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09. 09. 07

同じではありません

こないだ、大学時の先生に頼まれた字の話をしたのですが、
あの後、実は謙介、何人かの人から、質問を受けて、

え? 
ほんとに?
って思わず言ってしまって、、
逆にこちらが衝撃を受けたことがありました。

そうか、同じものと思っている人がいるのか
と思ったので、今日はそのことの話をしようと思います。

そのびっくりした質問というのはこれです。

「「書道」と「習字」って、同じだよね? 」
っていう質問です。

答えから先に言いますと、
同じではありません。
別のものです。

たとえて言えば、それは
「ソフトボールと野球って同じものでしょ? 」
という質問をしているようなものです。

仮にふたつをこういうふうに説明してしまったらどうでしょう?

ピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、

こういう言い方をすれば、全く同じじゃないか、という
ことになりますよね。

でも、野球とソフトは全く別のスポーツです、よね?
それと同じです。

習字は字を習う、と書きます。
つまりお手本を見て、整った形の字を習うことが中心です。
楷書とか行書とか、そういう見て読める字を習います。
整った字、というのは、習うべき文字の形が決まっていて、
そういう字になるように練習する。
だから字を習う、で、習字に。
義務教育の中で大切とされるのは、整った字を書く、
習う、ということですから、
当然それは教科で言えば国語の中に入ります。

ですが、書道は芸術科目です。
芸術ですから、形が変であろうと、全体がなんじゃこりゃ、であろうと
それがどうしたの? っていうようなものです。
高校の書道の授業も、ですから国語のなかに入ってはいなくて、
音楽・美術といった芸術教科の中に入っているはずです。


たとえばこんなの。

Hekigotou2


「弟いつまで端居して 木の葉 空どんよりな 」

これは河東碧梧桐の短冊なのですが、
この字体、なんだと思いますか?
実はこれ、楷書なんですよ。
楷書、って言われたって、こんなもの楷書か?
ということなんですが、
確かにひらがなの「より」でつながっては
いますけど、後の各字の画は、それぞれ他の画に
つながっていったりしていなくて、画それぞれが
独立していると思います。
続けて書いた、という感じではなく、一画一画が
丁寧に書かれています。
ですからこれは楷書(もしくは楷書に近い行書)です。
芸術作品としての楷書はこんなふうに
形がデフォルメされていようと整っていなかろうと
それはそれで全然問題はありません。
碧梧桐の字、で一番たくさんの人が見たことある、っていうのは、
これですかね。

近鉄奈良駅の前に東向商店街という商店街が
あるのですが、その商店街を入ってすぐの左側に
湖月というお菓子屋さんがあります。

Kogetu


ぜんざいとか三笠焼で有名なお店です。
店の屋根のところに木製の看板が二つあるのが見えると思います。
その右側の「湖月」と書いて白く字を塗ってあるほうの看板の字が
碧梧桐の書です。

たぶん奈良を訪れたことのある人は
この店の前も通っていると思うのですが、
(まぁたいていの人は、そんなこと
全く気付かないまま通っているとは思いますけど。笑)

店の中に掛け軸が見えていますが、
それも同じ碧梧桐の書です。
楷書で整った形か、といえば、どうでしょ? (笑)
でも、そこがおもしろい。だから、いいのです。


ところがですね、書道には、構造的な問題があるんです。
今、書は芸術だ、と俺は言ったのですが、
実は書を習う、ということで言えば、以下の問題があるのです。


まず、ですね、
一番オーソドックスな書の勉強のしかたはどうするか、と言えば、

まず自分が興味を持った古典作品を手本にして、
何度も何度もその練習をします。
そうして、その筆の使い方、線の書き方を自分のものにするわけです。
その基本になる書の作品はひとつや二つではいけません。
できるだけたくさんの書の古典を勉強するわけです。
将棋とか碁でもそうでしょ?
定石というか基本の打ち方、っていうのがあってそれを
勉強しますよね。野球だってノックとか、バッティングとか、そういう
基本練習を繰り返します。他所のチームと試合をしたり
トレーニングだって毎日毎日するはずです。

そうして身体の中に字の形を覚えさせるわけです。
字の基本の学習はまずこれをしなくてはいけません。

そうしていろいろな古典を学んだ後で、その古典をベースに
今度は自分の字体を作っていくわけです。
だからそういうさまざまな字体を習う、という技術上の
財産を作って、それをベースにいよいよ、自分でなければ
書けないような作品、文字を書いていくわけです。

ですからここからが本当の意味での創作、ですね。
もちろん、
自分の字体を作るわけですから、お手本はあるはずが
ありません。


これがごく普通の書の習い方なのですが。
この方法だと時間はかかりますが
こうして出来た書のスタイルは
自分のオリジナルであって、
本当の意味での創作、ということがいえます。
時間はかかりますが、本物です。
ところがこの方法だとものすごい時間がかかるから、
こういう王道の書学習をする連中は
あまりいません。


他の人はどうするか?
手っ取り早く書道の先生のところに行って字を習います。
その先生がお手本を書いてくれて、
そのお手本どおりに字を書いて、上手に書けたら
展覧会に出すわけです。

こうするとほんとに簡単です。(笑)
お手本どおりに書けばいい。これだけです。

でもね、ちょっと考えてみてください。
習字ならそれでもかまいません。
でも芸術であるはずの書道が先生の字を
忠実に書く、って変ではないですか?

先生のお手本の字ばかり練習します。
他の字はしません。
そうするとどういうことになるか、といえば
習った字だけは、お芸術的に上手に書けるのですが、
習っていない字はさっぱり書けない、という現象が起きる
わけです。

先生の字を忠実に写して書くだけだったらさー、
スキャナで写したらええやん、
と俺が言うのはこういうことです。
コピー機だって性能よくなってますし。(笑)

先生の字を真似しますから、
書いた字は当然先生そっくりになります。
こういうことが多くなった結果どうなっているかといえば、
展覧会に行ったら、字を書いた人の名前は見なくても
先生は誰か、すぐ当てることができるようになる、
という珍現象があちこちで起きる、ということになるわけです。

そうして、ここのところで字を習ったことのない人が
見ると、なんだ、おんなじじゃないか、と
思ってしまうわけです。

だって両方ともお手本を見て字を書いているわけですから。

ここだけを見た人が、習字も書道も同じじゃねえか、と、誤解を
してしまうわけです。

本当に書を教える覚悟のある先生は
お手本は一切書きません。
手本を書くのは、自分の書き方を
弟子に強制することになるから、
と言って、俺が師事した先生は
みんな、手本は絶対に書いてくれませんでした。

そうしてその書道展で政治的な力のある先生の
所で習っている人は、入選も速いです。
よくタレントさんの中に、見たところ
ろくすっぽ基礎基本もできていないような字で
それでも展覧会に入選したりしているのは、そういう
事情があるからです。

政治力のある先生について、そこそこの字を書いていれば
そんなもの、さっさと展覧会に入選します。

簡単にどの程度の書の実力かを見る方法があるんですよ。
作品以外の字を書いてもらったらいいのです。
基礎・基本ができていなくて、
応用が利かない人は、ですから
他の字を書いてもらったら、
もう信じられないくらい
下手な字しか書けません。

それは書も絵も同じです。
展覧会に入選した、と言ってもそれは本人の実力、というより
その先生の政治力、と言ったほうがいい場合が多々あります。

だけど、まぁそんなもの、作品をよーく見たら、
上手か下手かなんて案外分かるものです。
いい作品は長いこと、繰り返し見ていても全然
見飽きません。

下手糞なのは、確かに瞬間的に目を惹くことは
あるでしょうが、そこまで、それっきりです。
作品としての深みが全くないから、すぐに飽きてしまう。

先生について書を習う、というのは
先達がいて、一見いいように見えますが、
本当の意味の実力がなかなか付きにくいわけで、、。
そういう先生に付きながらでも、どんどん
いろいろな古典の字を勉強していかないと
本当の実力は、なかなかつかないように
思います。

と、まぁこういう問題があるんですよ。

なので、本当に書の好きな人、字を書くのが好きだけど
人事抗争は嫌い、という人は、展覧会なんか出さない、
っていう人も結構います。

俺の友達も、書をやってる連中は、展覧会には
出していません。
中にひとり、毎日展に一度出して、もちろん入選して
それでもういいや、って出すのを止めたヤツもいますけど。
みんな出さないですね。自分の水準が確認できたら
それでいい、って。
本当の字の目利きって、パッと見たら
あ、コイツはどの程度の字を書くか、なんて
一瞬で見抜きます。

展覧会、別に出して賞を、と思わなくても
自分が字を書くのが好きだったら、
それで十分じゃないか、って思います。

字を習う、書を書く、というのはいくつになっても
続けられることですし、、。

先週、変な体勢で字を書いて痛かった筋肉も
もうすっかり治りました。(笑)


痛かった身体、といえば
今日久しぶりにお昼栄養士の友達に会ったの。
その時に話題に出たのが、24時間テレビの
マラソンだったわけですよ。

だけどどうしてあんな馬鹿なことをさせるんでしょう?
はっきり、馬鹿なこと、だと思う。
ずっとそういう走る競技をしてきた専門の人間でも
ないような人間に、毎年毎年ムチャなことをさせて、
ドラマだドラマだ、っていうんだけど。

あのムチャなことをしたそのツケが、
ずいぶん歳がいって、オバサンになってから
その後遺症が出て、足が立てなくなったりした時に
どうやってその補償をするんだろう?

そりゃ、苦悶の表情浮かべて、必死でゴールしたら
それでひとつの完結された人間のドラマにでも
なるだろうさ。だけど、番組はそこで終わって
いつかその人が忘れられても、その人の人生は
決して終わったわけではない、ですよね。
なのに、その走っているときだけ
わぁわぁ言って、人間のドラマだとか美辞麗句で
褒め上げておいて、番組が終わったら、
すっかり忘れた、みたいな態度、って
本当にその場視聴率を取れたらそれでいい、っていうような
テレビ局の事情だけが見えて、嫌だなぁ、という話をしました。

ばあさんになって身体ガタガタになって
一人で足腰立たなくなっても知らないよ、って。


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Comments

近鉄奈良駅前の湖月、行った事ありますが、由緒あるお店とは知りませんでした。
奈良土産に買った三笠、大きくて食べ応えがありましたよ。
秋の奈良、ロマンがあっていいですね。ゆっくり散策したいです(*´ェ`*)

Posted by: mishima | 09. 09. 08 at 오후 12:10

---mishimaさん
湖月は、近鉄の奈良駅からすぐ、ですし、人通りの多い商店街の中にありますから、店の前を通った、っていう人も結構多い、と思われます。そうですよね。ここの三笠、でかいです。(何度かもらったことがあって、大きさにちょっとびっくりしました。)秋の奈良はどこもかしこも絵になりますね。談山神社、龍田神社の紅葉、三輪山付近の山の辺の道、明日香の古い道、みんなそれぞれ見所があっていいと思います。

Posted by: 謙介 | 09. 09. 08 at 오후 11:11

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