奈良をまわる(その2)
東大寺の転害門の前に戻ってきた俺は、今度は門の脇をくぐって
東大寺の中に入っていきました。
ほらね。公共交通のバスだと
こんな芸当はできません。(笑)
俺は、この東大寺の大仏殿の北側の境内が大好きです。
というのが、メインルートではないので、比較的
人が少なく、落ち着いた風情が感じられるから、
なのでしたが、、。(笑)
この日はダメでした。
行きかう遠足の小学生、修学旅行の学生、
何かスケッチ大会があるようで、スケッチブックを持った
おばちゃんたち、普通の観光客の人びと。そんな人たちが
ひきもきらずに北の境内を歩き回っていました。
俺はそんな中をゆっくりと自転車をこいで
走ります。
今、国立博物館では正倉院展を開催しています。
ですが、時刻は、午後2時過ぎ。
こんな時刻から見に行っても仕方ありません。
行くのなら、決意をして朝一で出かけないと無理です。
なので、俺は国立博物館はあきらめて
その正倉院を見に行くことにしました。
正倉院展の間、建物としての正倉院は、外観を参観することが
できるようになっているのです。
自転車を走らせて正倉院の建物の塀の前まで来ました。
(前まで乗りつけてしまいましたよ。これも自転車ならでは
です。車は許可車両以外は乗り入れ禁止ですから。)
ここも小学生がにぎやかです。
入っていって正倉院の見られる場所まで来ました。
こんなふうに見られます。
さっき俺は大仏殿の北、と書きました。
正倉院が今に至るまで残り得たのは、この場所の
おかげが大きかった、と思います。大仏殿の南は
正面で、メインルートですから、北と比べ物に
ならないくらい人の行き来も多いですし、
またメインルートですから目立ちもします。
ですが、北は地味で落ち着いた風情です。
この地味さが、なんといっても正倉院を目立たせず
ひっそりと今に至るまで遺してくれた理由だったの
だろうと、俺は思うのです。
正倉院を見学した後、再び西を目指します。
焼門から東大寺を出て、今度は左折して南に向かいます。
ここも緩やかながらのぼり坂なので、電動自転車が
活躍してくれるのですが、、、。
前のときに自転車を借りてよかったところと
やれやれと思ったところがある、と俺は書きました。
そのやれやれと思った理由は、
奈良市は自転車に対して非常に冷たい街だ、という
ことです。
自転車用の道路とか自転車用の走行レーンが全く
と言っていいくらいありません。
四国の俺の住んでいる街では
専用の自転車道路が歩道に併設されています。
そして歩行者の通路と、自転車用の走行通路が
分離されています。ですから自転車も人も
気にせず走れます。
ところが奈良市はそういう自転車の通る道がほとんど
ありません。車道は車がものすごい速度で走ります。
観光都市なので大型のバスだってどんどん走ります。
それから輸送用のトラックとかダンプカーだって当たり前に
猛スピードで走ります。
歩道は観光客が道いっぱいに広がってだーらだーらと
歩いています。自転車はどこも走れない。
歩道は狭い。おまけに段差が大きくあって、
そのためにガターンと大きな衝撃がきます。
それから、さっきまで道の左にあったはずの歩道が
いきなり消えてしまって、
しばらくすると、今度は道の右にいきなり出来て
きたりします。
行政当局がその時の気分で適当に
歩道を作っちゃった、としか
思えません。
ですから自転車用の道路がまっすぐに伸びている、
なんていうことは
ほとんどありません。
なので、自転車でこの街を
走ることは、ヒヤッとする目に結構頻発して遭う、
ということになります。
そういう理由でやれやれなのです。
ホントやれやれ、でした。
話を元に戻しましょうか。
登大路町の交差点を過ぎ、さらに南に走ります。
池のほとりに建つ由緒ある奈良ホテルの建物を
眺めて福智院北の交差点で左折して東に走ります。
そして次の大きな交差点を右折します。
のれんの字のすばらしいそば処観のところで左折して
まっすぐ東に走ります。そしてしばらく走ると
新薬師寺の標識が見えてきますから
後はそれにしたがっていくと、新薬師寺の門の
ところに出る、というわけです。
さすがにこのあたり、高畑町になると住宅街になるので
さっきとは違って格段に自転車も走りやすいのですが、、。
新薬師寺は、俺が行ったその次の次の日に、本堂の遺構が
発見されて、それは東大寺の大仏殿クラスの大きな
建物であった、ということが分かりました。
これが新薬師寺の写真です。
ここは十二神将で有名なお寺ですね。
堂内でちょっと椅子に腰をかけて、
仏像を眺めます。このぼやーっと仏像を見ている時間
というのが、本当にのんびり出来て貴重です。
しばらく時のたつのを忘れて、お堂の中でいました。
ここの境内には秋艸道人 会津八一先生の石碑が
あります。
大学生の時に来たときには
石碑は石碑だけ立っていて周囲には何もありませんでしたが
今は周囲にさまざまな木や草が茂ってすっかり様変わり
してしまっていました。ここでもやはり時間の経過を
考えさせられる、ということになりました。
石碑には
ち可(か)つきて あふき みれとも みほとけの
美(み)そなはすと毛(も) あらぬさひしさ
と書かれています。
新薬師寺の前の田んぼが本当に秋の風情でした。
一枚ぱちり。
そうして、その「ぱちり」の美術館に今度は
行きました。
「奈良市立入江泰吉記念写真美術館」です。
仏像写真、大和路の写真で有名な入江先生の
名前を冠した美術館です。
ここでもまたしばらく仏像の写真を眺めながら
自分の人生と、変化のない時の流れ、というようなものを
対比しながら考えていました。
ゆっくりした時間を過ごしているうちに
陽は西に傾きはじめました。
ちょっとおなかもすいたので、ここで
おやつタイムを取ることにしました。
ちょうど、新薬師寺から出ると、
小さな川が流れています。
能登川です。
ホント、小さな川なんですが、実は
この川、万葉集にすでに出てくる川なんですよ。
巻の10に
能登川の水底さへに 照るまでに
三笠の山は 咲きにけるかも
という歌が入っていますが、その能登川が今もこうして
流れています。
美術館を出て、再びさっきの太い道に出ます。
奈良教育大学が左にあって、右に遺族会館
が見えた交差点を右折します。
後はひたすら西に向かって走るのですが、この道がまた
走りにくいといったら。
折りしも下校の小学生がだーらだーらと歩いています。
おばちゃんは、ここは私の道やで、という顔をして道の
真ん中を歩きます。そんな道路を縫うようにしながら
ある時は車道に降り、またある時はもう一度歩道に
あがったりを繰り返しながら、西に走ったのです。
八軒町東の交差点を過ぎると見えてきたのが
名古屋名物、コメ〇のコーヒー屋。
奈良でなんで名古屋名物なの?
ええ。単にちょっと
食べてみたかった、ということなんだもん。(笑)
ここで名物のシロノワールとコーヒーを
いただきました。(注文はミニシロノワールにしました。
だってフルサイズのはでかくて、晩ご飯が食べられ
そうにないんだもの。)
しかしなにゆえ、奈良で名古屋なのか? (笑)
あんまりかたいことは気にしないよーに。
ここから、ちょっと戻ってすぐの交差点を北進
します。三条通との交差点で右折して
三条通を東に走ります。
もうめったやたらに観光客です。(俺だって
そうですけどね。笑)間を縫うように
走ります。よく行った書道用品の店は
その日はお休みでした。
さらに前を通りすぎて
南都銀○の本店や、餅飯殿の商店街の前を通って、
出たのが猿沢池です。夕方の、とてもいい時間に
来ることができました。
池の周りのベンチは、全部観光客でふさがって
いました。今度は南に取ってならまちを縦横に
走りました。
そうして餅飯殿の商店街、自転車を押して
歩き、再び三条通に。奈良の街ともお別れです。
自転車を借りた店に戻しました。
歩いて近鉄奈良駅に向かい、電車で
大阪の難波に向かいます。
難波で預けていた荷物を取り、梅田のホテルに
着いたのが6時半。
服を着替えて、食事に出ました。
せっかくの大阪です。
ちょっとおいしいものが
食べたいではありませんか。
まずは曽根崎のお初天神におまいりです。
それからすぐの西にある阿み○に
シューマイを食べに行きました。
ここのシューマイは蒸されたものを
少し焼いてあるのがなかなかです。
いろんな味が楽しめる名物セット
を頼んで、いただきました。
自家製ワンタンの入ったスープです。
池波正太郎が好きだったシュウマイ
ちょっと俺には油がきつかったかな、
と思いました。(結局全部いただき
ましたけど。笑)
後は、堂山にも
行かずに、まじめに(ハハハ)ホテルに
戻って、明日の準備をして、寝ました。
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Comments
奈良の秋を届けて頂いたような気持ちで読みました。京都には夫の学会がらみで何度も足を運びましたが、奈良には随分長いこと行っていません。京都よりずっとのんびりした場所だったように思いますが、今はどうなのでしょう?写真を見る限り、あまり変わらないのかしら(謙介さん、写真がお上手ですね!食事を撮るのって、ちょっと勇気がいりませんか?)
四国って自転車レーンがあるんですね。私はオランダのデルフトで見ていいなぁって思っていました。ベルリンだったか、自転車のまま電車に乗る人が自転車を置くスペースがあるのも驚きでした。東京もそうだったら自転車に乗りやすいのですが。
Posted by: アリクイ | 08. 10. 30 AM 6:01
----アリクイさん
俺の実家の街は、自転車が多いからそうしたのか、はたまた自転車道が整備されたのが早かったから自転車が増えたのか、ちょっとわからないのですが、何せ、歩道の一部にラインを引っぱって、区分をして、自転車通行レーンを作ったのは、昭和50年以前だったと思います。そのせいか、自転車すんごく多くて、前に遊びに来た他県の友達は思わず「中国みたいや。」という感想を述べたほどでした。(笑)以前は歩道に区分のレーンをラインで表示するだけだったのですが、去年からは金属製の柵を設けて、きっちりと分離させるようになってきている箇所も出てきました。
今回、久しぶりに奈良をこうして回ってみて、変ったところ、そうでないところ、いろいろ対比ができて、おもしろい旅になりました。後半もありますので、またどうぞ読んでやってくださいね。
Posted by: 謙介 | 08. 10. 30 PM 8:27