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09. 05. 20

0系

前回からの話の続きです。
西条に行きました。

JR伊予西条駅のすぐ横に
四国鉄道文化館があります。
ここへの入場券は硬券のキップの
デザイン風のものです。


Nyujyoken


入り口で文字通りキップに鋏を入れて
くれます。
こんな外観の建物の中に、、、。
Bunkakan


中にはこんなものが置かれています。
どーん。

Shinkansen

え? なんで、こんな四国なんかに新幹線の車両が
と思われるかもしれませんが、この0系車両は、
ここにどうしても1輌は置かれなければならない、という
ようなものでした。

なぜならば、この街の市長さんだった
十河信二さんが国鉄の総裁に引き抜かれ、
国鉄総裁に就任した彼が
大号令をかけて、東海道新幹線を
つくりあげたのです。
この車両の置いてある建物の横には
十河信二記念館があります。


戦前運輸省の官僚から南満州鉄道の役員になっていた
十河さんは敗戦後、地元に戻り、この街の市長さんになって
いました。それが、昭和30年ごろ洞爺丸・紫雲丸
と続いた国鉄連絡船の事故の責任を取って当時の長崎国鉄総裁が
やめた後の後任に、という話が十河さんに来たわけです。


十河さんは、戦前計画があって、すでに着工していたのが敗戦で
挫折して中途でそのままになっていた東海道の弾丸列車
の計画をもう一度練り直しにかかりました。
そうして「新幹線」という計画に変えました。
しかし、この新幹線を作ろうとしたとき、
世の人はこぞって反対をしました。
そんな無駄なものを作ってどうするのだ。
当時、国鉄は毎年赤字を出していました。
もうこれからは車と飛行機の時代になるだろう、
鉄道なんて斜陽産業じゃないか。そんなところに
新しい鉄道なんて作って一体どうするのだ、無駄無駄、
と大反対をされました。

しかし十河さんは東海道線の輸送量から推定して
近い将来、新幹線は絶対必要となる。
しかも、その車両は大型の車両でなくてはならない。
そのためには広軌(標準軌)でなければ、
と主張しました。そうして運輸大臣を説き伏せ、いろいろなところに
根回しをし、世界開発銀行からの融資も得ることにし、
散り散りになっていたかつての弾丸列車のスタッフを
呼び寄せた上でついに着工させたのです。

今の世の中、新幹線が「無用の長物」とか、「あんなものムダ」
と思っている人は非常に少ないと思います。

たまに新幹線が事故や災害で遅れが出たりすると、
たちまちものすごい数の人に影響が出ます。それは逆に言えば
新幹線という存在が、すでにそれだけ私たちの暮らしの中に
なくてはならないものとして存在している、ということだから
だと思うのです。

それに、新幹線ができたからこそ、世界中で
フランスのTGVをはじめとする高速鉄道が
あちこちにできたのではないでしょうか。
そんなふうにさえ俺は思います。


その、新幹線の産みの親ともいうべき存在の人が
十河さんだったわけです。
この記念館は十河さんの記念館でもあります。
謙介は、「産みの親」の記念館なのですから、
彼が心血を注いだ新幹線の記念すべき0系の車両が
ここにあるべきだと思ったのです。


ところが、新幹線を作り始めると、当初の予算では収まらないことが
はっきりしてきました。何だ計画と違うではないか、というわけです。
もともと新幹線の計画に反対していた人が、
それにかみつきました。
「だからそんなものに金をつぎ込んだってムダというのだ。」
日増しにその責任追及の声は大きくなって、
とうとう翌年に新幹線ができるというときになって、
十河さんは総裁を辞めなくてはならなくなりました。


ほとんど8割がたお膳立てをしておいて
彼は辞職に追い込まれてしまいます。
そうして翌年の東京オリンピック直前に新幹線は予定通り
できました。しかし、当時の国鉄は、この新幹線着工の
命令を出し、工事を推進した十河さんを出発式には
呼びませんでした。
たぶん、その当時の国鉄の中にも「あんなものを作りやがって」という
ふうに考える人が結構いたのかもしれません。

十河さんに限らないのですが、
いろいろな人の伝記を読むと、
その人が作りはじめて、その人が9割まで
作っていたのに、何らかの問題が起こって
結局、その人が最後まで責任を持って作りおおせなかった、
ということだってありますね。
その途中でやめなければならなかったであろう
本人の気持ちを推し量ると、
どんな気持ちでそこで終えざるを得なかったのか
途中で離れてしまわなければならないその気持ちはどうだったのか、
そんなことを考えることがあります。


十河さんも自分がほとんど作り上げた新幹線の
完成を最後になって他の人に持って行かれた、ということ、
一体どんな気持ちだったのかなぁ、と、
そんなことを思いながら0系のツートーンの
車体を俺は見上げていました。


十河さんは隣の新居浜市の生まれですが、旧制の
中学はこの街の学校を卒業していますし、
何よりこの街の市長さんでもありました。
後にこの街の名誉市民にもなっていますし、
そういう経緯があってこの街に記念館ができたわけです。

ここの0系電車はゆっくりと見学できます。
見学に来ていたのは、親子連れが3組ほどでしたが
子どもがまだ小さかったので全然興味がない、
という感じで早々に帰ってしまったので、
謙介の貸切状態で見学ができました。


客室内から出て、運転台に上がってみます。

Untenseki1

お客は俺以外誰もいませんから、写真だってのんきに撮り放題です。
(それ以外は係りのおっちゃんが二人。 )

Untenseki5


Untenseki4

写真では何度も見ていましたけれども
こういうふうな構造になっているのか、
と、実際に運転席にすわってみて、思いました。
ここに今の「のぞみ」の車両の運転席の写真がありました。
確かに最新鋭の「のぞみ」の運転台と較べたら
古さは否めないでしょう。
けれどもこの0系の運転席だって、できた当時は
革新的な運転席だったはずです。

俺が始めて新幹線に乗ったのは1968年でした
京都から名古屋まででした。
写真ではそれまでに何度も見ていた
あの青と白のツートーンの車体を
はじめて自分の眼で見た時の驚きと
感動は今もはっきり覚えています。
途中連れていってもらったビュッフェ。
「え、もう名古屋? 」
驚くほどの時間で着いてしまったこと。
そんなことも思い出したりしながら、
運転席を、あれこれと眺めていたのでした。

この資料館にはもう一輌、展示されている
ものがあります。それは、


Df502

DF50型ディーゼル機関車。
ちなみに準鉄道記念物だそうです。
0系電車は動きませんが、
こちらのディーゼル機関車、実は今もちゃんと
動かすことができます。
線路だって、西条駅構内の本線とつながっているのです。

Df501

保存状態だって、万全です。
この機関車も運転席に座ることができます。


Df504

Df503

ところで謙介さん、万葉集は?
え、まんようしゅう? 何のこと? さっぱりきこえませーん。www

次に、十河さんの記念館のほうに行ってみることにします。
隣接する建物が十河信二記念館ですが、その間に
十河さんの胸像があります。

Sogou10

実は東京駅の新幹線ホームにも氏の
像があるのですが、それができて
十河さんを呼んで当然完成披露をしたわけです。
その時の彼の感想。「似とらん。」

十河信二記念館は
彼の書簡とか書、写真などの資料を
展示していました。
Sogou4


驚いたのは、それがあなた、
字が非常に味のあるいい字なんですよ。


Sogou13

趣味はこのあたりの人らしく
俳句だそうで。(笑)
号は春雷。
音はうるさいけれど、めったに実害がないから、
というのが号の由来だそうです。

詰め込み教育がいけない、と言う人もいるのですが
字に関して言えば、俺はじゃんじゃん詰め込み教育を
やったほうがいいと思います。
教育というのは、ある時期に質の高いものを
大量に提供して教えこむと、一定の効果が出る
というのはよく知られた教育理論ですよね。
それを具体化したのが宝塚音楽学○です。
あの学校、数字で単純に割ると
生徒80人に実技指導の先生50人がつくんですよ。
それ以外の講師の先生を入れたらおそらく1対1
近い割合になると思います。
あの学校はそういう指導方針だそうです。


時々ね、「そんな字を習ってどうすんの?
字なんてどうだっていいやん。」
って言ってる人がいるんですけど、
おそらくはそういう人って、その人の心の中に、
「俺は字が汚い」という
「字」に対するコンプレックスがあって、
字なんて習ってどうするの、って
いうふうな怒りに変化しているんじゃ
ないか、と想像しています。
人間って、自分のコンプレックスの根っこを突かれると
強い怒りに変化しますもんね。

まぁそれは算数嫌い、計算嫌いの謙介さんが
そんなものコンピュータがあるじゃないか、
って怒りだすものも、似たようなものだから
自分のこととして、それはとてもよっくわかります。(笑)


何でもそうですが、ある時期、集中して練習をしないと
いけないことってあるんですよ。
部活がそうでしょ。中学とか高校の時期に
朝練をして、学校が終わってから
夕方から晩まで、土日だって関係なく練習する、っていうことをすると
思います。そこまでしないと、ものになんかなんない、でしょ?


昔の人は小学校段階で字を集中的に
習っていました。読み書きそろばん
というのが基礎科目でしたから、
それはそれは字の稽古は反復して何度も
やらされたようです。

いろいろな人の字を見てきて謙介が思ったのは、
日本人の字が一気に下手くそに
なるのは、今の団塊の世代から後ですね。
いろいろな人の書いた字を見る機会が
今までにたくさんありまして、そこからの実感ですが
今の60歳前後の年代の人たちから、日本人の書く字
というのが、一気にダメになりました。

これも戦争の影響でしょうかねぇ。
戦後の混乱期で字のことまで言わなくなった結果、
詰め込みがいけない、と今までの反動が出た結果、
そういういろいろな要因があろうとは思いますけれど。

むちゃくちゃな字を書くと正確に意味が伝わりません。

字の形をきちんと念頭に入れて字を書かないから
「年未大売出し」とか書いてへっちゃらです。

ねんみおおうりだし。

学期未テスト。

がっきみてすと。

字の形を考えて書かないから、平気で
「末」と「未」の区別ができない、というような
ことが起こります。


筆順だってめちゃくちゃな人がいます。
だから整った字が書けない。
筆順っていうものが、何のためにあるかと言えば
その筆順で字を書いたら、整った形の字に
自然に書けるようになるからです。

筆順なんて規則、どうして要るのだ
あんなもの要らないじゃないか、
と言っている人がいますが
そういう人はおそらく「そういう筆順で書いたら
字が整った形になるのだ。」という説明を受けた
ことがなかった、のだろうと思います。

なぜ説明を受けたことがなかったか、は
乱暴に言ってしまうと、団塊の世代が字を
習わなかったから、そういう字に対する
科学的で合理的な知識を
知らなかったからでしょう。

だからなぜ筆順が必要なのか、という理由を
教えられていなくて
団塊以下の年代の人はただやみくもに学校で
筆順、筆順、と言われて、「なんでそんなもの要るんや。」
という反感だけ募らせていたのではないか、
と想像します。

筆順を守る、というのは、それなりの
理由があって、言ってるんですけどね。
それからやたら字の大きくなる人は
最初の一画目を小さめに書くと
全体の字が小さくなっていきます。
こうしたノウハウだって団塊の世代以下には
ちゃんと伝わっていないと
思うのです。

あ、また話が脱線してしまった。

お昼が近くなってきました。
あ、おなかがすいた、と思いました。
昼はこの西条に来たなら絶対に
食べなければならないものが
あったのです。
それは「ドリスパ」です。

万葉集は? シンポジ、、
え? おなかがすいたなぁ。ドリスパドリスパ。

それでは本日はここまでにします。


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Comments

 ドリスパってなんですかー? ドリカムプロデュースのスパゲティとか(絶対違う)

 十河さんの書,「有」の字がなんだか気に入りました。バランスが悪いようでいてそうでなく,柔らかいようでいて芯があるような。

 そうそう新幹線は岡山開業したちょっと後くらいに,新大阪まで乗せてもらいましたよ。うちの親は,息子の視野を広くすためと称して年に一度は旅行に連れ出していたのです(実は自分たちが行きたかっただけなんじゃ・・・ 笑)
 それまでとは全然別次元の速度に,幼いHiroshiくんはびっくり仰天,鉄道ってすごーい!と将来の鉄オタの種が・・・(苦笑)
 ちなみに,新大阪からの帰りは,在来線の特急「しおじ」でした。臨時だったので,電車じゃなくて12系だかの客車で(←記憶してるあたり既に鉄オタが芽生えてる 笑)
 0系の運転台,やっぱりアナログですねえ(微笑)

 そういえば,筆順,先生からもあまり厳しく言われませんでしたねえ・・・それでも,ルールには何か理由があると本能的に思ってたので,変な筆順では書きませんでしたが(苦笑)

Posted by: Ikuno Hiroshi | 09. 05. 21 at 오전 12:14

0系引退しましたね。私は高校生の頃、毎月これに乗って東京までレッスンに通ってました。今は専ら車で実家に帰りますから、久しく乗っていませんでしたが、引退すると聞いて自分でもちょっと驚くくらいショックでした。ここに行けば丸い鼻の顔をまた見ることができるんですね。
フランスでも昔はお習字(もちろん筆で書くわけではなく、ペンで筆記体を華麗に書くっていうお習字)の授業が小学校からあったと伺いました。それがなくなったから、みんなきれいに字がかけなくなったと年寄りのフランス人が嘆いてましたから、どこの国も同じでしょうか。私もお習字は学校で習っただけですから、ひどいものです。でも不思議なことに娘たちが私と字がそっくりなんですよね。私の父は小学校に入る前から家に先生が来て下さって、兄弟全員お習字をかなり厳しく習ったそうで大変上手でした。残念なことに父とは、字がちっとも似てません。夫は左利きなので論外、お習字の授業は地獄だったそうですよ、文字は右利きのためにできていると言ってます。

Posted by: アリクイ | 09. 05. 21 at 오전 9:08

---Ikuno Hiroshi さん
吉田美○さんが、作って、、そんなことはありませんですね。ドリズパの正体とは何か、明日書きます。(おっさんもったいつけやがって、、www)でも、さすがIkunoさんですね。横書きの扁額、いい字お書きですよね。(縦書きは、いまひと、、)しおじ、懐かしい名前ですね。俺も新大阪から岡山までだったか、乗ったことがありましたよ。俺のは電車でしたけど。そうですか。客車編成のしおじもあったのですね。食堂車はなくなる。ビュッフェもなくなる。何だかどんどん鉄道が単なる移動の手段だけのものになっていってしまってますよね。寂しいです。

Posted by: 謙介 | 09. 05. 21 at 오후 9:25

----アリクイさん
 こないだ実家の近所の今年高校に上がった男の子に中学の国語の時間に書写の授業あった? って聞いたら、なかった、っていうお答えでした。たぶんね、国語の先生もいろいろで、元の専門が平安朝の文学の人もいれば、語彙が専門という人もいれば、書道が専門という人もみんな「国語のセンセイ」で一まとめになっていますもんね。書写指導が苦手な先生もいるかもしれないですね。でもちょっと前に長崎県で、中学の書写を全然しなかった、って結構大きな問題になったことがありました。上手下手、っていうんじゃなくて、それ以前に、文字がきちんとかけないと、自分の意志だって正確に伝えられないときがあると思うんです。だからちゃんとやって欲しいよね、ということは思いました。そうですか。フランスですら、そういうことになっていますか、、。
書道が左ききの、っていうより、漢字の文字の構造が右利きのための構造になっています。ですからその辺が大きな問題ですよね。

Posted by: 謙介 | 09. 05. 21 at 오후 9:34

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