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09. 04. 03

京洛攝陽来復春 その3

さて、金曜の晩はセンセイの家で、遅くまで原稿の突合せ作業を
しました。一夜あけて、土曜日、今度は大阪です。
センセイの奥様に朝食をご馳走になった後、失礼をして
また阪急に乗って、今度は梅田を目指します。
梅田で地下鉄に乗り換え、淀屋橋で降ります。
梅田から淀屋橋なんて、歩いてもよかったのです。
でも、気がついたら、乗っていました。

そんなことをしたために、淀屋橋に着いたのが
(図書館は9時からなのですが、着いたのは)8時半でした。
ちょっと時間があったので、社会見学です。
淀屋橋から少し北浜方向に戻ったビル街の中に
こんな建物があります。

Tekijyuku

先日までNH○、土曜の晩にやっていた土曜時代劇
「浪速の○」の主人公だった緒方洪庵の作った適塾ですね。
この建物で実際に大村益次郎や福沢諭吉が学んだのです。


周囲は公園として整備されています。
西側の緑地には緒方洪庵先生の銅像もあります。

Ogata

もちろん建てたのは阪○です。
この適塾がやがて阪○の医学部へとつながって
いくわけです。
今も阪○は緒方先生を学祖と仰いでいます。

まだ朝早くて、開館時間になっていなくて
中が見学できなかったのが残念ではありました。
ここを見学してから、今度は北に。橋を渡って中之島です。
行ったのは、大阪府立中之島図書館です。


Nakanoshimalib


石造りの立派な建物です。
この図書館、大阪府立なのですが、建てたのは大阪府では
ありませんでした。泉屋さんが、「図書館寄付させてもらいまっさ。」
と言って、大阪の中之島の市役所の隣に建てて
ポン、と寄贈したのでした。
え? 泉屋さんって誰か? 今の商号で言えば、
住○というと分かりますか? みつい・すみと○・びざかあど
住○の屋号は泉屋と言います。この図書館は、住○家の寄贈に
よって発足したのです。

以前はこの中之島の府立図書館が大阪府のメインの図書館
だったのです。俺たちの学生の頃は、「中之島で文献、探したんやけどなぁ、
あらへんかったわ。」というふうに府立図書館の代名詞のような
使われ方をしていました。しかし、
今は、別の場所に中央図書館ができました。
今では、中之島図書館は場所柄、本町とか御堂筋といった
オフィス街に近いので、ビジネス関係の調査支援と
郷土資料の蔵書に特化した図書館へとその役割を変えています。

もちろんわれわれが行ったのは、その郷土資料を調べる
ためでした。

ここで昼前まで、調査をしました。
「おなかすいたなぁ。ここらで措こうか。」
大体調べないといけない作業が終わったころ、センセイが
そう言いました。
「お昼、何がええの? 」
「謙介が居るよって、韓国料理はどないです? 」
とOくんが勝手な(笑)提案をしてきます。
「オマエ、普通の人の行かへんような店、知ってるやろ。」
「ええええ、そんなん知らへんよ。俺なんか普通の店しか
行かへんもん。」と俺は口をとんがらかせて反論しました。
「とにかく、案内せえ。」


よく大阪のガイドブックを見ると、韓国料理=鶴橋というふうな
書かれ方、書き方をしている本にお目にかかります。

鶴橋は在日韓国人の方が多く住んでいます。
謙介がかつてハングルを習った大阪外国語大○の学外
教室もこの鶴橋にありました。
鶴橋の市場で買い物をしていると聞こえてくる韓国語は
圧倒的に済州島のサットリ(方言)です。
鶴橋近辺の韓国人は、済州島の人が圧倒的に多いのです。

何週間か前に、民主○の党首が、対馬の土地を韓国の不動産屋が
買っている、と。「そうしたら、済州島を買えばいいじゃないか。」という
発言をしたとかしないとか、で、問題になったことがありましたよね。
でも、あの党首、おそらく詳細な韓国史は多分知らないと思うのですが
あの発言、案外変なものでもなかったりもするんです。なので
謙介は正直なところ、大して驚きも、変なことを、とも思いはしなかったのです。

と、いうのが済州島という島は、実は、歴史的に韓国本土の人からは
ものすごい差別を受けてきました。
済州島出身の人と結婚なんてしてはいけない、とまで
言う人もいるほどです。
この大阪の鶴橋近辺に済州島の人が多いのは、
済州島出身で、ソウルに出ても、差別を受ける上に、
島にはめぼしい産業がないから、そういう済州島に
対する偏見のない都会に出て行くしか方法がなかったからでした。

よく、戦前、無理やり朝鮮半島から連れてこられたという
いわゆる強制連行が問題になりますが、鶴橋の韓国の人たちは
そうではなくて、済州島に居られずに一旗あげる、という
目的で出てきた人も多いのです。
そうして、1945年の光復後も、やはり済州島は差別を
受けてきました
そうして、とうとう、済州島の人たちは、こんなに差別されるので
あれば、いっそ大韓民国ではなくて、日本国に帰属したい、
とまで言いはじめて、デモまでしました。それが大問題に発展して、
とうとう最後は韓国政府が軍隊まで出動させてデモを
鎮圧させた、という事件がありました。
かつて済州島は日本に帰属したい、という事件が
あったのです。
小○さんはおそらくそこまではご存知ないと
思いますが、かつてはそういう事件も起こっていたのです
と、いうわけで、俺はあの発言は、ああ、まぁねぇ、、と案外普通に
思ったのでした。

そういう関係で鶴橋辺は韓国人が多い、従って韓国料理もおいしい、
というふうに発想されてもそれは仕方がないことかも
しれないですね。
韓国料理と言うとキムチ、と反射的に思う人も多いかもしれません。
キムチなんて、本当にいろんな種類があります。
韓国では同じペチュキムチ(白菜キムチ)とかカクトゥギでも
味がそれぞれの家々で全然異なります。
キムチは、元々朝鮮半島でも北のより寒い場所のものでした。
今は北の領土になっている開城(ケソン)が一番おいしかったの、
という話を聞きます。そして、キムチは南に行けば行くほど
不味くなるんだ、と。
なぜか、と言えば、南に行くほど気候が暖かくなるからです。
気温が温暖だとキムチ作りは困ったことになるのです。
キムチのおいしさは「発酵」による部分が大きいのですが、
暖かいと、その発酵がやたら進んでしまうのです。
発酵が進みすぎると酸っぱくなってしまって、折角の味わいが損なわれて
しまいます。それではどうすればいいのか?
発酵を抑える方法は簡単です。
塩を大量にぶち込んでしまえばいい。
これです。(笑)

しかし、それだと今度はまた別の問題が発生します。
塩を大量に入れるので、キムチの味が単に
塩辛いだけの不味いキムチになる、ということです。
なので、南の端の済州島のキムチは不味い、という
ことになる、のだそうです。これはソウルにいたときの
下宿のアジュンマ(おばさん)が俺にそう言っていました。

ハングルを習いに、毎週月曜日、鶴橋にあった教室に通いました。
終わってから、一緒に習っていた人たちと何度か
食事に行ったことがありました。ほとんどの人は地元の大阪の
人だったので、おいしい韓国料理の店を何軒か教えて
もらって、いつも韓国の料理が食べたくなったら、そこに
行っていました。 それはガイドブックに載っていないような店です。
今回、その時、教えていただいた店に久しぶりに行こうと思いました。
でも、あれからウン十年(笑)経っています。
ウラシマタロウではありませんが、果たして店はあるのか?
鶴橋の辺だって、ずいぶん変りました。

どうかあってくれと心の中で念じつつ、JRの
大阪環状線(うちのオヤジの言い方だと、城東線 笑)
の桃谷(ももだに)で電車を降ります。
え? 鶴橋でないの? 
はい、ひとつ天王寺寄りの桃谷です。
ここから、狭い道を東に東に。しばらく歩きます。
Oくんは腹が減っているらしく、「まだかまだか。」と
さっきから何度も言っています。

驚きました。もうあの時の道なんて忘れているかと
思ったのですが、しっかり覚えていました。
そして、願いが通じたのか、思っていた店はありました。 ここです。

Hukuichi2

Oくんが言いました。
「ほらやっぱり地元の知ってる人間しか行きそうにない店知ってたやないか。」
「だって、ここの料理食べたら、よその食べられへんもん。」
店は1階と2階がありまして、
1階は常連の本当によく来る人のスペースです。
入るとアジョシ(おっちゃん)が何か調理していました。
「2階空いてます? 」と俺が言うとアジョシも笑って
うなずいています。

Hukuichi1

この日、2階には別の団体のお客さんがいました。おばちゃんばっかりです。
おばちゃん連合はもうすごいんです。みんな黒い地に薄緑色の文字の
入ったトレーナーを着ています。
背中に相佑なんたらと書いているのが見えました。
あ、わかりました。了解了解。
クォンサン○のファンクラブのおばちゃん一行が
ミーティングをしているのだった、と分かりました。
サンウを漢字で書けば「相佑」です。
サンウは「そーすけ」さんですね。
でも、あの人、よその人のところの旦那さんじゃなかったのか?
まぁいいや、人のことわ。ケンチャナヨ(適当適当)でまいります。

2階のあちこちに韓国のスタァの写真が
貼ってあります。もちろん、相佑さんのポスターも
ヨンさまのポスターもありました。

センセイが、「辛うない料理頼むわ。」ということで、お昼だしなぁ、
軽く済ませる、ということを考えて、、、と、まで来て、
俺は、あ、と思い出したのです。
この店、一人前の量がすんごく多いのでした。
ヌナ(おねいさん)が来たので、メニューを見て、謙介は
「パジョン、トゥゲ ハゴ、雑菜(チャプチェ)ハナ。」(パジョン2つと
チャプチェひとつ)といいました。
ヌナに、「ヘムルチャプチェイッソ? 」
(海産物雑菜はあります?)と聞いたら、
「ミアンヘヨ、オプソ。」(ごめんね、ないのよ。)と言うことだったので、
じゃあ普通のチャプチェで、とお願いをしました。

パジョンというのは、パ、が葱です。ジョンは漢字だと「煎」。
ジョンという調理方法は、西洋料理のピカタみたいに、薄く
衣をつけたものをフライパンに油をひいたところで
焼く料理です。まさか葱は一本一本焼けないので
見た目がお好み焼きのようになります。
チヂミという人もいますが、あれは慶尚道のサットリ(方言)
のようで、俺もソウルでは、チヂミなんていう言葉ついぞ
聞いたことはありませんでした。
もちろん鶴橋にだって同じ名前のものを売っています。
けれどもこの写真を見てください。
どうして俺が鶴橋なんかで食べないか。
これが鶴橋の、というか普通にどこでも売っているものです。

Tsuruhashipajyon

葱とかニラよりも生地の粉のほうが圧倒的に多いのです。
生地の中にニラが泳いでいる、という感じです。
おまけに薄い。

次がここの店のパジョンです。
ちなみにこりわ、1人前です。当たり前ですが、2人前注文したので
こんなのがもうひとつ来たわけです。ひえええ。
生地、見た目は重そうですが、たぶん小麦粉ではなくて
片栗粉とか米の粉、というのも入っているのでしょう。
食べると表面の生地はかりっとしていて、中は
ふっくらしています。


Pajyon2

分厚さが違うでしょ。
中にイカや貝、ニラ、葱がこれでもかこれでもか、というくらいに入っています。
値段は大して違いません。まぁ150円くらい桃谷のこの店のほうが高いかも、、
でもこのボリュームですから、納得です。
続いて雑菜が来ました。


Chapuche2

もちろん謙介はソウルにいた時に下宿のハルモニ(おばあさん)から
チャプチェの作り方だって習いました。さっきも言ったように、この
雑菜は辛くない韓国料理ですから、実家でも
よく作ります。韓国ブームのおかげで、以前なら
大阪まで出てきて買うしかなかったような韓国料理の材料が
田舎の街でも簡単に手に入るようになりました。
なので、今も時々思い出しては韓国の辛くない料理は作っています。
ただ、ハルモニに教わった雑菜の作り方は本当に面倒なのと、
場所が要るんです。
なぜかと言うと、雑菜は、それぞれの材料をそれぞれに分けて
炒めて下味をつけておく必要があるからです。
こっちは肉の炒めたもの。向こうはニンジンを炒めたもの。
それでこっちは干ししいたけを水で戻して炒めたもの。
春雨を炒めたもの、タマネギを炒めたもの、と、それぞれお皿に
載せたものをテーブルの上、調理台の上、と並べていたら
場所が、、、。(笑)
そうしてそれぞれ炒めて下味をつけておいて、最後にそれを
全部ボールに入れてよく混ぜ合わせるわけです。

時々野菜炒めか何かと間違っている人がいて、
ニンジンや肉やタマネギやしいたけを全部一緒にして
炒めたりしていますが、その調理方法では、出来上がりの
おいしさが全然違います。ちっともおいしく
ありません。ものすごく面倒で場所を取るのですが
ひとつひとつ、別々に炒めて、最後にボールで和える。
ここがこの料理のコツです。

ここの店の雑菜は、かつてソウルの明洞に
あった韓国料理の韓一館の味に似ています。
韓一館は好きな韓国料理の店だったのです。
大衆食堂っぽいつくりで、量も結構ありました。
でも、韓国もそういう料理ではなく、上品に
静かなところで、ゆったり、と食べる、というほうが
好まれるようになり、その店はある日、銀行の
支店に変ってしまったのです。

もちろん、桃谷のこの店の雑菜はおいしかったです。
というのか、この店は何を食べてもハズレは
ありません。
センセイも「辛うない韓国料理っていうのもあんねんなぁ。」
とちょっと感心しておいででした。
俺も久しぶりに行くことができて
懐かしかったです。
また、長くなりました。3回完結だったのになぁ、、。(笑)
一度ここで措きたいと思います。

それではこの続きはまた後日。


(今日聴いた音楽 道頓堀行進曲 歌 海原千里万里
 1995年盤 )

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Comments

雑菜、おいしいでしょうねえ。
この作り方だと材料それぞれの甘味や旨味が十分に出て、さらに調和した時のおいしさが出るのだと思います。
私も料理教室の仕事をしている時、偉そうに「ようく気をつけていたらわかりますよ、素材の色や匂い、熱を加えた時の音などをね。一番いい頃合いがわかります、素材一つ一つが教えてくれるんです。」なんて、話してましたからね。

Posted by: エト | 09. 04. 03 PM 7:20

---エトさん
 本当に、ちょっとした一手間なんですけど。でも料理の調理方法の中には、ちょっと一手間、ここでかけるのと、かけないのでは、全然後の味が違ってくる、ってありますよね。本当に不思議というか、おもしろい、って思うんですけど。韓国料理って、基本的にすごく手間がかかります。(笑)でもかけたらかけた分だけ確かにおいしいので作るときに、やたら文句をいいたいのですが、食べる時はすっかり忘れていて、ああおいしかった。また作ろう、なんて思ってしまって、またしんどい目をする、ということになってしまいます

Posted by: 謙介 | 09. 04. 03 PM 11:55

キムチの話、勉強になりました
日本でも漬物は東北の方が種類も多いし美味しいですね(*^-^)
桃谷は清風高校、夕陽丘高校、プール学院と、学校が多い印象があります
もうすぐ新入生たちが桃谷駅を利用して通学するようになりますね
おんなじ制服着てるのに「彼は新入生」ってぱっと見で分かるのは不思議なもんです

Posted by: mishima | 09. 04. 04 AM 10:40

---mishimaさん
 そうですね。プール学院、おしゃれな校舎が環状線の車窓から見えますよね。そうですね。桃谷の辺って、考えたら学校多いですよね。おっしゃられて、あ、そうだと気づきました。(笑)
 新入生、って、やっぱり初々しい感じがします。何もかも新しくてまだ慣れていなくて、、。以上、初々しい時期は遥かに過ぎ去って、慣れで手抜きばかりしたがるおっさん(笑)のコメントでした。もう一度初心に戻ってがんばらなくてわ。

Posted by: 謙介 | 09. 04. 04 PM 3:27

 そうそう。
 日本ではチヂミって言葉が普及しちゃってて迷惑(笑)!
 こないだ職場でうっかり「パジョン」って言ったらみーんな(←_→)??な顔になっちゃって・・・orz;;;

 しかし,このパジョン,美味そうですなぁ〜!
 僕の下宿のアジュンマは全羅道出身だったので,大変お料理の腕が良くて助かりましたよ。謙介さんのところもそうだったんでしょうか?

Posted by: Ikuno Hiroshi | 09. 04. 04 PM 9:10

---Ikuno Hiroshiさん
 うちの下宿のハルモニは忠清道出身の方でした。なので、わりと韓国の人でもおっとりとした方でした。料理はおいしかったですね。いろいろと教えていただきました。台所を借りてあれこれ作ったのを思い出しましたよ。

Posted by: 謙介 | 09. 04. 04 PM 9:45

パジャン・・・・メモメモφ(・ω・ )メモメモ。

>出来上がりのおいしさが全然違います。ちっともおいしくありません。ものすごく面倒で場所を取るのですがひとつひとつ、別々に炒めて、最後にボールで和える。ここがこの料理のコツです。

ああ、日本料理もそうですよね。作るほうからすると耳が痛い(><
でもそういうお料理が食べたい(笑)
東京にもあるかな。これからは韓国料理店に入る前に必ずパジャンの写真を吟味することにします。

Posted by: 百 | 09. 04. 04 PM 11:37

Σ( ゜Д゜)ハッ!
ああぁぁあ、「パジャン」じゃなくって「パジョン」だっ(´Д`;≡;´Д`)アワアワ
でも、これでもう間違えないでしょう。記憶しました。ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

しかし、いろんな顔文字があるのですね。多用してみました。m(_ _)m

Posted by: 百 | 09. 04. 04 PM 11:44

---百さん
 大阪なら、謙介も実際に何度か足を運んでいますから、行った感じで、どこそこの○○というお店の料理がおいしい、というふうに的確にお話できるのですが、東京の韓国料理のお店には行ったことがないので、よく分かりません。でも、新大久保のほうはもうほとんど韓国! っていうくらい、お店が密集しているんですよね。ネットで探したら、たぶん口コミでおいしい店に当たるように思います。ぜひまたいらっしゃったら、教えてくださいね。

Posted by: 謙介 | 09. 04. 05 PM 4:24

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