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08. 06. 23

だいこんとさつまいも

知り合いで板橋のことをずっと調査をしていた人がいる。
そうそう東京の板橋。

「オタク」という言葉があったり、「鉄ちゃん」という言葉が
あったりするけど、人の興味の方向というのはほんとうにいろいろ。
まったくもって「蓼食う虫も好きずき」というのか(笑)
その方向が多種多様・千差万別だよね。
(なんだか四字熟語のオンパレードだ。)


レース場を疾走する車を見て、なんてかっこいいんだろう、
と思う人もいれば、空港を離陸するジェット機を見て、あこがれる
人もいたり、紙に書かれた数式を見て、なんて美しいんだ!
って思う人もいたり、バッハの音楽を聴いて、すばらしい、という
人もいたり。日ごろ滅多に走らない古い形の電車が特別に走る、
と聞いては、遠くのその鉄道会社までわざわざ行って、その電車に
乗ったり、パチパチと写真を撮ったり。
人間の興味の方向ってホント人によって、、
さまざまだよね。

だから、好きなタイプの好み、なんていうのも
そう。ヒライケンがいいという人もいれば、
どこそこのテレビ局の何とか、っていうアナウンサーがいいと
か何とかの競技の選手の○○くんがいいいう人もいて。
痩せている人がいいという人もいれば、太った人でないと嫌、っていう
人もいて。本当に人の興味の方向っていろいろでおもしろい。
(やっぱりそこに行きつくのか。笑)


まぁ俺だって、人のことは決して言えやしません。
これが好きです、って掲げているのは、
奈良時代の日本文学なわけで。

専門外の人間にしてみれば
どうして、現代ではなくて、奈良時代なのか、
っていうことだってあるし、奈良時代のどこがおもしろいのか、
っていうようなものだよね。(笑)
はるかかなた千何年前の人が一体どういうことを
思って、どうやって暮らしをしていたのか。
そういう人たちがいたから、今のわれわれがいるわけだよね。

奈良時代を調べて、今を調べるでしょ。
そうしたら、当たり前の話だけど、
日本語がどう変化していったか、っていうのが
分かる。もちろん日本語、ということは、
その後ろにあるわれわれの考え方の
どこが変わったのか、どこが変わってないか、
っていうのが分かって、自分としてはおもしろい、
って思ったんだけど。 

変わっていった部分もありはするけど、その一方で
三角関係に、不倫に借金に追われて大変なおっさんに。
こんなのは今だってそこいらじゅうにある話だと思う。


歴史書を読んでたら、そこから透けて見える当時の
人々の人生があって、そしてそれが案外今の
われわれにも似たところがあったりするし。
そういう生きた人間の話を読むのが謙介は好きなのだ。
まぁ自分のことはこれくらいにしておいてですねぇ。


で、その人の調べたのは、東京の板橋。
またなんで板橋なの? って聞いたら、
板橋って、江戸時代、江戸の代表的な4つの宿場の
ひとつだったから、なんだそう。
その4つの宿場っていうのが、品川、内藤新宿、千住、それからこの
板橋だったそうな。で、彼の中の心積もりとしては、板橋を最初に
品川、内藤新宿、千住、とその4つの宿場を全部調べるつもりで、
それで、第一弾として、まず板橋なんだって。

江戸時代にはさっき言った4つの宿場が江戸の街に入る入り口であって、
地方からの荷物とか人がここに集まった、ということだったらしい。
それが明治に入って、鉄道が走るようになったのだけど、大体が
鉄道なんて迷惑なものだったから、板橋の駅も、町外れの
すごく辺鄙な場所にできたって。


まぁねぇ。昔は蒸気機関車だったから、
今まで駕籠とか馬しか見ていなかった
人たちにとって、蒸気機関車っていう存在は
やっぱり驚天動地の
対象だったのだろうと思う。
黒くて不気味なものが走ってくるし、
石炭のばい煙は飛んでくるし、くさいし、
火の粉だって飛んでくるし。
鉄道は迷惑施設だった。


そういうことだから、大阪だって京都だって、大体の街では
繁華街からとんでもなく離れた場所に駅って
できてるもんね。

大阪なんてさ、当時の大阪の街の郊外の泥湿地みたいなところに駅を作った。
沼地や田んぼを埋めて土地を造成したから埋め田で、それが「梅田」になった。
堂山から北に行ったあたり、中崎っていうんだけどさ、
あそこなんて昔は「中崎村」だったんだから。
今の中崎と比較して
考えると絶句するけど。

大体が、大阪駅のすぐ近くの曽根崎で心中があったりしてるわけでさ。
「この世の名残、、」とか言いかわして愛し合った男女が
心中しようか、なんていうんだから、それはそれはさびしい場所だった
はずだよね。
今はビル街のどまん中だけど。(笑)

そういうわけで大阪駅なんて、
郊外の田んぼというか泥湿地で、土地がゆるゆるの場所に
駅なんか作っちゃったものだから、
それはもう歴代の大阪駅って、地盤沈下との戦い、
みたいなことがずーーーっとあったって。
そのうち土木建築で建物の基礎工法の画期的な方法が開発されて
改良工事を行っていった結果
何とか建物やホームが沈むのが止まったらしい。
もとはずぶずぶの大阪駅よ。(笑) 

京都だって繁華街は四条辺なわけで、
なのに京都駅をあんな七条辺に持っていったのは
やっぱり街中に駅を作るのなんてダメダメ、っていう意識だったからだろう。
駅なんて迷惑施設だったからね。

板橋もそういうことで、
もともとの宿場だったあたりからは離れた場所に駅ができた。
だけど、鉄道ができてからは、鉄道の駅周辺がにぎやかになって
もともとの宿場のほうは廃れていってしまうことになった。


江戸から明治になって、宿場が廃れた後、板橋には遊郭ができた。
練馬あたりのお百姓が大根を売りに来て、もうけたお金で
帰りに板橋の女郎屋で一晩過ごしてかえる、ということがあったらしい。
ところが、それも西武が開通して、大根運びは、西武電車がするように
なった。
西武って、元は練馬大根を運ぶために作ったって。それから東武は
川越の芋運びのための電車だったってさ。
もっとすごいのは、西武電車、上りで大根運んで、
下り電車じゃその大根を作るための肥料となる
し尿を運んでいたって。 
じゃあ、人は???


だから西武と東武って、それぞれ出来た理由というのが
大根輸送と芋輸送のための電車だったそうな。
だから今日のタイトルはだいこんとさつまいも。


その人が聞き書きもしているんだけど、
1978年ごろには、まだ、最後まで
営業してた遊郭のご主人が生きてて、
そんな営業をしていたころの話を
語ってくれた、って。
そういう話を聞き書きにまとめておかないと
もうこの先、そういう話を聞くことはできなくなる、
と思った、って、彼は言ってた。

そりゃそうでしょ。板橋に遊郭があったなんて、、。
今の板橋からは想像できないもんね。
西武電車とか東武電車が芋や大根運ぶためのものだった、
なんていうのだって、今聞いたら、
あれまぁ、っていうようなものだし。
そういう昔と今を比べてみたら、その格段の変化に
びっくりすることってあるよね。


あ、そうそう。謙介の車、今、○リジストンのタイヤを
はかせているのだけど、あの会社、今では
○リジストンっていう名前だけどさー、元の会社名って知ってる?
日本足袋っていうの。 「にほんたび」。
あそこって元が地下足袋作ってた会社だったんだ。

日本足袋製造のラジアルタイヤ。


昔を聞いたら、やっぱりそれが
どういうふうになって今に至ったのか、
っていうのに興味ができる。謙介は
その時々に生きた人がどういうふうにものを考えて
どういうふうに動いて、そうなったのか。
そういう人間に興味を持つ。
謙介が文学を専攻したのは
人間がどういうふうなことを思ったり感じたりしながら生きてきたのか、
っていうことを知りたいため。


こういうことを理工学部出身の同僚に話すと
そんな過去のどこがおもしろいんだよ、って言われるけどね。(笑)
理工学の人って、たぶん今と将来しか見てないもんねぇ。
古いものは使い物にならない、って捨てる。
でも文系の人間って、そういう古いものの中に
何かある、っていう見方をするから、ついつい
過去のものを捨てられずに、
取っておこう、っていったりする。

奈良時代を見て、今を見るとね、さっきも言ったけど、
確かに変わった部分だってあるんだけど
人間なんてそうそう変わらない部分っていうのもあってさ。
じゃあ、過去の人は、その問題をどういうふうに解決したのか、
って見て行くと、自分が生きて行くうえでの参考になる。
だって、源氏物語なんて、今年で執筆千周年だよ。(笑)
単に古くて時代遅れだったら、源氏なんて誰も読まないはずだよね。
だけどそんなことは全然ない。今もやっぱり源氏を愛読
している人は少なくない。
古典は決して古くない、っていうのは
そういうことだよね。


昔を見て、今を見て。
いろいろなところに、そういう会社とか街の歴史、っていうのが
あって、それで変化をした今があって。
板橋なんて、はるか西の田舎に住んでる人間からは
何の接点もないような街だったけど、そんな歴史を聞いて
そこに生きていた人の話を聞いたら、人が見えてきた、っていう
せいもあって、板橋がなんだかグッと身近になったような気がした。
レッドアロー号の電鉄会社は、大根運んでた、っていうし♪

そういうふうに街の変遷の話を聞くと、
あ、そういうふうに人が生きていて、
そうして今の街になったのか、って分かって。
おもしろい話を聞かせてもらったなぁ、って思った。

     ×         ×         ×

実は先週の金曜に検査結果を聞くためにがんセンターに
行ったので、今日はお休み。 結果は、前回に比べて
特段の変化はなし、というところ。 ただ、検査結果を聞こうと
思って予約時間に内科外来に行ったら、主治医の担当の
病棟の患者さんが急に悪化したとかで、手術、っていうことで
3時間待たされてしまうことに。いや、3時間ボーっと待って
いたのではないんだ。病院の西にシネコンがあるの。
なんか映画でもと思って、あ、そうそう、で、Dive! を。
(結局そこかよ。笑 いえ、たまたまそれがすぐに
はじまるところだったんだい。) 
映画の後半、オリンピックの出場選手の選考会があることに
なったんだけど、その後ろの風景、見てて、「うん?」 って
思ったの。 よく見たら、俺が学校を卒業してはじめて赴任した
島が映ってた。(笑) 懐かしいやら、驚くやら。だけど
ああ、あの頃は、若かったねぇ、、。まるで出演している
にいちゃんたちのようだったなぁ。
なんて
しみじみと思い出してしまったさー。
え? 映画は? ストーリーは? うーん。うーん。
では、これにて。ワシは帰るぞ。


(今日聴いた音楽 旅の夜風  歌霧島昇・松原操 
 1996年版 え? 今日の歌が古いのも合わせたのって?
 いえ、別に関係ありません。 この歌は映画の「愛染かつら」
 の主題歌なんですけどね。実は愛染かつらの木って、
 大阪の四天王寺の勝曼院っていうところに、その実物が
 あるんですよ。来週はその愛染さんのお祭り。 でも
 愛染なんて、愛に染まるだよ。何とロマンチックなお名前。笑)
 

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Comments

「♪花も嵐も踏み越えて~」の曲の題名は?と聞くと、愛染かつら!って答える人が結構いますね。
それ以前に、私ぐらいの年代だと「初めて聞いた」って言われますが…。
じゃりんこチエでチエちゃんが店の前を掃き掃除しながら、この歌を口ずさんでいました。

Posted by: mishima | 08. 06. 24 at 오후 7:27

---mishimaさん
ちゃちゃーちゃちゃかちゃかちゃんちゃんちゃちゃかちゃちゃちゃー、ちゃちゃーちゃちゃかちゃかちゃんちゃんちゃちゃかちゃちゃちゃー、ちゃーちゃーちゃ、ちゃちゃちゃーちゃーちゃちゃーちゃーちゃーちゃーん、うん、ちゃかちゃんちゃんちゃんちゃんちゃん、ときて、ようやっと、はーなも あらしもー となるわけですよね。(笑)ホンマこの曲って前奏が長いです。昔の曲って大抵いい加減前奏長いの多いですけど、この曲と「月がとっても青いから」は双璧で長いように思います。チエちゃん、そういえばこの歌歌ってましたね。俺も思い出しました。でも1番はやっぱり「月の比叡を一人行く」ですから、場面は、近江ですよね。(笑)

Posted by: 謙介 | 08. 06. 24 at 오후 11:06

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