« 明日香村にて(その1) | Main | 明日香村にて(その3) »

09. 10. 07

明日香村にて(その2)

さっき嵐の中を家に戻ってきました。
今日という日に会議をします、って。
しかも、その会議が、話があっち行ったり
こっち行ったりで、、。
案の定、帰りは暴風雨の中で、、。
まぁとにかく帰れたので、よし、とします。

今回の台風、やっぱり規模が大きいと思いました。
ここ数年の接近した台風って、台風本体が近くに
来るまで、風とか雨、ってきつくならなかったんですが
今回はまだ彼方にあった今朝からすんごい雨と風で、、
こんなに早くから雨風がきつかった台風って
久しぶりです。

この文章を読んでくださっているところのみなさんの
周囲はいかがですか?
もう台風が通過してしまった、という方、
今、まさに、という方、
これから来そうだ、という方、
それぞれだとは思うのですが、、、

やはり自然は牙を剥きます。
怖いです。
自然の猛威はやはりすごいものだと思います。
そのことはやはり心しておかなくては、と
思います。

さて、それでは明日香村の話の続きです。

        ×        ×        ×

飛鳥寺から酒船石を通って今度は、、、

と、いうことで、今度はさらに南を目指す。


次の場所はこの明日香の中では有名なところなので、近づくにつれ
急に車の量も増えてくるし、別方向から、バスの通れる
くらい広々とした道も合流して、急にあたりがごった返し
はじめてきた。

それがこれ。ね、有名でしょ。(笑)


Ishibutai1

石舞台古墳ね。


俺が最初にここに来たのが、小学生の時だったんだけど
その頃はここ、確かまだ無料でさ、何の制限もなくて入り放題
だったのが、いつの間にかここも有料になっちゃって。
さすがにここは広大なバスの駐車場もあるし、
おみやげ物屋さんもあるし、休憩所もあるし、、、
そういう客の受入体制がものすごくしっかりした感じになってる。
ここは、言い伝えでこの石の上でキツネが踊りを踊ってた、
っていう話があってね。それで石舞台、って呼ばれるように
なったんだ。でも、本当は古墳の盛り土が全て除かれて、
お棺を安置していた石室の石組みが露出して残った、
というのがこの石舞台なんだよね。

見学料金をお支払いして中に入ってみる。
近くに寄ったらこんな感じ。

そうして石室の入り口がこれ。
Ishibutai3

内部から撮ってみました。
Ishibutai4


ちょっと離れて撮ってみました。
Ishibutai2


それにしても暑くてさー。ノドも渇いたから
ここでちょっと休憩。
みぞれの氷を食べて、ペットボトルのお茶を
一気飲み。(笑)
しばらく休憩して、もう一度来た道を戻る。
そうして村の中心部のほうに入って
行ったのだった。

石舞台古墳で思ったのは、
お墓のことを「奥津城」(おくつき)という言い方を
することがあるんだけど。(今も神道ではこういう言い方をする。
神道のお墓って、墓標に「○○家奥津城」って書いてある。)
石舞台古墳っていうのは、位置関係で言えば、明日香村の
奥のほうになるの。
奥のほうにある城のようなお墓。言葉通り、奥津城じゃないか、
って俺、石舞台古墳でそう思ったの。

石舞台を後に、今度はもう一度明日香村の中心に戻って
交差点を右折。
するとまた坂道なわけですよ。
前の坂は自転車に乗って、立ってペダルをこいだら
それでも何とかなるような坂だったんだけど、今度は
降りて自転車を押さなきゃ無理のような急坂。

今から行こうとしてたのは岡寺。
そうそう「すぐ岡寺」って標石にあったあのお寺。
ここは見晴らしのいい山の中腹にあるから、、
登りましたよー。

途中に自転車の置き場があったから、そこに自転車を
停めて、ひたすら今度は歩いて登る。

で、つきましたー。
Okadera

ここも境内に入るとライトアップの用意ができてた。
本堂はさらにもう少し山を登る。

Okadera2


お参りを済ませて、今度はちょっとはなれた塔のところに。
ここからの見晴らしがとってもよかった。
必死こいて登ってきた甲斐がありましたねー。

Okadera3

岡寺から垣間見た大和国原の向こうの山々は
ホントに「たたなづく青垣」と言った感じがした。

で、岡寺を降りまして、今度は再び明日香村の中心地へ。
今度はまっすぐそのまま西の方向に行く。
すると左斜め前のほうにお寺の甍が見えてくる。

Tachibana

このお寺が聖徳太子誕生の地、と言われている
橘寺。そうそう。今回の自転車「うまやどごう」っていうのは
もちろん、ここがあったからですね。(笑)

垂仁天皇の命で不老長寿の薬をたずねにいった田道間守
(たじまもり)が、その不老長寿の植物の種を持ち帰ってきた。
その種をこの地にまいたら橘だった。それ以来この辺を
橘というふうになった、という地名伝承がある。
垂仁天皇のお墓は奈良の西ノ京、近鉄の尼ヶ辻の駅の西に
あるんだけど、その陵の中の島としてちゃんと田道間守さんの
お墓もある。
そうしてやがてここが欽明天皇の別宮が建てられて
ここで聖徳太子が生まれて、子どものころを過ごしたらしい。


このお寺はもう戦乱とか失火で焼けてしまって、
今建っている建物は、江戸時代に再建されたものが
ほとんど。
わずかに塔の礎石が、昔をしのばせるふうに
ある。

Tachibana2

さて、橘寺におまいりをして、今度は元来た道まで戻って、
再び西に。
すると川原寺跡に出る。
なんだかその日の晩にするイベントの準備をやってた。


Kawaharadera
↑ こりわいったいなになのでせうか。


Hata
で、 グラディエーションがきれいだったので
一枚。


川原寺も、昔の規模ではなくて、敷地の
奥のほうにこじんまりとしたお寺が建っているばかりになっている。

Kawaharadera2
「川原寺址」の文字がいい。

この石柱の字を書いたのは相当に字を練習した方で、
それも六朝の楷書とか造像記あたりの楷書を
相当に勉強した方が書いた石碑だと思う。


本日はここまでにします。


|

« 明日香村にて(その1) | Main | 明日香村にて(その3) »

上方のはなし」カテゴリの記事

Comments

石舞台も懐かしいです。
岡寺はスキップしたのですが、
橘寺の聖徳太子の石碑は、
同じアングルで写真を撮った
記憶があります。川原寺跡も
行きました。石碑の文字から
そんな風に推測できるんですね。
東京は今、猛烈な風です。

Posted by: ともぞう | 09. 10. 08 AM 8:02

---ともぞうさん
 台風、今、そちらのほうを移動しているのですね。いかがでしょうか。たいした被害がないことを祈るばかりです。もう一度龍田の神さまにお祈りしました。
 岡寺、坂がきつくて途中で体がしんどくなって、挫折しかかったこともありましたが、それでも何とか登って、あの風景を見たときは、やっぱり来てよかった、と思いました。ここのご本尊もまた霊験あらたかだそうです。
 石碑、特に「原」の下の部分が点3つになっているところ、「址」の土偏の部分、それから、川の最初の画の最後の曲がりがきついこと。そういうあたりに造像記を勉強した方の書いた字だろう、という特徴がよく出ているように思えます。

Posted by: 謙介 | 09. 10. 08 PM 12:26

東京は台風で電車が止まり、大変でした。
奈良には何度か行ったのですが、石舞台はご縁がありません。謙介さんの写真を見て、秋か春のお天気の日にぜひ行ってみたいなぁと思いました。
私の持っている古い楽譜は、Beethovenの In questa tomba oscura を「闇の奥津城に」って訳しています。今は「この暗き墓場に」とか言うんでしたか…昔の題の方がなんとなく曲に似合ってるように思います。

Posted by: アリクイ | 09. 10. 08 PM 9:47

---アリクイさん
 朝、出勤してから交通情報見ましたら、JR東日本の首都圏の路線、軒並み運転見合わせ、ってありましたですね。アリクイさんのところでは被害はありませんでしたでしょうか。
 明日香はちょうど今くらいの季節に訪れるといいですよー。稲刈りの終わった田んぼの彼方に山々の連なりが遠景で見えて、、本当にゆったりとした気分になれます。民宿とか宿泊施設もあるので、そういうところをベースキャンプにして、1、2泊しながら明日香をゆっくり巡る、というのがおススメです。俺のは時間をかけなさ過ぎ(笑)なんです。もっとのんびりと巡るのがいいと思います。
 やはり墓場、というより奥津城、っていったほうが言葉に風格が出ますよね。ちょっと違いですが。確かに古い言い回しではありますが、でもベートーヴェンの曲のイメージには、奥津城のほうが合うように思います。

 

Posted by: 謙介 | 09. 10. 09 AM 12:12

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 明日香村にて(その2):

« 明日香村にて(その1) | Main | 明日香村にて(その3) »