電車に乗って
ホテルで最後の晩を過ごして、翌日。
今日帰るのは帰るのだけど、帰るバスは晩の7時。
じゃあ、それまでどうするの?
そりゃぁまぁ、うろうろしましたのでございます。(笑)
ということで、その時の
ご報告を。
ホテルで朝食をいただいた後、荷物をまとめて、
阪急の十三へ。来たときのように電車で梅田に行って、
そこから今度はJRの環状線に乗って、新今宮へ。
新今宮からJR難波駅へ。OCATのコインロッカーに
荷物を預け、再び電車に乗って天王寺へ。
ここで電車を降りりて今度は地上に上がり、駅の前の
横断歩道を渡って、お向かいの近鉄の阿部野橋駅に。
最初の予定では吉野行きの急行に乗るつもりだったの
だけど、先発で古市行きの準急があったので、これでも
古市まではノンストップだし、古市で橿原神宮前行きに
接続してる、ということなので、こちらに乗ることにした。
古市で橿原神宮前行きの準急に乗り換える。
さすがにこの辺まで来ると、電車の窓のそこここに
古墳が見えてくるんだよ。
(というのか、電車の線路が古墳と古墳の間を縫うように
走ってるからなんだけど。)
この古市って日本神話の中では、伊勢で亡くなった
ヤマトタケルが白鳥になって飛びたった後、
この古市の近くに舞い降りて、しばらくとどまり再び
天空へと飛んで行った、とあるところ。
日本書紀の景行天皇の40年に
(日本武尊を)よりて伊勢国能褒野陵に葬りまつる。
時に日本武尊白鳥に化りたまひて、陵より出て、
倭国を指して飛びたまふ。 群臣等、因りて 其の
棺槻(ひつぎ)を開きて視たてまつれば、明衣(みそ)
のみ空しく留まりて、屍骨はなし。(中略)白鳥、
更飛びて河内に至りて、旧市邑(ふるいちむら)に
留まる、、、
というふうに古市は書かれている。
まぁ最終的にミコトの魂の化身の白鳥は、この古市から再び
飛び去って、最後は蒼穹の彼方に消えて行く、ということになって
いるのだけど。古市っていうのは、こんなふうに
日本書紀にその地名が出てくるくらいの古くからの場所。
今の市町村名で言えば、古市は羽曳野市だけどね。
この古市のあたりも古市古墳群、って言って
古墳がすんごく多い。
応神天皇陵、仲哀天皇陵にはじまって被葬者がいまだ
特定できていない古墳や、かつて古墳があったけど
壊されてしまった古墳のあと、、もたくさんある。
それから、大きな古墳には必ず陪塚(ばいづか)といって
その傍らに小さな古墳もあるからカウントしようとしたら、
余計に数が増える。
興味深いことに、この古市の古墳群から
ずーっと真西に行くと、堺の古墳群の場所に至る。
同一直線状に二つの古墳群があるわけ。ここから
まっすぐ西に行けば、堺のあの
有名な仁徳天皇陵とかのあの古墳群のところに出る。
ちょうど大学の3回生の冬だったか、この古市の古墳と
藤井寺の辺の史跡調査をしたのを思い出した。
この羽曳野の誉田、っていうところに
謙介の友達がいてさー、
彼は普段は、冷静で落ち着いた口調で話すんだけど、
酔ったら、河内弁になって
「おどれは何さらっしょんじゃ、われ! 」って話し出すの。
こわいこわい。
その彼が道案内をしてくれて、一日この辺を歩いたのだった。
あの冬、寒かったなぁ。応神天皇陵から歩きはじめて
ずーっと歩き詰めだったものなぁ。
そんなことを思い出したり、、。
ここで電車を降りて、向かいのホームに止まっていた
橿原神宮前行きの電車に乗る。
だけどね、乗ってから、ちょっと失敗だったなぁ、
って思った。この橿原神宮前行きの準急って
古市から終点まで13くらい駅があるんだけど、
全部停車するんだよー。時間がかかってしょうがない。
時刻表を見たら、やっぱり
最初、ちょっと待ってから吉野行きの急行に乗ってたら、
この準急より先に到着するしさー。まぁいいや。
乗っちゃったものは仕方がない。
電車は古市を出ると、大阪から奈良への峠の急勾配
をどんどん登っていく。
近鉄って、日本で一番大きな私鉄なんだけど、
いろんな会社が合併していって大きくなっててさ。
この近鉄の南大阪線は、元は大阪軌道
(うちのオヤジは大軌(だいき)って言うんだけど。)
の線だったの。で、同じ奈良に行ってる路線でも
難波から瓢箪山とか生駒を抜けていくほうは
関西急行電鉄、っていう会社でさ。(こっちは
関急(かんきゅう)ね。)で、今もその合併した
会社の名残がしっかりあってね。実は
阿部野橋から橿原神宮前、吉野に行く電車の
線路の幅はJRと同じ狭軌。
で、難波から奈良とか三重に行く路線は新幹線と
同じ標準軌。
そういう成り立ちが違うから、近鉄っていうひとつの会社
なんだけど、路線によっていまだに線路の幅が違ったままに
なってる、っていうのが興味深い。
で、その準急の車内を見ると、もうあっちもこっちも60代後半の
団体ばかり。しかも全部(全部)山登りのスタイル。
あちこちでさー、中高年の登山、って事故が、って
ニュースになってるけどさ。
全然そんな事故なんて関係ない、っていう感じで
みなさん今からアクティブに山登りよ。
60代の人ってさ、日常生活をこなして、さらに休日には
どうしてそんな山に登ろうか、ってさぁ、、。
すごいねぇ。ただただびっくり、というか感心させられる。
それで電車が二上山駅に着いたら
ごそーっとほとんど全員降りちゃった!
ホントにみんな山登りだったみたい。
みんな降りちゃったから、電車の車内は急にがらがら。
この二上山っていうのは、記紀の中の話で言うと、
伊勢の斎宮をしていた大伯皇女(おおくのひめみこ)の
ところに大津皇子(おおつのみこ)がたずねていくの
だけど、天武天皇が亡くなった後、大津皇子は
謀反の疑いをかけられて訳語田(おさだ)の舎(いえ)
で捕まって殺されて、この二上山に葬られることに
なった。
で、その二上山を望んで大伯皇女が詠んだ歌が
万葉集にある。
うつそみの 人にはあるわれや 明日より
二上山を 弟世とわが見む
皇女はこういう歌を残しているのだけど、
現代のじじばば連中は、
優雅に「はるかに望む」とか、「見はるかす」
なんてまだるっこしいことはしないで、
即、登ってしまうんだね。(笑)
この辺って、この大伯皇女の二上山もあるし、二上山の次だって
当麻寺曼荼羅の当麻寺だし、この辺、
ゆっくりと時間をかけて歩けば、史跡は山ほどあって、
歴史を考える上では、本当に興味深い場所では
あるのだけど、今日の謙介は別の目的地があるために
ここでは降りずにもうちょっと先に行くのであった。
で、到着したのがここ。
ともあれ、謙介は、晴れたまだまだ暑かった9月。
橿原神宮前の駅頭に立ったのだった。
以下続きます。
× × ×
最近、病気のことを全く書いていなかったのだけど、
毎週月曜の通院はずっと続いている。
採血の状態は、前より、またちょっと悪くなっていて、、。
GOTとかGPTは80台くらいまできてて、
「これが100を越えたら、入院してもらいますからね。」
との主治医のお話。
入院、というより、おそらく100を超えたら、生活そのものを
するのがしんどくて、日常生活に支障が出るんじゃないか、
とこれは中央処置室の看護士さんの話。
とは言え、しばらく様子を見ましょう、ということで
病状監視継続中、という状態。
というような話を今日の診察で。
あ、大丈夫ですよ。
(↑なこと言ってて大丈夫もないんですが。)
今のところは日常生活も大体できていますからねー。
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