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08. 11. 12

奈良をまわる(その5)

やっぱり、このところちょっと
動きすぎだったようで、その反動が来たみたいです。

とりあえず、この奈良の話を終えて、ひとまずの
区切りをつけたいと思います。

さて、古墳の見学を終えて、自衛隊の前から南に下がって
行きます。


Hokkeji1

最初のところで奈良という街は
自転車に全然優しくない街だ
と書いた理由が、この写真を見てもらったら少しは
分かっていただけるのではないかと思います。
路側帯の外側、もうほとんど余地がありません。
こんなところを歩くのは、車道にはみ出して歩かないと
歩くのは無理です。
両側とも歩道なんて全くありません。

仕方なく車道を歩いていると、
その横をものすごいスピードでバスや自衛隊の大きな
車がビュンビュンと通って行きました。恐かったです。

せめて、歩道と車道の区別くらいあれば、とも
思うのですが。

さて、古墳めぐりの後はお寺めぐりです。

海龍王寺の前に着きました。

Kairyuouji1

和尚さんは、修理をしたいけれども
その修理をするお金がない、と
おっしゃっています。


唐招提寺とか薬師寺になると
ああやって鑑真和上像のドサまわりツアーをやったり、
ご本尊を建物修理中に東京移動出張公開をしたり、
そのほか、鑑真グッズを売ってある程度の資金を
儲けることもできますが、そこまでの有名な
ウリがないお寺は、そういう資金を集めて
修理、というふうなことは無理、というのが
実情でしょう。
唐招提寺がああいう「お商売」をしたのは
そうしたお寺の経済的な基盤を何とかしたい
というそろばんをはじいたからでしょう。
それはそれで分かりはするのですが、

でも、そんなお商売に走るお寺より、
こうしたたたずまいのお寺のほうが
俺は好きです。

門を入ると、こんな感じです。

Kairyuouji2

本堂に入って、お参りをしました。
ここのお寺のご本尊は観音さまなのですが、
秋のこの時期だけ公開されます。
ここのご本尊は昭和28年まで秘仏だったとかで
保存状態がよく、まだ像の各所に色が残っています。
お参りを済ませて出てみると
一時やんでいた雨がまた少しパラパラと降ってきました。

Kairyuouji3


しばらく本堂の軒下で休ませていただき
元気を回復したところで、今度は
すぐ西側の法華寺に参りました。

Hokkeji2


ここは尼寺です。
元々、奈良時代に仏教を国教とする
中央集権国家を目指したこの国は
地方に国分寺と国分尼寺を建てました。
そうして奈良に総国分寺として金光明四天王護国之寺
(こんこうみょう してんのうごこくのてら) を建て
(これが東大寺のことですね)
総国分尼寺として法華滅罪寺(ほっけめつざいのてら)
を建てたわけです。

その法華滅罪寺の寺が法華寺
ということです。

Hokkeji3

ですからこの寺は最初のできる経緯からして
尼寺としてあった、というわけです。

実は、謙介が佐保路、佐紀路を回ろうと
思うきっかけだったのが、この二つのお寺の
観音様の公開だったわけです。
日ごろは秘仏で公開はしてないのですが
この時期だけ公開があります。

ここの観音様は、聖武天皇のお后
光明皇后がモデルだといわれています。

しばらくその像の前に静かに座り、像と
対面して、祈り、黙って心の中で対話をしたりして
とても落ち着いた時間を過ごすことができました。

お寺の入り口まで来ると
遠くにから風呂が見えました。

Hokkeji4


光明皇后が病んだ人のお世話を
しようと願をかけて、このから風呂で
お世話をしていると、一人のらい病の患者
が来ました。しかし、それでも皇后は
一生懸命お世話をなさった、と。すると
その患者が仏様になって、、という伝承の
ある、このお寺のから風呂です。

法華寺を見学して、一条通りを東に歩きます。
奈良市立の一条高校の横を通り、(ここは日本最初の図書館
芸亭 うんてい のあった場所でもあります。)


書道関係の人間で、字に注意を払っている人間ぐらいしか
気にしている人はいない、と思うのですが、
「芸」という字がありますよね。
この字の旧字体が「藝」と思っている人が多いと
思うのですが、あれは間違いです。
だから、このブログで、「藝術」というときには
俺は「芸」の字は遣わずに「藝」の字を使って
きました。

実は「芸」と「藝」は全然別の字なのです。
戦後、新字体を作るときに、係りの人が
「芸」という字が別にあるのを見落として「藝」の
新字体として「芸」を入れてしまったのです。
「芸」の字の本来の発音は「うん」です。
だから「芸亭」で、うんてい、と読むこの
字が正しい本来の遣い方であるし、読みなのです。

国道を陸橋で渡り、ちょっと東に行くと
不退寺の標識が見えます。
ここは、一時、在原業平が住んでいた、という伝承の
あるお寺です。


Hutaiji1

大通りからちょっと入ったところにあるので
ここも落ち着いた感じです。 (ただ、近くに
JRの線路があって、頻繁に電車が走るので、
まぁそれなりに走行音はしますが。)

ここをお参りして、さらに東へ。
地方公務員の宿泊所の春日野○の横から
再び北に。
突き当たりに興福院(こんぶいん)という
尼寺があります。

Konbuin


ここのお寺は、小堀遠州の作庭
だそうです。
小堀遠州の子孫に嫁いだのが、モリアンヌさんですね。
(森杏奴) 小堀さんと結婚して小堀杏奴。 
鴎外の娘さんです。


ここから南に下がります。
もう昼前です。
近鉄奈良駅近くの百夜月(ももよづき)
というお蕎麦屋さんでお蕎麦をいただきました。
慌てものの謙介は写真を撮るのを忘れて
いました。ここは画像がありません。

お昼をいただいたので、ちょっと元気になりました。
バスは4時なので、もうちょっと時間があります。
どうしよっかなー、って思っていたのですが
この次に奈良にまた、というのは、謙介の場合、もう
分からないので、後顧の憂いのないように、と
秋篠寺も行くことにしました。

ちょうどホームに降りると、大阪行きの急行が
出る直前でした。
急ぎ乗ります。

朝の9時から12時までかかって歩いた
西大寺から奈良までは、電車であっと言う間でした。
西大寺で降りて、今度は競輪場行きの無料送迎
バスに乗ります。
バスの中は赤鉛筆を持って、新聞を広げた
人たちで一杯です。
ごめんね。謙介は競輪はしないのさ。(笑)

競輪場で降りて、西へ少し歩きます。
すると秋篠寺の門が見えて来ました。

Akishino1

門の前に着きました。
はじめてこの寺の門前に立ったのは
もう30年近く前です。

Akishino2

暑い夏の昼さがり、秋の空の美しい日、
冬の厳しい空気の中、それぞれの季節に
この門前に立ちましたが、来ると、
あ、来てよかった、といつも思います。

門をくぐり中に入ります。
拝観の手続きをして中に入ります。
本堂がこんなふうにあります。

Akishino3


秋篠寺と言うと、その多くの人は、入ったすぐのところにお立ちの
技藝天さま、言うでしょう。もちろん技藝天さまもいい仏さまです。
謙介みたいに、文章を書いたり、字を書く人間は、その上達を
祈るということでも技藝天さまを拝むことが要るかもしれません。
ですが、実は、謙介の好きな仏像は、もうひとつありまして。
一番東の端においでの愛染明王さまなんですよ。
小柄な像ですが、ホント、もうセクシーなお姿です。
おまけにイケメンです。(笑)
興福寺の阿修羅像は有名ですけど、
この秋篠寺の愛染明王さまを謙介はひそかに
(ひそかにでもないか。笑)かっています。

久しぶりでこの本堂にある木の長いすに腰をおろして
落ち着いて堂内の仏様を拝見しました。
あ、やっぱり時間を取ってきてよかった!
とつくづく思った瞬間でした。

さて、大阪に戻る時間が近づいてきました。
再び競輪場でバスに乗り、西大寺駅に戻ります。
うまくなんば行きの急行に乗れました。
後は、終点まで。電車の旅です。

なんばで降りて、OCATでバスを待ちます。
定刻よりやや遅れてバスが来ました。
でもまぁ、途中渋滞はあまりなかったので
バスは予定より早く着いてしまいました。
バス停から、家までは歩いてほんの10分です。


これで今回の旅行の話は終了です。
ダラダラと書いてしまいましたけれども、最後まで
お付き合いくださったこと、心から感謝します。

それから、旅行中、謙介に会ってくださった
athicoさん、真介くん。
どうもありがとうございました。
いろいろな話ができて、ホントうれしかったです。


それではまた、ボツボツと書いていきます。
また時間がある時にでも読んでやってくださいね。
これからも、どうぞよろしくお願いします。


(今日聴いた音楽 歌 岩崎宏美 思秋期
 1977年 音源はレコード この時期になったら
 必ず聞きたくなる曲です。彼女はこの歌を
 何度も歌ってはいますが、この歌に
 ついて言えば、今よりも、断然
 19歳のときに歌ったもののほうがいい
 です。この歌はやっぱり19歳の感性で
 歌わないといけない歌なのだなぁ、
 と改めて思いました。 動画のサイトに
 たぶんあると思います。ゆうつべっていう
 人がいますけど、このへんで「つべ」
 って言ったら、お尻のことなんですね。
 ゆうつべ、って、ゆうちゃんのお尻って
 いうことになるんですけど。笑)

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Comments

謙介さんお疲れになられたんでしょう、ブログを読んでいるだけでも随分パワフルに活動なさっていらしたから。どうぞお体を大切に、ご無理のないように。
今朝偶然みたテレビで、京都や奈良にアライグマが住み着いてお寺を荒らしていると報じていました。アライグマに責任があるわけでもなく、飼って逃がした人がいるわけですから、飼うなら責任を持っていただきたいですよね。お寺さんもお困りでしょう。ちょうど浄瑠璃寺が出ていて、学生の頃に「浄瑠璃寺の春」を読んで行ってみようと伺ったことを思い出しました。バスで行ったと思うのですが、大変不便だったように記憶しています。久しく行かない奈良のお寺の様子、とても楽しく読ませて頂きました。秋篠寺、いつか行ってみたいです。
謙介さんのところに書き込むのは、文章を添削されそうで緊張します、間違いは大目に見て下さいね。またおじゃまさせて頂きます。

Posted by: アリクイ | 08. 11. 13 AM 10:05

秋篠寺に行ってみたくなりました(゚▽゚*)
競輪場行きのバスとは、裏技もありがとうございます(笑)
愛染明王って、お顔は憤怒相なのではないのですか?
怒ってるイケメンってことでしょうか。

Posted by: mishima | 08. 11. 13 PM 12:25

---アリクイさん
 そ、そんな。大丈夫です。緊張などなさらないで、お気軽に是非。
 友達が住職をしてるお寺でも、しょっちゅういろいろな動物が捨てられているそうです。お寺だったら、生き物は殺さないで、ちゃんと育ててくれるだろう、ということなんでしょうが、その前に「捨てたあんたの責任は? って言いたいよ。」って友達も言っていました。生き物は飼ったら最後まで責任を持って育てる。それができないのだったら「飼ってくれるな! 」とも言っていました。一時だけかわいいかわいい、で、ご用済みになったら、もう要らない、って捨ててしまう。それでは動物だってたまったものではない、と思います。
 これからの晩秋の奈良、というのも風情があります。機会があれば是非、とおススメいたします。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 13 PM 9:46

----mishimaさん
 秋篠寺まで歩いたってよかったんですけどね。何せ午前中しっかり歩いていたので、もう足が、、ということで、競輪場行きのバスを使いました。バスは頻繁に出てますし。(笑)
 愛染明王さまの像、本当にこじんまりとした像なんです。憤怒とまではいかないのですが厳しいお顔です。お顔だけでなくて、像全体から、なんだかちょっとなまめかしいものを感じてしまうのです。(笑)
是非、ごらんになってみてください。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 13 PM 9:50

ご無沙汰してます、ともぞうです。
盛り沢山な奈良旅行だったみたいですね。
僕が初めて行った奈良のお寺が秋篠寺で、
大和西大寺の駅から歩いたんですが、
道を間違えて、雨の中一人で歩いたのを
懐かしく思い出しながら、文章を
読みました。海龍王寺も静かで
いいとこですよね。

Posted by: ともぞう | 08. 11. 26 PM 7:07

----ともぞうさん
あ、こんばんは。ほんとうにお久しぶりです。ありがとうございます!
ちょうど最初に奈良を回った日に、秘仏の公開がありますよ、といチラシを近鉄奈良駅でいただいて、あ、そんなチャンスだったら、ということで計画を変えて行ってみました。 ずっと果たせないでいますが、
また、奈良のあちこち、お話をしながらご一緒できたらいいですね。
法隆寺とか、文字通り柿の色の映えてきれいな時期だろうな、などと想像しています。

Posted by: 謙介 | 08. 11. 26 PM 7:42

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