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09. 03. 25

観劇は出発から帰宅までが「祝祭」です(その1)

世の中、なんだか忙しいというのか
効率効率ということばかりが
幅を利かすようになってしまった気がする。

こないだ、東京から西へ走るブルートレインが
廃止になったよね。
謙介は何年か前に、今の電車形態に置き換わる前、
東京まで「瀬戸」に乗った。
正直言って、ろくに寝られなかった。
1時間で岡山。それからまた1時間で姫路、
とまぁ、ちょっとうとうとしたら駅に着く、
そうしたら、人の出入りはあるし、停まる、また
動き出すで、そのたびに客車にガタン、とショックがあって
それで目を覚ますし。
経済的なことを言えば、ブルートレインって
料金は夜行バスほど安くはない。
かと言って、新幹線や飛行機ほどの
速達性もない。料金だって結構する。
しかも車両が快適か、と言えば、、
うーん、だったし。
(今のサンライズ瀬戸は快適だけど)

日本人って、情緒的な人も結構多いから、なくなるとなったら
みんなワーッと行ったんだろうけど、それ以前の
ブルートレインなんか、ホント乗る人少なかった。

そりゃ、経済効率に見合うとか、
快適性で言えば、あんなの乗らないよ、
っていうことになるのだろう。 


だけど、だけど、だ。

夜汽車には情緒があった。
寝られなくて、廊下に出て、車両の揺れに任せて
外の灯りが遠く、近くでポツン、とついた外の
風景を見ているときの気持ち。
自分は一体どこに行こうとしているのだろう、
これからの自分は一体どういう方向で生きていけば
いいのか、というようなことを考えさせてくれたり、
そういう日ごろはあんまり考えないような
自分自身と向き合える。
今までの人生を思ったり、あれこれと考えさせてくれる
夜汽車独特の雰囲気、っていうようなものがあったと思う。

でも今の飛行機もバスもそんなものは全くない。

乗ったらそそくさとシートベルトを締め、
目的地まで数時間。新幹線もそうだけど、
本当に移動のための乗り物でしかない。


世の中なんでもかんでも効率効率って言って、、。
そうやって本当の人間的な豊かさを切って
しまったら、一体何が残るというのだろう。
そのうち、こういう効率一辺倒でやってたら
別の大きな問題に遭遇して、大変なことに
なるような気がするけどな。


芝居見物だってそうだもんね。

何かどこそこでやってる、この公演を見るのだけが
目的みたいになっちゃってて、ぎりぎりに劇場に行って
終わったらさっと、また帰ってくる、と。


仕事が忙しい忙しい、で、芝居だけ見て、、って。
いつの間にやら観劇までが効率一辺倒なの?
それじゃ、あまりに精神的に貧しいじゃないか。

歌舞伎の公演でも、学校行ってたときに
授業の一環で見たのと
のんびりと、楽しんで見るのとは全然違ったもの。


たとえば、歌舞伎の世界だって、劇場に行く
っていうこと自体が特別なんだからさ。

一張羅を着ていく、とか、着るものをそれなりに
考えて行く、っていうのがあっていいと思うしさ。

食事だってそうだよね。
劇場の前まで配達してれる仕出し屋さんに
頼んでおいて、劇場前で受け取って、
中に入る、っていうのなんか特別感が
あっていいじゃない? 俺、京都の南座で見る時
なんかは、結構そうしたりしてる。
京都の仕出し屋さんはそういうのちゃんと心得てるから
待ち合わせ場所さえきっちりしておけばそういうのだって
簡単にできるもん。

そこまでお金をかける、っていうのだってしなくてもいい。
ちょっと早めに着いて、東京の歌舞伎座だったら
勝鬨橋のほうまで出て、隅田川の川の色を眺めて
みる、とか、皇居のお堀端をゆっくり歩いてみる
とか、銀座をぶらぶらして気持ちを観劇!って
いうふうに気分を変えてテンションをかえていくとかさ。

京都の南座でも、祇園の花街をちょっと歩いてみるとか
そんなふうな、芝居にあわせて何かを、
っていうようなものがもっともっとあればいいのに、
って思う。

劇場に駆けつけました。芝居を見ました。
終わりました。それでは帰ります、じゃあさぁ、、。
「それだけ」しかないじゃないか。

文学とか演劇、っていうのは
「それだけ」じゃあダメだもの。
目に見えない部分の、説明のつかない部分の
「何か」。その何か、が積もり積もって
芝居を観る時の自分の中の心の揺れとか
解釈の幅広さとか、っていうふうになるんじゃ
ないかなぁ。

こないだ、俺の卒業した学校の教員になった
同級生に聞いたら、最近の学生さんは
「漱石を研究する、となったら漱石しか読まないのよ、困るわー。」
って言ってた。

専門となったら、それだけなのだそうな。
「だから同時代のほかの作家の話をしたら
わかんない、っていう顔をしてるのよ。」って。
漱石の研究だったら、当然子規だって鴎外だって
彼が一生懸命になった禅の思想とか
そういうもの、ひっくるめて全部見ないとね。
漱石が専門だから、漱石だけ、っていうのでは
やっぱりダメなんじゃないかなぁ。

それと同じでさ。
歌舞伎を見る、っていうのに、劇場に行きました。
見ました。終わったらすぐに帰ります、っていうんじゃ
ちょっとなぁ、って思う。
演劇っていうのは、まぁそういう話をするのも
いいけどさ。どうかしたらその公演の
役者がどうとか、演技がまずいの上手の、
ってそればっかり言う人が多いのだけど、
それだけじゃないでしょ。

歌舞伎もそうだけど、演劇って
総合芸術だから、観る側のさまざまな経験とか
感情の幅、とかもその中にかかわってくるもの。
だからこそ、いろいろなところでさまざまなことを見たり、
経験したりすることっていうのも大切で、それだけを、
っていうのは、さっきの漱石の研究で漱石だけしか
読まないのと同じで、やっぱりちょっとなぁ、、
って思う。
もうちょっと幅があっていいんじゃないか。
いや、ないといけないんじゃないか、とさえ
思うの。
あ、また長くなりました。
今日はここまでにします。


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Comments

どーも♪また見に来ちゃいました(笑)
ブルートレインいいですよねぇ☆
今だに乗ったことが無いんですが、なんか味がある感じがします!!

Posted by: ジュン | 09. 03. 26 at 오전 8:49

---ジュンさん
何か世の中効率とか忙しいとか、そんなふうなことばっかりになってしまって、ゆっくりとしみじみする、なんていうことが消えてしまいつつあるような気がするんですよ。ブルートレイン、というか、夜行列車って、単なる移動の手段じゃなくて、いろいろなことを思ったり考えさせてくれるような味わいがあったなぁ、って思います。
まだ何本か残っているのもあります。でもやがては北斗星みたいなものは別にして、通常のブルートレインはだんだん無くなっていくかもしれません。機会があれば是非。長い文章、お読みくださって、ありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 09. 03. 26 at 오후 6:57

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