こんぴら歌舞伎に行ってきました。(その1)
先週からこちら、正直いってアクセス数を見て
驚いています。いつもとアクセス数が一桁違うので。
どうもそのほとんどが「こんぴら歌舞伎」とか
「歌舞伎」関連のキーワード検索のようです。
先日、お話しましたが、土曜日に今年の
こんぴら歌舞伎に行ってまいりました。
観たのは、昼の部でした。
それからその翌日の日曜は、業務出張でお話の会(その2)に
行ってきました。
今回のお話は演出家の宮本亜○センセイのお話でした。
最初、なぜあの人の話なのか、正直分からなかったのですが
聞けば、亜○さんのお祖父さまが香川の坂出の出身なので
墓参りもかねて、年に5、6回はこちらに
こられるとのこと。身近な場所なんだとか。それで
いろいろと話を聞いてきました。
こんぴら歌舞伎について。
全国に歌舞伎を上演する劇場は多々あると思いますが、
上演中に本物のヒバリやウグイスの鳴き声がのどかに
聞こえてくる劇場というのは、あまりないように
思います。
こんぴら歌舞伎の場合、歌舞伎だけでなく
やはり劇場そのもの魅力というのも
大きいような気がします。
友達のいる九州は山鹿の八千代○、とか
愛媛は喜多郡の内子○とか、
俺も地方の古い芝居小屋はあちこち
見てきたのですが、そういうところを
見てきて改めて思うことは
旧金比羅大芝居の金丸座
という劇場は、客席の規模が、
大きすぎることもなく
またこじんまりとしすぎることもないということです。
演じる側と客席が一体になれる
絶妙な規模なのです。
京都の南座も、北は四条通に面していて、
西は鴨川、と限られた面積ではありますが
でもあれでもやはり大きい。
南座に比べたら、金比羅大芝居なんて、お話にならないくらい
ずっとずっと小さいのです。
ですが、その小ささこそが演者と客席との
距離をぐっと縮めてくれるように思います。
役者の呼吸のさま。指先の細かな動き。
隈取の下に息づく表情。
そうした日ごろはライトの強烈な光のために
すっかり飛んでしまっていたり、舞台が遠くてオペラグラスでも
なければ、はっきりと見ることのできない
細かな表情までが、この劇場では手に取るように分かるのです。
それはまた演じる側とて同じでしょう。
かつて俺は高校の時の遠足でこの旧金比羅大芝居を
訪れたことがありました。舞台に立って
客席を見た時、その時たまたま客席に座っていた
友達の表情がはっきりと見てとれました。
これは俺の座った席から舞台を見たものです。
ちょうど新口村の芝居が終わって、次の身替座禅の
ための幕間の様子です。
つい10分前までこの花道では孫右衛門が
雪の中を逃避行しようとする梅川と忠兵衛を見送っていた
のですが、花道に積もった雪を「文明の利器」(笑)で吸い取って
いるところです。
コンパクトな大して性能のよくないデジカメで撮ってでさえ、
このくらいの距離で舞台が見えるのです。
このお互いの距離の近さ、親密さ。それは、大きな劇場と違って
演じる側が舞台を一生懸命つとめようとするひたむきな祈りも、
はたまた、観る側の楽しんでいる気持ちも、
お互いがお互いの意識をはっきり観て取れるのです。
こうした観る側と演じる側のキャッチボールが濃密にできるところに
「こんぴら歌舞伎にしかない独特の雰囲気」
が生まれてくるように思うのです。
そんな観劇のご報告を次回以降、少しずつ書いていこうと思います。
本日は、まぁ総括、ということで。(笑)
例によってダラダラと長くなりそうですが、お時間がおありの時にでも
また読んでやってください。
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