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08. 09. 05

皮膚感覚

これから旅行シーズンであちこち出かける、
っていう人も結構多いと思うのだけど、、。
それで思っていることを今日は。


たとえば大阪、なんだけど。
この前、ドウトンの話をしたよね。
それで思い出したのだけど、オヤジがね、
まだ俺が小学生だったころに
社会見学、と称していろんな大阪のあちこちを
連れ歩いてくれたことがあったんだ。


心斎橋に道頓堀。そこまではいつもの何度か行ったことのある
大阪の街だったの。
ところがさ、そこから、そう離れていない場所だったと思うんだけど
その連れていってもらってた通りっていうのが、
何か街の雰囲気が全然違う、っていう感じがしたんだ。


それまでは親子連れとか家族とかカップルとかそういう
普通の感じの人がいっぱいいる街だったのに、
その通りに行くと、そういう人が全然いなくなっていた。
で、あんまり人も歩いていなくて、というより、
家族連れとか子どもが全然そこにはいない通りだった。
歩いているのは全部大人で、それもなんだか怖そうな人が
歩いてて、、。

子ども心にもなんだかすごく怖くなって、、。
しばらく歩いて、また元の心斎橋に戻ってきたときは
思わずオヤジの顔を見て「何だかちょっと怖かった」
って言ったのを覚えてる。
「大阪にはなぁ、こういう場所かてあんねんで。
気ぃつけや。」と、オヤジは言った。
ホンの通りひとつ隔てたところなんだけど、
それはとてもこわいところでさ。

大阪に生まれて育ってきたような人間に(彼は
西成区の天下茶屋で生まれて、
今は住之江区の北加賀屋に住んでる。)
その俺が行ってこわかった、っていう思い出の話をすると、
ちょっとびっくりしたような顔になって
「謙介、そこ行ったん? 」って真顔で聞いてきた。
「うん、行った、っていうか、ちょっと横切っただけなんやけど。」
「あんまり、その辺行くのやめときや。弾でも飛んできたら
あぶないさかい。」
「へ!? 」
「その辺結構やばいで。」
「そうなん? 」
「オマエ、無防備やなぁ。行った時、気ぃつかへんかったんか? 」
「そういえば、何となく人通りが少なかったような、、。」
「そんなとこ、用がなかったら行くなよ。
オマエの葬式なんかまだ行きとうないからな。」
と言われたりした。


それは大阪の街だけでなくてさ、関西の都市には
少なからずそういう翳の部分を持っているところ、場所
っていうのがあってさ。
それが、誰でも行くような繁華街とか盛り場から
道をちょっと行ったあたりだったりするの。
行ったらガラッと雰囲気が違う一画、っていうのが
あるんだよ。

それは実際にその場所に行ってみると
明らかに雰囲気が違う。
それはやっぱり身体の皮膚のレーダーみたいなものを
日ごろから鍛えている人にはそれとなくそういう場所に行くと
感じる、と思う。
こういう「空気を読む」っていうことは俺、すごく必要な
ことだ、って思うよ。
ちゃんと空気を読んでいないと、命に関わることさえ
あるもの。

もちろんこんなことは旅行のガイドブックなんかには
どこにも書いてはいない。
だけど大阪をはじめ関西の街って
実際そういうところ、っていうのは確実に存在する。 

不思議なことに、俺、東京とか横浜とか東のほうの街では
あんまりそういう通りを通っただけで危なさそうなところやなぁ
っていうのは感じないんだよ。
(単に知らないだけだと思うけど。笑)
俺がそういうの感じるのって、京都とか大阪とか
やっぱり関西の街で、っていうのが多かったりする。


京都だってあるよ。
たくさんの人が行きかう
大抵の人が知ってるところから
ちょっと行った場所で、あれ? って
思うようなところ、って。

そうそう。ソウルにもそういうところあったなぁ。
東大門の近くでさ。
近くには国立医療院とか東大門運動場(トンデムンウンドンジャン)
があったりする場所。
その関係でアディダ○とかナイ○とかリーボッ○といった
運動用品を売ってる店が並んでて、俺もスニーカーの
バーゲンの季節にはよく行ったりしたけどさ。
そこから数百メートルしか離れていない一画に行くと、
夜になったら娼婦が何人も立っているような場所が
あったよ。

(まぁ娼婦の方々の中には、晩になると、○ッテホテルのロビーに
まで進出してきていたりしていた人もいたけど。笑)


実は俺の今住んでる仕事場の街にもそういう場所があるんだ。
すぐ近くには放送局とか図書館とかっていうような
施設があるんだけど、そこからちょっと行ったら明らかに
ガラッと雰囲気が違う一画があるの。
夏の夜なんて、その辺を通ると、角に必ず椅子が出てて
そこに女の人が、座ってる。 その女の人は
通る車をじーっと見る。
その見方は、何気にちょっと見ました、なんていうのではなくて
ある意志を持って見てる、っていうような見方をする。

街を歩くときって、
やっぱり日ごろから、そういう皮膚感覚っていうのかなぁ。
周囲の状況をよく見て、そういう状況にビビッ、と反応するような
身体の、皮膚感覚のレーダーを鍛えておかないといけない、
っていう気がする。

気候もそうだよね。
風の吹き方とか、温度の変化とか
匂いで雨になるって分かったりするし。
(都会ではちょっと分かりにくいかも。
 田舎じゃあ、自然に囲まれた生活だから
 そういうのはっきりと
 あ、雨が来る、って結構分かったりする。)

実際の新聞記事なんかには出ないんだけど、
結構道を歩いていて脅されて
物を取られた、なんていう事件もあるみたいだし。
そういう皮膚感覚っていうのかな。

それを研ぎ澄ませておいて、歩いてて、ちょっとこれは、怪しいぞ、
って感じたらすぐUターンするとかして
行かないほうがいいんじゃないかなぁ。
まぁねぇ、普通に歩いてても事件に巻きこまれた、
っていうようなちょっと異常な事件も
あちこちで起こってて、
そういう研ぎ澄まされた皮膚感覚を持っていたって
事件に巻き込まれるときは巻き込まれる、かも
しれないんだけど、それでも、そういう街の雰囲気
っていうのかな。それは、ちょっと急変するような
場所が都市にはあるもの。

ホントそういうのどんなガイドブックにも書いてはない。
だけど、地元の人間は、親とか知り合いの
おじちゃんおばちゃんから聞いて、
「あんなところ、行ったらあかんで。」 って一度ならず
注意をされたりしている。だからまぁ地元の人間は行かない。

地元の人間でさ、そういう情報が入ってくる人は
分かるけど、そんなのパッと来た旅行者には分からないよね。

だからこそ、歩くときには、よく周囲を見て、通りをどういう人が
歩いているか、とか、何気に周囲を見て
空気を読む、状況の判断をする、
そういうことってやっぱり特に旅先なんかでは
要るんじゃないかなぁ、って思う。

旅行にはいい時期だけど
あんまり変なところには行かない。
自分で自分の身は守る。

そのためにもやはり皮膚感覚を鍛えて
空気が読める人間になっておく。
そういう感覚っていうのは、身につけて
おかないといけないことのような気がするんだ。


(今日聴いた音楽 It's Only a Paper Moon
 歌 エラ・フィッツジェラルド 1991年盤)

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Comments

謙介さんおはようございます。
そういう場所わがやの近くにもありますよ。
数年前にはお正月に殺人事件がありました。
隣町にはもっとすごいところもあります。
昼間から男の人が車道に落ちているんですよ。
以前友人が道を間違えてそこを通るはめになったときは貞操もしくは命の危険を感じました。
そういうときに過剰に反応してはいけないので冷静を装いましたが本当に怖かったです。
君子危うきに近寄らず。
良い子は危ないところに行ってはいけません。

Posted by: ラジオガール | 08. 09. 08 AM 8:01

---ラジオガールさん
そうなんですよね。いつだったか、私、何かしら事故事件に巻き込まれやすいんです、っていう方と話をしたことがあったんですけど、その人は全然周囲を見ない、という人、でしたね。今、自分はどういう場所を歩いているか、とか、道の雰囲気がどうか、とか。やっぱりどんな街にも地元の人はちょっとねぇ、、という町はありますね。旅行客ってそういうの分かりにくいとは思うんですが、神経を行き渡らせて、レーダーを立てているのにこしたことはないように思いますね。

Posted by: 謙介 | 08. 09. 08 PM 7:57

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