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09. 06. 11

どうでもいいようなことのおまけ

どうでもいいこと、ですが、
前回書きもらしたことがあったので、
今日はその話をします。

俺はムラカミさんの小説の特徴は
「鏡」だと思っています。


現代という社会のありさまを描写させると
ムラカミさんは本当にうまく切り取って提示します。
その切り取り方、提示の仕方、というのは
本当にうまいなぁ、と感心します。
だからこそ、都市に住む多くの人の共感を
得ることができているんじゃないか、と思うのです。

前回、文芸評論家の人たちが
ムラカミさんの作品は一切スルーする、という
お話をしました。

その理由、実はもうひとつあります。彼の小説に出てくる
「登場人物の感情の表出」があまりに淡白なのです。
だから「人間が書けていない」という評価になってしまうわけですね。

もちろん登場人物が「何をどう思ったのか。」
ということは書かれていないわけでは
ありません。
しかし、その描写は「一応怒ってみました。」
「ここでは泣く場面だから、一応泣かして
みせました。」という程度のものです。

ストーリーも淡々とした時間の経過の中で
事柄が起こっている、という感じですし、
そのストーリーの上で去来する登場人物の感情だって
読み手に強く訴えかけてくるものがあまりないのです。
事件、が起こったとしても、それは読者にストレートに
入ってきません。どこか薄いカーテンのようなものが
かかっていて、その向こうで静かに進んでいる、
という感じです。
だから事件でなくて、「事柄」と俺は書いたわけです。

それの表現は前回お話した「登場人物同士が
ぽつん、ぽつん、と孤立したふうに
立っている。」ということにつながっています。

どんなことが起こっても、自分の喜怒哀楽をストレートに出さない。
その意志の表現も非常に抑制した形でしか表出しない、、
ムラカミさんの小説に出てくる人物って
そんなところってないですか?


全身全霊で泣くこと。
怒りに身体が震えること。
もしかしたら、
ムラカミさん本人がこんなふうに感情をあらわに
して自分を表現する、ということが
あまりないんじゃないか、とも考えられます。

身体を震わせるほどに泣いた、とか
怒りで身体中がびりびりとした、というような
感情の表出です。

なまなましい感情を表に出す、ということって、自分に
実際に経験がなければ、そういう感情がどうなって
出てくるのかを理解するのは難しいでしょう。

心理学による心身の治療の中には
実際に自分で「腹を立てて怒ってみたり、おもしろいと
思ってゲラゲラ笑う」という「練習」をする、という訓練
というものがあります。そういう心の底から泣く、笑う、
という経験をしないで来た人には、一度、そうした
自分の感情をはっきりと出す、という「訓練」をしないと
そういうことはできない、という人もいます。
ですから、自分の感情を素直に出してみる、ということは
その人自身にとって非常に大切なことでもあるはずなのです。

ところがムラカミさんの小説からはそうした
登場人物の感情がほとんど立ち上ってきません。


だから彼の作品を読んでいると、
謙介は歌舞伎の立ち回りを
思い出してしまいます。

こう悪役が刀を振りかざしました。
それにはこう受けて、こう来たら、
こう、というふうな「形式」だけの感情表現
しか感じられないのです。

文章の余白からにじみ出てくるような
激しい感情の吐露、というものが全く、と
言っていいほど読み手に伝わってきません。


さらに言ってしまうと、そのことを俺は
ムラカミさんの作品が好き、
と言ってる多くの読者の人にも聞いてみたいのです。


自分の感情を思いっきりストレートに出して
自分以外の人にぶつかっていったことがありますか?

ムラカミさんの小説の中には、
こうしたいから、自分の欲望のままに
好きなことをする、感情のままに突き動かされて
突っ走る、
というような登場人物ってあんまりいないように
思います。 

たとえば元野球選手の清原を想像してみてください。
ああいうタイプの人間がムラカミさんの小説の
中に出てきますか? まず出てこないタイプですよね。

お行儀がよくて、適度に感情を抑えられて、
激しく感情を出すことがない。
いつも微笑みをたたえている。

俺は思います。
果たしてそんなふうに自分の感情をおさえてしまって
ばかりでいいものなのでしょうか?

そんなよい子のときばっかりだと、しんどくないですか?
特に都市で生きていこうとすると
自分の感情をひたすら抑えて、という生活が
続いたりします。少しの間であれば、
それは「また別の経験」ということだって言えるかもしれませんが
ずーっと自分を抑えてばかりしてきたら
どうでしょう?


そうした人が我慢に我慢を重ねた結果
いつかあるとき、その我慢に限界がきて
突然その人の中で何かが崩れて
しまうのです。そうしてその抑えてきた
感情は突然あらぬ方向へと暴発したりする。
そういうふうにならなければいいのですが。


物分りのよさそうな人が
いつも落ち着いていた人が、、
急に何かのきっかけで自分が壊れてしまう、
いつも微笑みをたたえて自分を抑えている人が
多い都会では、そうして自分が壊れていって
いる人も多くないですか?


最近「草食男子」という言葉をあちこちで聞きますが
この草食男子と、ムラカミさんの小説に出てくる
男の子たちとが、俺の中では
わりとちゃんと重なっていたりします。


そういう今の日本社会状況だから、ムラカミさんの小説が
現代のこの国で受ける背景にあるんだろう
と何となく思ったりしています。

さっき俺は「鏡」だといいました。
「現代社会の描写」は本当に優れている、と
言っていいと思います。しかし、それだけでは、、
どうでしょう。

その先はどうなっているのでしょうか。
実は文学というものについては、その先が必要なのです。
現代を切り取って提示した。
じゃあ、それは何のために?

ムラカミさんの小説を読んでいると、そこから先が
さっぱり出てこないのです。
外国の文学者というのは、言葉の力によって
自分の置かれた周囲の社会を変革していこう、
という気概を持っています。

文学の使命というのは
不平等で理不尽な自分の生きている社会を
少しでも理想の社会へ近づけようとしたい。
そのために、文学という手段を使うのだ、
と論じる人も多くいます。 


外国の、といいましたが、ちょっと前に大江
(健三郎)さんがノーベル賞を受賞したのでさえ、(その政治的
立場はひとまず措いて考えてね)彼の行ってきた文学や
言葉によって現代日本を変革させていこうとしてきた姿勢が
一定の評価を得た、という部分も見逃せには
できないと思います。

何のための文学であるのか。
文学の手段は何なのか?

ある文学関係の方から伺った話によると
ムラカミさんはノーベル賞がどうしても欲しいそうで、
賞取りに向けて、あちこちでデモンストレーション
をしているとか。

その是非についてはここでは深くは追求しません。


ムラカミさんがノーベル賞をもらうためには
社会を変革させる強いメッセージ性
を持った文学の力を絶えず主張しようとしている
外国の文学者の中にあって、
「現代の社会を描写する。」
という彼の文学がどこまで評価され得るか。
そういうことじゃないのか、と俺は思っています。

そうしたときにムラカミさんの作品の特徴である
現代社会を描写をする、というだけでは、いささか印象が
弱い、ということはないか。

もちろん、そういう部分が弱い、というのは
本人も気がついているのでしょう。


だからこそ今まで政治的なことからは全く距離を
おいていたはずのムラカミさんが、少し前に中東に行って
文学賞の授賞式で、中東情勢の
批判をする発言をしました。

ムラカミさんの年代は団塊の世代ですから
学生運動の一番盛んだった世代に属するわけです。

しかし、彼はそうした立場からは完璧に
違う、政治的には一切かけ離れたポリシーできた
人です。ノンポリを身上としてきたはずの
その人が、急にあんな発言をした、と聞いて、俺は
正直、ものすごーーーーーーく違和感がありました。
俺の周囲でも、あらまぁ、とびっくりした人が
結構いました。

ただ、そこに「政治的に主張し、行動する作家のイメージを
作りたいのかな。」というふうに考えてみると
あ、そういうことか、というふうにも
思えるわけです。


ただまぁ個人的な感想として言わせていただくと、
そんなもの、作品が賞にふさわしいものであれば
わざわざ賞取りのためのデモンストレーションを
しなくても、王立アカデミーのほうから、
どうぞ差し上げます、といってくるのでは
ないかとも、思うのですけど。


でもまぁ川端(康成)さんのときは
サイデンステッカーさんというすばらしい
翻訳者がいましたし。サイゼンステッカーさんが
川端さんの文章を英文に訳し、それがノーベル賞の
選考委員の目にとまったわけですから、
今のムラカミさんが自分の作品がどんどん英訳
されることを願い、ついには英文にした時に、整った
文章になるように日本語の原作を書いている、なんて
聞くと、そういう「戦略」もありかなぁ、とも
思ったりはします。
特に選考委員の多い英語圏に
向けて作品のアピールをしているんだとか。

話が脱線してしまいましたね。(笑)
ま、どうでもいいようなことなので結論らしいような
ものも導きだされるようなことはありませんけれども、
以上が、前回言い足りなかったことについての付け足しでした。

Murakami1


写真の本は村上春樹 長篇小説 『喪失の時代』 韓国語訳表紙。
ちなみに原題は『ノルウエィの森』です。

       ×     ×

俺の住む街は、明日から夜間断水に
なるそうです。
今日は仕事帰りにドラッグストアへ行って
ティッシュを大量に買ってきました。

ティッシュ? 
そう。ティッシュです。
こらこら、今、変なことを想像したでしょ。(笑)


食事の後、汚れをティッシュで拭きとるか
三角のゴムのへらで食器や鍋の
汚れをこそげ落として
それから洗剤、すすぎにします。
キッチンペーパーは高いので、
何といってもティッシュです。
ティッシュで汚れを先にふき取る。これが大切です。

でないと油汚れを取ろうとしたら
大量の水を使うことになってしまいます。


もっと水事情が悪くなったら、
ハイキングの時のように紙のお皿のような使い捨ての
容器を使うとか、食器の上にラップを
かけてお皿が汚れないようにして食べる
というふうにしないといけません。
水の節約のために、今度はラップや紙が大量に必要に
なります。

エコロジーってなかなか難しいですよね。
よく自動食器洗い乾燥機を勧める人がいます。確かに
水の量が少しで済むから、ということですが
新型の食器洗い機では、
電気の使用量については以前の3倍から
6倍はかかるそうで、、(笑)
水資源は節約できますが、電気は消費量が上がるそうです。

電気使用量の増加の話が全く言及されないまま、食器洗い機は
節水のことばかりが強調されています。
でも電気の使用量について言えば、
ほんまにエコか?
というようなものですよね。

明日からのこの地方の天気はしばらく晴天、だそうです。
多分今月いっぱいは断水になるかもしれないなぁ、
と今から覚悟しています。


と、言ってたら、夜、ニュースが出て
木曜の雨で、水がちょっと増えたから
断水はとりあえず二週間は延期、だって。

新聞を読んでいると、どうも市のほうに「急に
断水なんかいいやがって。あまりに急すぎる。
それに断水されたら死活問題じゃ、責任を取れぃ。」
というふうな強い要請というか文句というか
抗議が多数寄せられて、その対応も
あって延期をすることになったようです。

まったくなめとんかこら、と言いたくなる対応です。

大体、この街のダムなんて、本当に情けない限りなのです。


人口約20万の松江市のダムはふたつあって、
貯水量の合計は125万㎥
岡山市だってメインの旭川ダムだけで103万㎥
(全部ダムを入れたら、13基のダムがあって240万㎥)

ところが
俺の住む街はダムが一つで、その貯水量は42万㎥
たったこれだけです。
おもちゃみたいなダムがわずかに1つ。
これで52万の人口の都市の水をまかなおうというのです。
人間の水だけではありません。
田舎ですから田畑だってたくさんあります。
その水もこれでまかなおう、ったってそれは
誰が考えたって無理です。

ダムを造り過ぎ、とか脱ダムなんて
いう話は、そんなものよその地方の話であって
この街では、当てはまりません。
後、ダムの2つや3つあってもいいと思います。
少雨のたびに水がない水がないの繰り返しでは、、ねぇ。

少しは学習して、どういうふうにすれば、水資源を有効に
かつ安定して蓄え、利用することができるのか
考えて欲しいと思います。
(やれやれ)


みなさんのお住まいのあたりの水事情はいかがですか?


当面断水は2週間延期されただけですから
水事情が好転しないと、断水は
確実に行われます。

断水慣れはしているつもりなのですけど、
やはり少々面倒くさいです。
それではよい週末を。


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Comments

俺はムラカミさんの本、一冊たりとも読んだことが無いので参考になりましたw

文学のなんたるかなんてのはさっぱりわかりませんが、これでホントにノーベル賞取れたら凄いですよね(笑)

んー、ムラカミさんも面白そうですが、俺としては、宮澤賢治や安部公房みたいな、強烈な個性の現代作家が出て欲しいモノですww

Posted by: リト | 09. 06. 12 at 오후 11:38

私はムラカミさんの本を読んだことがありませんので、ノルウェイの森を読んだ娘に感想をきいてみました。「スイーツだけど本だって読むのよっていうタイプの女の子が好きだよ、どうでもいい話だったからもう読まないと思う。IQ84読むんだったら、オーウェルの1984読んだら?面白いよ。」という返事でした。理系女なのであまりあてにはなりませんが。読まずにあれこれ言えませんから、読んでみようかな、本だけはあるんです。
水不足、ニュースでやっていましたが大変ですね。私は断水の経験はありませんが、さぞかしお困りでしょう。早くまとまった雨が降るよう、お祈り致します。

Posted by: アリクイ | 09. 06. 13 at 오전 7:07

---リトくん
日本文学って、他の国の文学と比べてすごく特徴的なのは、他の国の文学、というのは他者というものがあって、その他者に向かって自己主張をしていかなければならない、と思っていて、そのための自己の主張を表現する手段として文学、という、ものがある、と思っているんです。ところが日本文学は日記、とか身辺雑記を書く、という伝統が平安時代(笑)以降延々とあります。自分のことを「世間はどう思おうと、とにかくその様子を文章に綴る」ということします。だから、世界中のブログの中で日本語のブログの数が世界最大の数、あるということなんだろう、と思います。
 そういう自己の記録として文章を綴る、というのがあるのが、日本の文学の特徴のひとつになっているかもしれません。
 リトくん、安倍公房を読むんですね。俺、安倍公房、高校生のときに、一時、熱中して集中的に読んだ時期があったなぁ、、。宮澤さんの作品は後ろに「仏教」という思想的な背景がしっかりとありますよね。今の世の中、なんだかどんどん軽めの小説ばかりが増殖しているんですけど、、、もう深くて重い人がそろそろ出てきてもいいようにも思うんですけどね。また読んだ本の感想も聞かせてくださいね。楽しみにしています。

Posted by: 謙介 | 09. 06. 13 at 오후 3:21

-----アリクイさん
 そうですねぇ。俺も本が出てからずいぶん経って、友達に借りてノルウェイの森、2回読んで、それっきり、のように思います。俺もジョージ・オーウェルのほうをお勧めしたいです。やっぱり、こちらを読まれたほうが、、。(笑)
 今年はどうも空梅雨傾向だそうです。
何度か書いたのですがうちの仕事場のほうの街のアパートの大家さんは農家なのですが、いつもだったら大体この日、って予定ができる田植えの日が、今年は雨が降らないために水のやりくりがつかなくて、田植えの日がぎりぎりまで計画できなかった、と言っていました。(何とか植えることは植えたらしいです。) エルニーニョが発生したので、今年後半は雨が多いかもしれいない、ですが、夏らしくなくて気温が低めかもという話でした。
 エルニーニョがどうのこうのは分からないのですが、6月に入ってもうずいぶんたつのに、今年は四国の辺、朝がものすごく涼しいのです。もういつもの6月なら、ああ、暑い、と思って扇風機などを出すのですが、実は朝晩まだ涼しいので扇風機すら出さないでも全然困っていません。いつもの年より、今のところは気温は低めで推移しているなぁ、、と体感しています。しばらく雨が少ないようで、天を仰いでは、雨が欲しい、という時期が続きそうです。

Posted by: 謙介 | 09. 06. 13 at 오후 3:37

お久しぶりです。
オレはほどほどのファンなので、村上作品は結構読んでますね。
ただほどほどなので、いつも文庫本になってから買うんですけど(笑)
オレが思う村上作品の印象は、絵画を鑑賞するのに似てる気がします。
読み手は、一歩離れたところから見て、いろいろ想像するというか。

西日本で水不足のために野菜の出来に影響しているという情報は知っていたのですが、給水制限出るほどまでになってたんですね。
こっちは、普段とあまり変わらない天候なので、やっぱ東と西は違いますね。
これでまた集中豪雨とかにならなければいいんですけどね。

Posted by: 悠太 | 09. 06. 13 at 오후 5:05

----悠太さん
お久しぶりです。
悠太さんのブログのタマネギの収穫、拝見しましたよ。あんなふうにできるんですね。ちょっと拝見してびっくりしました。

絵画的という感想、まったくその通りだと思います。スクリーンに映っているものを見ていく感じですよね。

恒例の早明浦ダムの貯水率ですが、もう40パーセント台です。目下、稲に水の要る季節なので、毎日の減り方が尋常でないくらいどんどん減っています。こちらは後2週間夜間断水が延びましたが、どうも後2週間でろくに水源に雨が溜まるような水は降らないんでは、という予測もあります。今年はこちらは空梅雨のうわさもしきりです。やはり日本の気候はホントに地域差が大きいですね。

Posted by: 謙介 | 09. 06. 14 at 오후 11:57

謙介さんはじめまして。わもと申します。
以前から拝見していたのですが、
>ムラカミさんの作品が好き、
>と言ってる多くの読者の人にも聞いてみたいのです。
という問いににつられて(笑)出てきました。

あると思います。そんなに多くはありませんが。

あまり答えになっていませんね(すみません)。でも思うのです。
今手元に本が無いので正確な引用が出来ませんけれど、ノルウェイの森に登場するハツミさんという人の描写に、彼女の発する振動は小さいものだけれどそれが大きな共振を呼び起こす、というのがあったと思うのですが、それをムラカミさんの作品の魅力と置き換えることも出来るような気がしています。その淡々とした描写の積み重ねが時として大きな力を呼び起こす。僕は彼の小説を読んでいるときに時としてくらくらとめまいを感じますし、体の中に何者かが入ってきてかき混ぜられるような感覚に陥ることがあります。あくまで僕にとってですけれど。


すみません、初めてコメントするのに調子に乗りすぎました。あ、でも1Q84を読んでいたら端から端まで賢い人ばかりが登場するので、やれやれと思いながら読んでいたのも(笑)また事実です。


雨、降りませんね。初めて福岡に来た94年に12時間断水を経験したので、えらいところに来てしまったと思いました。僕も切に願っています。

これからも更新楽しみにしています。それでは失礼します。

Posted by: わも | 09. 06. 15 at 오전 12:28

----わもさん
ヒシさんのブログで前に接近遭遇しましたね。おはこびありがとうございます。
あ、おっしゃってる意味わかります。わもさんが受けたムラカミさんの文学の印象は非常にパーソナルなものなのだけど、それはご自身の中では非常に強いものであった、ということですね。ああ、おっしゃるようにそういう部分がありますよね。
 調子に乗りすぎ、なんて、めっそうもありません。(笑)
 西日本は、特に瀬戸内沿岸は、こういう水不足というのは、もう日常茶飯事みたいな部分があります。一度すごかったのは、40何日雨が全く降らず、とうとう横浜とか川崎から毎日水をいただいたことがありました。給水車が来て配ってくださったのは、なんと多摩川の水だった、なんてこともありました。どうなるのか、天を仰いで嘆息する日がまだ続きそうです。
 あ、そんなことより、どうぞこれを機会によろしくお願いいたします。(こっちのほうがずっと大事ですね。笑)
ありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 09. 06. 15 at 오후 1:01

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