旅をするなら
そろそろうちの職場でも夏休みの旅行の話が出はじめた。
田舎なので、帰省する、っていう人はいなくて、
その代わりに、夏の終わりに何人か旅行をする、
っていうような話だった。
で、同僚何人かにどこに行くの?
って聞いたら、おぢさんAはラオスだって。
その人ね、何か東南アジア方面が好きみたいで
毎年、タイとか、ベトナムに行ってたんだけど、
今年はラオスなんだって。
おばさんBは最初、山形のほうに行くの、って
言ってたんだけど、やっぱりいろいろ思うところがあった
みたいで、ちょっとした変更があって、
信州にした、んだそう。
信州で温泉めぐりなのよーって、涼しいのやら熱い(笑)のやら
よくわかんない旅だわねぇ、って。
この夏、いろいろなところに行く人がいると思うんだけど、
やっぱり旅行に携帯って持って行きます?
まぁね、俺の友達みたいにお坊さんでさ、
檀家の家でいつお葬式ができるか分からないから、
ということで、業務上絶対携帯はいるんだ、って言う人はいるけどさ。
そういう仕事なら仕方ないけど、のんびりしに行く旅行に
果たして携帯って要るのだろうか?
日常から離れたところに行くのに、「日常」をそのまま
引きずっていかないといけませんか?
そこまで日常から切り離されると、自分の立ち位置が
なくなるみたいで恐いですか?
でも旅の楽しさって、そういう日常ときっちり隔てられた
ところにある、ような気がするんだけどなぁ。
それと似たことなんだけど、
時間がないからなのか、現地の滞在を主にしたいのか
ピンポイントで目的地まで行って、また速攻で帰ってくるの
っていうのも味気ない気がする。
旅行ってさ、その途中もおもしろくて、いろいろな風景を見たり
知らない場所の言葉を聞いたりして、ちょっと不安になったり
あ、自分はここは自分のふるさとじゃないんだ、って思ったり
孤独感とか心細さを感じながら、それでも旅をする、
っていうのも旅、っていう気がするけど。
なんか会社の出張みたいにさ、直行便でその場所に行ってきました、
ハイ、帰ってきました、っていうのってさ
自分の見たいところ、見たいものだけ見て
速攻でまた帰ってくる、ってさ、結局自分が見たいものしか
見てないわけでしょ。
旅行っていうのは、業務の出張じゃなくて
自分のそれまでの価値観が壊されたり
常識と思ってたことが全然通じなかったり、
知らなかったものを食べて、びっくりしたり、意外性というのか
そんな自分の中で
縛られている価値観をどーんと壊すところに
それこそカルチャーショックがあっていいんじゃないの?
あそこに行ったらこれ、ここはこれ、っていうふうに最初から
自分のイメージの延長で出かけていって
確認作業だけしてたってさぁ、、。
結局のところ、それは自分のなかにあるその場所へのイメージの補強している
だけでさ、結局のところ、「自分の中のイメージ」から一歩も外に出られて
いないんじゃない?
この時期になったら、島に行く、なんていう人も多いけど、
じゃあ、あなたが行かない、他の季節に島の人が
どんなふうにして暮らしているのか思ってみたことは
ある?
冬になると海が荒れて、船が何日も欠航して、
たくわえの食料がなくなっていって、
島にあるもので何とか食いつながないといけない。
そこには夏のリゾートになってるような島とは
全然違う、厳しい部分もある。
でも、それは夏の島からは全然分からない。
もうひとつの表情がある。
何のために旅をするのか?
どうして旅に出るのか?
魂は揺さぶられましたか?
光はどうでした?
水の色は?
山の風景は?
風の音は?
人の話すことばは?
俺、前に会津若松に行ってさ、もうびっくりしたことあったもん。
あんこの入ったまんじゅうをてんぷらにして、
それを蕎麦の中に具にして
入れて食べたんだもの。
そうそうてんぷらの海老みたいに蕎麦の上に載せて
食べた。
そんなの初めてだったしさ。
俺の中では、おまんじゅうはお茶と一緒におやつで食べるもの、
っていう常識しかなかったけど、福島県に行ったらさ
おまんじゅうは蕎麦の具だった、なんてさ、この日本の中で
あれまぁ、ということだったけど。
(ええ、ええ。後で会津の友達にしっかり言われましたけども。
あんこ餅の雑煮だっていい勝負だろ? って。はいはい。)
ピンポイントで、ガイドブック見て、ここに行きたい、
って写真の場所に行って、ガイドブックと似たようなアングルの
写真撮ってきたってさ、、、
岡山、っていったら、桃にきびだんごに大原美術館で
広島っていったら原爆ドームに宮島、それとお好み焼きで、
なんて言うのじゃさ、結局のところ自分の持ってるイメージ
っていうのか固定観念の中から一歩も出てないんじゃない?
だからいつまでたってもその中でだけしか対象を見られない。
それじゃ何のために旅に出るの?
ちょっとそんなことを訊いてみたい。
自分の持ってるその対象へのイメージをぶっ壊したり
日常から全然離れて別の時間に身をゆだねる、っていうのが
旅の楽しみだと思うのに、
行ったのはピンポイントでそこだけ、しかも携帯持参。
耳からはいつもの音楽。
全部置いてくれば?
無理? (笑)
これがうちの仕事場の前のバス停の時刻表。
説明をしておくと
これは左はしの枠が下り方面。真ん中の枠が上りのJRの駅行き方面。
これで上り下り兼用だよ。
だから下り便のバスが5便
上り便が7便。
これだけ。
しかも、これは「繁忙期」のダイヤなので、
「休閑期」のダイヤだと、朝・昼・晩の3便。
今は夏休みで学校がないので一日バスは3本。
前も言ったけど、都会だったらさ、
車はやめて公共交通機関を使いましょうね、
なんていってバスとか鉄道に変える、なんてできるけど
「田舎なんて、そんなことは到底無理だ。」
と言葉で言っても、都会の人はわかんない、と思う。
でも、自分がそういう場所に行って、こういう時刻表を
見て、実際そのバスに乗ったら?
あ、田舎で生活するということは
こういうことなんだ、という実際の経験ができる。
ね、公共交通機関を使いましょう、
車は要りません、なんて言ったところでさ
それは交通の便利のいい都会での話でさ。
田舎だとどうしても移動の手段は車、っていうことに
なってしまう。
車がなかったら、本当にもうお手上げなんだよ。
こんなふうに実際に田舎に来て、ゆっくりと
その時間とか社会に身をあずけてみると
今まで自分が、これが普通、とか当たり前
って思ってたことが案外頼りなくて
不確かなものに見えてきたりすることだってある。
地方なんてさ、もう過疎の集落が多いからね。
田んぼや畑の土地はあるけど、
お年寄りで身体が動かない人が多いから
そういう土地は荒れ果てたままになってたりする。
耕作放棄、って言うんだけど。
田舎に行って、そういう場所を歩いてると、
そんなふうに荒れた土地が目に入ってきてさ。
都会にいると、どうして地方は野菜や米を
もっと作らないんだ、くらいにしか思わないだろうけど
土地があっても、耕して作る人がいないんだもん。
人口が都会に集中してしまった結果。
食糧自給率を上げましょう、ったって、
一体誰が作るのよ? っていう問題だってあるものね。
そういう地方の実態だって見えてくるし、、。
そうしたら今までの自分の考えだって変ってくるかもしれないし。
そういう自分の中の「常識」とか「固定されたイメージ」
を壊すことが旅の楽しみじゃないか、って俺は思う。
人のまねでない、自分だけの旅。
なかなか身体のことがあって旅はできないけれど、
今年の夏もどうも病院の天井見て過ごしそうな謙介だけど
どうせ旅をするなら、そんな旅行がしてみたいなぁ、って
俺は思う。
(今日聴いた音楽 水色のワゴン 歌ハイ・ファイ・セット
アルバム パサディナ・パークから 1984年
高速道路を走っていたら、海帰りの車にまじって
自分のふるさとの街のナンバーをつけた車が走っていて
ふっと街のことを思い出した、っていう歌。 ホンのちょっとした
風景を切り取って描写した歌なんだけど、いろいろな思いや
イメージを呼んでくる歌で、センスがいいなぁ、って思う。
ちょうど今の時期にぴったりの歌ですね。)
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Comments
そういう旅もよいですね。
僕は、心配性なのか、おおまかな計画たてて旅することがおおいけど。笑。
携帯も、いざと言うときに〜なんて思ってしまうタイプです。恥。
ほんとに心からのんびり、空にして旅するって、ぞういうことかもですね。
僕も、そんな余裕のある旅をしてみたいものです。
(*^_^*)
Posted by: holly | 08. 08. 10 AM 10:27
----hollyさん
俺もね、10代とか20代の頃は、あれこれ荷物を持って出てたんですよ。あるとき、たまたまだったんですけど、CDプレーヤーとか(当時)カメラとか、持っていくのを忘れたときがあって。それまでは結構あちこちで写真を撮りまくってたんですが、結局、そんな撮るより、自分の眼に焼き付けたほうが印象や記憶が深く刻み込まれることに気づきました。カメラで撮ると、カメラで撮ったし、とか思ってしまうんですよね。それと、旅っていろいろな形態があるとは思うんですけど、日常から全然違った経験とか、そういう場所に行くのが旅の楽しさ、だって思うんですよ。なのに、日常をそのまま引きずっていかなくってもいいんじゃないか、って思うんです。眼の前に、一分でも見失ったら、、っていうような刻々と変化する大自然の景色が拡がっているのに、何もここまできて指でピコピコしなくたっていいんじゃない? って思います。景色の前で? って俺思うんですよね。たまにはそういうのんびりした旅っていいんじゃないですかねぇ。
Posted by: 謙介 | 08. 08. 11 AM 1:00