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09. 03. 30

観劇は出発から帰宅までが「祝祭」です(その3)

はてさて。
その3だけアップが遅れてしまいました。
週末、恩師の調査に引っぱられて、
京都と大阪を歩いていました。
そこはそれ、謙介の大阪ですから
おしゃれなスポットとか観覧車とか
は、一切出てきません。
ディープなスポットのお話は、また近いうちに。
それでは、前回の続きです。
こんぴら歌舞伎の出し物、
もうひとつは「冥土の飛脚」から、
新口村です。
新口村自体は、今も奈良県橿原市の新口町という
地名で残っています。

今風に言えば、大和八木の駅のすぐ北側のあたりです。
大和八木の駅は、十字型の構造をしています。
東西が大阪から名古屋に行く線路。
南北が大和西大寺方面から橿原神宮前に行く線路。
ところが中に、たとえば北方向の京都から、
東方向の志摩半島の賢島まで行く
特急があったりします。
この特急に乗ると、大和八木の近くで、北から南に走っていた電車が
右(西)にふくらんで、やがて大阪からの線路と交わって東西に
走るようになる場所があります。
実はそのふくらみのためにカーブしはじめたあたりが
新口町なわけです。といってもこれは近鉄によく乗って
地理が想像できる人にしか
分からないような話ですが。(笑)

で、まぁ新口村のお話も、もうここで言わなくてもいいような
くらい有名なお話なのですが。
大和の国の百姓の孫右衛門の息子、忠兵衛は大坂の飛脚問屋
亀屋へ養子行っていました。ところが忠兵衛は、大坂の新町遊郭の
格子女郎だった梅川とねんごろの仲になってしまい、彼女を
身請けしようと、恋仇の八右衛門と争ううちに、身請けの代金に、
店で預かっていた為替の金の封印を切ってしまいます。
預かり金の封印を切れば死罪です。
梅川と忠兵衛は、逃避行を続けた末に、故郷の新口村にたどり
着きます。

追われている身ですから、会いたい、と言って会えるはずも
ありません。
近くの小作の忠三郎さんに頼みます。
おうちには奥さんしかいません。忠三郎さんは、すでに
忠兵衛たちを捕まえる指示がきていて探しに行っているのです。
最近お嫁に来たので(といっても若くはない)忠兵衛を知らず、
忠兵衛と梅川のウワサをします「困った傾城さまだ、大迷惑だ」。ふたりは
焦りまくります。
それでも頼まれて忠三郎さんを呼びに行ってくれます。

二人で外を窺っていると、お寺のお参り
(「道場」と浄瑠璃で言うのが「お寺」のこと)の帰りの、忠兵衛の
お父さんの孫右衛門さんが通りかかります。

表だっては会えないので家の中からお父さんを拝むふたり、と、
孫右衛門さんの雪駄の鼻緒が切れて雪の中に転びます。
息子の事で心労で、ちょっとおぼつかないかんじの孫右衛門さん、
見かねた梅川が駆け寄って、懐紙で鼻緒をすげてさしあげます。

はじめは親切なこの女の人ににお礼を言っていた孫右衛門さん
ですが、だんだんに事情を察してくるわけです。
もちろんそばの家の中に忠兵衛がいることだってピンと来ます。

忠兵衛の罪のせいで、養子先の亀屋は罰を受けることになりはしますが、
実の親である孫右衛門さんは、養子に出すとき「縁切り」をしているので
責任はかかってはきません。
でも、孫右衛門さんは、
縁を切った息子が出世して立派になって、
周囲に「縁を切って失敗したな」と同情されても、
それはどれほど嬉しいだろう、
息子が不始末をしでかして、回りに「縁を切っておいてよかったな」と
褒められても、こんな悲しいことはない、
と言って泣くのです。

梅川は最後に一目、忠兵衛に会って欲しい、と
言うのですが、孫右衛門さんに「やくたいもない。」と
断られてしまいます。
そこで一計を案じた梅川は孫右衛門さんに目隠しをして
引き合わせます。親子はただただ言葉も交わさず
ひし、と 抱き合って別れを惜しみますが
そのとき梅川は目隠しをそっとはずして親子を対面させます。
そこに追手の声が聞こえ、孫右衛門さんは急いで二人を逃がします。
雪の中、名残を惜しみながら遠ざかってゆく二人を
孫右衛門さんが見送る、というところで幕、となる、という
お話です。デキの悪い息子に対する愛情のこもった言葉、
今生の別れになるかもしれない、最後の場面、
俊寛もそうでしたが、涙が自然と出てきて
止まりません。
ね、これも俊寛に負けず劣らず重い話でしょ。

なので、謙介はひそかに心配しているわけですよ。
最後の踊りの身替座禅が、この二つの重かった分、
余計にはじけて賑々しいものになってしまわない、かと。

歌舞伎役者の中には、
なんだか客席をうならせたいのか、客に媚るのかは
よくわかんないんですが、変に大向こうを意識しすぎで
「どうだ、どうだ! 」っていう役者さんが
います。俺もそういう人は苦手です。
でも、そういうのは、客席で見ててとっても
分かりやすいものですから
結構受けたりするんです。

申し訳ないのですが謙介は
もっと「品よく」やってくれない? って思います。
普通でいいのです。

さて。

こんぴら歌舞伎、一部のほうは
終演後もまだ夕方までには時間が
たっぷりあります。
金比羅大芝居から、琴平町内に下りてきますと
最近では温泉の掘削にも成功したホテルが
何軒かありますから、そこで温泉に入って
帰るのも楽しいでしょうし、
何せ、琴平町とその隣の善通寺市周辺は
讃岐うどんの地域の中でも結構競争の激しい
場所なので、うどん屋めぐり、ということも
できます。
ただ、お昼は過ぎてはいますが、5時くらいまで
営業してる店もありますから、
2時なんてまだまだオッケーの時間です。
そういううどん屋めぐり、というのも
楽しいでしょうし、、。

あ、もちろん金比羅宮のご参詣を忘れては
いけません。
神椿のアイスも。(笑)
善通寺市は、空海の生まれた善通寺の
お寺がありますから、ここもご参詣しなくては。
そうやって、琴平周辺は結構回る場所も
多々あります。
そういうところをあれこれまわるというのも
やっぱり楽しみですよね。

歌舞伎を見ました。終わりました。そして
琴平駅からバスなり、空港行きのリムジンで
即高松空港、飛行機で帰る、なんていうのは
芝居を見るだけでしかないですよね。
何かそれだけ、っていうのは、、
ちょっとなぁ、、、って思います。
もうちょっといろいろな心のふくらみがあって
いいのでは?
何か、自分はそれだけしか見ない、
っていうのは、結局のところ、いつまで経っても
自分の中の固定観念を固めるだけにしかならない
のではないでしょうか?

だから、徳島と言えば、阿波踊り、京都といえば
古いお寺、としか思い浮かばない、っていうことに
なるんじゃないですかねぇ? それだけ、って
決めてかかる、っていうのは、哀しいですよね。

いろいろあちこち眺めて、ということが、そういう芝居見物の
楽しみのひとつなのではないでしょうか。
そういうゆとりがやっぱり欲しいなぁ、って思います。


折角の機会ですもんね。
あれこれ見られることをおすすめしたいです。

         ×        ×

昨日と先週。高速道路を走って比較して思ったこと。
なんとまぁ走りにくい、道路になったか。
自分の走った範囲で言うと、ものすごく走る車が増えた。
それから。本当に走るのがしんどかった。

というのが、金曜の晩、俺の走る時間と言うのは
夜行バスとか、トラックと言った、業務で走る、というのか
いわばプロが走ってる時間なんだ。
だから、みんな一定の速度で流れを作って
走ってる。なので、こちらもその流れに乗っていれば
間違いない、っていう安心があるのだけど、
日曜日は全然違った。
たまにしか走らないだろう人が走るから、
流れを読まない、高速だからと言って
張り切って130も140も出してやたら車線変更をして
かっこいいところを見せて走りたがる。
本当に流れのジャマ、みたいな走りの人が
やたら目立った。もうちょっと普通に走れないのか?

たぶん思うのだけど、これから先、ETCの取り付けが
もっともっと進んだら、もっともっと走行車数が増えるだろう。
そうなったら、事故ももっと増えると思う。
昨日、走って、正直、疲れた。(予測はしていたけど)

それから、日曜日に、市内にちょっと出たのだけど
やっぱり本州ナンバーの車が多くて
日祝日なら、スムーズに走れる場所がやたら渋滞
していた。新聞ではたいした混乱はなかった、
っていうけど、それは途中のことで、末端はやっぱり
混乱してたのよ。
5月の連休の終わるまでは、必要以外の車での外出は
ちょっと考えなくては、と思いながら
日曜日、買い物から帰ってきた。

(今日聴いた音楽 ミス・ブランニューディ
 サザンオールスターズ 歌 1984年
 LP 人気者で行こう 収録)

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Comments

 近鉄と言えば,初めて名古屋〜難波で乗った時,伊勢中川(だったかな)の大三角形を描くジャンクションにびっくりしました。そーゆー手で分岐させるか,と(笑)

 ・・・と,本編に無関係なコメント(失笑)

Posted by: Ikuno Hiroshi | 09. 03. 31 at 오전 11:18

---Ikuno Hiroshiさん
いいえいいえ。
伊勢中川、懐かしいです。
あそこ、実は、中川の駅を作らずにスルーさせて行く方法も幾通りか考えていたようなのですが、何様、あの辺の地主さんが土地を売らなかったので、計画が頓挫した、という話を聞きました。 確か、伊勢湾台風の時に線路が浸水したついでに(笑)近鉄は一気に全部改軌してしまったんですよね。それまでは大阪・奈良側と名古屋・三重側で線路の幅が違っていて、大阪。名古屋直通特急がなくて必ず中川乗換えだった、と聞きました。でも、謙介、結構中川乗換え、好きなんですけどねー。(笑)

Posted by: 謙介 | 09. 03. 31 at 오후 11:48

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