2008年の終わりに
このあいだ2007年から8年になった、と思ったのに
もう2008年も後、少しになってしまいました。
今年は何かジェットコースターに乗ったような一年だった
というのが、俺のこの年の印象です。
このところ、ご心配をおかけしました。
本当に申し訳ありませんでした。
割とのほほん、と生きてきたつもりだったんですけどね。
ちょっとこのところきつかったことがいくつかありまして。
根本的な解決はしていませんが、
とにかく、前向きにならないと
解決だってできないでしょうし、
立ち向かう力だってできないでしょうし。
仕事場ではもちろん、そういう自分の内面のことは
一切出さないで仕事をしています。(まぁ当たり前ですけど。)
なので、そういう事情を知らない人が
いろんな用事を頼みに、とか、相談をしに来られました。
そういう話を聞いたり、仕事を処理していると、自分の
ことも忘れることができます。
それは、姑息な方法と言えば方法ですけど、
「とりあえず」はそれでいくしかないのだ、と
思います。
そういうおかげで、人の用事をあれこれしている
うちに、少し気持ちの風向きも変ってきたかなぁ、
と思います。
お言葉をくださったり、表立ってそういうことは
なかったけれども、気にかけてくださった方もおいでになったこと
と思います。そういう方のことを
俺は忘れはしません。本当にありがとうございました。
しかし、それにしてもまるっきりきりもみ急降下でした。
そんな気持ちは沈んでいるいるときに、
仕事場の別のセクションの女の子が
俺のところに来ました。
俺も彼女も違うセクションではあるのだけど、
△△くんが最近、彼女にアプローチを盛んにしている
ということです。
その△△くんは4年前にうちの仕事場に就職した人です。
いつもニコニコしていて、そつなく仕事はこなす、という
くらいしか俺は知りません。
「あの人、どう思います? 」 と言うのが彼女の話でした。
「どう思う、って? 」
「いや、同性の目から見て、人間的にどうなのか、って。」
俺は、正直に彼のことは仕事の上でしか知らない、
といいました。
「謙介さん、って、人を見たり、してるでしょ?
そういう目から見て、どうか、って教えて欲しい。」
ということでした。
先週の金曜日、仕事場の忘年会が
ありました。いつもは欠席にしていたのですが、
今年は、俺も仕事場の福利厚生係の一員なので
係りを仰せつかっていました。出ないわけには
いきません。
まぁ、気分も落ち込んでるし、バカ騒ぎして、
というのもいっか、と思ったりして参加することにしました。
その時、たまたまその△△くんと
同じテーブルになることができました。
いろいろな話をしたり、俺が聞いたりしました。
ふーん。こういう人だったのか、と
思いました。
月曜日、彼女がやってきて聞きます。
「どうでした? 正直に言ってくださいね。」
「うーん。正直言うと、止めたほうがいいかもしれないねぇ。」
という話をしました。
彼のことを詳細に書くと、悪口のようになってしまいますから
さわりだけ言うと、
「彼は、おそらく自分以外の人間に興味があるとは思えない。」
ということでした。
「確かに、付き合いたい、って言ってはきたんだろうけど、
それは、あなたの内面とか、気持ちとか、そうした
部分に惹かれた、っていうんじゃなくて、
ただ単にもういい歳になったし、おつきあいする彼女が
いてもいいんじゃないか、っていう程度のことみたいだよ。」
彼と話をしていて俺はそういうことを感じました。
本当に人間って、人さまざまだなぁと思います。
外面はやたらいいけれど、もし付き合うことに
なったら、自分勝手なことしか言わない、考えないヤツ。
外面はいいけれども内面がサイテーっていうヤツ。
見た目は全然パッとしないけれども
気持ちは本当にいいヤツ。
いろいろですよね。
その彼は、どうも徹頭徹尾自分のことしか
興味とか関心がないようでした。
「ただ、それが若さゆえの視野狭窄の状態なのか、
それとも、多分ずっとこのまま、彼がおっさんになっても
そういうエゴナルちゃん状態でいくかはわかんないけどねぇ。」
とは言いました。
「エゴナルちゃん、ってなんですか? 」
「エゴイスティックなナルシスト。」(爆笑)
いつも言ってる話ですが、
相手のことを本当に好きになったかどうか、
なんて見分けるのはそう難しいことでは
ないように思います。
顔がどうの体形がどうのなんて、本当に
相手が好きになったら、そういうことは
一切関係のないことだと思います。
好きになるのに相手のことを
一々顔がどうとか、身体がどうとか
言っているうちはまだそれは本当に
相手のことを好きになった、とは言えない、
って思います。本当に相手を好きになったら
そんな細かい条件なんて、一瞬に吹き飛んで
しまうもの。だから、「好みのタイプと
付き合う相手が全然違ってた。」なんて
いうことだって起こるわけですよね。
そういうところで選り好みをしている
ということは、まだ恋愛をするために
内面的な成熟が完了していない、
ということがいえるかもしれません。
だから、そういう外形ではじまったような
お付き合いは長続きしない、と
いうことになったりするわけですよね。
すぐに別れる、っていうのは
形と条件でしか相手を見ていないからでしょう。
自分に本当に合うタイプ、っていうのを
考えないといけないんじゃないですかね。
それを考えずに、外形だけで帳尻あわせをしようと
するから、すぐ破綻するのだと思います。
「謙介さん、でもどうして、そういうふうに
彼がどうして自分のことだけしか興味がない、
って分かったんですか? 」
と彼女が質問しました。
『ゲイって殊にそういう人が多いもん』って言おうかとも
思いましたが(笑)
「おっさんの勘ですね。」
って言っておきました。
言ってから、少し思いなおしたのは、ゲイでなくても
そういうヤツ、結構出てきているんだ、
ということでした。
自分にしか興味がない、って、
やっぱり人間、社会生活を送ろうとすれば
当然、他者の存在っていうのが
あって、その他者とどう関係を結んでいけば
いいのか、っていうことを考える、ということは
人間の発達の中でやっぱり大切なことだと思うし、
そういうのが、いまだないまま、っていうのもなぁ、、。
そういうことで、ちょっと考えたほうが
いいんじゃないか、っていう話をしました。
「ありがとう。参考意見として伺って
おきます。」 そう言って彼女はまた戻っていきました。
そんなことがあったり、
来月、学会の発表を聞きにいくに
あたって、ちょっとそのための事前勉強も
しておかない、と、って思っています。
最近世の中は格差社会だ、と言われて
久しいのですが、
文学の研究なんて、はっきり言って
最初から格差構造です。
俺の恩師にも、先輩にも、もう何度も何度も
言われ続けてきたことですけど。
あのね、文学の研究なんかしようと
思ったら、貧乏人はできないんですよ。
まず、じいさん、父ちゃん、がそういう
家で普通に文学の話をしているような家庭でないと
いけません。つまり、家庭環境というか
家の文化構造がそういうものを普通に尊重
できる家であること、です。文学というのは
その人だけ、というのではありません。
そういうふうにその家庭に本を読む、とか
文学の話を親とする、といったような
何代にもわたる文化的な背景が
ないと、無理です。
それから、家にお蔵のひとつやふたつあって、
莫大な資産があって、
一生仕事に就かなくても、のほほんと
本を読んで、生活できる経済的な裏づけが
あること。
大体文学なんていうものは、実学じゃ
ありません。「は」と「が」とどっちがいいのか
なんて言うようなものを論じるのですから
全然生活と直結しない、わけです。
そういうふうな「どうでもいいこと」を普通に
するためには、仕事をしないでもやっていける
お金が必要なわけです。
実際、文学の学会で主要な地位にある人とか
研究で名を成した人、というのは、
実は、地方の資産家とか、先祖代々そういう
文学者の家系だった、とかそういう人が
多いんです。
だから俺、はっきり言われましたもん。
国文科で、そういうふうに家が金持ちでもない、
家庭に文学の文化的な雰囲気がない
ような家のヤツは、研究するのしんどいぞ、って。
覚悟はあるか? って。
そんなことを言われたの、もうウン十年も前の
ことなんですよ。
文学研究なんて、最初から格差構造だし、、。
そんなもの、今にはじまったわけでもなくて
ずっとそういう格差の構造です。
とはいえ、そうでない俺があきらめる、というのも
ちょっと腹が立つわけで。(笑)
ビンボウニンの逆襲をしたいと(笑)
近いうちにそのための調査にも
いかないといけません。
そんなことを考えていると気持ちも少し
浮上してくることができたように思います。
その報告はいずれまた。
昨日、石油ストーブの石油が少なくなってきたのと
ガソリンを入れようと思って、近所のセルフ方式の
スタンドに行きました。
石油が1リットル57円。ガソリンが94円でした。
家計簿をつけているので、ちなみに過去のを見てみると
去年の12月がガソリン1リットル145円 灯油は90円
一度暫定税率の問題で下がったものが5月6日から
ガソリン1リットル150円。
8月10日には176円。
で、今が94円です。
で、将来的にガソリン価格はどうなるのか?
と問えば、専門家の人も最低10年は100円前後で推移する
という人もいれば、来年にかけて再び急上昇する
という人もいます。
専門家だって、言うことがいろいろ。
ということは、誰も先の見通しなんて
想像がつかない、ということなのでしょう。
自分の内面も激しく揺れましたが
生活全般にわたって、この2008年という年は
ジェットコースターでしたね。
まもなく降誕祭です。
みなさんはどんな降誕祭でしょうか?
それでは、また。
(今日聴いた音楽 「愛の水中花」 歌松坂慶子
1979年 音源はレコード あの頃の松坂さんと
篤姫の松阪さんとは、、笑。ちなみに近所の
中学生に同じ人よ。って言ったら、驚愕して
いましたけど。)
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Comments
気持ちの辛い時はむりしちゃいけませんよ!
ストレスで弱っているときはその人が普段理性で抑えている、嫌なところが全開になるそうです(精神科の医師のうけうり)。ネガティブになるのは仕方がないことのようですよ。謙介さんの優しくて真面目なお人柄はブログから伝わってきますもの、だからこそ悩まれるんでしょうね。
私の夫も同じことを言われたそうです、そのうえ語学も絡んできますし。本は読みたいと思ったとき、手元にあるのが大事と…結局我が家は本の山です。文学は蓄積する学問ですから、「ウチの若手」が下手したら60代だったりしますでしょう?謙介さん、まだまだ若手、いえいえ老大家(80,90だったりしますよね)からしたらひよっこですもん(失礼!)これからですよ。
今日はクリスマスイブ、主のご降誕とともに謙介さんのもとに幸せと平和が訪れますように、たくさんお祈り致します。
Posted by: アリクイ | 08. 12. 24 AM 10:34
書き捨てのようで恐縮ですが、
メッセさせていただきます。
何かの一大事に、全身で戦ってらっしゃる…
そのことにひそかにエールを送っています。
「自分のことしか興味がないナルちゃん」
に嫌悪を抱いてらっしゃることが読み取れます。
理路整然とした分析にこうべをたれつつも…
少し気になりました。
「なぜ自分のことにしか興味がない」と
決め付けてしまい、そしてそれを許せず、
怒りがこみ上げてしまうのでしょうか。
侮蔑せずにいられない気持ちになるのでしょうか。
僕の周りにはそういう人もいますが、
そんなに多くもありませんし、気にもなりません。
取り乱すほど腹が立って仕方がない、
しかも矢継早に、自分を不快にさせる人間が
目の前に現れてきたとき、それは
まさしく自分の鏡なのだと、僕は思います。
人と人がかかわるとは何なのか、
自分とは何なのか、
コミュニケーションとは何なのか、
意思疎通とは、何なのか。
「分かり合う」とは何なのか。
大人として、人と関わりあうとはどういうことなのか。
なぜ人は、僕は、誰かとかかわりたいと思うのか。
人とかかわることで、「僕」は何を求めるのか。
相手は球を投げるくせに自分の球を受け取らない
ということに腹が立つとしたら…
自分の定義、「人と人とはこうかかわるべきだ」
という考えを相手に押し付けているだけで、
自分に理解できない返しを相手がすることを、
許容する広さがないだけだと思います。
やっぱり鏡です。
そう、まさしく僕、自分のことです。
自分以外に興味がない人間を、
自分が期待し、「自分にもたらすべきだ」と、
勝手に僕が期待しているものをくれない人間を、
こそ、
人として親愛の気持ちで接することができれば、
僕の人生ももっと生きやすくなるだろうと
思いました。
まず自分を犠牲にし、
必死に相手の期待に応えることで、
相手の望むものを与えたのだから、
こっちのわがままも受け取るべきだ、
という下心が、虐げられた幼少の記憶から、
特に恋愛において噴出してしまい、
自分でも制御できず、関係をまずくしてしまう、
そんな自分の弱さに思いを馳せます。
より自分の望みと気持ちを明確にし、
相手のニーズに応えるより前に、
僕は自分の感情を大事にしたいと思います。
一見逆のようですが、僕はそう感じます。
勉強になりました。
ありがとうございます。
Posted by: shin | 08. 12. 24 PM 12:53
---アリクイさん
お言葉ありがとうございました。真面目かどうかは、ちょっとおきますが、文学なんかやってるために、つい突き詰めていろいろと考えたがる、という部分はあるのだと思います。姉なんか見ていると、その辺はもう適当に流してしまって、っていう部分もあって、時々「なんでそんなしんどいふうに自分を持っていくのよ。」と言われたりもするのですが、因果なことです。そういうふうにもっていくところがあります。
本は、そのお気持ち、すごくよく分かりますし、実際そうじゃないですかね。書店で見たり、ウェブで検索した時に、ヒットしたら、もう即座に買っておかなかったために、後から、、でもう本が手に入らなかったことが今までに一体何度あったことか。 少しは学習したこともありまして(笑) そういう時は、さっと本を買うようにしています。
Posted by: 謙介 | 08. 12. 24 PM 7:23
---shinさん
多分、shinさんは本を読まれているかもしれませんね。発達心理学関係の本って。
まだshinさんは若いです。若いうちの人間関係というのは、
自分と組織であったり、自分と相手だったりするわけです。必ずそこに「自分」というものがあって、それに対する相手、とか団体だったりするわけです。だから、そういう意味では、あくまで「自分の問題」って言えるようなことだと思います。
ですが、これ、前に書いたのですが、おっさんになってくると、
自分と相手だけの問題では済まなくなってくる場合ができるわけです。自分の主義主張はとりあえず、消して、他の人と他の人がどうやったらうまく仕事が出来たり、コンディションがうまく行けるか、そんな「調整」ということだって入ってきます。
もっと言ったら、例えば親の介護の問題だって起きてくるように
なるかもしれない。そうなったら、自分はどうのこうの言っていられないんです。人間ですから、思うこと、感じることだって一杯あります。だけど、そういうことを一切停めて、世話をするときはしないといけない。そういうことだって歳を取ると起きてくるんです。自分はどうあれ、まず人の気持ちを優先する、そういうことが歳を取ると、行きがかり上、どうしてもしないといけない立場になってくるんですよ。そういう時にね、「ボクは自分のことだけしか考えられない。」 なんて言ってたら、どうなります? 相手のことも考えて、もちろん、自分のことも考えて、っていうふうにいろいろな立場から複合的にものはみないといけないようになってくる。これは、もう謙介の毎日の仕事の中での実感です。
20代の頃は、単純でよかったのですが、正直、それでは組織は回っていかないし、生活だって円滑にいきません。
その一方で、こないだ心理学を勉強してる人と話をしたら、そういうふうに、他人と関係をうまく築けない、とか、自分の意見を相手にうまく伝えることができない、という人が増えているのだそうです。そういうことって、どこかで練習をしていかないといけないことなんですが、そういうことができていないまま、大人になった人が多くなってる、というような話を聞かされました。
shinさんはこれからの人です。 それに、そういうことを考えていらっしゃるのであれば、すでに「気づき」があるわけじゃないですか。焦ることもないし、慌てることも要りません。どうぞshinさんは、今のペースでいろいろと考えながら、前に向かって進んでいってくださいね。コメント、どうもありがとうございました。
Posted by: 謙介 | 08. 12. 24 PM 7:43