「くいだおれ」よりも、
とうとう先日、かねてからお知らせの出ていたように
大阪・道頓堀のくいだおれが店を閉めた。
去年の夏に実際にあの店に行って
お昼、あまりの客の不入りに、これはあかんわ、
と思ってたから、まぁ、閉店は時間の問題、
っていう気はしてたけど。
だけど、ホント、店閉めるとなったら、
どーっと人が集まってきて、
「うちとこ、昔から、この店でようごはん食べてましたのや。」
っていうような顔してる奴らが集まってきてさ。
あんたら、ホンマに行ってはったんやな、 ほんまやな?
ってつっこみを入れたくなるような気がして、
実は見てたりしたんだけど。
あんなもの、鉄道が廃止!って言ったら、それっ!て
言って乗りにいく人とおんなじやないか、って思う。
「去りゆくものは皆うつくしい。」
そんなセンチメンタルな気持ちがあれだけの人を
呼び寄せたのだろう。
まぁ人の気持ちなんて、
そんなものかもしれない。
しかし、惜しまれつつ閉店、ってさー、非難囂々の末に、
しぶしぶ店を閉めざるを得なかった、北久宝寺町にあった
某店なんかと違ってずっと良かったじゃないか。(笑)
ただくいだおれが閉店したのは、何度も言ったけど
営業努力が全然足らなかった、ということだと思う。
だって、全然お客が来ない店じゃなかったんだもの。
道頓堀の象徴の、あの店頭の人形の前で記念写真を
撮る人はわんさといたんだ。
えらいぎょうさんなお人が店の前までは来てはったのに、
みんな記念写真を撮ったら、別の店に移動してしもうて。
どうしてあの写真を撮ってた客をそのまんま、
店の中に入れることが
できなかったのか。
肝心の店に入って食事をしようか、
っていう人がほとんどいなかった、っていうことだもの。
なぜか、って言ったら、食事がおいしくなかったから、
もうこれに尽きると思う。
1階は洋食の店だった。
洋食の店って、あの辺で流行らないか、って言ったら
そんなことは決してない、って思う。
それが証拠に、ちょっと南に行った千日前の自由軒とか
逆方向だけど、もうちょっと北の、十合と大丸の間を東に行った
明治軒とか、お昼になったら、行列ができてしまうような
洋食のお店だって周囲にはあるもの。
にもかかわらず、ひとりあの店がこういうことになったのは
出される食事がまずかったからだと思う。
大阪で、あれほどの立地で、おまけに人が店の前までは
わんさか来てて、それでも店の中に入ってもらえない、ってさ。
誰が考えたって、味とかサービスに問題があるんだろう、
なんていうことはわかる。
そのわかることについて「何とか改善策を講じなかった」結果が
ああいうことなのだろう、と思う。
田舎の店みたいにさ、そもそも人が呼べない、っていうんじゃ
ないんだもん。人は呼べてる。けど、、、お客は入らない、なんだもん。
人が避けたのは、
やっぱりあそこが大阪やった、っていうことだろうね。
大阪って、値段に見合う食事の質と量がないと
お金を払わないもの。
この値段で、この量と、このおいしさだったら、まぁ
ええわ、となったら、金払う気にもなるだろうけど
値段に見合うおいしさと量じゃなかったら、
ああ、あれはあかんわ、で済んでしまう。
まぁそういう自然の成り行きだった、っていうことなんだろう。
ただまぁ、今までそれでもようもったほうやと俺は思うけどね。
うちの家でも京都に住んでたときは、大阪まで出たら
家族で食事をして帰る、っていうことあったなぁ。
今もどうしてだかその場面だけ鮮明に
覚えているのは、梅田の阪神百貨店の
食堂で、チョコとバニラの二色のソフトクリームを
食べたときのこと。どうしてでしょうね。
ウエイトレスさんがソフトを持つ取っ手のような金具に
二色のソフトクリームを入れて、持ってきてくれた
時のこと、今もその場面だけ、鮮明に覚えているって。
たーしか、阪神の上だったか、と思う。(変なヤツです。)
だけど食事になると、キタより、やっぱりミナミで
食べるほうが多かったなぁ。
前に、京都の友達と話していて、俺ね大阪の地下鉄、自分の記憶に
あるのは、黄色っていうのか、山吹色とクリーム色の
二色の塗装だったんだ、って言ったら、え?
そんな色やったかなぁ? なんて疑わしげに
いわれたんだけどさ。
絶対俺の記憶間違ってないぞ!!!
大阪の地下鉄は山吹色とクリーム色のツートンカラーだったぞ!!!
って思ってさ、あっちこっち画像を探したら、ありました。
ホラ、これが動かぬ証拠。
ね。
で、うちの家がミナミで晩ごはん、っていうときは、
くいだおれには行かず、その斜め前にあった
食堂ビルのドウトンに行っていたように思う。
大人になってそれなりに食べ物の味が分かるようになった時、
オヤジはぼんちっていうとんかつ屋に連れていってくれたんだけど。
ぼんちもドウトンも今ではもうない。
ドウトンはね、テレビでもコマーシャルしてたし、
(コマーシャルソングが有名だった)ラジオも
確か交通事故で亡くなった先代の
林家小染がコマーシャルしてた記憶がある。
「食堂ビルのドウトン」とか言って。
ドウトンって、くいだおれなんかより
ずっと大きな食堂ビルでさ、
そのドウトン自体は
もうとっくの昔に廃業してるんだけど
建物はしっかり残っててさ。
それがさ、その建物が、なかなか
すごい建築物だったんだ、っていうのを
俺は最近知ったの。
今のドウトンはこんな感じ。
「びっくりなんとか」とか「和○」が入ってる。
やっぱり変わり身の早い都会、っていうのを
しみじみと感じたりする。
でもね、この建物、実は昭和を代表する建築家の
村野藤吾が設計して1955年に竣工した建物だったんだ。
村野さん、といえば、元々北九州の出身なんだけど
関西を中心に活躍した建築家。
もう壊されてしまったけれど、デパート建築だと
心斎橋の十合かな。
あ、姫路のヤマトヤシキ(すごい名前ですけど、百貨店)もそう。
名古屋の丸栄。
ポピュラーなところだと、難波の新歌舞伎座
京都・蹴上の都ホテル、(シェラトン都ホテル)
京都の宝ヶ池のプリンスホテル、(グランドプリンスホテル京都)
東京の日本興業銀行本店(みずほコーポレート銀行本店)
結構いろいろある。
その村野さんが設計した建物がこのドウトンだった。
道頓堀の道路側は、黒いタイルがモザイク状にはって
あって、すごい地味な感じ。
周囲がかに道楽とかたこ焼きやとか
もうこれでもかこれでもか、っていうくらい派手な建物が並んでいるから
くすんで見えてしまうのだけど。
全景の見える写真がなかったのだけど、
戎橋から撮った写真がこれ。(Mくんどうもありがとう)
左側のほうに格子状の窓が見えている建物があるでしょ。
それがドウトンの川側のファサード。
それが道頓堀川に面したほうは、こんな感じで
表の重厚さに比べたら、ものすごく軽快なリズムさえ感じる。
そんなふうで全然印象が異なっている。
たぶんこれを読んでくださっているみなさんも、
戎橋に行ったことのある、っていう人は
ああ、あれね、って気がつくと思う。
うちでは、くいだおれより、ドウトンに入ることが多かったけど
いまは、もうこの辺で食事することもあまりない。
とんかつのぼんちもなくなってしまったし、、。
それでもたまに大阪に行った時、道頓堀の近くに行くことがあったら、
建物はまだあるかな、って見にいったりする。
そうしてまだ建物があることに、ホッとして
橋の欄干にもたれて川面に映る建物を見る。
(今は工事中で、欄干にもたれてなんて、
見られないんですけどね。 笑)
果たして、いつまで健在でしょうか。(笑)
(今日聴いた音楽 大阪市歌 演奏 大阪市音楽団)
« 粉の違いについて | Main | 貧乏人のクーラー »
「上方のはなし」カテゴリの記事
- 本当に速くなったのか?(2016.10.17)
- 止めるけど続けるんだって(2016.07.05)
- 阿倍野ハルカ○って微妙だと思う。(2014.03.17)
- 巡礼旅(7)(2013.05.28)
- 巡礼旅(6)(2013.05.27)
Comments
ドウトンへ、行こう~よ。ふれあうなにかがあるか~ら。探していた味覚がある、から。ほら、あのお店がドートン。―― でしたっけね。
ドウトンがドウトンボリのドウトンだったということに、この日記を読んで初めて気づいた儂は頭の悪い子ですか? そういえば家族の行きつけだった「ビュー二条」という二条城横のレストランを子どもの頃はずっと「ビューニー城」だと思っていました。
Posted by: athico | 08. 07. 28 PM 6:41
---athicoさん
儂だけ、なんて、そんなことありません。自信を持っていいます。(笑) 誰かさんだって、びわこバレイのバレイが「谷」とは知らず、気づかず、ずーっとスキーの傍ら、バレーボールもできるところ、って信じてました。しかし、確証もないのに、一度そうだ、と信じ込んでしまうと、本当を知らされたときに、あ、え、うわーとびっくりしてしまいま、せんか? (笑)
Posted by: 謙介 | 08. 07. 28 PM 8:12