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09. 01. 27

つきよみ(小説・1/4 )

「そうしたら、今日は手続きができないの--」
と、言いかけたとき、後ろから大きな声がした。
「じいさん、さっきから、なんべん同じ説明を
受けてるんだよ。郵便局の人も、書類が要る、
って言ってるじゃないか。できない、って
言ってるんだから、さっさと帰ってもう一度
書類を持ってくればいいじゃないか!
早くしてくれよ! 頼むよ。俺は急いでるんだよ。」

わしがゆっくりと振り返ると、20歳そこそこの生意気そうな
若いのが、こちらを睨んでいる。
「こっちは時間がないんだよ! さっさとしてくれよ。
暇で一日過ごしているわけにはいかねえんだ! 」

「移るたって、今までの家の100メートル
くらい東に行くだけなんやけど、、。」
「それでも、引越しは引越しで、所番地が変る
わけですからねぇ、、。」
「そんなことでも要るんですか? 」
「だから、さっきから何度も言ってますように、
変更は変更ですから。書類を出していただかないと。」
「はぁ、、、」

それくらいなことで、とわしは思う。
しかし、そんなことでもいちいち変更の届けが
いるのだそうな。
仕方がない。そういうのであれば、そうしなければ。

「あ、それから。」
「何でしょう? 」
「これ、送金したいのだ」とまで言うと窓口の女は
「ご送金・振り替えは、となりのゆうちょ銀行の窓口でおねがいします。」
おなじ郵便局でも、郵便とひとつの窓口ではできないのだ、と言った。
「次の方どうぞ。」

わしの身体を突き飛ばすようにさっきの若い男が
窓口に立った。
カラカラカラ、と窓口に引っ掛けてあった杖が
床に落ちて転がった。

やれやれ。わしはかがんでその杖を取ろうとした。
もう少しで杖が取れようとした時、不意に杖は手の届かない
遠いところに再び転がった。

「キャハハハ! おもしろーい。」
見ると、幼稚園か保育所の上っ張りを着た女の子が
わしの杖を蹴って遊んでいる。

「ほ、ほら、返しなさい。」
わしは精一杯の力を出して言った。
「なんか言ってる。」
「はるな、うるさいわよ。! そんな汚いもの
向こうにやっておきなさい。」

そうしてその子は、更にわしの杖を
待合の椅子の奥に蹴りこんでしまった。

「あんたの娘は何をするんだ! 」
わしは、そのおっかあに声をあげた。
「何言ってるの。 分かるようにいいなさいよ。」
「だからあんたの娘がわしのつ、杖を蹴って、、。」
「杖がどうしたのさ。」
「杖を返せ! 」
「知らないよ。そんなもの。自分で、ちゃんと持ってないから
なくなるんだろうが。大方自分でなくしといて
うちの娘に言いがかりをつけようとしてるんだろ。
まったく、うっせえジジイさね! 」
ドジョウみたいな目をして、髪を金色にして逆出せた
ライオン頭の母親はわしにそう怒鳴った。

その時、わしは肩をたたかれた。
「あのぅ。お客様の杖、これですよね。」
「ふん。あ、、、、」
「何だ、あったんじゃないか。」
その母親が言う。
「まったくごちゃごちゃとうざい爺だよ。文句ばっか言いやがって! 」
その女は、吐き捨てるようにそう言った。
「あ、あ、ああ。」
わしがそこを出ようとした時、もう一度そのライオン頭の母親の
声が何か言っているのが聞こえた。わしは後ろを振り返るのも
面倒だったので、そのまま打ち捨てて外に出た。
どうせ、ろくでもないことを言ったのだろう。
馬鹿馬鹿しいことに一々付き合ってなど
いられない。こちらはもう残された時間は
そうないのだから。


郵便局を出る。

信号の色が変わったのを見て、大きく息を吐きだすと、
わしは日盛りの歩道を渡りはじめた。
「そうなのよ。うん。で、今から食事、どこ行く? 」
わしの目の前に不意に。
そう。不意に娘がぬっと唐突にあらわれた。
前なんて見ちゃいない。
その娘が見ているのはかばんの中。

わしが前に一歩踏み出したとき、
その女はようやくこちらに気がつく。わしがその女の
前に出ようとするより、相手が身をかわすのが早かった。
娘の身体はわしの目の前を流れるように左にそれた。

その瞬間わしは道路に投げ出されていた。
「ジジイ、気をつけて歩けよ! 」その娘がそう叫んだ。
「お前が、前もろくに見ずに歩いてきたんだろうが。」
わしは、そう言ったつもりだった。
「何かこのジジイ、わめいてるよ。」


わしは、わしのノドは、
声を出そうとすると、「ああ、は、はぁ、」としか
言えないのだ。わしは話したかったのに、何か言おう
としても、わしの口からは息の漏れたような「音」しか
出てこないのだ。
さっき、郵便局ではそれでも言葉になっていた。
わしのノドは興奮して何かを言おうとすると、
息の漏れるような音しか出なくなってしまうのだ。
ただ、出るのはヒューヒューというかすれた音。
わしは杖を頼りに、よろよろと立ち上がる。


「放っておけ、って。さ、行こう。」
わしが立ち上がったのを見て、その娘の
傍らに年恰好が近そうな男が立った。
「気をつけて歩けよ。ジイサン。」
その時交差点で停まっていた何台かの車からクラクションが
鳴った。わしは、身体を引きずりながら、
何とか横断歩道を歩き終えた。
誰も何も言わない。
何か言おうとするのは、自分にとって、何かしら
文句のあるときだけ、なのだ。


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