奈良をまわる(その1)
近鉄の新祝園のホームに下りますと、
うまい具合に奈良行きの
急行がもうすぐ来ます、とのこと。
それに乗って奈良を目指します。
電車は大和西大寺で左折して、今度は平城京の大極殿の前を
斜めにショートカットして一路東に走ります。
新大宮の駅で止まり、この駅を過ぎたあたりから電車は地下に。
ここで思わず出てしまうCMがあります。
♪しんおおみや~
ならならならならきんてつ
ならならならならしんおおみや
きーたへあるけばやくいっぷーん
もでーるはうすはならぷらざ
この曲がエンドレスで鳴ってしまうんですよね。
朝日放○の住宅展示場のCMでしたけど。
俺の一番古い記憶の近鉄奈良駅は地上でした。
古いアルバムを見たら、地上の近鉄の奈良駅の写真が
ありました。近鉄の奈良終点のひとつ前に
油阪(あぶらさか)という駅があったことを、今も覚えています。
今は地下のホームに到着です。
さて。近鉄の奈良に着きました。
後ろ側の出口から出て、地上に上がります。
おおっ、久しぶりの奈良だ!
お天気もよくて、こちらのテンションもいやがうえにも上がります。
謙介は、自転車を借りました。レンタサイクル。
借りた理由は二つです。
そう遠くまで行かないので、市内を回る分にはいいだろう、
と思ったこと。
それからバスだと待ち時間が必要ですが、
自転車だと、ドアトゥドアで、行きたい場所の
すぐ前まで自転車で行けるだろう。
確かに自転車で回って、その考えは7割くらいは
正解だったとは思いました。
しかし、後の3割は、正直なところ、やれやれ、という
こともありました。
それは日を改めて書きます。
自転車を借りるとき
普通のではなく電動アシスト装置付きのにしました。
電動になると、普通の自転車の倍のレンタル料金です。
半日1800円。
安いか高いか、というと微妙な線ですね。
奈良の街の道路は、謙介の頭の中に入って
いるので、地図は必要ありません。
最初は、自転車を北に向けて走らせます。
一条通にぶつかったところで今度は
道を右折して東に。正面に見える若草山の緑がきれいです。
しばらく行くと、佐保川にかかる橋があります。
その手前で目を左にやると、北に陵墓が見えます。
これは聖武天皇の陵です。そうそう、大仏建立をした
あの、聖武さんです。
聖武天皇陵の東の奥には
光明皇后の陵も寄り添うようにあります。
奈良や、京都という街は、こういうふうに生活の中に
歴史上の人物とか、歴史で習ったものが普通に存在を
しています。わざわざ、ではなくて、「ごく普通に
当たり前の顔をして、そこに在る」だけなのです。
陵墓は旦那さんの聖武さんに寄り添うように奥さんの
お墓がありはするんですけどねー、残された筆跡を見ると
どう見ても聖武さんは気の弱そうな人で、奥さんの
光明さんは、えらい強い人だった、という気が
します。
まぁいいや。夫婦のことは。(笑)
謙介は二つのみささぎにおまいりをして、
再び自転車にまたがり
東を目指します。突き当りが東大寺の転害門。
この前を左折します。
ここからは奈良坂越えの峠道なので
のぼりの坂道がだんだんきつくなっていきます。
俺がなぜ電動アシスト装置つきの自転車を借りたか
という理由は、この急坂だった、というわけです。
おかげですいすい。(笑) 楽勝です。
途中、道が旧道と、新しい道路に分かれています。
迷わず旧の狭いほうを上がっていきます。
途中さらに分かれ道があります。そこには
こんな建物が傍らに建っています。
これは北山十八間戸と呼ばれる建物です。
一体何か、と言うと日本で最初のハンセン病の人のための
収容施設でした。今もこうして残っています。
左にちらちらと奈良少年刑務所の塀が見えています。
そんな風景を眺めながら、さらに坂を上っていきます。
ふう。最初きつかった坂も、途中から傾斜が少し緩やかに
なりました。
1時15分。ようやくお昼ごはんになりました。
坂を上ったところに植〇牧場という牧場があります。
この牧場に併設の「いち〇」というレストランがあって、
ここでお昼にすることを考えていました。
このレストランの名前、映画監督の河瀬直○さんの
命名だとか。河瀬さんも奈良の人ですもんね。
奈良つながりですよね。(笑)
あれこれ考えて、お昼のメニューはクリーミーコロッケにしました。
(ビーフステーキどんぶり、っていうのもありはしたのですが、、。
かわいい牛を見て、ちょっとそれは、、、。ねぇ。)
なんたって、となりの牧場で作られた牛乳が入った
コロッケです。
定食には、その牛乳たっぷりの
濃厚なポタージュスープも添えられています。
このスープがこれまたおいしかった。
コロッケのほうは思ったのとちょっと違って
もっと中はクリーミーかと思っていたら、
あにはからんや、ちょっとボテっとした感じでした。
でもこのほうが手作り、という感じがします。
コロッケもすごく大きくて、食べて充実感が
ありました。
食後は、もちろん小さなアイスクリームが添えられて
きます。
俺は、食事をしましたが、レストランの前には
ソフトクリームのスタンドもあって、そこで濃厚な味の
ソフトクリームを食べることもできます。
さて。
おなかもいっぱいになったところで
自転車を押して行動再開です。
いち〇から徒歩3分で、般若寺に到着です。
この寺を教えて下さったのは、大学のときに
美術史を習ったモリ・トオル先生でした。
俺が習ったときのモリ先生は、もう晩年で
ジーサンだったのですが、もちろん先生にだって
若い時というのはあったわけです。(笑)
そのモリ先生の若いときのことは、
堀辰雄の「信濃路・大和路」というエッセイの中に
今日はモリくんと東大寺に出かけただの、法隆寺に行っただの、と
いうふうに何度も何度も登場してきます。
そのモリ先生が、授業が終わった後で、
「この般若寺には伊行末という
日本にやってきた中国の人が建てた石塔が
あってね、それがすごくいいから、見に行きなさい。」
と俺に強力におすすめしてくださったのが、この
寺を知るきっかけでした。
これがその塔です。
ちょうど今はコスモスの花のシーズンです。
般若寺はコスモス寺として、よく知られて
います。
行った日も、コスモスの写真を撮りに来た人で
境内はにぎやかでした。
秋の空に、コスモスの花や石塔が映えて
美しい光景でした。
確か大学のときも、ちょうど来たのが
西大寺の大茶盛とあわせて来たので
今の時期だった、と記憶しています。
時は移り、自分の人生にもいろいろな
ことがありましたが、塔は、あの日のように
変わらずに、奈良のこの寺にありました。
お寺のお堂の縁に腰掛けて、そこに拡がる
風景を眺めながら、そんな自分の人生のことを
しみじみ考えたりしました。
その月日の振り返ってみればあっという間だったような。
しかし、確実に歳月は経ったわけです。
そして、これが般若寺の門です。
なかなかに美しい門です。
国宝指定も納得です。
そして今度は再び来た道を戻ります。
今度は坂を下るので、楽です。
坂の上から眺めた奈良市内です。
そうして再び東大寺の転害門の前に戻ってきました。
(今日はここまでにします)
× × ×
昨日、近鉄で一番ながい駅名は、学研奈良登美ヶ丘かな、
っていったら、友達のオザキが、「違う!
大阪教育大前や。」と教えてくれました。
おおさかきょういくだいまえ
がっけんならとみがおか
本当ですね。一字違いですが、教育大前のほうが長いです。
でも漢字表記だと学研奈良登美ヶ丘のほうが長いし
インパクトがありそうですよね。(笑)
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