心を入れかえて
謙介の大学の時からの友達で「りかちゃん」
というヤツがいる。
ちなみにりかちゃんは、男。
梨花で「りか」。
彼は知り合ってから長い間、苗字しか教えて
くれなかった。
だからずっと苗字のまま、モリ、と呼んでいた。
彼も自分のことを言うときは「オレ」だったし、、。
わざわざ下の名前なんて聞くなんてしなかった。
モリは実家が愛知で、京都の大学に来ていた
ヤツだった。
1回生とか2回生の時は、英語の授業とか
社会学の授業で顔くらいは見てたのだけど、
彼は同好会でボートをこいでいたし、
俺のほうは字を書くのに明け暮れていたから、
大して接点というのはなかった。
それが3回になって、ゼミが同じになった。
俺の行った国文科は、自分の専門のゼミは
3回か4回のどちらかで取って、もう一年は
専門外の時代の先生のゼミを取らなきゃ
いけないことになっていた。
3回の時に俺が取ったのは、中世文学だった。
ずーっと新古今和歌集を読んでいくという授業。
で、その新古今の先生はすっごく厳しくて単位認定も
なかなかシビアだ、というので有名な先生だった。
大抵のヤツは一番イージーで、単位もホイホイくれる
近世文学の先生のところに行ってたんだけど。
(だから近世だけゼミ生が50人もいた。)
なんか謙介って、変にストイックなのか、
単に変わり者なのか、どうせ受けるんだったら
厳しい先生のところに行こうじゃねえか、って
思って、中世に行った。
やっぱりみんな厳しいの知ってるから、敬遠の結果
メンバーは5人。(そのうち2人は、ホントは
近世希望、だったのだけど人数調整で第2希望に
まわされたヤツ。)
その5人が、交代で新古今の歌を解釈して発表する
という授業だった。近世みたいに50人もいたら、
自分の担当の発表は1年に一回で済む。
だけど中世文学のゼミは5人。そんなもの毎回当たる。
その先生が要求したのは、学生が自分の言葉で訳を
しているかどうか、ということだった。
新古今の解釈の本なんてたくさんあるからね。早い話が
高校の古文の参考書だってあるわけで。だけど、
そんな解釈を丸写しにしてきたのとか
あっちこっちの参考書をつぎはぎしてきたような
発表をしたら先生は怒った。
その代わり、不完全でもいいから、分からないところが
あってもいいから、自分の言葉で訳してきたことについては、
「お、そこまでよう考えてきたなぁ。」とかいうふうに
結構ほめてくれたりした。
ただ先生の要求したのは、
単に歌の解釈だけではなかったんだ。
この歌を歌った歌人は、どういう状況のもとで、
どういう心理状態だったから、こういう歌を作ったのか、
というような、歌の背景まで推理することを求めた。
(その推理の発表と、その後の質疑応答が実はすごく
面白くてさ。前にも何度か言ったけど、この歌は女のところに
行って一晩過ごして、次の日の朝に、その女の顔を見ながら
作った歌です。」なんて発表したら、それはキミの実体験に
基づく推理か? なんて聞かれて。
今だったらセクハラ、って言われそうなものだけど、
あの頃はみんなそう聞かれて、あはははははは、って笑って
ごまかしたり、してた。牧歌的な時代。(笑)
そうして、その中に筋肉質のりかちゃんがいたのだ。
俺は彼が中世文学のゼミに入って来たのに驚いた。
てっきり、近世にでも行くだろう、って思っていたから。
第2希望でまわされたのか、とも思ったけれども、聞いたら
違う。最初から中世で来た、って言う。
今にして思えば、単純に
ボート=体育会系→頭が筋肉のヤツという
安易な考え方をしてた俺が悪いんだ。(本当にごめん。)
話を聞くと「オレ、源氏だって読むよ。」って言う。
体育会系で源氏物語を読むヤツ、なんて、初めて出会ったので
最初話を聞いたときちょっと驚いた。
まぁ国文科の学生なんだから、源氏くらい読んだって別に不思議は
ないんだけど、さ。
でも、その時はまだモリ、という名前しか知らなかった。
で、授業が始まって、1カ月くらいたったころだろうか。
次の月からのそれぞれの発表する歌の担当を
決めなくてはならないことになった。
で、その決める日、彼が演習を欠席した。
どうしたのか、と思って、彼の下宿に電話をしたのだけど、
取り次いでくれた人は「ノックしてもいないようです。」
とのこと。
住所は、ゼミの連絡網を作ったときにお互い知っていたので
学校の帰り、自転車をちょっと逆方向に走らせて寄ってみた。
ノックをする。なるほど返事はない。
いないのか、と思って帰ろうとしたら
ドアが開いた。
「ああ、ああ。 」と俺の顔を見て、ちょっと驚いたふうだった。
「え? どうしたん。 調子悪かったんか? 」
「熱があるみたい。」
「何か買ってこようか? 」
「ふん。飲み物が欲しい。」
っていうので、俺はとりあえず近くの厚生会というスーパーまで
走って、飲み物を買って持って行った。
「演習の担当やけど。どうしよう? 」
「ああ、適当に決めといて。俺、どこでもええよ。
文句言わないで、するから。」
「分かった。」
そんなことがあって、2週間ほどした頃だろうか。
うちに「モリでございます。」って言って女の人から
電話があった。モリ、って? と思ったら、相手は
「モリ リカの母です。」とおっしゃる。
「モリ リカ? 」
「何ですか、うちの息子が、お世話になったそうで。」
次の日、たまたまモリのオヤジさんとオフクロさんが
京都に出てくる日だったそうな。そこで、病気で寝ている
息子を発見した、らしい。
俺が飲み物を買って差し入れしたのを聞いて、
お礼の電話をかけてきてくださった、ということらしかった。
で、その時に、彼のモリの下の名前が明らかになって
しまった。
「りーかちゃん。」学校に出てきたヤツに俺は小声でそういった。
「もう一度言ったら、、オマエ。」ヤツの目は血走っていた。
ここまでですっかり長くなったので(いつものことだけど)
少し端折ると、彼とはいい友達になった。
え? 謙介は、りかちゃんに
片思いせえへんかったんか? って? (笑)
あのね、実はそのとき、別のTっていうヤツがいいなぁ、
と思っていて、りかちゃんにはそういう意識が
全然起こらなかったんだ。
だけど、その分、すけべ根性変な意識も
しなかったから、普通の友達でずっと過ごせてよかったんだけど。
まぁそれから就職になって、彼は、国文科とは全然異なる
衛生陶器の会社に就職した。
「どうして? そこに決めたの? 」って聞いたら
「面接で向こうの会社の人がえらくオレを
気に入ってくれたみたいで。絶対来い。」って引っ張ってくれた
のだという。
その後も彼との付き合いは今にいたるまでずーっと
続いている。
彼は今は転勤で横浜にいて営業をしているのだけど、
最初は本社でそういう衛生陶器ができあがる
ひととおりをもちろん全部習ったということだ。
その彼からこないだ今度そっちに出張で行くから
会おうか、っていう話になった。それで28日の土曜に
実家の街で会った。
久しぶりの彼はちょっとふっくらとしたか、
とは思ったけど、相変わらずの元気さで
俺の前にいた。
いまや3児の父。
いいお父さんになってる。
子どもにどんな本を読ませたらいいのか、なんて
結構そんなことで悩んでいたり。いいお父さんしてる。
「こんなんやったら、近代文学と児童文学の授業
もっとまじめに聞いといたらよかったなぁ。」って。
「あははは。まぁ得てしてそういうものです、って。」
で、その彼が教えてくれたこと。
「謙介。トイレの便器ってなぁ。」
「うん。」
「あれ、形こそ、型枠に入れて抜いてくるけど。
その抜かれたものふたつをくっつけるのどうやってるか
知ってるか? 」
「知らない。そんなもん。機械で、ぐーっと圧縮でも
していってくっつけるのと違うの? 」
「継ぎ目は複雑な構造になってるから、
機械でくっつけるなんて、できないんだ。
継ぎ目のところに接着用の陶土を塗ってさ、
そのときにでこぼこしたところがあったら
ダメで、つなぎ目がつるつるで、
全然その継いだことがわからないようにまで
しないといけないんだ。
だからそういう継ぎ目をくっつける作業って、
全部ひとつひとつ人の手で作業するんだよ。」
「全部手作業? 」
「そう。」
そうして、そうやって作業をする方の手は、クリーム
などを塗ってはだめで、そのままの手でないといけない、
ということも聞いた。
「だけど、便器なんて、もう何万個も作られているじゃない? 」
「それを全部手作業で継いでいくんだよ。」
「人の手で? 」
「そう。」
「驚いた。」
毎日何度もお世話になっているのに、
やっぱり人間の排泄のための道具、という
意識が大きいのだろうか。本当に扱いが
いい加減というか、時にはむちゃくちゃだったり
することもある。
そうなのかぁ。
そういう経緯を経て、できたんだ、と思うと
あだやおろそかにトイレを使ってはいけない、
と改めて思った。
本日ただいまから心を入れ替えて、心をこめて
使わせていただきます。
お掃除だっていい加減にささっと済ませて
しまわないで、もっと丁寧にかつ
頻繁にさせていただきます。
と強く思ったのだった。
× × ×
月曜なので、がんセンターの日なのだけど、今日は
検査のために、2時間年休をもらった。
少し早く仕事場を出てがんセンターに向かう。
今日は超音波検査。
ベッドサイドにディスプレイをこちらに向けてくださって、
画像を見ながら、診察。
「うーん、と。 ここまでは見えるんだけどねぇ。」
「そこから先が見えない、っていうことですか。」
「ふん。 で、これが腫瘍の小さいの。」
「取ったほうがいいですか? 」
「とりあえず様子を見ましょう。今はまだいいよ。」
内科、ってこの「とりあえず様子を見ましょう。」っていうのの
いかに多いか。
外科だと、もう有無を言わさず悪いものは悪い、って切って
しまうのだろうけど、、。そこがやっぱり外科と内科の
違いだろうか。
数値は、3月以来継続的によくないのが3つ。
新しい注射のこと、治療法の話をして
診察終了。
いつものように採血6本して帰る。
先の見えないことにどうしようもない絶望的な気持ちに
なる。何とか気分が上向きになるようなことを考えて
必要以上に落ち込まないようにはしているけれども。
それでも、この先、多分最期まで
一人で生きていかなければならない、
ということを考えたら、やっぱり、どんよりとしてしまうことも
しばしばあって、、。ちょっと今日は帰り、
先のことを思ったら、きつかったなぁ。
(今日聴いた音楽 EXILE 時の描片 2007
今日の心の状態に一番合っている曲だなぁ、
と思う。)
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Comments
梨花ときたら,女子大!(笑)
男の子の名に付けたからには,何か由来があるんでしょうか??
大学のゼミ,本当はローマ法をとりたかったんですよ。興味のあるラテン語と歴史と専攻の法律を同時に学べるおいしい科目(←実は三重苦 笑)
でも,担当教授が司法試験合格率アップに燃えていて,ローマ法の看板そっちのけで対策ゼミと化していると知って,諦めました。
もし,ちゃんとローマ法の講座が行われてたら,手抜きせずに(笑)勉強して大学に残ってたかも・・・
>一人で生きていかなければならない、
うんうん。
・・・でも,ネット上で見守ってますからねっ。
Posted by: Ikuno Hiroshi | 08. 06. 30 PM 10:13
---Ikuno Hiroshiさん
ありがとうございます。
ちょっと今日は弱気になっているので
お言葉、胸がいっぱいになりました。
ありがとうございます。
俺も実は、「サンスクリット語」っていう
授業が他の学科であったんですけど。
ちょうど「古代文学研究」の授業と
同じ時間の授業で、泣く泣くあきらめた
のを覚えています。
そですよね。りか、ときたら
新村のヨジャデですよね。そうそう
あの梨大の近くに伝統菓子のお店があって
何度か知り合いになった
キョスニムへの手土産、というので、
買いにいったのを思い出しました。
Posted by: 謙介 | 08. 06. 30 PM 10:40