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09. 01. 29

つきよみ(小説・2/4 )

その後、休み休みしながら
わしは小一時間かけて家に戻った。
玄関の戸を閉めると
大きく身体全体から搾り出すようなため息が出た。
時間にして2時間の外出。
そうして結局、
何も用事は終わらなかった。

わしはコタツの中にもぐりこむ。
柱の掛け時計の音だけが
部屋の中に響いている。

あれこれと、わしの気持ちの中で
浮かびあがってこようとするものもあった
気もしたが、浮かびあがりかけたものたちを
わしは、途中でそのまま押さえ込んでしまった。

何をするのも、もう面倒くさかった。
面倒なもの、手のかかるようなものは
もうしたくない。

しないでおいて、何か不都合でも起こるなら
ともかく。そうしたものが大した問題に
ならずに今まで自分はやってこれたのだから
今更そんなものと取り組んだところで、
それをないものとして無視したところで
大勢に影響などない。

それに、何を考えたところで、何かを思ったところで
それが実際に完成しなければ、そんなものは
結局何もしないのと同じことなのだ。
思った。
過程が大切だの途中の過程は必然だの、と
言ったところで、そんなもの、ちゃんと完成しなければ
どうにもならないのだ。 

途中がどうした、と言うのは若くて時間の十分にある
人間の言い草だ。 もうわしには残された
時間は大してない。そんな悠長なことなど
言っていられない。

しかし、だ。
もう何をするにも力がわかず、
何をする気も起こらなかった。
わしは疲れてコタツの中に入ってそのまま寝て
しまった。こうして、静かな部屋の中で
じっとしているのだけがわしにとって
安らかな時間だった。
一歩、外に出たら、何が待ち構えているか
わからなかった。そうして、その待ち構えていたものは、
わしにとって、その大半がろくでもないものだった。

今に見ろ、お前らだって、やがて歳を重ねて
年寄りになるのだ。そうして、わしが今日された
ようにお前らもまた若い奴らから言われる時期がくる。
そういう時期は必ず来る。
いつまでも若くて好き勝手なことができると思ったら
大間違いだ。何事も終わりは必ず来る。
わしにも、それから
あの馬鹿どもにも。


わしは天井を見ながら、そのことを繰り返し
思った。 やがて、やがて、、、。


気がついたらいつの間にかこたつの中に
身体を入れて横になって寝ていたようだ。
目だけあけて部屋を見る。

静かな部屋の中に先ほどと同じように
柱時計が時を刻む音だけが
響いている。

わしはゆっくり起き上がる。
もう日は暮れているようだ。
しかし、月のせいだろうか、
外は案外明るい。
月の光が部屋の中に差し込んでいる。

まんじりともせず、ぼんやりと座っていたら
柱時計が8つ、時を打った。

窓から射してくる月の光を見ているうちに、わしは
ふと、思った。どれ、外に出て、月でも見てみようか。
わしは、上着を引っ掛けて、よろよろと
立ち上がった。


外に出て山際の道を少し歩くと、急に山すそが開いた
一画があって、そこに小さなため池がある。
わしはここにやってきては、池の風景を眺めるのだった。
山すそにあって、平地もほとんどないこの池の風景だけは
わしが子どもの頃とほとんど変わりはなかった。
ここだけが何だか時間の経過が停止してしまったかのようだった。

わしは、池の水面が眺められる場所に来た。
明るいのも道理、
今日はどうやら満月だった。
やれ、ちょっとここでしばらく休息じゃ。


池の周囲は静かだった。
山と山のあいだを月がゆっくりと
動いていく。月の光によって山の松の
翳が微妙に変化をしていく。
その狭い山のふところを光が穏やかに
照らす。
あたりは月に照らされて一面白く輝いていた。
一面の白い野。

わしは空を見上げた。
月もひとり。わしもひとり。
ひとり、なのだ。


わしは、もう生きていても仕方がない人間
なのだろうか?
人から無用だの役たたずだのと罵声を
浴びせられて、それでも生きていかねば
ならないのだろうか?

もうこんな人生、さっさと終えてしまいたい。
まったく生きていたって、何の価値があるのだろうか?

わしは大きくため息をついた。
こんなわしにも人生が楽しかった時期が
あったのに。
気がつくと、わしはひとり、になっていた。
細君は、10年前にこの世を去って、息子は
都会に出た。あいつが最後にうちに帰ってきたのは
10年前だ。そうしてこの間、弟の英輔が
亡くなった。だんだんわしは広い家に一人で
住むのがしんどくなった。植木の剪定、
草取り、あちこち痛んできた家の修理。
わしは、もうそれらが苦痛になった。
そして今まで住んでいた家を処分し
弟の住んでいた家にわしは越してきた。
それでも古い家から引き継いできた荷物は
山のようにあった。処分してもよかったのだが
処分し切れないものもたくさんあって、
最初はひとつひとう見ていたのだが、
やがて面倒になり、あらかたこの家に
持ってきた。

わしはいつまで生きるのか。
いつまで生きればいいのだろうか。

そう思うと長生きすることは決して
ろくなことではない、と思った。
細君や弟のように眠りにつけば、わしの
人生も少しは楽になるのだろうか。

そんなことを思っていたら、涙が出てきた。
一体何を楽しみにわしはこれから生きて
いけばいいのか。
そんな楽しみなど、何もない、と わしは思った。
そう思うと、涙が止まらなくなってしまった。


         ×        ×         ×


こないだ、大学の国文科のときの同級生と、最近の
小説について話をしたのだけど、

一体いつからなのだろう。
小説の中身が
「会話」と「状況」だけになってしまったのは。

だから、「文体」といえるようなものがない。

という以前の問題として、その小説を書いている人に
「どういう文体を目指してるの? 」って聞いて、
「文体って何ですか? 」って逆に質問されたときは
おら、本当にひっくり返ってしまいましたけどね。
「まじかよ。」って、その人の顔を
思わずじーっと見てしまひましたですわ。


仕事柄、あちこちでいろいろな文章を読む機会が
あるのだけど、ホント、最近は、「ああ、読んで
よかったなぁ。」っていう文章にお目にかかることが
ものすごく少なくなっているように感じる。

文章がどんどん痩せていって、骨と皮だけみたいな文章。
そりゃ、小説の中身が、会話と状況説明しかなかったら、
そうなってしまうと思う。文章に奥行きがない。というか
会話と状況説明だけの文章で、そんな奥行なんて
望むのが無理。

そこにあるのは、人の動きの説明だけであって
文章を通して浮かび上がってくるものなんて、ほとんど
というか、何もない。

だから、エッチなシーンを書いてるの読んでも
全然いやらしくないんだもん。何だか
運動会の演技でラジオ体操を
見せられているような気分。
それとか、歌舞伎の殺陣と同じでさ、
もう、完全に「様式」なの。
セックスを様式で描いてどうするよ。

○ンポ勃ちました。ケツあげました。
ローション塗りました。はい、それでは
入れてみましょう。 ずぼずぼ。
ああ、感じますいいですいいです。
あ、いっちゃいました、って、

それだけ。(不毛)

だから、その文章から、読み手の側が感じる手ごたえ、
というようなものが、あんまり(というかほとんど)
ない。文章を読んでいて、触発されたり、インスピレーションを
得られる、といったような、
自分の中の何かに反応を与え得るような作品が
本当に少ないよなぁ、って思う。
どうしてそうなったか、って言えば、文章が説明に
終わっているから、だろうと思うけど。
だから読む側が、すべて規定されてしまって、そこから
広がりが生まれてこないんだもん。

小説の中で、場面の描写は必要なんだ。
その描写が物語の伏線になっていたり、
あるもののメタファーになっていたりするから。

でも、読んでると、そういう描写じゃなくて、
延々と状況の説明しか書かれていないんだもの。

おそらくは、書いている本人が、「描写」と「状況の説明」の違い
っていうことをわかってないのだろうね。あーあ。

というような話を二人でする。
何かどんどん悲惨な方向に行ってるよね、とか。

だけどこれは一面、読者の責任も大きい、って思う。
そういう水準の文章を要求する読者がいない、って
いうことでもあるわけで。
読み手の技量もどんどん下がっていってしまってるし。
ホンマ、文学の世界もデフレスパイラルですわ。

「私、最近の小説って、もう読まない。」
「まぁまぁ。そのうち何か新しいものが
出来てくるかもしれないし、、。」
と、いうような話をして電話を切る。

ひとつ訂正。
先日、女優さんを見に行く、というのを
25日としていたけど、一週間、間違えていて
2月1日の日曜だった。

あーあ。いよいよいかん。
もう、ボケてしもうた。


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Comments

 私が中学や高校の頃って家に帰ったらテレビ、レコード(古い!)、読書くらいが娯楽でした。色々な本を夢中になって読みましたが、今はゲームとかネットとか他にもたくさん楽しいことがあるので、あまり本を読まなくなってしまったんでしょうね。漫画すら面倒らしいですもん。
 私は文学を勉強したわけではないので根拠はありませんが、昔と違ってなんでも自由になってきたので、悲恋とか許されない恋愛みたいなものは成り立たなくなっているのかなと思います。『緋文字』みたいなのって、若い人には前提からして理解できないのではないでしょうか。月にはうさぎさんがいなくなっちゃったんですから、そういう意味では昔の人のほうが豊かだったのかもしれません。音楽もそうですよ、新しい音の響きを追求した結果、やり尽くしてしまった感があるので、現代音楽の作曲者は大変です。聞き手も刺激的な音に慣れて鈍感になっていますしね。今、ハイドンの「驚愕」なんてきっと誰も驚かないのでは、と思います。それ以前に現代音楽なんて聞く人がいませんよね、カラオケでジャニーズですよね…。
 謙介さんの小説、続きを楽しみにしています、でも根をつめてお疲れになりませんように。根気はなくなりましたが、待つのは得意ですから!(いつもダラダラ長いコメントでごめんなさい)

Posted by: アリクイ | 09. 01. 29 at 오후 2:54

----アリクイさん
本当におっしゃるとおりですよね。
楽しみの入り口がもう本当に多様化しすぎて、どれがいいかなんてわかんなくなりました。世の中新しいもの、新しいもの、と追いかけていくのがいいみたいになってて、だからそういう情報の伝達の速度で言えばどうしたって後に来る本は顧みられなくなった、のだろうと思います。けれども、活字は画面で見るのとは違って目に優しいですし、ちょっと待って、って、ページを繰って元に戻って、っていうことが
簡単にできます。本ならでは、のいいところも一杯あるんですけどね。
 それから、やはりおっしゃるようにタブーとか恥じらいというようなものがどんどん無くなっていますよね。(それがいいことなのか、悪いことなのかは、ちょっと措くとして。)その結果、堪える、といったようなことが無くなって、そうしたところからにじみ出てくるような感情のほとばしり、っていうのもわかんなくなっているんじゃないか、って思います。
 謙介の考えは、何でもかんでも拡げて見せりゃいいものでもない、とも思うんですけどね。
 

Posted by: 謙介 | 09. 01. 30 at 오전 12:35

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