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08. 11. 04

暫時休憩

出張の話は後、後半があるのですが
そのことも書かないといけないし、それより前に
友達とうどん屋めぐりをしたことも実はありまして
そのご報告もあるのです。
ですが、
ずーっと旅行の報告ばかりでも、
ということで、今回は気分を変えて
この連休中のことを
少し書くことにします。

土曜日は、久しぶりに実家に戻って
ゆっくりしていました。
ただまぁ、大学の時の先生が近く本を
出すので、その校正を頼まれてしています。
その作業を午後から、ずっとしていました。
うちのセンセイが、非常勤講師で、R谷大学と
O谷大学で仏教民俗論を講義した時の
講義ノートなのです。

Kousei


自分の頭に構成はできている。
言いたい内容も分かっている。
だけど、本人は、あまりに当然で
分かっている部分は記述をすっ飛ばしてあるわけです。
それを後から全然知らない人間が読んだら
A→ B→ C→ D とはいかず、
A →D→ K ってなってる。
論理の飛躍があちこちにある、ということなのです。

謙介のする仕事は、
その飛躍してある部分に言葉を補って
はじめて読む人間にもちゃんと論理の
行き先を明確に、そうしてこなれた
分かる文章に直すようにすることです。

確かに難しいところもありはするのですが
(何せ専門が違うから)
でも、読んでいて結構勉強になるなぁ、と
いうことはありましたですね。
よく思想史の人が陥ってる問題なのですが
思想史の人って、結局のところ紙に書かれた
資料からだけでしかあれこれと解釈しないんですよ。

それだと、じゃあ字を書けなかった庶民とか、記録を残せなかった
街の人たちの考えは? ってなったら、そういう部分のことは
まるっきり考慮に入れてなかったりします。

だから俺、そういう一面だけしか見ないで、その時代の
思想史を語る、ということは、考えてみたら
ものすごい欠落があると思うし、一面のことしか
見えてないわけで、それをして総括してその時代の
思想と呼んでしまっていいのか、って言ったら
すごく疑問に思うわけです。
じゃあ、その部分はどうしなくちゃいけないか、
となったら、考古学とか、民俗学の成果を
取り込むしかないでしょうね。

でも思想史の人って、そういうフィールドワークって
ほとんどしませんよねー。思想史の人が民俗調査をした
なんて俺、寡聞にして聞いたことがありませんもの。
どうしてなのでしょう???

うーん。
面倒くさがってるのか、雨風に吹かれて農家を回ったり、
田舎の家に行って、じーさんばーさんの話を聞くのが
苦手なのかは知りはしませんけれども、思想史の
人ってそんなことを一切しません。

そういう思想史の人のやっていない弱点を
この本はどんどん突いてあって、文章を直す、っていう作業を
しながら、俺も結構楽しかったです。


日曜も大体一日、そのことをするはず、だった、
のでしたが、、、。

朝、ぼーっとした頭のまま、テラスで
洗濯ものを干していたのです。
すると、サイレンが聞こえてきました。
あ、火事かなぁ、と思いました。
普通なら、そのサイレンの音は
ドップラー効果っていうんでしょうかね。
音程ががだんだん変っていって、やがて音が小さくなって
聞こえなくなるはず、だったんです。
ところがサイレンの音はいつまで経っても、
小さくなりません。
そのうち、近所で飼っている犬が、サイレンにあわせて
一緒に吼えるようになってきました。
あれ、あれ、と思っているうちに、
どんどんサイレンの音は大きくなっていって、
うちの近所で、ブツンと音が消えてしまいました。

物見高い、近所の人がみんな出てきました。
そう、知っているかぎり、全員出てきていました。
玄関に出たら、うちの家の前にこんなものが止まっていました。


Uukankan


あれま。

そうしているうちに、確かに木の焦げる、というか
焼ける臭いがしてきました。
150メートルくらい南に文化住宅、というか
アパートがあるのですが、そこから煙が出ています。

火事だ。
(消防車が来ているのですから、そんなもの火事に
決まっているのですが。)

幸い通報が早くて、処置も大事になる前に
適切に取られたからでしょうか、
大規模ものになるまえに、何とか食い止められた
ようでした。
それでも、消防車とともに、救急車も
パトカーも来ました。
煙を吸ったのか、どこか怪我をしたのか、
その家の人が担架で運ばれていくのを
見ました。

朝からびっくりしました。


それからはいたって普通の休日で。
お天気もよかったので、布団を干したり、
校正の続きをしたり、
次の日の準備をしたりしていました。


月曜日は、コンサートです。
コンサートを聴きにいくのではありません。
ステージで歌を歌うのです。
誰が、って、俺がですが、何か?(笑)
今年も所属している合唱団のコンサートが
ありまして、一発、ステージに立って歌ってきました。
まぁ、いっぱつ、だって。
今年は県の芸術祭参加公演です。
なんたって「おげいじゅつ」です。

Hall1

もう、舞台で歌うのも、今年で22回目ですから、
行くのも慣れたものです。
いつものように服やら靴やらシャツを
チェックして、ホールの楽屋に向かいます。
ステージで立ち位置のチェックをして
ストレッチをして発声練習をして
合唱だけの練習をします。

その後、オケのメンバーも入って
合同のリハーサルをします。


Hall2


昼ごはんを摂って、
しばらくくつろぎタイムです。

他の合唱のメンバーは寝たり、
ゲームをしたりしていましたが、
謙介だけ赤ボールペンを握り締めて
楽屋で必死で校正をやっていたことは言う
までもありません。
さて開場が1時半で、開演の2時になりました。
舞台袖に集合です。

Hall3

去年も書いたのですが、

合唱の団員の人と空き時間に
話をしていると、みなさん、本当に
100人いれば100のさまざまな
人生とか生活を抱えておいでです。
親の介護はあるけれど、でも、、とか
病気を持ってはいるけれど、それでも
歌が好き、音楽が好き、とか。
目が見えず、白い杖をつきながらも
ちゃんと練習に来て、歌を歌っている、という人。

若いころならいざ知らず、
30代も後半とか40代になってくると、
それなりに自分だけでなくて
自分を取り巻くさまざまな人生の問題、っていうのが
大きくかかわってきます。

20代、30代前半は、自分の問題だけ
抱えていたり、考えていればよかったのですが
40代、を越えると、自分と、自分を取りまく
周囲との関係をどうするのか、という問題が
大きくなってきます。一人の問題ではない、わけです。
一人のことなら、自分で決断をすれば、済みますが、
他の人間との調整、ということだって出てきます。

それは決して自分の思ったようにはなりません。
自分がこうしたい、と、言っても、相手は嫌、という
かもしれない。
でも、その相手とかかわっていかなければならない。
そうした時に、決して頭ごなしの、
ダメ、嫌、っていうことは言えないのです。

でもね、それを見て、若い人たちは言うわけです。
オッサンって優柔不断だ、とか決断が遅い、とか
いつも先送りにするじゃないか、って。
自分のことだけの問題だったら、
さっさと決断だってできるんですよ。

だけど、30代40代になって任される仕事って、
自分だけでなくいろんな人との調整が要るように
なってきます。
1対1ではなくて、1対5とか、1対10とかだって
出てくるわけです。そうした調整をするのも
大人の仕事だったりします。特にね、
30代後半から40代になると、そういう他のとの調整、
というような仕事が多くなってくるんですよ。
それをどういうふうにこなすのか。
それはある意味、人間、そのものに対する理解もないと
できないことです。こういうふうに言ったら、相手を
傷つけるかもしれない。こういう持って行き方だと
相手は受けてくれるだろう、とか、予想をして
そういう交渉の仕方だってするわけですよ。
普通に言ったんじゃダメ。
それなりの交渉術が必要になってきます。
負ける、勝つ、というようなことではないのです。

そういう調整って、
すごく難しい。
その中で、一つの方向を見つけ
その方向に組織を持っていかなければなりません。

若い時は「自分のことだけしていたらいい」のですが
だからさっさとできるわけですよね。あくまで自分の
問題だけだから。だけど、
歳を取る、というのは、
そういう調整的な仕事をしなければならない、という
お役目が回ってくる、ということもあるわけです。

出張の会議のこととか
合唱のメンバーの話を聞いていて、
やっぱりそんなことを改めて思ったりしたのでした。


ということで無事に公演終了でした。

Hall4

(終わってからの、知事・市長・指揮者・ソリストの方々との話です。)


毎年一度ですが、
ステージに立って、歌を歌うということは
自分にとって、生きている、という確認をする
という大きな意味のあるものだと思っています。
また来年も歌えたらいいなぁ。

×     ×     ×


うちのブログと、リンクしてくださっている
ターザンが教えてくれた」のb-minorさんから
手作りの石鹸をお贈りいただきました。


Soap

謙介、ずっと化学合成のシャンプーとかは
使わずに、北九州の某メーカーの石鹸シャンプーとか
石鹸を使ってきていて、石鹸が好きな
人間だったのですが、
そうした工場で作られたのではなくて、
b-minorさんが、原料を調達して、香りも選んで
それで作った、という貴重な石鹸です。
本当に香りからして全然違う、という感じです。
それになんとおしゃれなパッケージングなんでしょう。

お気持ちをありがたくいただきながら
大切に使いたいと思っています。
b-minorさん、どうもありがとうございました。

(今日聴いた音楽 雨の御堂筋 歌 欧陽菲菲
 誰もあんまり指摘しないことだけど、言うまでもなく
 「欧陽」が苗字です。名前が菲菲。 中国にしては珍しい
 二文字の姓ですね。 書家に「九成宮」を書いた
 欧陽詢という人がいますが、その人と同じ苗字
 ということですね。 この曲、大好きです。)

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Comments

こんなお披露目していただいて
何だか恥ずかしさと恐縮で
もじもじとしておりますです。

石けんを作りということで
自分が一番気に入っている部分は
使ったらなくなってしまうって事です。
いつまでも形に残らない、
それはとても素敵なことではないかと
そんな風に思うわけです。。。

どうぞ遠慮なく使ってやっていただけたら嬉しいです。

Posted by: b-minor | 08. 11. 05 PM 7:13

今頃のコンサートというと、第九か少し早目のクリスマスオラトリオあたりでしょうか、第九は大学時代に歌ったのを懐かしく思い出しました。私は声楽を専攻しましたのでコンサートではほとんどソロでしたが、コーラスはひとりで歌うのとは別の楽しさがありますよね。健康にもよろしいので是非お続け下さい。
石鹸、素敵なラッピングで送り主のセンスと優しいお人柄がうかがえますね。我が家も基本的には石鹸使用ですが、石鹸シャンプーは勇気がなくて手が出ません。フランスにおりました頃、スーパーで昔ながらのマルセイユ石鹸が売られていて、全身洗える上、食器洗いにも洗濯にも使えるということでした。さすがに食器は洗いませんでしたが、使い心地が良いうえ大変お安かったのを思い出しました。

Posted by: アリクイ | 08. 11. 05 PM 9:53

---b-minorさん
本当にありがとうございました。香りを愉しんでおります。形が残らない。うん、それいいですね。だけどね、b-minorさん、
目の前の形は消えてしまうんですが、そういうのって、記憶にちゃんと刻まれていて、何かの時に、匂い立つように、はっきりと思い出したりするものです。おそらくは、この石鹸を使わせていただいた後に、この使った記憶というのは頭のどこかに残っていることになるんじゃないか、って思います。
大切に使わせていただきます。ありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 05 PM 10:12

----アリクイさん
そうですそうです。ベートーヴェンの交響曲の9番です。 実は、前々から、いい加減第九じゃなくて、ヘンデルのメサイアくらいをやろうよぉ、と言ってはいるのですが、つい(笑)やっぱり第九に流れてしまうんですよ。やっぱり歌い終わった後の心の浄化作用がすんごく大きい、っていうことがあるかもしれません。第九だと、歌ったわー、って言って、すっきりします。(笑) 前に聞いたことがあるんですが、同じ石鹸でも、食器洗い用の石鹸は、管轄が「通商産業省」で、手洗い、身体洗いのための石鹸は「厚生労働省」の管轄だそうです。(アホみたいですよね。)だけど成分的にはほとんど同じなんだそうです。ただ用途が違うだけ、ということでした。
でも、マルセイユ石鹸は、b-minorさんにお伺いすると、その作り方、作った後、石鹸が石鹸として使えるまでの熟成期間とかも必要で、工業製品的な石鹸とは違う、というお話でした。手作りの良さ、というようなことがあるんだ、と改めて思いました。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 05 PM 10:19

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