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08. 05. 21

週末映画

17日の土曜も、家で映画を見てた。

Ahiru

今回見たのは、「○ヒルと鴨のコインロッカー」
見た人っているだろうか?

感想は、、
うーん。うーん。正直、ちょっと残念だなぁ、、
という作品だった。
あのね、テンポがよくなかった。
特に前半。シーンの積み重ねが、
すごくのろのろとしてる印象があった。


俺、京都にいた時、住んでたのが右京区の常盤でさ。
常盤っていう区域は、南隣が太秦なんだ。
そうそう○映太秦映画村、撮影所のある太秦。
それで、ごく自然な流れで(笑) そのころは太秦からちょっと東の、
花園にあった(映画の現像をしてた)東洋現像所(現在のイマジカ)とか
太秦の映画の撮影所でバイト、っていうことになってさ。

そんなところでうろうろさせてもらったおかげで
映画ってどういうふうに作っていくか、っていうのを
身体で知る、ということができた。

映画を撮る時っていうのは、
もちろん音楽は入っていないよね。
で、映画を作って行く過程で、音楽も入れていくことになるんだけどさ、
その音楽が入ったとき、
映画の画面の印象って、がらっと変わったものになるんだ。
音楽が入ることで、その作品自体にリズムが出てきて
映画のストーリーとか
シーンの積み重ねのテンポが出てくることもあるし、
逆にテンポが落ちてしまうことだってある。

だけど、音楽を入れたために、映画のテンポが落ちた、
って感じられる映画っていうのは、正直言って、
あんまりいい映画じゃないように思う。今回の映画で、
まず感じたのは、なんかテンポがダラダラしてるなぁ、
っていうことだった。


それから、もうひとつ気になったのは、
映画の中でいきなり強引に物語を持って行き過ぎ
って思う部分があるかと思ったら、逆に
やたら説明過剰で、そこまで繰り返して何度も表現しなくても、、
という部分があったこと。

俺ね、自分が書く小説の中で、これは絶対しないぞ、
って思ってるのは、作品の中で、作者が物語の説明をすること。
これはやってはいけないことだと思う。
主人公は、どういう立場の人間か、とか
彼は~思ったとか、そういうことを平気で
やってるドラマとか小説があるけどさ、それは
ものを創る人間が一番やったらダメなことなんじゃ
ないかな。一体何のために創るの? 
っていうことになるもの。


多分ね、そういう説明って、多分あれは、
朝の連続テレビ小説の影響なんだとは思うけど。
(もう何度も言ったことだけど)

朝の連続ドラマっていうのは、ナレーションが入って、
「(主人公の)○○は、こう思った。」とか言ってる。
台詞も時々状況の説明みたいのが挟んであったりする。
でもね、それは仕方がないの。朝の連ドラは、
きちんと見てるんじゃなくてみんな耳で聞いてて
他の用事をしてるから。
耳だけで、ドラマの筋を理解させないといけないような
作りになってるから。

あのドラマの作り方はそういう制約がある。
だからそれはそれで仕方のないことだと思う。

だけど、普通に読む小説は、字面を追ってるわけで
読む側は、少なくとも字に集中してる。
だからこそ、字だけで勝負しなきゃ。
映画だったら、そこに提示する画面だけで勝負しなきゃ。
そんなNHKの連ドラじゃないんだもん。

彼の職業は消防隊員で、とか
○○は、そこでこういうふうになりました、とか
彼はここでこんなふうに思いました、なんて
説明してどうする?

そんなもの、自然に分からせる努力をしなくちゃ。
じゃあ、そのためには、どういう文章を書かなきゃなんないか、
どういうふうにして読者に知らせていくか、
それを考えていくことで、文章が自然と練られていくんだ、
って俺は思うなぁ。
そんなもの、さっさと書いてしまったら簡単よ。だけど、直接書くんじゃ
なくて、他の方法で知らせる。それが小説の文章だと思うけどねぇ。

文章だったらそうだし、映画だと説明はしない分、その代わり、
見ている者を納得させるストーリー運びが
なくてはならない、だろうし。

「見てて、あ、そうだったか。」と
「あ、こういうふうにつながるのか」と腑に落ちる部分。
その腑に落ちる部分は、きちんと、帳尻が合わなきゃ、
っていうことは俺は言わなくていいと思う。
少々帳尻が合わなくても、(多少変なところがあったとしても
物語が面白くて、その面白さで
ぐいぐい押していけば、案外見るほうはそれで
納得してしまえるものだけどね。


だけど、確かに説明は不要なのだけど、それと自分の都合のいいように
物語の筋を持っていく、というのはまた別なことだ、
とも思うんだ。ところがこの映画の中に、そんなうまい具合に物語は行くかよ、
って思う箇所が何箇所もあった。

物語の展開上、少々ストーリーが強引でも
後になって、あ、そういうことだったのね、って言わせるために、
映画の中で、シーンがポーンと飛んだりする、というのは
かまわない。
だけど、そんな都合よく話が進むかよ、
そんなうまい話はねえよ、っていうストーリーの展開では、
見ている側が白けてしまう。
そんな箇所が何箇所もあった。

かと思ったら、やたら何度も似た場面が繰り返されて出てきて
もういい、分かったから、っていう部分もあって。
説明過剰と、強引な展開と。
何だか見てて極端から極端に走ってるなぁ、という映画だった。
その部分が、俺にとって、ちょっとなぁ、、って思った理由なんだ。

でも、仙台へは行ってみたい、って思った。
やっぱり、行ったら
牛タンをいただかなくてはなりません。
そして行くときは新幹線で。(笑)


        ×       ×        ×

今日は、夕方、市営の温泉に行ってきた。
だって、いろいろと疲れることあったんだもん。
入り口で、料金表を見て、
あれ、ここも値上げだ。
聞くと、4月1日から、料金改定をしたんだそうな。
ホントにもうあっちもこっちも値上げだよね。

スーパー銭湯みたいに、いろいろな種類のお風呂が
あるわけではないけれど、御影石の浴槽で、ゆっくり
のんびりできる。
ゆったりした気分で出てきたら、休憩所があって
マッサージチェアが数脚。
100円払って、さらに極楽感をアップすることに。
うぃーんうぃーん。うぃーん。

ああこりわこりわ、ごくらくごくらく。

椅子に肩やら腰をもまれながらふと視線を上げると、


げっ。


何でこんなところにこんなものが。

俺が大学の時に漢字の書を習った
嫌いだったウマが合わなかった先生の書いた書の額が、
そこに、どーんと架かっている。

そんなことで、折角のごくらく感が、
一気にへなへなと沈み果ててしまって。
マッサージが終わるやいなや、さっさと
その場を立ち去りましたとさ。
ちゃんちゃん。

(今日聞いた音楽 悪女 中島みゆき 1981
 なんか温泉街を通っていたら、別の人の悪女
 が聞こえてきたんだけど、軽くて、全然悪女
 っていう曲のイメージじゃなかった。)

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Comments

地元だけど(だから?)この映画見ておりません。
何年か前にやった朝ドラでもそうでしたが、知ってる場所だと、「ここからここへは行かんだろ!」とか、そんなことばかり気になってしまいそうで。

今、仙台では、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の撮影をやってるようです。
ぜんぜんロケ見かけませんが。

仙台って、田舎と都会のバランスがいいと思うのですが、意外と観光スポットないんですよ。
仙台城址だって、城はなくて正宗像だけだし・・・。

Posted by: 悠太 | 08. 05. 23 at 오후 8:25

-----悠太さん
こんにちは。
そうですよね。地元だと、却って、、
ってあるかもしれませんね。
 ドラマとか映画で、方言が出る
場合も、地元の人が話すようにすれば
いいんですが、それだと他地方の人が
意味不明、ということで、ずいぶん
薄めた表現にする、と。そうしたら
今度は地元の人が、「あんな言い方
しない! 」って文句が出る、なんて
話聞いたことあります。
 映画見たんですけど、場面で仙台、
って感じたのほとんどなかったんです。
それこそ、お城が出てくるとか松島が
出てくるわけでもなくて。
わずかに、主人公が東京に行く新幹線の
中で、牛タン弁当をひざの上に乗せて
寝てしまう場面があって、あ、仙台、
牛タン、(これは謙介の中だけですけど)
思った数少ないシーンでした。
映画の撮影って、人が集まってきたら
困るので、ひそかにやってる、っていう場合もあるようですね。
でもね、映画見て、仙台は行きたいなぁ、って強く思いはしたんですよ。行くのは新幹線で、ですね。

Posted by: 謙介 | 08. 05. 24 at 오전 10:05

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