に接する時間が短くなり
紙の上を筆が上滑りした。
それで字がかすれてしまったわけです。
最後、ボタッと押さえたところで、
字に対する気持ちの集中が途切れてしまっています。
その後のこの右払いのいい加減なこと。
字の最後の最後まで集中をこめることなく、押さえた
後は野となれ山となれ、という筆遣いです。


こういうところではどうしなければならないか。
筆の運筆速度を落として
紙の接触時間を増やして
かすれさせないようにしないと
いけない。で、ないと深い溜めのある線が
出ませんし、作品の緊張感だって
そこで消滅してしまいます。
字の最後を尻切れトンボにしてしまいました。


いい加減な作品をつくるな。
最後の最後まで気を抜かずに書けよー。
ということです。


それから3つ目。
「人」の1画めから2画目へのところ、
線が異常に細くなっています。
筆が次の画に移るので、そういうことに
なるのですが、こういう線の細いところは
中空で腕を動かすにとどめるもので、
入筆はもっと太く入らないといけません。
目ざわりです。

無駄な線が目だって仕方ないし、
この字は力強く書かないといけないのに、
ここでこんな細い線を書くから、「人」
全体の字のインパクトがここで
弱くなってしまうのです。
連綿の(文字を続けて書く、という練習)
基礎を学んだ人であれば、
こうした線は絶対に書きません。
それすらできていない。

この「天地人」という字についてですが、
感情的に好き、とか嫌い、というのではなく、
それ以前の問題として字を書く上での技術が、
小学生のお習字レベルでしかない、
ということです。 で、そのお習字レベルを
ごまかそうとするために、字の形をデフォルメさせてみた、
というところでしょうか。
こうすると見せかけとしては、派手な外観になって
とりあえず人の目は惹きます。


字の形は「あらよっ」っていう
感じですが、文字の線の質になると、あまりに
常識的というか単調で、お習字の塾で
習ったのを書きました、っていうのが見て
取れます。特に真ん中の「地」にその影響が
濃厚です。線の質は面白みに欠けています。


ここまでが字の問題。
次がこのポストカードの問題です。

この絵葉書をデザインしたのが
どなたなのかは存じ上げませんが。
問題は「人」の字が最後のところです。
字が画面から切れてしまってる、ということです。


え、なんだそんなことぐらい、 って思います?

字の作品を提示するときに
それは絶対にしてはいけないことです。

例えば、絵を展示するのに、
その絵の3分の2の部分だけ
隠して絵を展示するようなことが
あるでしょうか?
音楽会で交響曲を指揮していた
マエストロが第二楽章の途中で止めて、
ここまででおしまい、
って済ませてしまうことってありますか?

それと同じことです。
「天地人」この場合は3文字を全て見せてこそ
ひとつの作品になっているわけですよね。
それをきちんと全部字を表示させることなく、
文字の途中でプツンと
画面から切ってしまうなんて
それは作品への冒瀆です。

書道の展覧会で、字が途中で切れてしまった作品が
出てます? 
紙の中に字が納まっているでしょ。


余白の美しさ、だって書には求められるのですから。
紙の面積と字の面積の調和だって
作品を書くときの大事なポイントなのです。
クリエーターとして、
絶対にしてはいけないことを
このポストカードを作った
デザイナーはしてしまった。

こうすることで作品を殺してしまったわけです。

もし、俺がこの字を書いていて、この
ハガキを見たなら、激怒して
全部回収してもらうか、この
字を書くのを降りた、と思います。
俺なら絶対に許さない。
一生許しません。
こんなふうに、自分の作品を殺されて、
あはははは、って済ます、なんて
到底できない。
それほどひどいことをしてしまったのです。
しかも無神経に。


これがこのポストカードの問題です。


ならば、なぜ、この人の書いた字があちこちで
今、目だっているのか?
そんなこと聞かれたって、さぁねぇ。俺は分かりません。
だって、俺はアートディレクターでもなければ
デザイナーでもありませんし。(笑)

ただまぁ想像をたくましくするならば、
発注するするデザイナーが
「この人、あっちこっちで名前をよく見かけるし、、
他の書家なんてよく知らないし、、とりあえずこの人に
頼んだらよくね? 」っていうようなあたりで
多く発注が集中して、その結果、この人の書いた
字をあちこちで見る、というようなことに
なってるんじゃないか、というようなことじゃないか、と
思います。

でも、ひとついえることは、
そうしたアートディレクターとかデザイナーという人には
書道の文字に対する目利きはいないんだ、ということ
ということでしょうねぇ。

字のことで、俺は思ったんですが、
しかし、それにしても
どうして須藤元○さんに書かせなかったのでしょうかね。
俺は、別に須藤さんのファンでも何でもありませんけれども、
前にちらっと彼の字を見たことがありました。
30秒くらいしか作品を見る時間はありませんでしたが、
彼が中国の北魏の時代の「造像記」という古典の法帖(お手本)
を基礎に楷書の勉強をきちんとしてきている、というのは
字を習ったことのある人間なら、即座に分かることでした。
造像記は力強い楷書です。そして個性的です。

楷書を自分の字の基礎に置くのは、本当は
厳しいのです。だってそうでしょ。草書みたいに
形が変幻自在に変わる、というのであれば、
少々変なところに点を打っても分かりません。
個性、で済んでしまいます。ですが、かっちりとした構成の
楷書は、点を打つ場所がちょっとでも変なところだと、誰にでも
すぐ「あ、これ、ダメね。」ってわかってしまいます。
楷書というのは有名な曲を演奏するのと同じだと思います。
有名な曲は、みんな知ってるから、ピアノでも
ミスタッチをしたら、間違ったのが「あ!」 って、すぐにばれて
しまうじゃないですか? 本邦初演だったら誰も知らないし、
ジャズであれば、あら、不協和音かしら、で済んでしまいます。


いつも言っていますが、書の一番基礎的な勉強は
まず、きちんと古典の勉強をして、その上で自分の個性と
併せて自分の書風というものを作っていくのが正しい
方法です。

須藤さんはそれがきちんとできている。
きちんとそういう古典の基礎を積んだ上で
作品制作を行っている。
格闘技のことは専門じゃないし、俺はよく分かりませんが、
彼が字に対してどれくらい真剣に向き合っているのか、
またその書く字の水準がなみなみならぬ高さだということ、
それくらいのことは、ちらっと見ても分かりました。
おそらくは須藤さんの指導をしている書の先生が
きちんとした指導をしていらっしゃるのでしょう。
後から格闘技好きの人から彼が書道展で入選している、
という話を聞いて、そりゃ当然のことだろう、と思いました。

須藤さんに書いてもらったほうが、俺は、ずっと
力強くて躍動感があって、しかも品のある
今回の大河ドラマの内容にふさわしい
書になっていたんじゃないか、って
思いましたけどねぇ。


以上、雑ですけど、
目についたこの字の大体の分析です。


(今日聴いた音楽 C調言葉にご用心 1979年
サザン・オール・スターズ) 

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Comments

 前々から,なんだかこの字は見せよう精神旺盛で厭味ったらしいな,と感じてたんですよ。
 上手とか下手とかはわかりませんけど,謙介さんの解説で自分の感覚が的外れでなかったことだけはわかりました(苦笑)

>楷書というのは有名な曲を演奏するのと同じだと思います。

 これ,音楽好きなだけに,よくわかる比喩でした!!!

Posted by: Ikuno Hiroshi | 09. 10. 23 at 오전 12:59

この作者、「若手イケメン書道家」としてよくマスコミに登場しますね。お母さんが書道家で、小さい時から教えを受けたらしいですけど、そのお母さんは大字パフォーマンスで注目された人なんだとか。書道の腕がどうなのかなぁ(;´Д`A ```

前にこの人が講師の書道教室の様子をテレビで見ましたが、アートを楽しみたいOLさんで大盛況でした( ^ω^ )

Posted by: mishima | 09. 10. 23 at 오전 9:27

---Ikuno HIroshi さん
見ろ見ろ、って肩をいからせて自己主張しなくったって、ねぇ。(笑) いい作品というのは、そういうふうにしなくても自然に目がそっちのほうに吸い寄せられていくものなんですけどね。(微)映画監督の黒澤明先生は、書も目利きでいらっしゃいました。あの方の映画「乱」とか「八月の狂詩曲」の字は、本当にいいです。そういう誰が自分の作品に最適な字を書いてくれそうか、と見て、的確にその方に依頼をしています。書の専門、というのではないですが、ちゃんと字のことが分かっている、という方が以前はいたのですが、、最近はそういうふうに書の分かる、っていう方がめっきり減ってしまった、って思います。

Posted by: 謙介 | 09. 10. 23 at 오후 6:45

---mishimaさん
おそらく、想像なのですが、その方のお母さんという人が系統だったな書の勉強というのをしていない、ということなんでしょうね。書というより、街のお習字を教えていた先生、というのではないか、と、上の息子さんの字を見ていて、全然いけていないおっさんで字を書いている謙介さんは思いました。
 「天」の字の左払い、「地」全部お習字の書き方であって、古典を基礎にした書の書き方ではないですし、、。
 流行っている人のところに行く人って、、ミーハーなんですよ。きっと。

Posted by: 謙介 | 09. 10. 23 at 오후 6:50

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