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08. 07. 07

おらの知らないところで世間は進む。

土曜日、岡山の坊さん友達から電話があった。
「今月の末にそっちにおまいりに行くついでに
会える? 」
「うーん。体調次第なんやけど、多分大丈夫ではないかと。」

そうか、そろそろもうそういう時期なんだ。
本当はお盆の時に、お坊さんは檀家の家に
おまいりに行くことになってる。
日本の仏教では、お盆の時期はご先祖の霊が
あの世から、このわれわれの住む世に帰ってくる、という
信仰があるから、その帰ってきた霊をお慰めするために
お坊さんは檀家の家々を回って経をあげる。

何度も言ったけど、俺↑で「日本の仏教」では、
と書いた。だって世界中の仏教の中でさ、「霊」が
あの世とこの世と往復したり、成仏しないで悪霊になって、
たたるなんていうのは日本だけのことだから。

よその国の仏教だと
そんなもの、人が亡くなりました。あの世に行きました。
それでおしまい。


ものすごく大雑把に言ってしまうと、
仏教っていう宗教は、この苦しみの多い現世の中で、
どうやって生きていけばいいのか、っていうことを考える
宗教。いわば「現実世界の生き方を考える哲学」
つまりは「現実の生き方を考えよう。」って言ってる宗教だから、
「あの世」とか「霊」なんて、そんなもの、
一番関係ないようなものでしょ? 

あれを言ってるのは本来の仏教じゃなくて、
日本の土着の宗教。

ただ仏教っていう宗教は、とりあえず何でもあり、
っていうところがあるから、(かっこよく言えば融通無碍。)
日本で仏教の教えを一般の人たちに広めていくときに、
そんな土着の宗教も取り込んで、
祖先の霊もオッケーっていうことにしたわけでさ。
だって、自分のこれまでの信仰が否定されない、、っていうのが
一般庶民が安心する方法でしょ?
だからそういう考えもまぁいいか、というので仏教の中に
取り込んだ、と。


ええ。
だから成仏しない霊とか、
お盆とかお彼岸なんていうのも、本来の仏教の教えから言えば
そんなものは存在しないんですよ。
夏なると決まって出てくる、
霊がいるとか、たたりがあるっていうのだって、
本来の仏教の教えからいけば、ああいうことは
「仏教の教えとは関係ない。」で片付いてしまう話
なんだけど。

だからさ、よくあっちこっちのお寺とかに行くと
水子の霊をお祭りしてあるところがあると思うけど、
水子っていうのも、本来の仏教から言えば
関係はほとんどない。

だけど、それを仏教の教えとは違うから関係ない、
っていうふうに切ってしまったとしたら
それでは、おそらく残された親の気持ちが
安らかになれないよね。そういう人の悲しみや、
つらい気持ちを救うのも、仏教の救済の役目じゃないか、
っていうことで、水子の霊をおまつり
することになったんだ。

だから、お寺に行ったときに、そういう水子の霊を
おまつりしてる場所を見たら分かると思うんだけどさ。
本堂の横とか本堂のすぐ前のところなんかに
そういう水子地蔵ってあんまり置かれてない、と思う。
(敷地が狭くて仕方なかったら別だけど。)

たぶんお寺の山門を入ってすぐのところ、とか
本堂の場所とはちょっと離れた山あいとか、
っていうふうに、お寺の本堂からはちょっと
離れた場所にある、と思うんだ。
どうしてか、というと、仏教本来の施設ではないから。
そういう意識の反映が、お寺の中心的な場所から
離れたところに置く、ということになってるんだろうって思う。


で、まぁ日本の土着の信仰として、
人の霊は、近くの山に籠もる、という考えがあって
その山から春になると下りてくる。それがお彼岸で、その霊に
お供えを上げて喜んでもらって豊作を祈る、という考えはあった。
そういう霊を楽しませる、という考えと、農耕の開始時期の
前に、骨休みをしてこれからの仕事に備える、っていうような
考えが合体して、お彼岸というものを作ったのだと思う。
秋のお彼岸も、夏の疲れを取る休み、っていうことと、
先祖礼拝がいっしょになってああいう形になったのだろうと。

あのね、日本の仏教って二重構造なんだよ。 大学で習うような
仏教学の授業だと、そういうお盆とかお彼岸
っていうのは教えない。
だってお釈迦さんの教えにはそれはないもの。
たけど、民間の仏教じゃそういうお彼岸とか
お盆はちゃんとあることになってる。
学校の仏教学では教えないもうひとつの仏教の流れっていうのが
日本にはあって、それが民間仏教っていうもの。

お坊さんたちは、大学では、そういう仏教学は習うけど、
お寺に入ったら、もちろん普通の人の仏教の儀式に合わせて
宗教行事をするけどね。
じゃないとお寺の経営が成り立たないし。(笑)
なので、お坊さんたちはこの時期、暑いなぁと言いながら
檀家さんまわりをする。水子地蔵もおつくりして、
お参りしていただくようにだってしている。

お盆のお参りだから、本当は8月の13日から15日の間に
お参りするのが正しいのだけど
当節、何せ、休みの日程が多様化していて
ましてやお盆の帰省の時期は避ける、という家庭だって多い。
だからおまいりの期間は前のように集中しないで
7月の終わりごろから、ずーっと続くことになる。


で、その坊さん友達というのが
今から15年くらい前に結婚したんだ。
お相手は彼より15くらい年上でさ。
だから当時すでに「熟女」の奥さんだったのだけど。
俺は一度、彼のお寺に行って泊まらせていただいた。
もうね、その時のことが忘れられない。
彼の部屋に用事があって行ったらさ、
部屋に洗濯用のロープが差し渡してあって
そこに、紫のレースのついたパンティが1枚干してあったの。

お寺の庫裏にぶらさがる紫パンティ。(笑)


俺さ、まぁ姉はいたけど、そういうのって、オフクロと姉が
目立たないように干して、さっさとしまってたから
そういうのあんまり見なかったし、謙介の場合は
よそのおねいさんのそういうものを見たところで、
ムラムラとかハァハァなんて言うのは一切ないわけでさ。(笑) 

そんなものまともに見る、という機会なんてなかったし、
見よう、なんて言う気が全くなかったものが
まぁアップでこの目に飛び込んできたわけ。


で、それから数年後、ヤツはその紫パンティの
奥さんだった人と別れた、と聞いた。
彼から離婚した、と聞いたとき、俺が思わず言った言葉が
「え、紫パンティと別れたんか? 」
「往生しましたわ。別れてくれへんかって。、、。
最後は裁判所行って調停でした。」
坊さんが往生してどうするよ、とは思ったけど
離婚のショックもあろうこととて、俺は黙っていた。

それからしばらくして、ヤツは今度は、20歳くらい年下の
おねいさんと結婚した。(それが去年の秋の話。)

いや、俺はね、坊さんの離婚・結婚っていうのには
あんまり驚きはしないの。

俺が大学のときに英語とイン哲(インド哲学)を習ったセンセイが
お坊さんでさ。 この人3回奥さんを変えているんだもん。
そういう人の例を知っているから、謙介はお坊さんの一度や二度の
離婚結婚話には驚かないので
ございますのですが、、、。

こないだ電話がかかってきて言うのに、
「俺なぁ、ヨメはんを出家させたんや。」 という。
「え? 出家、って、奥さん尼さんにしてしもうたん? 」
「そうそう。」
「夫婦で坊さんなん?」
「そういうことやね。」
「え、奥さん、よう尼さんなってもいい、なんて言うたなぁ。」
「いや、最初からなりたい、いうてたもん。」
「え、それで頭剃ったん? 」
「うん。」
「夫婦で頭つるつるなん? 」
「そうそう。」
「でも、そりゃ、奥さんがしたい、言うても、、。」
「いや、してもらわんとあかんのや。」という。
「何で。」
「俺のところな、たとえば俺がお参りに行ってるときに
お葬式なんかできたら、アウトやねん。最近、
檀家が増えてなぁ、で、そういうバッティングすることが
増えてきたんや。ひとりでやるん限界やねんわ。」
「そやから言うて、奥さんを出家させて、っていうの、、。」
「そやって人足らんもん。それになぁ、普通のときは、、。」
「何? 普通のときって、、、」
「買い物に行くときとか、。」
「そのときはどうするの? 」
「かつらをかぶって行ってる。」
「かつら。」
「高かったんやでー。かつら。」
「坊主になんかするからやんか。」

「だけど、先のこともあるねん。」
「え? 」
「俺のほうが先、死ぬと思う。」
「あ、そうか。 うん。」
俺はヤツがそう言ったので、俺は瞬時に了解した。

本当にこれはよくある話なんだけど、
お寺というのは、お坊さん本人の持ち物ではない。
本山から命を受けてそのお寺の住職をしなさい、
といわれて派遣される、という形をとっている。
と、言うことは、坊さんで結婚はしてても
子どもが跡を継げる状態だったらいいんだけど
跡継ぎがいない場合に、僧侶だった
旦那さんが亡くなった場合は、残された家族は
その寺にいられなくなって、寺を出て行かなければならない。

だって奥さんが坊主でもない限り、そのお寺にいる
意味がない、ということになるからね。
そこを彼は逆手に取ったのだ。
「奥さんが坊主でなかったら出て行かないといけない。」
じゃあ、「奥さんが坊さんだったら、出て行かないで済む」と。

「それでヨメも坊主にしたんや。」
「だけど、今度は(こんどわ!!) 若い奥さんなんやし、
子どもやって作れるん違うの? 」
「うーん。子どもなぁ、、。」彼はそこでいいよどんだ。
子どもを産んで育てる、というのが好きではないのかな、と
俺は思ったりした。
まぁシステム上は、それがいい方法かもしれないの
だろうけど。
自分の奥さんを尼さんにしてしまって、カップルで坊さんなんて、、。
俺、それは変、って思った。
(今も変、って思ってる。)

さすがにそういうふうなことは今まで聞いたことがなくてさ。
世の中、おらの知らない間にどんどん変化しているのだなぁ(笑)と。

ぼんさんあまさんカップルなんて、、ねぇ。
さすがにびっくりなのでございました。
ちゃんちゃん。

             ×         ×         ×

今日はがんセンターへ行ったら、他に誰もいなくて
待ち時間ゼロでさっと診ていただけた。
「今日は少ないんですね。」って思わず言ったら、
午前中その分混んでたんですけどね、とのこと。
数値は、少し下がったけれども、まだ安心できる
値ではない。
とはいえ、今までのように落胆も楽観もせずに
経緯を見ていこうと思う。


(今日聴いた音楽 ミス・ブランニューデイ
 サザン・オール・スターズ 歌 1984年)


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Comments

 僕が信仰してる浄土系仏教なんて,釈尊の教えからしたらおかしなものですよね〜;;; 現世は諦めて来世に期待しようなんて,救世主的な存在を信じちゃうんですもん。
 阿弥陀仏自体,西方的な神格に源流があるそうですけど・・・いや,無事蓮の花の上に生まれさせてもらえたら,お説法を聴聞してしっかり御仏の道を修行させていただきますから(苦笑)

 なんでもかんでも飲み込んで,それに合った経典を作って(しかもそれを釈尊が説いたという形にして)布教していくっていうのは,よく言えばバイタリティがあると言えるんでしょうねえ。
 おかげで,他の宗教のように異端論争で無駄に血の雨を降らすようなことも少なくてすんだわけで。

 それでも,僧侶の妻帯&子への継承はどうかなぁと思ってしまうんですよね。・・・お稚児さんもどうかと思うけど(笑)
 原則と戒律に忠実な南方上座部系からしたら,「おいこら!」ですよね(苦笑)

Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 07. 07 at 오후 10:01

----Ikuno Hiroshiさん
  浄土系仏教になると、最初がやはり庶民信仰とか庶民の人の心の救済、っていうところに根ざした成り立ちであるので、みんなの気持ちに添った仏教になって、もう何でもあり、ということに次第になっていったのかもしれませんよね。それとともにやっぱり庶民の生活っていうのは、ものすごく苦しいかったでしょうから、今の世の中は、もう苦しいことだらけだけど、ちゃんとまじめに働いて陰徳も積んでおけば、来世では、、っていうようなことかもしれません。
 僧侶の妻帯っていうのも、、やっぱり俺も心のどこかで、ちょっと納得できないなぁ、っていう部分があります。煩悩を断ち切るための出家が、それでいいのか、ってやはり思ってしまうんですよね。Ikuno さんの気持ち俺も分かります。お稚児さんは、、うーん、、、。(笑・以下省略)

Posted by: 謙介 | 08. 07. 08 at 오전 12:04

僧侶って自分達とは違う存在であってほしいと思います。学問とか修行とかもありますが、肉食しない、妻帯しないと言うもの、その違いの象徴的なもののひとつなのではないでしょうか?
一生独身で終える人が増え、40代で童貞の人が1割近い現状では、妻帯しないことの禁欲さ、困難さが薄れてきていますね。
僧侶の世襲についても、寺が檀家制度など支配者の仕組みに組み込まれてきた歴史を考えると、職業として世襲するのは自然なことだと思います。個人的には、宗教者の資質は遺伝的なものではないと思うので、世襲制には反対なのですが。

Posted by: mishima | 08. 07. 08 at 오전 12:22

---mishimaさん
mishimaさんが書いてくださったのを読ませていただいて、俺の気持ちのどこかで納得できない「変」っていう気持ちをうまく言い表してくださった、と思いました。やっぱり、妻帯はなぁ、、って思ってるところがあります。それでいて、現実のお寺を支えるシステムとしては、、、という問題もあるんですけどね。実際問題として今、お坊さんもすごくなり手がいなくて、、。
姉の知ってるお寺の跡継ぎ予定だった男の子なんて、修行の道を選ばずに、今、大阪でホストをしているんだそうで。実はそのお寺、結構、大きなお寺で、そのホストの子のおじいさんなんか、真言宗のある大きなお寺の管長までなった高僧だったんですが、、でも、いまやそんな状況もあるんですよね。お寺の人材難。
 しかしそれにしてもです。 多分俺が「うーん」って思うのは、mishimaさんと全く同じ部分じゃないか、って思います。
この先、江戸時代のこの遺物のような檀家制度も制度を支えられなくなってきているわけで、内部と外部からそれぞれちょっとずつ変わっていくのかな、と思ったりもしているんですけどねぇ。

Posted by: 謙介 | 08. 07. 08 at 오전 6:09

そういえば、「ラーメン、つけ麺、ぼくイケメン」の芸人さんは、宮城県の由緒ある神社の神主の息子なんだそうで、テレビで「売れなくなっても神主の保険がある」と言ってました。
世襲制が長く続き、不祥事を起こす子孫が出てくると、「でも、しか」で僧侶や神職になったんじゃないの?って疑ってしまいますよね。

Posted by: mishima | 08. 07. 09 at 오후 10:35

---mishimaさん
あ、そういえばこないだの地震で「無事でした。」なんてコメントがあったのを覚えています。そうですね。でも・しかでは、何となくおはらいとかしてもらうのも、、。(笑) やっぱり宗教者は毅然として孤高を守って欲しいですよね。そのために我欲を離れるわけですもんね。

Posted by: 謙介 | 08. 07. 10 at 오전 12:02

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