愛子おばさんへ
こんばんは
今日は愛子おばさんに手紙を書きます
おばさんにこうした手紙を書くのは
去年の春以来のことですね
去年の春に俺の仕事場に電話をもらって
おばさんが再入院する、ということ
そこで使用されるらしい薬について
それでとりあえず俺が 調べられるだけ調べて
その資料に添えて送った手紙以来
ということになりますか ね
本当は封書でおばさんに手紙を
送ろうと思いました
しかし投函しても その手紙が
おばさんの許に届かないかもしれないなぁ
と思いなおして こうしてウェブ上に出すことに
しました
この方法のほうが おばさんにどこかで
読んでもらえる機会があるかもしれない と
思ったからです
本来なら おばさんと俺が知り合うなんて
いうことはなかったかもしれませんね
おばさんは俺の友達のIの下宿の大家さんで
俺はその下宿に訪ねてきた
彼の友達に過ぎなかったのですから
しかし それがいつか俺が京都に行ったら
おばさんのところで泊まらせていただくような
ことになるなんて 下宿人でも何でも
なかった俺をここまで厚遇してくれるように
なったこと そしてそれがもう20年続いたこと
縁というのは 本当に不思議としかいいようが
ない と今にして改めてそう思います
大体俺とIの関係は変と言えば変だったですよね
おばさんも よく言っておいででした
ホンの数百メートルの近い場所に住んでいながら
時々文通をして手紙を出し合いしていたのですから
でもその手紙のおかげで 俺がおばさんの印象に
残ることになったのですから 人生何がどう影響を与えるか
分からないものです
おばさんは本当に字にうるさい人でしたね
他人にもうるさかったけれど おばさんご自身にも
とても要求水準が高かったように思います
俺は決しておばさんの字が下手になった なんて
一度も思ったことはなかったですよ
でも、おばさんは練習をせんようになって もうあかんわ
下手になってしもうた ってそんなことを繰り返し
俺に言ってましたよね
決してそんなことはないのに
ある日 Iのところに来た俺の封書の字を見て
いやぁ ちゃんとした字書く子やね とほめて
くださったのが、おばさんと話をするようになった
はじめでしたよね
以来 最初はIを仲介にしていた話が
いつの間にかI抜きで話をするようになり とうとう最後は
遊びにおいで というふうになってしまったのでした
おばさんはとにかく元気でした
やがてあの下宿は、大学のラグビー部員だけの
寮になりましたけれど、そのラグビー部の寮生を
引き連れて、ごはんを食べにいっていた
おばさんの雄姿 いまでもはっきり覚えています
ラグビー部の連中を 二言目にはあほや
あんな子らかなんわ なんてしょっちゅういいながら
いつも気にして世話をして
俺はそんなおばさんをとてもいいなぁ、と思って見ていましたよ
世話好きなおばさんは 俺にも何かと気遣ってくれましたね
そのおかげで 花園のあのおばさんの家は
俺にとって最後はベースのような場所になっていました
京都に行って 花園駅で降りて
南に歩いて
おばさんの家に行くのが本当に楽しみでしたよ
月日は流れて
いつのまにやら
花園駅もすっかり変わって
しまいました
上と下 これがまったく同じ場所だと
俺は今もって信じられません
俺にとっての花園駅は いまだどうしても
上の写真の駅です
去年の12月のはじめだったでしょうか
何日間か 俺が仕事から帰ったら 留守番電話のお知らせランプが
点滅していましたときがありました
そしてそれは2 3日続きました
そんなことがあって また一週間くらいしてから
2 3日そんなことが続きました
用件は と言えば入っておらず 電話が
あった ということだけがそこに記録として
残されていました
でもね その時 俺は気づいたのです
ただ、それは理由もなく なんとなく でした
しかし俺は気づいたのです
電話は多分 ご親類の方がかけてこられたのではないか
と思いました おばさんのご親類と俺は全くの
面識がありませんでしたよね
おばさんは一人暮らしでしたし おばさんの
親類の方なんて俺 とうとう知らないままでしたし
だからきっと留守番電話に声を吹きこむのを
躊躇されたのかなぁ と思っています
こないだ実はおばさんの家に電話をかけて
みました すると 「この電話は現在使われて
おりません 」というアナウンスが流れました
去年の春に、左京区の大学病院に入院する前
おばさんは、俺に「平安墨宝」という書の
本を送ってくれましたよね その時も俺 ひそかに
思ったんです 「これ 形見分けじゃないだろうね 」って
その時 俺は首を左右に振りました
その時はまだ おばさんのがんはごく微小で
まだこういうことになるようには思えませんでしたから
でもおばさんは俺にはっきりと言いました
骨に転移したからねぇ
あかん とおばさんは言ったけれども
とはいえ おばさんはいつも前向きで
どんなふうな身体の状態になっても
自分らしさ を失いませんでしたよね
あかん と いいながら それでもおばさんは
俺の目には元気そのものでした
本当にその強さ に俺は感心します
どうしてそんなふうに強くいられるのか?
俺はその気持ちの強さのもとを知りたいです
おばさんは俺のことをずいぶんかってくれて
いましたけれども こうして空から俺のことを
見て どうですか?
何や 思ってたのと全然違うやないか
どうしようもないやっちゃ って呆れ果てて
おいでかもしれませんね
本当に俺という人間は ぐずぐずで どうしようも
ない奴です 自分でも時々 本当に嫌に
なることがあります もてあますことだって
しょっちゅうあります
おばさんがもし 俺について こんなヤツ
あかんわと思われたのであれば
それは正解だと思います
本当にどうしようもない あかんたれです
弱くてダメな人間です
でもね それでも ね
こんなどうしようもないヤツですけど
おばさんから受けたさまざまな厚意は 俺の一生の
宝 だと思っているのですよ
このいただいた大切なものを 俺は生きているうちに
誰かにまた渡さないといけないなぁ
と思っています
誰かにこのおばさんからいただいた
自分の周囲の人を大切に思ってやまなかった
このあたたかな気持ちや心遣いを自分も同じように
すること それがおばさんの厚意に報いることだ
と考えているのです
それと同時に 少しでもおばさんに
「少しは ましになったやないか」って いつかどこかの
空の下で そう言ってもらえるようにはしないと
いけないですね
どうしようもないヤツですが そんなふうに考えたりも
しているんですよ
おばさん
あたたかくなって 俺の体調もおちついていたら
一度 上洛します そしておばさんの家のあった場所に
行ってみます
こう書きながらも どこかで予想をしている自分がいて
そんな思いについて どうか違っていて欲しい とも
切に願っている自分も またいます
また 字や食べ物の話が
できたらいいのですけれど
いや できますよね
今までのおばさんとの会話、
声や表情や笑い声や そんなことが
後から後からとりとめもなく浮かんできます
ひとまず今日はこれで措きます
また話に行きます
おばさんがいつも別れ際に言ってくれる
「おおきに」が聞きたくて
会いましょうね また
絶対ですよ
約束ですよ
ね
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Comments
・・・僕は,母に手紙を書きたいですね。
(マザコンという訳じゃないですが 微笑)
Posted by: Ikuno Hiroshi | 09. 01. 27 PM 10:18
----Ikuno Hiroshiさん
Ikunoさんは、おかあさまに手紙を書いたことがありますか? 俺ね、いつだったか、ホント、ちょっとした書類を送るのにつける手紙を書いたときに、そういえば、オフクロとかオヤジに手紙なんて書いたことないや、って思いました。それでものすごく気恥ずかしくて、手紙を書いたら、何だか
「業務連絡」のような手紙になってしまいました。オフクロからは一度、俺が大喧嘩をして家を飛び出してしまって、親類の家にいたときに、一行「いい加減で帰ってきなさい。母」というこれまた業務連絡のような手紙をもらったことがありましたけど。はい、他の人にはこうして延々と文章が書けるのに、肉親だと、業務連絡になってしまうんですよー。いやぁ恥ずかしくて。(笑)
Posted by: 謙介 | 09. 01. 27 PM 11:40