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08. 05. 27

複雑な気持ち

今日の話は、ある意味前回の話を引き継いだ
話、ということでもありはするのだけど。

先々週から、オヤジに頼まれた調べものがあって、
休み休みではあったけど、ずっとしてたことがあった。

それは何か、というと、オヤジのそのまたオヤジ、つまり
俺から言えば父方のじいちゃん、ということなのだけど
その最期を調べて欲しい、ということだった。

俺の父方のじいちゃんは一等航海士だった。
彼は、太平洋戦争中、朝鮮半島の南西沖を航海中に
アメリカ軍の潜水艦に攻撃された魚雷が
船に命中して、あっとい間に船は沈み、
そのまま帰らない人になってしまった。


そこまでは、俺も何度も聞いて知っていた。
オヤジも、最近、いろいろと思うところがあるようで
時々、そうした過去のことについて、調べてくれないか、
と俺に言ってきたのだ。


ひとつは、俺が、食事の時の話に、インターネットで調べたら
今まで、本でしか載っていなくて、しかもどんな本を
見たらよいのかなかなか分からなかったことが、
今では、キーワードだけ入れたら、いろんなサイトの内容が
検索できる、なんていう話を、したからかもしれなかった。
それから、いろいろとオヤジの中で考えることが
あったのかもしれない。 自分の親の記録をちゃんと整理して残して、
おきたい、そのことを孫にも知っておいて欲しい、というような。

「これなんや。」とオヤジから渡された紙には
本当にメモ書き程度のことしか書かれていなかった。


「第二大運丸 ○○海運所属  1944年7月2日 
N34-33 E125-12 被雷 沈没 船員20名戦死」


まずこのじいちゃんの乗っていた船のことを調べた。
戦争中に、にわか作りされた、いわゆる戦時標準船
と言われる、ベコベコの薄い鋼板で作られた
おんぼろの船なのか、と思っていたら、
船名を入れて調べてみると、船の建造は1911年
大阪桜島にあった大阪鉄工所で進水したことが分かった。
明治末年の建造の船だった。


そうして、この船の最期については、
友達のHさんの作っているデータベース「近代世界艦船事典」
に簡単な記述があった。

44/7/2 朝鮮半島西部沿岸 34°40' N / 125°25' E で
アメリカ潜水艦(SS306) タングの発射した魚雷を受けて
沈没  とあった。


沈没場所が微妙に違ってはいたのだけど、
早速グーグルアースで、その場所を見てみた。


しらべてみると、韓国の全羅南道(チョルラナムド)の有名な港町
木浦(モッポ)から西へ。(木浦はね、ヤクザとお妾さんが多いんだ、
って、ここ出身の友達が言ってたんだけど、、。ホンマか? 笑)
その黄海上に紅島(ホント)という島があるのだけど、
その島と、その南に小黒山島(ソフクサンド)
という島があって、その大体中間地点がその場所らしい、
ということがわかった。
俺はその場所に鉛筆で薄く×を入れた。
ここがじいちゃんの最期の場所、ということなのらしい。
位置としては、天童よしみさんの歌う「珍島物語」の
あの「珍島」から、真西にずっと行った海域あたりらしい。

そうして、Hさんのデータベースから分かった、
じいちゃんの船に魚雷を撃った潜水艦を調べた。
これも「SS-306」とグーグルに打ち込むと、
あっけなく分かってしまった。

それが、この潜水艦だった。

Ss306

そうしてこの潜水艦について、もうちょっと詳しく
調べてみよう、と思った。


この潜水艦は、Hさんのデータベースにもあったように、
Tang (タング) と呼ばれた潜水艦だった。
この潜水艦、実にすごい戦績を上げた潜水艦らしくて、
日本・アメリカ、それぞれのウィキペディアにちゃんと項目と
して記載があった。以下その記述を要約して記す。


1943年8月17日に進水し、就役したのが1943年の
10月のことで、じいちゃんの船を攻撃したのが翌年の
1944年の7月だったから、まだできて1年も経っていない
いわば最新鋭の潜水艦だったようだ。
排水量は水中で2524トン。
全長93.6メートル
幅8.31メートル
吃水 5.1メートル
120メートルまで潜れ、乗員は士官6名、兵員60名とのこと。


日本版のほうは記述が書きかけで、まだ未完成のようだったけれども、
英語版のほうを読んで行って、俺は、ある箇所で目が釘付けに
なった。そこにはこう書かれてあった。


  On 30 June,(謙介注1944年) while she patrolled
   the lane from Kyūshū to Dairen,(中略)
  The next morning, Tang sighted a tanker and a freighter.
   While she sank freighter Taiun Maru Number Two,
  tanker Takatori Maru Number One fled


”she sank freighter Taiun Maru Number Two”
つまりは、彼女(Tang)が、貨物船であった第二大運丸を
沈めた、と、はっきり記述があった。
「間違いないわ。じいちゃんの船、沈めた、と書いてある。」
「どこ? 」
「ほら、ここ。」と俺は上の部分をオヤジに見せた。
「ホンマや。」


アメリカ版のウィキペディア、多分アメリカ時間の日付で
7月1日、ということになっているのだろうか。
日本の日付で言えば、昭和19年の7月2日の朝、
朝鮮半島、全羅南道沖の海域で、Tangは魚雷を
発射し、その魚雷は狙い通り貨物船に命中した、と。
記録としては、そういう記述になるだろう。

「これか? 犯人は。」とオヤジが言う。
「ふん。そうみたいや。」

確かに、上のウィキペディアの記述を、
うちのオヤジから見た記述に直して書けば、
この潜水艦から発射された魚雷が命中して船は沈没し、自分の
父親は亡くなることになった、
つまりはこの潜水艦に殺された、と。 
そうか。こいつが犯人なのか、と、オヤジはもう一度繰り返して言った。

俺は、もうちょっとそのTangの記述を読んで行った。

先ほども書いたようにこの潜水艦は
24隻の日本軍の艦艇を撃沈させ、その撃沈
させた総トン数は93,824トンに上る。
その劇的な活躍のために、4個の従軍星章、
2個の殊勲部隊章をもらっている。


ところが、この潜水艦の活躍した時期は
決して長くなかったのだった。

1944年の10月11日、台湾海峡北部。
Tangは日本のウー03船団に遭遇した。
その中の油槽船を攻撃しようとして
潜水艦は24発の魚雷を発射した。
(実際は油槽船じゃなくて貨物船だったそうだけど)
そうして、その最後に発射した24発目の魚雷。
何とその魚雷は、撃たれたあと、方向転換を
して、発射されたTangに向かってきた、とある。


艦は急いで回避行動をとったが間に合わず、
そのまま艦に魚雷が命中することになった。
当時この潜水艦は浮上していたらしいが、
自分が撃った魚雷が命中して沈没しはじめた。

それから、さらに日本の護衛艦の爆雷攻撃を
受けて、潜水艦は完全に撃沈されてしまった。
そして艦はどんどん沈んでいって最後は海底に
着底したらしい。


着底した当初は、まだ生存者が30名ほど
いたらしい、とのことだが、半数以上が火災に
よる煙を吸って窒息死し、わずかに脱出できた
者は、9名、ということだった。その9名は
日本軍によって助けられ、捕虜となった。

記述を要約して書くと、ざっとこんな感じ。


この潜水艦が就役したのが1943年の10月15日で、
沈没したのが1944年10月11日だった、ということは
実際に使われた期間というのは、厳密に言えば1年
なかった、ということになる。

華々しい活躍をした潜水艦は、あっという間に、
海の藻屑として海底深く消えてしまった、ということだ。


そうして、俺のじいちゃんと同じように、その乗組員の
兵士たちも帰らない人になってしまった。

この潜水艦の最後の部分を俺はオヤジの前で読み上げた。
「そうか。ごたがいに死んでしもたんやな。そんならええわ。許す。」
オヤジはそう言った。

実はつい昨日、5月26日まで、高知の南西部、宿毛の港に
アメリカ海軍のイージス艦が
入港していた。
艦名を、オカーンという。


実は、イージス艦の名前の由来、
この潜水艦、Tangの艦長をしていた、
リチャード・オカーン艦長からつけられた、
ということらしい。オヤジの「文脈」で言えば
自分の父親を殺した責任者の名前のついた船だ。

「宿毛に来てる、って。」
「けたくそ悪いやないか。」
そんな話もオヤジとした。


まぁ、そんなふうにじいちゃんを殺された、という気持ちは、
正直なところ俺にもありはする。
ないといえばそれはやはり嘘になる。

ただ、それは怒りという
気持ちか、と言えば、それにはちょっと
当たらない気もするのだ。
それはやはり生まれたときに、
じいちゃんがすでに死んでいて
親の記憶の中で語られる存在だった、ということが
大きいように思う。
祖父の生に現実感が持てないのだ。

オヤジは「ごたがい死んだから許す。」と言った。
じいちゃんが亡くなったのと
同じように、戦場で、それから、沖縄のように地上戦で
それから本土の都市をねらった
空襲で亡くなってしまった、もしくは
親族を亡くした、という人を憶えば、それはものすごい数にのぼる。
もちろん敵として戦った米軍の戦死者だって
半端な数ではない。
戦死した乗組員の兵士たちにも
やはりかけがえのない家族がいただろうし、
戦争、ということで、それまでの生活があっただろうに
兵隊にとられ、狭い潜水艦に乗せられて、
こんな東洋の見知らぬ海域くんだりまで
連れてこられて、攻撃を受けて艦もろとも運命をともにして
しまった、という最期を思うと、その辛さは
すごくよく分かる。 (それで言えば、すべての戦争がそうだよね。
おびただしい人びとの死と言う犠牲がそこにはあるわけで。)

戦争というのは、どちらかが勝利する、という結果に
なったりはするのだろうけれど、
その勝利のための犠牲だって、ものすごいよね。
記録文書としては、何万何千人がなくなった、
としか書いてないけど、その一人ひとりにそれぞれの人生があって
それぞれの家庭があって、そこには当然
家族の営み、そういうものがあったはず。
それがある日突然断ち切られる、
ということでもあるものね。
人生半ばに無理やり自分の人生を変えさせられてしまう、
命さえ奪われてしまう、のこった家族の人生も同じように
めちゃくちゃなことになってしまう。


先日、自衛隊の駐屯地に行ったとき、
若い自衛官と、その若い自衛官に見合った
女の子のカップルを何組も見た。
自分の生活してる場所を見せようとして、ちょっと緊張してる男の子と、
制服の男の子を頼もしそうに見てる女の子と。
そんな何組も見たカップルのこととか、じいちゃんのことを調べていて
分かったこととか、あれこれと考えていたら、
やっぱりものすごく複雑な気持ちになった。
まだオヤジの中でも、太平洋戦争は終わってなどいないのだし、
その影響、俺にも多少はかぶっている、と思う。

そうしたことをどう考えるのか。
どう自分なりに整理して、答えとなる考えはどういうふうなものか?

もちろん、それは簡単に答えの出るようなことではないし、、
うーん、といつも最後は
ため息混じりにではなってしまうのだけど、
このことは、ずっと考え続けて、いつかは答えを
出さなくてはならない、
「じいちゃんからの宿題」だと思っている。

(今日聴いた音楽  蒼氓  歌 山下達郎
 アルバム 僕の中の少年 から
 蒼氓というのは、名もなき「たみくさ」という意味。
 一蒼氓として、戦いの中に亡くなったじいちゃんに
 この歌を重ねて、さまざまなことを憶います。 )


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