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09. 08. 28

コンコンギルアガシ(その2)

俺のブログ、前にさ、ソウルの東、
清涼里の話を書いたことがあってね。
清涼里(チョンニャンリ)って名前はさわやかそうな
感じだけどさ。


いや、元は多分さわやかな場所
だったんだと思う。
昔はソウルの郊外で王様の避暑用の建物なんかが
あった、っていうから。
だから清涼里、なんてすがすがしいお名前が
ついたんだろうけど。
でもさ、清涼里なんて、
俺がいた頃は売春窟だったもの。

で、その売春窟に行きたい! っていう人が
多いんだろうかねぇ。 だって俺のブログ、この
チョンニャンリで、検索かけてくる人が結構多い。

しかしさぁ、清涼里の検索数もう飛びぬけて
多いんだよ。もうねぇ、おスケベ方面ばっか。
やれやれ。

俺とか周囲の人間はあんまり清涼里とか
その頃、同じように売春窟のあった弥阿サムゴリ
のことを口に出していうのも、ちょっとはばかられる
ところがあったから、
ニャンニー(清涼里)とメアリー(弥阿サムゴリ)って言ってたけど。
メアリーのほうは売春窟もあったけど、占いの人が
結構住んでて、そういう占いをしてもらうために
訪れる、という人も多い、とは聞くんだけど、、。

で、俺のブログで、この清涼里の売春関係の
言葉をキーワード検索してくる人が毎日結構いる。
いや、結構な数、っていうんじゃないくらい多い。
どういうことなのだろう。行ってみたいとか
一度試してみたい、とか思うのかなぁ。

俺は、そのもうちょっと先の回基(フェーギ)に住んでて
この清涼里は列車・電車のターミナルだったから
ここで乗り換えたりすることも結構あった。
だからそういう意味で懐かしい地名ではあるんだけどさ。
でも俺、1度か2度行った、というか通ったことが
あったけど、ちょっと、なぁ、、、と思って、もうそれっきり
だったけど。

ホントにいくのかどうかは知らないけど、
清涼里ってさ、東京で言えば上野みたいに
江原道(カンウォンド)方面からの列車の
ターミナルでさ。江原道方面から「
ソウルさ行って、ねいちゃんと一発やりたい!」
(アガシかアジュマ(おばさん)かは微妙。)
っていう(まぁ、笑)スケベおやぢの
ためにできた売春窟だしさ。

売春窟行って病気もらってしまった、って言ってたヤツも
結構いたから、あんまりご推奨はしませんけど、、(笑)
変な病気もらってきたら困るじゃないか。それに
治安もよくなかったものね。(今はどうでしょ。
確認していないけど)


とはいえ、ソウルの五つムクゲの特級ホテルの
ロビーにだって、売春関係の女の人が平気で
お客さんを取ろうとして座ってたりするし。
ロッ○とか南山のヒルト○のロビーにも、結構
そういう胡散臭そうな女性が晩になったら
ふふん。今晩いかが? っていう感じで
座ってたし。

だから、清涼里だから、ミアサムゴリだから、
はたまた明洞だから、ということもないのかもしれないけど。

まぁいいや。
話をコンコンギルアガシに戻そう。(というか、19年経って、
本人はもうアジュマ(おばさん)って言ってたけど。)


コマーシャルの中で「コンコンギルアガシ」は
18年ぶり、と話してた。

俺がはじめてソウルに行ったのが1980年代の
半ば。
伊丹空港から「イルボンハンゴン」のDC-10で
金浦空港に着いたのが初めての韓国だった。

CMの中でも語られていたけれど
時が移っても変わらないもの、
時とともに変化していったもの、がある。

ソウルの中心部はもうすっかり変わってしまって、、。
たまにソウルの友達から、写真が来るのだけど、
「これ、どこか分かる? 」って町並みの写真を
見せられても、
「チャル、モラゲッソヨ。」(よくわかんない)としか
答えられない。

最初、ソウルに行った時に、買い物をしようと
思って新世界百貨店(シンセゲ)に行った。
シンセゲの南側に退渓路(テゲロ)という
道路があって、その道を隔てた向こう側に
豪壮な和風建築のお屋敷があった。
日本で言っても、そう料亭とかお茶屋さん、
または和風旅館というような豪壮な
つくりの日本建築の家だった。
今は南山パークホテルとかいうホテルが
建ってるらしいけど。

なんでそんなところにそんな料亭みたいな
建物が、って思ったんだけど、、。
それもそのはずで、後から調べて分かったのだけど
日本の植民地時代、その新世界百貨店
(当時は三越京城支店だったけど)
の裏は花街だったからね。
芸者さんの呼び出しをする検番(けんばん)だって
あったから。そういう料亭の建物が残っていたのだ、
と思う。
日本の植民地時代は三味線の音なんかも聞こえてきていた
かもしれない。
市内の建物は変わってしまったけど、南山のふもとの
ほうの町並みは今も日本の植民地時代の住宅が
結構残っている、と聞いた。

南山山麓は日本人が多く住んでて、
北のチョンノのほうは韓国人の居住
している地域だったからね。


最初に行ったころはまだ韓国内で政治デモの頻発
していた時期で、結構あっちこっちでデモがあった。
何せすぐに熱くなる国民性だから、もう連日、毎日のように
どこかでデモ隊と警官隊の衝突があってさ。

一度なんかひどかったなぁ。
市役所の東側にあったイルボンハンゴン(日本航空)
のソウル支店に飛行機のチケットを予約しに行こうと
したらさ、市役所前でデモやったの。
で、警官隊が、ドーンって催涙ガスを打ったのさ。

催涙ガスって、吸ったことある?
あれね、ガスが薄いところだと、やたらくしゃみが出るの。
それが濃度が濃くなってくると、もう何せ催涙ガスだから
涙がボロボロ出て、止まんない。
飛行機の予約ひとつしに行くのもなんだか命がけだった時代があって、、。

あの国際電話のキムさんの18年前は、もうソウルの街
も落ち着いてたけどね。

キムさん、CMメイキングのビデオの中で
アジュンマ(おばさん)になっちゃった、って
繰り返して言ってたけどさ。

あのさぁアジュンマはエステになんか行かないぞ。(笑)
おうちだってどう見ても、江南の(ソウルの南を流れている
漢江(ハンガン)の南の地区)アパート(日本で言うところのマンション)
に住んでさ、どう見たって恵まれた暮らしをしている、としか
思えないもの。
あれはアジュンマじゃないぞ、って思った。

韓国の典型的なアジュンマって言うと、頭はアフロヘアみたいに
ものすごく強いパーマをチリッチリに当てて、
もちろんデーンと太ってて、貫禄があって、
(こちらの返答は一切無視して)ひたすらマシンガンのように
自分のいいたいことをしゃべる、という人でないと。

あんなほっそりとしたナチュラルな人はアジュンマ、なんて
言わないんじゃないか、って思う。

18年という歳月。
変っていったもの、
変らないで今もあるもの、
それぞれだけど、、。

さて、これをお読みのみなさんの人生の中で
この間の「シッパルニョン」(18年)
の変化はどうだっただろうか。

18年前は、どこにいて、何をしてましたか?
たまには、そんなふうに以前のことを
思い出してみるのも、ひとしきりいろいろなことを
思い出したり、考えたり、で
心の洗濯になるかもしれないなぁ、って思う。
(まぁ中には嫌な過去なんて思い出したくも
ないぞ、っていう人もいるかもしれないけど。)

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はんとうもんだい」カテゴリの記事

Comments

18年前、私は夫とまだ幼児の娘を連れてヨーロッパに住んでました。ベルリンの壁がなくなったり湾岸戦争があったり、いろいろあった頃ですねぇ。今みたいにインターネットもありませんし、衛星放送も入らなかったし、日本とはすっかり隔絶されて暮しましたが、そのあともう一度ヨーロッパに住んだ時には、もうネットのおかげで世界は狭くなっていました。その娘も既に大学生、私もアジュンマになるわけです。たぶん謙介さんは私と同年代(謙介さんの方が少しお兄さんかしらと勝手に思っています)一番気力体力に溢れていた頃ですかしら…。年はとりましたが、頭の中身はあまり成長していないような気がします。わがままな子供たちのおかげで忍耐力だけはつきましたけど。
お互いペースを落としながら、人生楽しみましょうね!

Posted by: アリクイ | 09. 08. 29 at 오후 9:39

---アリクイさん
 もう少しして、暑さがすこし和らいだら、学校を卒業してはじめて赴任した離島の海岸に行ってみようと思っているのです。あれから、ずいぶんな歳月が経ちました。振り返ってみると確かにそれだけの年月が経ってはいるのですが、自分の中の感じからすると、本当にあっという間のことでした。
そろそろ自分はこれから先、どうするのか、どうあるべきか、というふうなことも考える時期に来ているようにも思います。まだまだ試行錯誤は続くのですが、それでも、ひとつでいいから「何か」を創り出したいなぁ、と考えています。

Posted by: 謙介 | 09. 08. 29 at 오후 11:07

シッパルニョンチョネ
チョヌン コドゥンハクセンヨッソヨ

十八年前
私は高校生でした

勉強なんてほとんど(全く)せずに毎日毎日楽器ばかり吹いていたように思います。


懐かしいCMですね。この音楽をとてもよく覚えています。当時は韓国語なんてチンプンカンプンでしたから、いくつかの単語を聞き取ることができるっていうのもこのシッパルニョンの変化の一つかもしれません。
(それにしても"ジェロジェロワンダフル"じゃなくてちゃんと"ゼロゼロ"って言っているのは相当練習させたのでしょうね。)

謙介さんはポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』という韓国映画をご覧になったことがありますか?1980年代に実際にあった連続殺人事件を題材にした映画なのですが、一瞬デモのシーンが登場します。本編には関係が無いシーンに戦車を登場させたりと予算を随分使ったけれどもあの時代を描くにはどうしても必要だったと、監督が言っていました。謙介さんもその空気(ガス?)を吸っていたのですね。

Posted by: わも | 09. 09. 01 at 오전 12:33

---わもさん
 18年と一口に言いますが、本当におっしゃるとおりで、韓国も大きな転換のあった時期のように思います。88年のソウルオリンピックの頃は、すでにデモは下火だったですが、それでもまだ、先の政治体制が分からない、という状況でした。それが90年代に入るにつれて、大きく転換をしていった、という気がします。 わもさんの高校時代は楽器少年というか、音楽少年だったわけですね。うーん。俺はなんだろ。家が荒れていたので逃避みたいに、片っ端から本を山のように読んで、それが元で文学部に行くことになってしまいました。そうですね、唯一わもさんと似てる、と言えば、ひとつのことにこだわって、という部分くらいでしょうか。
 ご紹介いただいた韓国映画、たまたまソウルにいたときに、ピカデリだったか団成社だったかの映画館でかかっていた気がしたのですが、見にいかずに終わってしまいました。機会があったら何か別の方法で見てみたいと思います。
 催涙ガス、すごかったんですよー。あたりだって白くなってきますし。デモなんて、自然発生しますから、たまたま、その場所に行った時に、ぶつかったりすることもあって、、。わもさんのお話で、あの頃のことを思い出しました。

Posted by: 謙介 | 09. 09. 01 at 오후 6:59

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