緑、したたる頃に 5/5 (小説)
アメリカに行ってから、しばらくしたらシアトルの消印のついた
ヤツからのエアメールが来た。
「元気ですか? 」とあって、
「スミス先生は、人づかいが荒いけど、オレに、いろんなことを
どんどんさせてくれるので、いい経験になっている。」という近況
報告があった。そして、「ベースキャンプが決まったのでアドレスを
書いておきます」と、あって、シアトルの住所が書かれていた。
だけど、ボクはコーヘイに手紙は書かなかった。
だって、何を、いまさら書かなきゃならないのか?
日本に戻ったら、話をしよう、か?
話をしてどうなるものでもないんだし、、。
そう思ったボクは返事を書かずにいた。
そうしていたら、またしばらくしてやつから絵葉書がきた。
今、ナイアガラの滝の近くに来ています。朝日のいいショットを
狙っています、とあった。
それから一ヶ月に一度くらいの割合で、次々にポストカードが来た。
最初は市販の風景写真のカードだったのが、ある日から、
「これ、オレが撮った写真のカードなんだ。」という写真になった。
コーヘイの写真かぁ。
あ、そういえば。
ボクは聞くのを忘れていた、ことを思い出した。
どうしてコーヘイはボクなんかの写真を撮ったのか、ということを。
そう思うとボクは急にヤツに手紙を書きたくなった。
「こんにちは。
すっごい朝日の写真、どうもありがとう。何か気にいったんで、
写真、トイレに飾っています。
あのさ、ひとつ聞きたいんだけど、コーヘイ、
何でボクなんかの写真、撮ってたの? 」
それからまた一週間したころ、今度はいつものカードじゃ
なくて、封書のエアメールが来た。ボクは、ドキドキしながら
封を切った。すると中には一行。
「秘密! コーヘイ」
とあった。はるばる太平洋を飛行機で渡ってきたその手紙には、
たった一行、そう書かれていただけだった。
「バーカ! 」ボクはそう言うと、思わず笑ってしまった。
やっぱりあいつはあいつだ。
それからボクはもういい、と思った。
ヤツはこうして手紙をくれる。そのことをボクは思った。
ボクもいつまでも思っていても仕方がない。それこそ
ヤツはヤツの人生を歩くためにアメリカに行ったんだ。
ボクはボクなんだ。そう思うと、
今まで悩んでいた気持ちがさあっと軽くなっていった。
ヤツからカードが来る。
カードといってもヤツの撮った写真のカードで、
文字などほとんど書かれてはいなかったけど。
そうして筆不精のボクは5通に1通くらいはこちらからも返事を
書いていた。そのうち、一ヶ月に一度くらい来ていたコーヘイからの
連絡が、すこしずつ間隔があくようになっていった。
一ヶ月が二ヶ月に一度になり、二ヶ月が半年に一度になって。
そうしてヤツからの手紙は全く来なくなった。
それでもボクは彼は元気だろう、と信じて疑わなかった。
そうしてどこかで
ちゃんとヤツは自分の道を見つけて歩みだしているだろう、とも。
ボクは学校を卒業して、学生の時にバイトをしていた
会社にそのまま就職した。
気がつくと10年という歳月が流れていたのだ。
そしてボクはヤツに手紙を書いた。
6月30日
朝の7時。
梅雨の中休みなのだろうか。
めずらしくすっきりと晴れ渡った空。
そして朝の光に川の両岸から差し出ている木々の
枝の緑が鮮やかに川面に映えていた。
少しずつ朝の車が増え始めたころだった。
ボクが何となく振り返った時、
街のほうから、以前と変わらない
人懐っこそうな笑顔を見せて
こちらにやってくるコーヘイの顔が見えた。
(了)
× × ×
ながながとお付き合いくださいまして
ありがとうございました。
この前の小説、「はるのよい」を
書いているときに、イメージした場所として
念頭においていたのは、自分の育った
京都は右京区の常盤・鳴滝・広沢の池、あたりで、
今回の作品は、嵐山でした。
いわば「右京区小説」の第二弾、ということでしょうか。
(しかし、それにしても登場人物の会話、全く京都弁で
話させてはいませんでしたね。笑)
嵐山、と言っても、それは書いた本人だけの持つイメージであって
作品が作者の手から離れた瞬間から、
その作品から受けるイメージは読む人ひとりひとりの中の
自由な思いにゆだねられることは、言うまでも
ありません。
最近ちょっと更新が減っていたこともあって
そのお詫びかたがた、書いてみました。
この小説のイメージはもうずっと前に浮かんできて
いたんですよ。
「主人公が暗闇の中で自分の思う人の心臓の鼓動を
聞いている。外は雨で、その中で、相手の体温に
包まれて心臓の音を聞いている。」
そんな光景が目の前に。そうして
この光景をテーマにひとつ作品を書けないか、と、
考えました。
そうして何とか書いてみたのが、この作品でした。
ここまでお読みいただいたことに、まずもって感謝したいと思います。
それから、感想などもいただけましたら、
うれしいです。
今回も最後までお付き合いくださいましたこと、
本当にありがとうございました。
またいつか書きたいと思います。
そのときはまたよろしくお願いします。
「小説」カテゴリの記事
- 緑、したたる頃に 5/5 (小説)(2008.06.13)
- 緑、したたる頃に 4/5 (小説)(2008.06.12)
- 緑、したたる頃に 3/5 (小説)(2008.06.11)
- 緑、したたる頃に 2/5 (小説)(2008.06.10)
- 緑、したたる頃に 1/5 (小説)(2008.06.09)
Comments
途中,微妙にハラハラしてたんですが,無事に終わってよかった(微笑)
>以前と変わらない人懐っこそうな笑顔を見せてこちらにやってくるコーヘイの顔が見えた。
なんだか目の前にくっきり浮かんできそうな・・・
Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 06. 15 PM 9:15
---Ikuno Hiroshiさん
映画のウォーターボーイズの中で冗談めかして玉木くんが言ってます。[Love]と[
Like]は違うんだ、って。片方がLoveの感情を持ってしまった。Loveの場合、愛される、愛する、ってやっぱり不安と表裏一体みたいなもので、Loveの感情を持った側って、もうありとあらゆる細かな状況を全部都合よく自分のいいほうに解釈してしまうんですよね。そうした思いと、相手の思いの落差、というものもひとつのテーマになりあえるか、(だってそれで悩んでいる人って相変わらず多い、という事実がありますもんね。)ということで描いてみました。対立を対立のままで措いてしまうと、それはそれでリアルなんでしょうけど、ちょっとなぁ、ということで、こういう結末にしました。最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
Posted by: 謙介 | 08. 06. 16 AM 6:16
自分の中でずっと未読扱いになっていた「緑、したたる頃に」をたったいま、読み終えました。ずいぶん遅くなって変なタイミングでの感想になってしまってすいません。
夏の前、緑が深まるころ、ヒロユキとコーヘイは確かにその時を過ごしていたんだろうなあ。少し懐かしく少し切なくそしてあたたかい。雨の冷たさと肌のぬくもりと。対話するふたりの気持ち。
「さっさとアメリカにいってしまえ」といってしまったヒロユキ。
ヒロユキの写真を撮ったコーヘイ。暗室にいつまでもぶら下げておいたのは…。
どちらから、ではなく、どちらとも、だったのかな。
彼らは振り向かずに橋を渡ったのでしょうか。
(そしてそういった母親の言には意味があったのですか?)
Posted by: 桜庭 | 09. 08. 17 PM 3:50
---桜庭さん
お読みいただいてありがとうございます。本当にうれしいです。作者が書いた作品の内容についてあれこれ言うのは、ホントは禁じ手なのですが。(笑) 彼らはどちらとも惹かれている部分はあったのでしょう。ですが、哀しいことにヒロユキの指していたまなざしの先と、コーヘイのそれは、同じように見えて、違う空間を見ていたのだと思います。その差はホンの少しのような気がした。ですが、ホンの少しの差なんて、そんなもの、という人間と、やっぱり差は差だ、って思ってしまう人間がどうも出会ってしまった。
ある時期、本当に濃密な時間を過ごして、やがてまた時間の経過とともに離れていく人間関係ってありますよね。でも、その一緒に過ごした時間は本当に一生の宝物になるような。そんな一瞬のまぼろしのようなものを、もう一度、自分なりに何か形にしたかった。そんな気持ちがこのスケッチを書かせてくれました。
本当にどうもありがとうございます。また、そのうち、右京区作品集の続きを書きます。また読んでやってくださいね。
Posted by: 謙介 | 09. 08. 17 PM 11:20