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09. 03. 11

もうひとつの「勧進帳」

前回、歌舞伎の話が出てきたので、
少し思い出したことを。
歌舞伎の演目の中でも特に有名なものに、
「勧進帳」というのがあります。

勧進帳、そのものは何かと言うと、
寄付の記録簿、ということですね。
今風に言えば、「○松建設、2口600万円なーりとか、(笑)
××工務店1口150万円なーり」とかいうふうに寄付してくれた人の
金額とか誰が、というふうなことを記録している台帳なわけです。
じゃあ、その寄付は何のために? と言えば、その勧進帳の中で
表向きは「東大寺の再建のために、ということでした。

その帳面を誰が持っていたかと言えば、頼朝に追われて奥州平泉に逃げる
義経・弁慶一行が、持っていたことになっている、と。
今、俺が「表向き」ということを書いたのは、義経一行は山伏姿で
東大寺の勧進僧に化けて、関所を通過しようと、したからですね。
そんなものはただの方便です。

そうしてその関守の冨樫は、ちゃんと都から山伏に化けた義経一行が、
来るかもしれないから、その時は捕まえるように、
という指示を受けていました。
で、案の定連中らしき一行が来た、と。

「お前たちは、義経一行だろう。」と当然冨樫は詮議をします。
ここで弁慶が命を懸けて「違う! 」と、熱演をするわけですね。
何にも書いていないその寄付台帳の巻物を、あたかも寄進者が
書いてあるかのようにずらずらと読み上げたり、
冨樫が仏教のひっかけ問題を出しても
弁慶はすらすらと答える。
さらに冨樫の部下の役人が義経だろう、と疑えば
あげくの果てには、ご主人さまの義経を、これは
「下っ端のヤツで。」とか言って、心を鬼にして
シバキ倒したりします。

で、とうとう冨樫は、「分かった。お前たちは義経一行では
ない。」として、酒を飲ませ、弁慶もその礼に舞を舞った後
関所を通っていきます。(このめでたいところで酒を飲ませる
というのが、能の影響がまだ残っているなぁ、と謙介は思います。)

関を通った後で、花道に立った弁慶が、舞台にいる
冨樫のほうを向いて、礼をします。
冨樫は、六方を踏んで去り行く弁慶の背中に向かって
ひそかにやはり礼をして幕、となります。

お互いがお互いのことを分かっているのです。
弁慶はバレバレだけど、通してもらった。
富樫だって、そんなもの義経一行だ、というのを
内心分かっていて通した。
そう。「さは、ありながら。」なのです。

ドラマの進行とは別に、全く語られない、
その背後にある「惻隠の情」に観客は思いを致し、
弁慶の主を思うひたむきさ、命令を曲げて、冨樫が関所を
通した気持ちをそれぞれ想像する。そこで芝居に奥行きが
出る。余情が見る側の心に拡がっていくわけですよね。

この演目、先ほども言ったように歌舞伎では
本当に有名な演目です。
ところがですね。ここで、山伏姿の東大寺の勧進僧だと
いうふうに化けた一行が出てくるのですが。
謙介はここでさらにここで踏み込んで
「じゃあ、勧進僧、って知ってる? 」と
質問してみましょうか。おそらくは
「寄付を集めてまわる坊主やろ。」くらいの
ところで止まってしまうわけです。

実はここに日本の仏教の持つ大きな問題が
あるように思います。
このあいだ東大寺の「修二会」の話をしました。
二月堂に籠って、礼拝する練行衆を、一般の人は
決して見ることはできません。
じゃあ、なぜ見ることができないのか。
その寺の大切な宗教行事だから?
半分は当たっていますが、半分は、、ちょっと違います。
そりゃ、寺の大切な行事です。
でも、この行事は、誰のための行事か、と言えば
人びとのための祈りではありません。
人びというか、民衆はこの際一切関係ないのです。
もっと言えば「おめーらは関係ねえよ。」 です。
誰のための祈りか?
寺と国家と天皇のためです。
一般ピープルは排除されます。
なぜならば庶民のための仏教とは全く違う
もうひとつの仏教の儀式だからです。

もう何度もお話をしていますが、
日本の仏教は二重構造になっています。
仏教系の大学で教えられている仏教学と
一般の人たちの信じている仏教は
全くの別物です。
この二つは全然違います。
たとえば、死後の世界。学問としての
仏教学では、人は死んだら、
みんな極楽に行っておしまいです。
あまりの単純さに口がぽかんとなってしまいますが、
それだけです。(笑)

霊だの、水子のたたりだの、あの世だの
お彼岸だのお盆だのというようなものは
そんなもの本来の仏教には一切ありません。
え? じゃあ、それは仏教じゃないの?
はい。本来の仏教にはそういうものは
一切ないです。

そうした霊とかあの世、というようなものは
日本の土着の宗教の考え方でした。

仏教が入ってきてその教えを多くの人に広めようとしたとき、
すでに一般の人びとが信仰として、そういう霊とか、死後の世界という
ものを持っていたわけです。

仏教を広めようとしたお坊さんに、一般の人が質問をしました。
「それなら、仏教は、そういう死んだ人の霊をどうしてくれるの? 」
と、なったときに、仏教のお坊さんは、
(本当は、違っていたけど)はいはい、そういう霊も
大切にしてお参りしましょうね ってとりあえず
言ってしまった。 もう大バーゲンセールのように
日本人の土着の宗教を、「はいはいわっかりましたぁ。」
って言って仏教の中にすべて入れてしまった。
「何でも面倒見ますよー オッケーオッケー」とか
調子のいいことを言って、もう、はったりかましまくりで、
何でもありですよ、って言って
人を仏教のほうに信じいれようとしたわけです。


しかし、それにしても、
人びとの信仰を、はいはい、何でもありですよー、オッケーでーす。
って何でもかんでも放りこんで平気でいられる仏教って、
やっぱり、本当にアジア的と言うか、ゆるゆるとしたいい加減さ(笑)満開
ですよね。

ところが、学問としての仏教学は
そんなものは、「何だそれは? 」って言って無視をした
わけです。そうして、学問としての仏教学と
民衆の救いの宗教としての仏教と、二つが
並立してしまうことになってしまいました。

それでも奈良時代は良かったわけです。
仏教=国家でしたから、国の保護もありました。
しかし、時代は下って鎌倉の世になりますと
そんなもの、自分で経営を何とかせえ、
今風に言えば、独立宗教法人化ですね。(笑)
というふうになりました。
じゃあどうするか、となったときに、
愕然としたわけです。当然お坊さんだって
霞を食べては暮らせません。
「現金収入の道が要る! 」ということに気づきました。
そこで、じゃあ、ということで、一般の人を仏教に
ということになって、そのために布教兼寄付集めをしなくては
ならなくなりました。そこで出てきたのが、勧進僧とか
ヒジリ、とか、御師(おんし)言われるお坊さんたちでした。
こういう人たちが背中にお厨子に入った仏像を背負い
布教をしたり、寄付を集めてまわることで、さらに仏教は
深く人の中に入っていった、ということになったわけです。

長野の善光寺が有名になったのも
そういう勧進僧のおかげでしょうね。
あのお寺は、昔から結構経営戦略に長けている(笑)
寺で、ご本尊をあちこち持っていっては出張公開をしました。
難しい言葉で出開帳(でがいちょう)というのですが
それをやったから、あちこちで善光寺の名が知られ
勧進僧がまた「一度善光寺へはおまいりしなくては罰があたりますぞよ。」
なんて言ったものですから、みんなどーっとお参りに行ったわけです。
おそらくはそうした勧進僧の「御師に引かれて善光寺参り」、ということが
いつの間にか「牛に引かれて、善光寺 」というふうに発音が変わって
意味が変ったのだ、と思っています。御師が牛に変化した、ということ。
牛が善光寺へ引っぱっていくわけないじゃないですか。(笑)

今、一般の人々に名前を知られている神社仏閣というのは
勧進僧とか、神社であれば歩き巫女といわれるような人が
昔、村から村へと歩いて布教とか寄付を集めていったから
有名になっている、と。そういう部分があります。

一般の民衆と仏教を結びつけた勧進僧がいた、と。
ところが、この勧進僧という人たち、今も言ったように
歌舞伎の有名な演目にだって出てくるくらい
有名なはずなのですが、
その詳しい存在は全然分かっていません。

なぜか。

お寺がそういう勧進僧のことを隠すからです。

なぜか。

勧進僧のしたことは寄付集めです。お寺が
お金の話をするのはいけない、という
意識があって、そういう勧進の係の人間が居たにも
拘わらず、そうした人のことを話したりするのは
タブーになっています。

それは2009年のこの今もです。

まぁ分からないことはないんですよ。
みなさんでもそうでしょ?
お寺のお坊さんがお金儲けお金儲け、って
言ったら、やっぱり、ちょっとなぁ、、って
感じる、と思うのです。
寺院経営学なんてあったら、
それはあかんやろ、とか思う人も多いと
思います。
ですからお金のことはあまり表立って言えません。
そうした会計担当のお坊さんは、
その仕事が教団の経営、という重要な任務でありながら
教団はその存在はないもの、にしてしまったのです。
なので、歴史の表に出てくることはほとんどありません。
ですから、勧進僧のことはほとんど、と言っていいくらい
分かっていません。

もうじき東京の国立博物館で阿修羅展があります。
こないだまで、妙心寺展をしていました。
なんでこんなものするのか? と聞かれて
「お金儲けだって大きな目的です。」と書いたら鼻白みますか?

入場券収入はもちろんのこと、
展覧会を見て出てきたら
もうそれはそれはいろんな種類のグッズを
売っているはずです。売り子さんだってすごいですよね。
「いらっしゃいいらっしゃい」とか言って。
絵葉書だの図録だのにはじまって
Tシャツ、バインダー、携帯ストラップ、エコバッグ、
まんじゅう、漬物、果ては瞑想用のDVDまで。
そうした品々を売って、お寺はそろばんをはじく
わけです。(あくまでこっそり、ですが。)

お寺の運営はお金がかかります。
施設改修費、運営費、人件費、
それはそれはかかります。
お寺の建物が壊れました、
どこかのア○が落書きをして汚しました。

俺が就職した時に、就職先の上司がまず
言ったことは、どこでどうやって「お金をプールするか、
それが上司の能力のひとつだ。」とさえいっていました。

今、補助金の不正蓄財がそこここで大問題に
なっています。
確かに悪い側面もあるとは思います。
ですが、急に建物が壊れました、って言った時に
そのお金はどこから出ます?
国の建築物の補修費用は、一部しか出ません。
それも規模の大きなものだけです。
中途半端に規模の大きいものは補助だって出ないのです。

そうしたら、その出ない部分は、どうするかと言えば
自らの経営で何とかしなければなりません。
どうしたってそういうときのためにプールしておく
お金って要るわけです。


でも今の世の中、裏金の不正蓄財は全て悪、だと
言われて糾弾されますから、そんなことは
もうできません。

なのでこうした経費はなかなか捻出できません。
それで対外的に「売り」を持ってるお寺では、
その売りで、そうした経費を捻出しようと
考えたわけです。
それから、一度、こういう展覧会をして
見てもらうと、また奈良にきてもらう、
京都に来てもらう、つまりリピーターだって
できるだろう、と。
そうしたお寺のそろばん、と、いまどき博物館だって、一定の観客動員を
しなければ、経営効率を指摘されます。
観客数が少ない? サボっているじゃないか、
赤字経営は許さん、とか経営の効率化が
大きな声で言われるわけです。

そうした寺院側、博物館側の利害が一致して、人口の多い
したがって観客動員のたくさん見込めそうな首都圏では
やたら有名なお寺の展覧会をやってる、ということでしょう。

話がなんだか「勧進帳」から、「勘定方」に行って
しまいました。(笑)

この前に助六の赤ふんは舞台栄えがするなんていうような
程度の意味では決してなくて、ちゃんと人間の儀式の上で
意味がある、という話をしましたけれど、
歴史とか民俗を知って、その上で
歌舞伎を見たら、もっと理解が深くなることも
あるかと思います。

あーあ。また堅いお話になってしまいました。
しかもながーい。(みあんへよ)
長々と最後までおつきあいくださいまして
ありがとうございました。


(今朝聴いた音楽 Morning Glory
歌 山下達郎 )


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Comments

阿修羅展、阿修羅像のフィギアを販売するって話題になってましたね。
どこの宗教も経営は大切ですものね。宗教税を課している国があるくらいですから、ヨーロッパやアメリカの方がオープンに集金するのかもしれません。日本はお金の話題って微妙に気を使いますよね、うまく言えませんが、はしたないって言う感じでしょうか。フランスでいくつかレッスンに通いましたが、お月謝とかご祝儀とか、新券で熨斗袋に入れて…なんてしませんもの。日本人の感覚とは違います。
勧進帳も安宅も見る機会に恵まれませんでした、いつかぜひ…

Posted by: アリクイ | 09. 03. 11 at 오전 7:42

----アリクイさん
お寺の経営は、やはりある程度は必要だと
思います。それがまぁ、住職が高級外車に乗って、、っていうのは問題ですが。(笑)でも、友達に聞きますと、大体ひとつの寺院がお寺として何とかやっていこうと思えば、檀家さんは最低300軒は必要、って言うんですよ。ところが、ご存知のように田舎はいまやどんどん人口が減っていっていて、三重の山奥にいる俺の友達の寺も、先日聞いたら、檀家は182軒で、おそらく後10年以内に半減するだろう、っていう話でした。村の集落が消えるということは学校もなくなるし、そういうお寺も経営がうまくいきませんからなくなる、いろいろな問題を抱えているなぁ、と改めて話を聞いて思いました。
俺も書道を習っていたときは、月々のお月謝は銀行に行って新券に換えてもらって、としていたんですけどね。そういう点外国の方はドライなんでしょうね。やっぱり文化の差でしょうね。

Posted by: 謙介 | 09. 03. 11 at 오후 7:19

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