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08. 10. 06

何の意味があるのだろうか?

月曜なので、がんセンターに行く。
主治医からの数値。
主治医もうーん。
それを見せられた俺のほうも、うーん。
確かに数値はどれも悪くなってる。
でも、その悪化は、まぁちょっと足が出ちゃいましたねぇ、
という程度。だから大きな心配はいらない、と言えば
いらないのだけど、ここしばらくずっとそんな感じで
少しずつ悪いほうに流れてきているのは確かで。
でもまぁ、もうちょっとようすを見るか、という
いつもの話で何となく落ち着く。

今日はちょっとその患者の立場からの話。


先日、新聞を見ていたら、「がんの術後生存率」というデータが
それぞれのがんセンターで、がんの病態ごとに発表になっていた。
見ててバカらしい、って正直思った。
一体何のためにこんなデータ出すの? って。

まず挙げられる問題点としては、各地のがんセンターの性格が
あるということ。
都市部のように、他に大学病院がいろいろあったり
専門の病院も他にあったりすると、そっちに患者が
行くことだってある。ところが地方のがんセンターって、
たいていはその地方のがん治療の拠点病院。
拠点病院だから、他の病院で、はっきり言うともう
「さじを投げられ」て、「どう手当てをしても無理」という
患者さんが多く来る。

いくらがんセンターで高度な治療法があります、と言ったって
正直手遅れ状態の人を元気に復活させることなんて
そうそうは無理だ。
田舎のそういう中核病院には、
もう残された処置の方法とか手段が
あまり残っていないようなの患者が運びこまれたりする
ことが多い。

言い方がよくないのだけど、率直に言ってしまえば
取れる方法はもう大してないかもしれないけど、
それでも、ここなら何とかしてくれるかも、
ということで運ばれてくる。
幸いにここで何とか持ち直して、と、
そういう人も居はするけど、残念なことにそれでも
どうしようもない人のほうがやはり多かったりする。
そういう患者さんを受け入れていたら、そこで
最期になる人だって多く出てくる。
そうした結果として、生存率ということで言えば
落ちる。地方のがんセンターはそういう性格を持っている。
まず一つ目の問題点がこれ。

それから、病院によっては、
もう死期が近づいた患者はその病院には置かないようにする
ところだって多い。
もしくは紹介されて行ったにしろ、最初の診察の段階で
もううちで面倒を見る段階ではありません、とか言う理由で
入院させないか、一応手術したら、もううちでは診察できる
段階ではありません、って言ってさっさと追い出してしまう。

追い出すとはもちろん言わない。
ホスピスに移っていただいて、とか、最期の時をゆったりと
過ごしていただく、と主治医は言う。

このデータには入っていないけれど、京都の左京区にある
某国立大学の附属病院なんて、
「もうあかんようになったら、
聖なんとか病院にまわしてしまわはるねん。」ということだそうな。
そうしたら、その○大病院にいる間は、生きていた、と。だけど
転院した後のことは知りませんよ。そんなもの。ということだものね。
データが残っていません、とか言ってしまうことだってできるもの。
ないものはカウントされない。よって統計には出ない。

そんな転院させられる話なんて、その○大病院に入院してる
患者さんならたいていは知っていること。
入院してたうちのおばが言ってた。
だから同じ病室の人が、その
聖なんとか病院に転院させられた、と聞くと、「あ、もう先長いこと
あらへんなあ。」って言い合うほどなんだよ。

とりあえず病院にいる間は生きていた。だけど
最初からもう治療できない患者は受入しない、とか
体よく厄介払いしていたら
そりゃ、データの数値だって上がるだろうよ。
そういうことをしてる病院だって結構多い。
データの数字を底上げしようとしてね。


それにそんなデータを前に考えないといけないことは
がん、という病気は非常に個人的な病気であるということ。
前からこのブログを読んでくださっている方には、
そんな話はもう何度となくここで書いてきたんで、
あ、またか、っていうような話ではあるんだけど。

仮に同じ肝臓の悪い人が二人いたとする。
AさんとBさん。
そのAさんの治療方法とBさんの治療の方法は全く違う
場合だって、がん治療の場合はごく普通にある。
だからAさんがこの薬を使って成功した、としても
Bさんにその薬が全く効かない場合だってある。
でも、がんで入院している、患者さんとか家族にしてみたら
そういう気休めになるようなデータが欲しい。
あの病院はちょっとでも手術後の生存のパーセントが
高かったら、ひょっとしたら、ここではダメだったけど、あの病院では
治るかも、なんて下手な期待を抱かせてしまったりする。

でも最初に言ったように、Aさんがその病院で治ったから
と言って、Bさんもそこで治るか、というと
そんなことは全然わからない。
だけど、下手な期待を持っていたら、「成績のいい病院だから、
自分もよくなるかも」なんて思ってしまったりする。


今回公開になったのは各病院でそういう術後の数値を
出してたんだけど、その出し方が、てんでバラバラで
だから統一した方式で出した、ということらしい。
要するにどこの病院でも甘い期待を抱かせるような
数値を出してくるから、統一した基準で
出してみましたよ、ということらしい。

だけど、こんな数字を出して俺は一体何の
意味があるのか、逆にこの数値を出してきた
人間に聞きたい、って思う。
意味ないじゃないか、って。
がんの苦しみと戦っている本人や家族に
場合によっては下手な期待だけもたせるような
数字になりはしないだろうか。

そんなごまかしまみれの、しかも気休めのデータを
後がない、って悲壮な気持ちでいる患者さんや
患者さんのご家族に示してどうなるのか。

変に期待を持たせるなんて、俺にしてみたら、
気持ちをもてあそんでいるとしか思えない。
そんな無意味なデータの公表なんて、、。
そんな必死の人の気持ちをもてあそぶような
数字の公表なんてして
一体何の意味があるんだろう、って
俺は思うね。

と、そのデータを見て患者の謙介は怒っているのですよ。

        ×         ×          ×

はてさて。いつの間にか10月に。
この半年の間、ずっとやっていた原稿は
無事に10月4日の土曜日、
提出、受理されました。
ひとつ、肩の荷が下りて楽になりました。

○HKの朝のドラマも「瞳」が
終わって新しいのが始まっていますね。
前の「瞳」ですが、俺何がショックだったといって、
あのドラマの中に児童相談センターの
ベテラン職員さんが出てきてたんだけどさ。
もう年配のおじいさん。
そのおじいさんがあなた、近藤正臣だった、っていうことを
知ったときのショック。
へ、コンドウさん、いつの間に
あんなジイサンになっちゃったのぉぉぉ。
ホンマか、と目を凝らして
思わずテレビの画面をじーっと見てしまいました。

コンドウさんなんていつまでも若い、って
思ってたんだけど、、。
あーれはショックだったなぁ。


さて今度は「だんだん」だそうです。
だんだん、は出雲方言でありがとうの意味。
大学生のときに、昔話の伝承調査で、
出雲市や大社町(今は大社町も合併で出雲市に
なってしまいましたが。)をまわった謙介としては
懐かしい言葉です。

舞台は松江・出雲と京都となるんだそうな。
主題歌とナレーションは竹野家のまりやさん。
彼女は出雲大社の前の旅館の娘さんだから、
地元ということもあるし、彼女もデビュー30周年の
めでたい年ですし、そういう意味で
ごく自然な流れでの人選という
ことなのでしょう。
いやあ、まりやさん、いつまでもおきれいなことで
ございますね。
さすがは、元準ミスさくらの女王です。(笑)


土曜日もそのドラマ見ていたら、松江温泉の
ホテル○畑とか松江城が
映っていましたね。
松江城の天守閣の前でライブやってたところに
舞妓姿のマナカナの片方が行く、という設定
でしたが、あの歩きにくい「おこぼさん」履いて、
それも昼間ならいざ知らず、
暗い夜に全然行きなれた場所でない
松江城の石段を上がっていったのか?
それに夜、松江城は閉まってる、って思うぞ。(笑)

せめて京店商店街の中のカラコロ広場で
やれば、リアルなのに、と思いました。
宍道湖の松江大橋のたもととか。
でもやっぱり松江城が出てないと、他地方の人に
松江らしい印象が与えられないからでしょうかね。
創作上のうそですかね? 歩いてそこまで行ったのは
芸術的省略とか。(笑)

しかし、あのマナカナ、大阪発のドラマの双子の役
だから、のキャスティングなのでしょうか? 

マナカナを見たうちのオフクロの感想。
「鼻がお顔の真ん中でえらいあぐらかいて
はりますなぁ。あんなご器量良しの舞妓さんなんか
実際にいてはったら祇園町の名折れやわ。」

だって。おおこわ。

しかし、京都と、それ以外の違った環境で
過ごさざるを得なかった場所にいる
双子が偶然知り合って、それで物語を
編んで行く、という話なんて、
あれって川端さんの「古都」以来の着想でしょうかねぇ。
しかしまぁなんてワンパターンな。
今度は劇中で松田聖〇の昔の歌なんか歌わせて、
今の30代後半から40代を懐かしい音楽で
釣ろうという作戦ですか。
いやいや、どうなるんでしょうか。(笑)


日曜に実家近くの委佐子の店に行って、驚愕しました。
ちょっと前まではバナナ、グラムが9円だったのですよ。
昨日見たら、グラム30円だって。
しかも9時半開店の店に、10時半に行ったら、バナナがもう
ほとんどない。
なんだかちょっと前の寒天みたいですよね。
寒天がいい、となったら寒天に殺到。
バナナがいいとなったら、今度はバナナですか?
きっとバナナバナナなんて言ってる人は
ちょっと前の寒天のことなんて忘れてしまっているのでしょう。

そしてやがて数ヶ月経ったら、え? バナナダイエット?
何、それ? そんなのありましたか?
の世界なんでしょうね。きっと。

で、体重は減ったんですかね? ふふふ。

ええ。今日は謙介、がんセンターの記事で怒っているので
文章全体が皮肉っぽくなっていますね。反省反省。
まぁこういうときもあるさ、ということで、
でわでわ。(笑)

今日聴いた音楽 モーニング グローリー 歌 竹内まりや
 アルバム VIVA! MARIYA  1982年から 音源はLPレコード
 旦那さまの山下達郎氏も同じ曲を歌っていますが、うーん
 甲乙つけがたいです。どっちもいい。笑 でもまぁ
 今日は、出雲が出たので、竹野家のまりやさんのバージョンで。)

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くらしのこと」カテゴリの記事

Comments

 数字なんて,えてして実態とはかけ離れてることが多いですからね・・・そのくせ,「客観的だ」と勘違いされ(させ)やすいし。

 こちらではそろそろ見かけるようになりました,バナナ。
 一昨日,よほど品薄状態だったのか,まだ真っ青なのが山と積まれていたので,熟し切らないバナナが大好きな僕は喜んで買って帰りましたよ(笑)

 バナナダイエット法が忘れ去られるまで1ヶ月しかかからない方に,500ピアストル!(古

 あ,無事の脱稿,おめでとうございます!

Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 10. 06 PM 10:23

---Ikuno Hiroshiさん
こんばんは。いつもありがとうございます。
文系の謙介は、医学系統のことなんて、非常に論理的かつ実証的と思っていたのですよ。ところが、俺の病気で前に使っていた薬なんて、「どうしてそれが効くのか、いまだ理由は分からない。ただまぁ不思議なことに、その薬を使えば、数値は改善されるのです。」という主治医の話でした。効く理由が分かっていない。でも、ま、効くし、ということだそうです。(笑) え? そんなことでいいんですか? と思わずセンセイに訊いたら、「それでいいのだー」って、バカボンのパパですよ。全く。(笑) 世間のデータに基づく実証的ななんとか、とか論理的と言っても、「どこまで? 」と海千山千のおぢさんは思いますです。まだこちらはバナナがありません。
一体いつまでですかね。俺の想像では、今年の暮れあたりまで、と踏んでいるのですが。正月でうまいもの食ったら、そんなもの忘却の彼方です、って。(笑)

Posted by: 謙介 | 08. 10. 06 PM 10:46

うちの近所のスーパーもバナナ品切れです。
バナナにはシュウ酸がたくさん含まれてて、食べ続けると尿道結石になりやすいそうですよ。
1年くらいして、「バナナダイエットで結石に」って人が出てきそうな気がします( ̄ー ̄)ニヤリ
「だんだん」の設定を知って私も一番に「古都」を思い出しました。
双子って神秘的だからドラマの題材になりやすいんでしょうね。
私は藤村志保と三林京子に注目してます(゚ー゚)

Posted by: mishima | 08. 10. 07 PM 3:58

こんばんは。ワタクシも最近の気候の変化なのか、風邪を引いてしまいました。
でいつもはread onlyなのですが、、日記の前半を見て、考え込んでしまいました。「がんの術後生存率」を出すに至った経緯。
「がんの術後生存率」を出せって言ったのは、実は患者の側からなのですから。
きっとなんとかして病気を治したいという思いから、そのような事態になったと思います。
コピー機でコピーしたように同じ患者がいて、その術後生存率を比較するならともかく....なんかジレンマを感じます。

Posted by: かわちゃん | 08. 10. 07 PM 8:11

---mishimaさん
 何でもそうですが、やっぱり食べ方ですよね。ひとつのものばかり集中的に食べるのはよくない、ということですよね。
いろいろなものを、あれこれと食べて、というのが一番よいようです。
 だんだん、そうですかぁ。先週の土曜に初めて見たので、俺のほうは何ともいえないのですが、また感想などありましたら教えてくださいね。

Posted by: 謙介 | 08. 10. 07 PM 8:18

----かわちゃんさん
いつもごらんくださっているとのこと、ありがとうございます。
昨日、がんセンターに行ったときも実は主治医とその話になったんですよね。主治医も言ってました。「大体、患者さんが、そういう生存率のことをすごく気にされるんでね。」って。それで、そういう気にされる患者がいる。病院も出さざるを得ない、だけど、数値は、、(笑) というのですね。「先生、だけど、本当に面倒なことではあるけれども、そういう患者さんが数値を出せ、というのは、もちろん信じたい、という気持ちもあるんですが、それ以前に、もうちょっと主治医の先生が、患者さんに懇切丁寧な説明をしていない、っていうことだってあるように思います」と俺、言ったんですよ。「納得できないから、せめてそんな数値で信じたい、って思う人もいる。そういう数値で見るのではない、ということを先生方が日ごろの診察の中であんまり説明していないからじゃないですか? 」って。 実は俺言いました。「ぼくは説明しているよ。」と先生は言うので、「先生みたいに説明のし過ぎの人は珍しいんです。」
どの先生だって、ろくに説明してくれません。そういう不信感みたいなものだって、この数字の裏にはあります、ってお話しました。インフォームドコンセント(納得診療)とか言いながら、その実あんまり説明がなされていないんじゃないですかねぇ。
俺は、そんな平生のお医者さんへの意識の結果がこんなことにこだわろうとする裏に原因のひとつがあるんじゃないか、って思うんですけどね。

Posted by: 謙介 | 08. 10. 07 PM 8:29

えっと、このあたりのスーパーでは、
よく見かけるような気がします、バナナ。
田舎過ぎて、流行に疎いのでしょうか…?
私自身、週に一本食べるか食べないかですので、
バナナがなくとも、あんまり気にしてないんですけども(笑)。

っと。
私も数字を用いて記事を書いたことありますが、
数字があったほうが説得力がある場合があるんですよね。
でも、裏が見えにくくなることもしばしば。
数字って理論的かつ実証的に見える(笑)ので、
冷静に見ないといけませんね。

Posted by: ヒシ | 08. 10. 08 AM 1:41

-----ヒシさん
それは、田舎だからではありません。
ヒシさんのお住まいのあたりの方々は、
まともな地に足のついた考えをする人
だからだ、と思います。謙介も
そうバナナ、バナナと言う人間では
ないのですが、あれ、一本あったら
結構栄養的には補いになるので、
食べたりすることもあるのですが、、。
数字は、本当に使い方だと思います。
都合のいいデータだけ並べて
ほら見ろ、なんていうことだって
可能ですし、、。前にこのブログで
も書いたのですが、俺の勤め先が
ある経済雑誌のランキングで日本で
4位になったことがありました。うちで
勤めている人間、みんな。うそだー
って言っておどろいたのですが、
その経済雑誌の出してきた数字だけ
見ると、そういうことにはなるんですよ。
あ、こりゃ数字のトリックだ、と
思い、それ以来ランキングは信じなく
なりました。(笑)

Posted by: 謙介 | 08. 10. 08 AM 6:11

謙介さんおはようございます。
数字にはなにか魔法的な力があると思います。

お客様から会員番号が四だったり、九だったり、十三だったりすると「嫌だから変えて欲しい。」ときっぱり云われます。
なかには「失礼でしょう。」とおっしゃる方も。
会員台帳の索引全部書き直すのですよ。

それにしてもデータの中には本当に無慈悲な数字もあります。
私もいつかその数字の中の一人に加わるんだととても哀しい気持ちになりました。

データとして出す数字を人はさまざまな思いで受け取ります。
医療関係の知人友人は「ライターは書くのが仕事だし、○○といっても本当に色々なんだけどね。」といいます。
でも患者さんはデータに一喜一憂しますよね。

データを出すほうも自分がその病になったらどんな思いでその数字を見るか想像力を働かせて欲しいです。

Posted by: ラジオガール | 08. 10. 08 AM 8:21

バナナ
なんだか先進国の傲慢さを見ているような感じです。。
需要がなくなったら、フィリピンなんかの地方の小作人?はどうなっちゃうんでしょうか?
私にはタイ人のお友達がいるんですが、タイ
では猫まっしぐらとかのcat foodの工場で
働いている女工さんたちの一日分の給料
より猫まっしぐら一食分の方が高いという
ことです。。。

Posted by: yoko | 08. 10. 08 PM 1:26

----ラジオガールさん
そうですね。こないだの北京五輪も
八月八日、午後八時八分スタートでしたよね。八は末広がりで縁起がいいから、という中国政府のげんかつぎの結果、あんな開会式の日程になったと覚えています。
それが、数字というのはおっしゃるように
どうしてもその後ろにこちらの「思い」というものを引きずってしまうんですよね。
データが無慈悲であればあるほど、
そこに何かしらの意味を見たい、
ということだってあると思います。
そうして数字の意味だけがひとりあるき
をしていって、、なんていうことになっちゃいます。
もうちょっと数字にそれこそ、距離をおいてクールでいられたらいいんですが。

Posted by: 謙介 | 08. 10. 08 PM 6:40

----yokoさん
俺もまったくそう思います。
バナナと言われたらバナナ。寒天と言われたら寒天、にがりといわれたらにがり。食べ物には何の罪もないのですが。
バナナを収穫して、集荷場に運んで、
というような労働、ものすごく大変な
肉体労働なんですよね。しかも低賃金。
そんなバナナを、痩せるから、というような理由で、奪い合いみたいにして、、。
しかもそれは一時のブーム。
多分来年の今頃は、また別のものに
興味が行っていることでしょう。
何だかなぁ、、、って、
今回も出てきたこの騒動、
俺は冷ややかに見ているところです。

Posted by: 謙介 | 08. 10. 08 PM 6:45

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