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09. 06. 17

Tセンセイのこと

先週の金曜の夜、大学の時の同級生で、今は大阪の
淡路に住んでいるI氏からメールが来ました。
見ると、「万葉集の研究書を1冊、持ってたら
貸してくれへんやろか。」とある。一々メールで「持ってるし。
いつまでに送ったらええの? 」とやり取りするのも面倒
だったので、大阪に電話をすることに。
「分かった。そうしたら明日送るわ。」ということで、一件落着。

「明日は13日やね。」
「うん。」
「6月13日。」と言うと、、
「あ! 」と、同時に声をあげたその時の二人は
多分同じことについて
考えが至っていたのだ、と思います。
世間で言えば、6月13日は桜桃忌。太宰治のお命日。

なのだけど、俺もI氏も思っていたのは、Tセンセイのこと
でした。


I氏はさっきも言ったように国文科の時の同級生
なのだけど、専攻は違ってた。彼と言えば国文学の
王道とも言うべき中古文学。しかーも『源氏物語』でしたよ。
まぁ今は、源氏から平安朝の和歌へと研究対象が移ったけど。

あ、ちょっと注釈が要りますかねぇ。
歴史学の年代の呼び方と、国文学史の呼び方は
違う部分が何箇所かありましてですね。
例えば俺の専攻の奈良時代以前の文学は
上代文学(じょうだいぶんがく)と普通呼びます。
歴史では「古代」と呼んでますが、文学史では
上代。もしくは上古。(じょうこ)という言い方です。

それと同じく平安時代の文学のことを文学史では
「中古文学」と言います。読みはそのまま
「ちゅうこ」。
でも、ちゅうこぶんがく、って、やっぱり
中古車、とかいうイメージでしょうかね。
あんまり名前の雰囲気が、、。(笑)

でも、ちゃんと中古文学の名前
をつけた学会もありましてですね。国文学の
中では、そういうことになっています。 で、
後は同じです。
中世があって、近世があって、近代があって
現代、となっています。

ただね、歴史と違って文学史というのは
厳密に時代を分けることはしません。
江戸時代と明治時代は歴史学でははっきり
分かれますよね。文学史ではその辺があいまいです。

というか、本当は歴史だって本当はそうなんですけどね。
たとえばですよ。
西暦2001年になったとき、みなさんの生活って
劇的に何か変化がありました? 
2000年から2001年になって冷蔵庫の中の
ものがすっかり新しくなっていたか、といえば
そんなことはないわけで。2000年に買った
トマトケチャップだのマヨネーズだのは
あった、でしょ。大きな変化なんて
そんなものないでしょ? (笑)
昨日の続きみたいな今日でしかなかった、と思うんです。
一応区分けとして、ここ、で切ってはいますけれども
そんなもの、毎日の生活がずるずるべったりです。
年は変ったけれども、そんなものテレビのチャンネル変える
みたいに、ハイ! って全てのものが一新される
わけじゃなし。
江戸から明治になっても、人の暮らしはまだ
江戸時代の影響を受けていた、ということが
ありますよね。だから、そんなに画然と時代が
変った、っていうことは国文学ではいいません。

ただまぁ後から考えてみたら、そういえば
2008年の秋にリーマンショックがあって、
あれで一気になんだか世の中不景気になったなぁ、
というようなものですよね。時代の区切りなんて
そんなものだと思います。

その源氏の専門のI氏が、ちょっと調べることが
あるとかで、本を貸してね、ということになったんですが、、。
ただI氏と俺は、国文法をTセンセイに習いました。
これは同じだったのです。
Tセンセイの専門は中古文学。
Tセンセイ、ちょっと(いや、ずいぶん、か。)強引なところは
あったのですが、とても学生思いのセンセイでした。

Tセンセイについては、
前にも書きましたよね。
「太宰を嫌いだった人、二人」のところで。
毎回の講義の中で必ず一度は入る演説が
ありました。
それは太宰(治)の批判というか文句というか。
もうねぇ。1回の講義に必ず一度は入ってましたねぇ。

Tセンセイと太宰は小学校・中学校と
同級生だったのです。隣同士の机で一緒に授業を
受けた二人でした。

ですから、彼の素行・生き方を身近で見ていて、
そうして作品を読んでの批判でした。

なので、センセイ、太宰なんていうペンネームでは
太宰のことは呼びません。
本名の「津島」です。しかも呼び捨て。


で、Tセンセイ、授業中に獅子吼なさっていたのですよ。
「津島の津軽は津軽でねぇ! 」って。
ここは、「つしまのつがるは、、」って平板に
読まないでくださいね。
「つんすまのつんがるは、つんがるでねぇ。」です。


Tセンセイだって、文学者です。しかもカチカチの
漢文学じゃなくて、源氏とか狭衣が専門の
センセイでしたから、しゃれっ気とか
人間の弱さ、とかたおやかさ、という
ような弱い部分だって十二分に理解が
あった方でした。

どちらかといえば、軟弱好き、という感じのセンセイ
でしたが、太宰については、絶対許そうとしませんでした。
「下半身が無節操。」にはじまって、
「すぐ女性の弱さにつけこんで
どうしようもないヤツだ。」とか。

まぁずーっと同じ教室にいて、人間的な部分を
しかも毎日(!)朝から晩まで見ていたからこそ
出てきた感想なのでしょう。

みなさんだってそういうことないですか?
学生時代に同じクラスのヤツだったけど、
あいつは許せない、っていうようなヤツ。(笑)


加えてセンセイが太宰を許せなかったのは
さっきも書きましたが「ふるさと津軽」の描き方が
全くダメ、ということで怒っていたようです。

センセイの頭の中の「津軽」という場所は
本当によいところで、自分という人間を
はぐくみここまで育ててくれた産土の場所だったわけです。
ところが太宰の描いた「津軽」は、そうじゃなかったわけ
ですね。
「あんなふうな描き方しかできねえヤツは
ダメだ。」こういう怒りも何度も聞きました。


「Tセンセイ、太宰のことでよう怒鳴ってはったねー。」
「でもね、いつだったか、何の作品だったかは
忘れたけど、これの文章はいい、って言ってたことも
あったよ。」
「え、Tセンセイ褒めることもしてはったん? 」
「ふん。」
「へー。全部が全部津島は許せないぃぃぃぃ、
って言わはってたんかと思うてた。」
「そうやないみたい。」

人間同士、それぞれの立場からの お互いの距離感、
というものがありますよね。

同じ相手でも、それが全くの赤の他人で
「作品だけを客観的に見ているだけ」の関係であれば、
おもしろい、で済んでしまうでしょう。

しかし、その相手が
自分と利害がからんできたり、何かしらの
影響を及ぼす、及ぼされる、というふうに
なったら、評価だって一変することだって
あります。

ホラ、こういうふうな会話、聞いたことありませんか?

「もし、あいつがワシの友達だったら絶対嫌やわ。」
「兄弟やったら? 」
「もう堪忍して。耐えられへん。」とか。(笑)
他人だったら笑って済ませられることが
友達とか肉親になると、怒りの対象になる、
なんていうこと、われわれだって、日ごろ目にしたり、
耳にしたりすることですよね。

Tセンセイが、太宰のことを毎回怒っていたのも
そういうふうに同級生だったからこそ、
近しいが故に見えてくる憎悪というのが
あったのだと思います。

単に作品だけ見ていれば、というのではない
その近さが、災いした、のでしょう。

そんなTセンセイは、もう20年ほど前に
亡くなられました。
俺がセンセイの講義を受けていた時だって
もうセンセイは立派にご高齢でしたが
40歳くらい若い奥さんと再婚して
当時8歳のお子さんがおいででした。

(Tセンセイだって、同級生のことは
あまり言えないように思う。笑)

残ったセンセイの弟子二人は
その頃のことを思い出しては、
「えらい怒ってはったなぁ。」
「怒髪天を突く、という感じやったなぁ。」
「ホンマホンマ。」
と少しの間、昔語りなどして
電話を切ったのでした。


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Comments

こんばんは。
雨はどうですか、小雨でしょうか?
少しまとまって降ってくれるといいですけど、運転にはくれぐれもお気をつけください。

昔、祖父(大学の先生でした)の教え子(と言っても父くらい歳の同大学の先生でしたが)と亡・祖父の話をしたことがあります。
孫の私が知らないことを教えてもらって(授業中生徒に振られると釣りの話ばかりしてた、とか、お給料をいつも研究室に忘れていてって弟子のその人がいつも届けた、とか)、これが故人を偲ぶということなんだなー、と感じたのを、記事を読みながら思い出しました。
太宰のお命日に二人のお弟子さんに昔語りしてもらえるTセンセイはお幸せですね。

Posted by: 百 | 09. 06. 22 at 오후 8:30

---百さん
 そのTセンセイなのですが、ホント国文科の名物というくらいのセンセイで、本当に個性の強い方でした。で、最初は小学校の先生からはじめられて、中学で教え、高等学校で教え、とうとう最後は大学の教授になって、堤中納言物語の研究で、最後は文学博士号も取られた方です。
 センセイの研究の方向性には、俺は、ちょっとなぁ、、とは思ったのですが、文学を研究する謙虚な態度、その情熱、強い意志、というふうな研究をする上での基本的な心構えは、本当にご尊敬できる方だ、と思っています。実際に習っていたときは、結構反発したり、そんなの違う、って思ったことも再三あったのですが、年月がそういうものを溶かしてくれたように思います。
でも、百さんのお祖父さまもそういうふうに周囲の方の思い出の中に生き続けている、というのは、やはりすごいことだと思います。
雨、ああ、降って欲しいです。今日も雨、ということだったのですが、今までに降った時間をトータルしても30分いくかどうかです。(悲) 本当に雨乞いしないといけない雰囲気になってきました。

Posted by: 謙介 | 09. 06. 22 at 오후 9:58

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