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08. 10. 02

読書感想文 その後(2)

文章を書くときに一番大切なものは何か。
「俺は、これだけは言いたいんだ!」
という強い意志だと思います。

ただね、こちらにそういう意志があったとしても、
その気持ちが文章にした時に、空回りしてしまって
相手にはさっぱり伝わっていない、っていうことだって
あり得えます。
本人は「分かるだろ、分かるだろ」で
押してくるのですが、肝心の相手には
さっぱり伝わっていない。
そんなことだって結構よくあります。

だからそういう空回りを何とか防ぐためにも
感想文の書き方は感想文で、
論理的な文章は論理的な文章で、
報告文の書き方は報告文の書き方で、という
それぞれの文章の書き方っていうのは、やっぱり
きちんと習っておいて損はない、と
思うわけでです。

そういうとね、こういう反論が必ず出てくるんです。
「えええええ。そんな難しいことまでしないといけないの? 」


自分の気持ちを伝える。分かってもらう。
ということは、単に教科としての国語で習うという以上に、
はたまた日々の仕事とかで必要、という以上に、もっともっと、
その人の人生の中で、ものすごく大切なことなんじゃないか、
と思っています。

だって自分の気持ちを言葉で伝える、っていうのは、
毎日の生活の中で、当たり前に必要なことじゃないですか。

黙ってたって、自分の気持ちが伝わる、以心伝心、なんていうの、
今じゃ無理じゃないですかね。
以前みたいに、他人に対する想像力っていうのを
お互いが働かせていたとしたら、そういうのも可能ではあった、
と思うのですが、最近そういう個人の持ってる、他者への想像力
っていうのが急激に衰えてきているように思います。

それから、価値観とか言葉の遣い方が多様化
しているから、自分の考えが他人には全然通じない場合も
よくありますよね。

そういう現実があるからこそ、きちんと誤解のないように
自分の意志を伝えることを勉強する必要があると思うんです。
外国人だって以前に比べてすごく増えていますしね。
コミュニケーションの道具として
言葉はどうしても必要なものじゃないですか。
え? そんなのだったら、スキンシップだって?
はいはい。(笑)


中にはそんな感想文の書き方、なんていうような
難しいことまでするの? って言う人も
おいでですけど、考えたら、ほかの教科だって、
結構複雑で専門的なこと勉強しているじゃないですか。

たとえば小学校の体育の授業だって
倒立前転   後転倒立 なんて
あるんだそうですよ。ところで、できます?
(謙介なんか自慢じゃないけど、できません。笑)


高校の数学だって三角関数とか、連立方程式とか
勉強しますよね。
理科だって加速度とか重力とか化学反応とかほらぁ、他の
教科だって結構難しいことしてるじゃないですか。
そのうえ最近じゃあ、これでも内容が簡単になりすぎた。
学力が落ちた。もっとたくさん教えないと
いけない、って問題にさえなっていますよね。


感想文なんて単に感想を書いていっただけでいいんだ、
ということは、ちゃんとした書き方なんて別にいらないんじゃない?
っていうことですよね。

そういうことで言えば、別に大人になって
数学者になるのでもないし、別にサーカスに
就職するわけでもないんだし、何で三角関数だの
水平跳びだの倒立前転なんて習う必要があるのさ、
ということと同じになりませんか?


たとえば中学校の国語の教科書に
ニュース番組を作ってみましょう、
なんていうのがあったりします。

つまりこれは、プレゼンテーションの
基礎を勉強しましょうね、ということでしょ?
プレゼンテーションの要諦は、
自分の意志をきちんと相手に伝え、理解してもらう。
ということですよね。
企業のプレゼンになるとさらに、そこに「買ってもらう。」という要素が
入ってくるかもしれません。

自分の言いたいことの核は何か。
自分の思いを相手に伝えるには
どういう工夫が必要なのか。
相手を想像しながら、こういう言い方だと分かる?
これだとどうか、とあれこれと考えてみる。


自分の気持ちとか意見を相手にわかってもらえるように
伝える、って、それなりのテクニックとか、方法が
必要です。
頭ごなしに、「俺の言ってることを理解しろ。」とか「分かれ。」
と言ったって、無理ですもん。
だから相手のことを考えて、じゃあ、自分はどういうふうに
わかってもらったらいいのか。わかってもらいたいのか。
その方法論を勉強するのって、
すごく大切なことだと思うんです。
え? みんなに向けて、わかってもらうような文章なんて
書けない?
そりゃ書けませんって。
身近な人、誰か一人でいいと思うんです。
あの人、って思った人を想定して、その人に読んでもらう、
読んで分かってもらうには、どうしたらいいか、
その人がおもしろい、って言ってくれるには
どうすればいいか、それを考えて文章を書いてみる。
それを考えながら文章を書いてみると、
案外今までとは全然違った文章が書けてきたりします。

ちょっと話は例によって脱線するんですが。
みなさん、学校の時に勉強して習ったことって
覚えています?(笑)
ふふふ。そんなもの、忘れてますよね。
富嶽百景は太宰さんで、浮雲は二葉亭四迷で
なんて、「へ? そんなの習った? 忘れたよ。」の
世界かもしれません。
タンジェントだのサインだのと言われたって、
そんなものは、謙介は忘却の彼方です。

学校の勉強なんてそういうようなものかもしれません。
でも、それでいいんじゃないですかね。
一見、それは忘れているようには見えます。
けれど、それは記憶の中で埋没しているに
過ぎません。でも何かのきっかけでそれが
ふっ、と意識の表面に出てくることがある。

それからそんないろいろな教科を通して
習ったことが少しずつ少しずつ滓のように
その人の中にたまって、一人の人間を造るのだと思います。
何かの時にふっとそんな過去にやっておいた経験が
役にたったりします。
時々学校で習ったことなんて全然役になんて立たなかった、
って言っている人もいます。
うーん。100人いたら100人が100人役立った、というのは
無理ではあるかもしれませんねぇ。(笑)


それから、学校っていうのは、あくまで、基礎とか基本を
教わる場所ですし。学校で習うのは、まぁ骨格というのか
骨組みだけです。それにあれこれ部品を足すのは
社会に出てから、ということになるんじゃないですかね。
社会に出たら、その習ったことを今度は現実に合うように
応用していかないといけないわけですもん。
その部分を指して、学校でやったことって役に立たなかった、
って言ってる人もいますが、それは、社会に出ての応用編の
部分を、自分が考えてしなくてはならないのに、
学校任せにして、教えてくれなかった、って言っている
人もいるように思います。
その応用はあくまで自分がしない、とね。


例えば、国語で、自分の意思を伝える、という方法を習った、と。
だけど、社会に出たら、それはもういろんな人がいるから
その相手に応じて言い方をかえないといけないわけですよね。
こういう言い方をしたらAさんには分かってもらえるけど、
Bさんではどうか。じゃあ、別の方法を取らないといけない。
相手によって言い方を変える。
そんな応用編が実社会に出てから、ということに
なると思うんです。


学校で習ったその個々の実験とか年号がどうのこうの、
っていうんじゃなくて、その後ろにある
科学的なものの見方とか、論理的な考え方、
意志の伝え方、そんな基礎的なことが形を変えて
その人の中に残る、ということだと思います。


そうした基礎・基本を学んでおく、というのは
その人の基盤というのか、全ての基礎になるわけだから
習ったことは決してムダではないし、
すべて忘れ去っているのでもないように思うんですよ。
忘れているのなら、過去のストックが隠れているだけだから
いざとなったら思い出すことができます。
それは単に錆付いているだけのことじゃないですか。
刃は研いだらもとの切れ味が復活しますよね。


そんなふうに言ったら、ワシはもうおっさんやさかい
今更やったってあかんのや、とお考えの方もいるかも
しれません。

しかし、俺、何かにトライしてみよう、って思ったら、
はじめる歳なんて関係ない、と思うんです。
ホラ、人間嫌なことをちんたらちんたらやっても
全然覚えませんけど、
やる気になって、自分で何とかしよう、と思ったら
結構頭も協力してくれて、習ったことが
入っていったりします。
ただ、まぁ、歳を取ると、なかなか覚えられない、
っていうことは
あると思います。それに謙介もそうですが
根気が続かない。(笑)
でもね、大切なのは、途中でお休みしても、
もう一度復活することじゃないでしょうか。
何度でも休んでもいいから、何度でも復活することです。
三日坊主でもいいじゃないですか。
また日を置いてやればいい。

だから、文章を書くことに限らず、
何かやってみたい、とかやってみよう、って思うことは
やってみたらいいんじゃないか、と謙介は思います。
やらずに放ったらかしでおしまい、っていうほうが
よほど良くない、って思います。

というところで、b-minorさんに期待して
いただいたようなものには程遠いような、
全然まとまりのない締まらない結論ですが、
レッツトライ! というところが結論ですかね。(笑)

じゃあ、どんなふうに文章を書いたらいいのか。
それはまた別の日に。
ここまででもういい加減長い話になっています。
読み飽きたぞ、という方もおいでですよね。
文章の書き方の話は、また時々こんなふうに書いてみたい
と思います。
長々と書いてきましたし、今日はここまでです。
延々とお付き合いくださいまして、
本当にありがとうございました。

(今日聴いた音楽  道  歌 EXILE
 アルバム EVOLUTION から 2007年)


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Comments

文章を書くこと。
言葉を話すということ。
誰かに話したいと思うこと。

今回のお話は得るところのものがたくさんあり過ぎでどんな言葉をお返し差し上げたらいいのかが・・・
例えば誰かから「レッツトライ!」ですよと、その言葉だけを言われたら、「あ、そうだよな、がんばろ」と自分はただ素直に思うだけだろうと思います。もちろんそれでも十分に嬉しい言葉になるんですけど、今回のお話のように、謙介さんご自身の今までの経験や努力、文章を書くという事に対しての時間をかけた考察や試み、そんなものがバックグランドに色濃く存在する上で尚且つ言葉を尽くしてのお話ですので、これはもう本当に実感を伴ってこちらに伝わってくる思いがします。自分の頭の中にあることをどうしたら他人に伝えられるだろうと、いろんな言葉が様々に浮かび上がる想いの中から言葉の選択を繰り返し文章に認めようとする人のこころを感じます。そして、尚いっそうの事嬉しいのは、もし例えば他の機会にただ一言「やってみたほうがいいよ」と言うようなほんの短い一言を聞くことがあった場合に、「今この耳に聞こえるのはほんの一言なんだけど、この人はこの言葉を選び出してこの自分に伝えるまでにはいろんなことがあったんだろうな」と言うような人に対する寛容性を持った想像ができるよようになるということだと思います。こころのこもった文章に出会えるというような嬉しい経験はそれをもとにして今まで何気なく通り過ぎていた事の中にもちゃんとそう言った意味があるのだということを思い出させてくれるのだと思います。
とてもいいお話をありがとうございました。

Posted by: b-minor | 08. 10. 02 at 오전 11:14

----b-minorさん
今回の文章は、まだ文章を書く練習をしましょう、っていうのの入り口にしかすぎません。入り口というより、まだ、門のところなのかもしれないです。自分の意思を伝える、ということは、本当はすごく大切なことで、いろいろな人の間で生活をしていく中で、絶対に必要なスキルだと思うんです。なのに、みんなつい、「日本語だもん。何とかなるんだよ。」っていう部分で甘えているんじゃないか、とも思っています。世の中、いろいろな考えの人がいるから、どんどん話が伝わりにくくなっているように思います。こういう世の中だからこそ、自分の意見も相手にきちんと伝えるし、人の意見も聞いて、ということをしなくてはならないように思うんですけどね。
なので、そうした勧めの文章を、ということで書いたのですが、b-minorさんにまとめていただいて、ちゃんと締めができたように思います。(笑) またいつか続編を書きます。その時はまた、読んでやってください。よろしくお願いしますです。

Posted by: 謙介 | 08. 10. 02 at 오후 11:32

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