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08. 11. 11

奈良をまわる(その4)

奈良お散歩ツアーの続きです。
近鉄電車を大和西大寺で降りて
東に向かっているところです。
南には平城宮跡の広大な土地が
拡がっています。
昨日はナラペミリだの、家持さんの話だのを
しておりました。

話をもとに戻しましょう。
この平城宮のさらに北のあたり、
この辺は、古墳も結構たくさんあります。
そんな古墳のいくつかを今回回ろうと思ったわけです。
そういうことで、大和西大寺の駅の北西にある秋篠寺は
方向が違うから、ちょっと見送ろうか、ということに
なったのでした。

平城京の跡から北に上がります。
見えてきたのが、平城天皇の古墳です。
平城天皇と言うと、すぐに思い出すのは、薬子の乱ですね。


Heizei


平城天皇の御陵に参拝して、次に行ったのが
コナベ古墳です。

Konabe

ここは、誰の、御陵か、ということは
今のところはとりあえず不明です。
ですが近くのコナベ古墳とともに、聖武天皇の前の
中継ぎ天皇だった「元明・元正」の二人の女性天皇の
墓、とされた時期もあったようです。首皇子を(のちの聖武天皇)
天皇にさせなきゃ、っていうので、とはいえ、まだ彼が小さかった
ために、言い方は悪いのだけど、とりあえずその間の
つなぎという形で天皇になったのが、この元明・元正の
二人の女帝です。
古地図を見るとそういう二人の天皇陵墓だという記述の
地図がありました。

そのせいで今もこの二つの
古墳、宮内庁の陵墓参考地になっているようです。

それからさらに北のほうに行くと、もうひとつ
女性の御陵があります。

Iwanohime1

じゃーん。
仁徳天皇の奥さんの磐之媛の御陵です。
磐之媛というと、もうとっても恐ろしい奥さん、というイメージが
ありますよね。(笑)


仁徳さんもねぇ、、。
奥さんの磐之媛さんがちょっとお外に旅行に行ってる隙に
八田皇女(はったのひめみこ)さんを宮中に入れちゃったわけですよ。
そーれが、後で磐之媛さんの知るところとなったわけです。
そうすると、磐之媛さん、怒って、「私、実家に帰らせていただきます!」
と言って実家に帰ってしまった。
仁徳さん、浮気がばれて急におろおろです。

(まぁ、なんて 性根のすわってないオトコでしょう。笑)

帰ってきてくれよー、帰ってきてくれよー、
って言うのですが、なんたって気性の激しい磐之媛さんはぜえええええったいに
帰ろうとはしません。

仁徳さんがおろおろするのも分かりはするんですよ。
磐之媛さんの出は葛城氏でした。葛城は軍事をつかさどった部族です。
しかも朝鮮半島から渡来した人々を掌握している部族です。
先進文化だって、先進情報だって持っていた。
まぁ言ったら、シンクタンクと軍事関係を敵に回したようなものですからね。
それでおろおろしてしまった。
結局、磐之媛さんは仁徳さんの元には戻らず、別居のまま
の状態で亡くなってしまいます。


Iwanohime2

ふふふ。どろどろした三角関係ですねー。
奥さんの留守にこっそり浮気して、、ばれちゃったなんて。
まぁどこにでもあるような話ですが。

こんなことが日本書紀とか古事記に出てるわけです。
まぁねぇ、人間のすることなんて、こういうふうに時代を経た
ところでも、変わらない部分だってあるんですよ。
だから古典とか、昔の話、って言ったって、
案外今に通じる部分だってあるんです。
まぁ三角関係が今に通じてもなぁ、、ではありますが。(笑)
その片方の当事者のお墓がここ、ということです。

磐之媛御陵から、少し行くと、現代の軍隊が。(笑)

Iwanohime3

21世紀の今も相変わらず「軍事関係」から
縁の切れない磐之媛さんですね。(笑)
そこからウワナベ古墳を見て、これで古墳見学は
おしまいです。
Uwanabe


このあたりで、佐紀路から、佐保路へ。
長くなりましたので、今日はここまでにします。


          ×         ×         ×

軍事と言えば
先週のはじめ、あの問題になったとかいう
自衛隊の人の「お論文」を読みました。
論文というからには、論文の形式に沿って文章が
書かれているかどうか、まず見ないといけません。

論文の形式というのは、

まず、先行研究の提示があって
それに対して著者がこの論文でどういうことを述べるか、
というテーマの提示とか立場の説明があって、

次に本論として
仮説、さまざまなデータ、実験、といった、その仮説を裏付ける
実証が示されて、

こういうデータ、事実、報告などがあるから、
こういうことが言えるのだぁぁぁ、と
最後に結論づける。

というふうに論が進まないといけません。
論文だったら少なくとも
こういう書き方が要求されますよね。


しかし読んだのですが
あんなもの、そんな論文の形式にさえなっていませんでした。
俺の友人もみんな言ってましたけど、
あんなもの論文以前の代物じゃないか、と俺も
思います。それこそ感想文かエッセイですね。あれでは。
情けないもの書くなよな。っていうのが、感想の1

次に内容についてなのですが、
思ったのは、あの書いた人だけでなくてどうせ
自衛○の人って、ほとんどみんながああいうふうに
思っているんじゃないの? ということでした。

だってさ、俺、前に市ヶ谷のあそこに見学に
行ったんですけど、見学の最後に、太平洋戦争のときの
軍の上層部の指導者を顕彰している石碑を
いっぱい見学させられたんですよ。

そのときに、広報担当の人から
太平洋戦争はアジアの独立のための戦いであった、と
聞かされたんです。決して侵略戦争なんかじゃなかった、と。
つまり広報担当の人が表立ってそう言った、
ということは、それがあの役所の公式見解なのだ、
って思います。

そういう省内の共通認識があるからこそ、
今日だって本人が何の罪悪感も
感じていなくて、平然としていたわけですよね。
そりゃそうでしょう。
役所全員、そう思ってるんですもん。


政府見解と食い違っている人をトップに据えた責任、
っていうけど、じゃあ、逆に、政府の公式見解どおりに
思ってるあの役所の人間なんているんでしょうかね? って
思います。そんなもの探したっていやしないんじゃないか。


ただまぁ、程度で言えばですよ。
あのやめさせられた人みたいに、
思ってたことをはっきり何かに表現して言う人間と
あんなふうに本音を言うと、自分の身がやばいから、
黙っているか、それくらいの差しかないと
思うんですが。

それが感想の2 でしたね。

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Comments

あんまり関係ないコメントになりますが、
あの人の苗字、忘れることが出来ません。
顔はもうぼんやりなのに(笑)。

本当、全然関係ないコメントでごめんなさい…。

Posted by: ヒシ | 08. 11. 11 PM 10:48

---ヒシさん
顔は茫洋としていますが、その分を補って余りあるという名前ですね。タモガミさんですか? 多分同僚からはタモさんとか言われていたんでしょうか? でも、自衛○だから、そういうことは言いませんかねぇ。
だけど、あの人、位が高かったから60まで勤められたけど、普通の自衛○なんか50代で定年ですもんね。それでいったらやっぱり特権階級ですよね。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 12 PM 10:32

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