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09. 04. 30

歌舞伎と「地名」

こんぴら歌舞伎の千秋楽、(千秋楽、正しくは「秋」だからね。
のぎへんに亀の字を遣うのは、「秋」だとのぎへんに火だから
火事になったらいけない、っていう単なるえんぎかつぎ。)

中村屋の若ぼんなんか、25日まで仲多度郡の琴平で
ちゃんちゃかちゃんちゃかこんぴら歌舞伎の公演やって、
次の日の朝に飛行機で東京に戻って、で、
結婚します、の記者会見でしょ。俺、不思議でさぁ。
「すごいなぁ、荷物とか、片付けとかどうしたんだろう? 」
って姉に言ったの。そうしたら、「何言うてるの。そんなの、若ぼんが
片付けなんかするはずないやないの。犬、猿、雉が全部片付けするのよ。」 
って。「え? そしたら、どうするん? 」
「本人なんて、貴重品と携帯電話くらいしか持たへんわよ。」
「え、そうしたら、パンツとかシャツみたいな下着だって
その犬、猿、雉が全部片付けるの? 」「そりゃそうよ。
後の仔細はよろしく、って言っておしまいよ。」
ふうん。梨園の御曹司になったら犬、猿、雉 が
いるんだー。(笑) で、その犬、猿、雉は男なのか
女なのか? (ふふふ)

まぁそれはさておき。
俺が書いたこんぴら歌舞伎の報告も、高知へ行った時のことも
実は文章の書き方としては「道行」ということを念頭に
文章を書いていました。

道行、と言ってもそれは何なの? と
質問されることのほうが多いのですが、
一番単純な答えとしては「あちこち旅をすること。」
ですね。(笑)

ですが、それが文学の中に入ったら、別の意味を持ちます。
道行、というのは結構古い時代からありまして。
雅楽では舞人が楽屋を出て、舞台に上がって
その舞を舞うための定位置まで行く間にずっと
演奏される曲のことを道行といいます。
それから能ではワキが見物とか参詣の寺社に
着くまでの経過を表す部分のことを言います。
能があるのだったら、狂言もあるだろう、ということで
はい、あります。(笑)
最初に「それがしはこのあたりに住まいいたす者でござる」
と名乗りをしてから、舞台を一巡して目的の場所まで
行く間を示す部分のことをそういいます。

ところがこの道行、時代が下るに従って
なくなるかと思えばさにあらず。軍記物とか謡曲、浄瑠璃などで
たどり行く道筋の地名や光景、説明を述べた文章のことを
道行と呼びました。
謙介が考えていたのは、大体この意味を念頭においていたのです。

旅の記録を書くときにはいろいろな書き方ができると
思います。
今回の記録文は道行、の形で書きました。
もちろんそうでない書き方だって俺はします。
簡潔に書く場合だってもちろんあります。
俺のつとめている勤務先は、(どこでもそうでしょうが)
出張に行ったら、出張報告という報告の文書を提出
しなければなりません。
こういう業務で書く報告は、できるだけ簡潔に
要点を押えて書く必要があります。
例えば、高知に行った時のことであれば、

 4月17日午後11時10分高知着(同所泊)
 18日・日中市内見学(高知城ほか)
 午後6時30分から高知県民ホールにて、
 Anointed mass choir によるゴスペルコンサート鑑賞。
 ゲスト綾戸智恵氏。 地を揺るがすようなコーラスの
 豊かさ、力強さがすばらしかった。後、ご母堂の介護を
 しながら今回ゲストで参加された綾戸氏の話も感銘を受けた。
 高知午後9時出発。10時10分帰着。

で済んでしまいます。簡潔に書けばこれだけのことです。
これは「報告」なので、要点だけかいつまんで書く、ということですよね。
でも、これからでは、全然気持ちが伝わってきません。
でも沢田マンションの建物がどうだったとか、浜口雄幸さんの
字がすばらしかったとか、延々と自分の思いのたけを書く
などというようなことは、業務報告ではしないでいいと思います。

だけど、これでは旅のおもしろさ、どこに行って、何を見て
そのことがどうだったのか、というようなことは全然伝わってこないんじゃ
ないか、と思います。

車を運転して琴平に行った。
こんぴら歌舞伎を見た。
演目は俊寛と新口村と身替座禅だった。
トイレが混んでいて、なかなかできなかった。
弁当は食べたけど、終わってから琴平の
おが○うどんで、細打ちのざるうどんを
食べて、おばさんを送ってから家に戻った。

事実だけ連ねてみました。
これだって全然おもしろくありません。
文章を見終わって、見た人間の言うことは
「はいそうでしたか。」ということぐらいだと
思うんですね。

全然おもしろくない。
だから旅の文章は「道行」の方法で書く、
ということを俺は選択したわけです。
そうそう、道行の文章は、単なる旅の記録から
後の世になるとすこしまた変化をします。

それがさらに時代がくだると、歌舞伎とか浄瑠璃で
相思相愛の男女が駆け落ちをしたり、心中物なんかで
死に場所を探してあちこち歩く、その歩いた行程の
ことを言うようにもなります。
今回のこんぴら歌舞伎でも上がった演目の
「恋飛脚大和往来」というのがあります。今回は
「新口村」の段だけでしたが、実際は
梅川と忠兵衛が死に場所を探して、あちこち行きながら
最後に忠兵衛の生まれ在所、で、実の親のいる新口村に
戻ってきた、ということでした。

あっちこっちをまわって、そうして次第に主人公の二人の
感情が追い詰められていく。それはまた物語のクライマックスに
向かっている、ということでもあります。
二人のどうしようもない気持ちが少しずつ少しずつ高まっていく。
そうして、「新口村」だと、忠兵衛の実のお父さんに会う、
という段になります。

浄瑠璃・歌舞伎の演目で、俺がひそかに注意しているものに
その「場所」があります。
歌舞伎とか浄瑠璃の舞台として登場する場所というのは、やはり
特別の意味があるように思います。
実話とか、元の話があって、それを潤色して作った話で
あれば、大体、場所が限られてきたりはします。
それでも、当時の時代背景として、「仮名手本忠臣蔵」とか
「伽羅先代萩」
みたいに事件の舞台はみんな「江戸」や「赤穂」だったり
「仙台」だったりしてよく知っているわけです。
しかし武士の世の中、あからさまにその話を取り上げると、
やはり時の政府から睨まれて、公演中止、という羽目に
なってしまいます。

なので、時代をずらしてみたり、国を変えて、これは
外国の話でおます、とか白々しい言い訳を
言って一応(そう、一応の)ごまかしをしておいて
芝居を作る、ということもよくやる手ですね。

それから、有名な寺社とか誰もが知っている
名所をわざと使う、という場合も
あるでしょう。ちょっと前だと、桜の吉野山なんてそうですね。

ただ吉野、っていうと、みなさん、反射的にすぐ桜、
というふうになりはするのですが、 本当は決して
そうではありません。
吉野、というあの場所に意味がありました。

たとえば持統天皇です。あの方、9年間に
吉野ばっかり31回行っているんですよ。
ひどいときは年に4回とか5回とか。
「吉野がお好きなんですねー。」というようなものでは
ありませんよね。
多分言われているのは、吉野の山に入ることで
その土地の霊から、天皇として統治するための
力を得ていたのだろう、と、考える、ということです。

特に、吉野、それからその後ろにはるか連なる
高野山、熊野、というのは、そういう霊力のこもった
山でありました。 弘法大師が高野山を開いたのも
そういう呪術的な霊山であった。もっと言ってしまえば、
高野山の近くで「水銀」が出ていました。この
水銀は「丹」と言って儀式とか薬に使っていた。
それから赤の塗料です。奈良の枕詞の「青丹よし」
は「青色と赤のコントラストの美しい都」をほめた言葉ですよね。

そういう赤の色の原料として水銀を採った。
それが高野山の近くにあった、というか、別に高野山だけでは
ありません。四国八十八箇所の札所だって、札所のお寺の
近くって、水銀が出てた、っていうところが結構多いんですよ。
空海はそういう場所を見つけていって、その場所の近くに
お寺を創建した、それが次第に八十八箇所の札所へと
変化していった、と。
だから、吉野って、すぐ反射的に桜、っていうことになりはしますが
それは後々のことで、吉野というのは、元はすごく呪術的な
ことで意味のある場所だったわけです。

ただまぁ歌舞伎が演じられる近世になったら
そういう呪術的な意味は相当薄まってきている、とは
思うのですが。

さてそういう意味のある場所もあります。
それと同時に、今回の恋飛脚大和往来の新口村のように
呪術的な場所でもなさそう、名所でもなさそう、
となったら、一体どういう理由なのか。

俺、ずっとそれを考えていたのですけど、
そういう地味な地名を使うときは、やはり近松さんだって
考えた、と思うんです。
あまりに知られていない名前を使ったら、今度は
お客さんが、「さあ? 」といってそっぽを向いてしまうでしょう。
かと言って、お話からいってにぎやかな場所では困ります。
そうして考え出したのが、にぎやかな場所から
ちょっとだけ離れた場所、ということでなかったか、と
思うんです。
新口村からちょっと南に行くと、今風に言えば、道路は
大きなジャンクションになっています。
つまり、西に行けば、おおざか(大坂)方面へ。北に行けば
奈良を掠めて京へ。東へ行けば、三輪山のふもとを通って
長谷寺を越えて、やがて伊勢へ。 
そういう街道の大きな分岐点がありました。そして新口村は
その分岐からほんの少しだけ北になります。
おそらくはそういうことで、奈良以外の地方の人だって
全然その場所の名前を知らないでもない、
けれど、その分岐からは外れているので、もう寂しい場所である
ということで、新口村、という場所にした、と思っています。
この恋飛脚の話は主に上方で上演されてきた、
というのは、このお話が上方のあちこちを「道行」するお話ですよね。
ですから、あ、あれはあそこ、これはここ、というふうに
見ている側に、場所の地理的な感覚が要求されるからじゃないか
とも思っています。 
江戸の人に新口村、って言っても、はぁ? というようなものでしょ。

歌舞伎の話の筋についてはもうあちこちで
書いてあったりするわけですが、
そうした歌舞伎に出てくる場所、を考察して
いるサイトってあんまりないように思うんです。

だって、適当つけているわけでも
ないと思います。ここにしたほうが
観る側が分かりやすいだろう、とか
今回の公演のスポンサーはどこそこだから
台詞の中にそれを織り込もうとか、そんなことは
当たり前に考えたでしょうから。
道行、それから歌舞伎の中の地名、っていうのを
考えながら芝居を見るのもまた新たな発見が
できるんじゃないでしょうか。


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Comments

ちょうど昨日、長谷寺の特別ご開帳に参拝してきまして、新ノ口駅も通過してきたところなんです。あまりの偶然に驚いていますw(゚o゚)w
「街道の分岐点の少しはずれ」確かにそういう位置ですね。
もっとデカデカと「冥土の飛脚の舞台」みたいな看板が上がってるかと思いましたが、ホント、地味な駅でした。

Posted by: mishima | 09. 04. 30 at 오전 11:10

----mishimaさん
俺も前に津の友達のところに行くときに近鉄の特急に乗っていて通ったことがありました。そのときはよほど注意をして、見てたんですが、本当におっしゃるように地味な(すいません)駅だ、と思いました。長谷寺、新緑の美しい季節ですし、暑くもないので、少しずつ階段を上り下りしながら次々と景色の展開があって、よかったのではないか、と拝察します。(うらやましい!)万葉集の実地踏査で、榛原や長谷寺へ行ったのを思い出しました。ああ、もう一度機会があったら是非行きたいです。

Posted by: 謙介 | 09. 04. 30 at 오후 9:59

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