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08. 04. 02

花を見る

先週の土曜日、
ちょっと花見に行かへん?
っていうことになって、実家の
隣の公園までお花見。歩いて5分ほど。

西日本は、2月結構寒かったので、
染井吉野はまだこれから、という風情。
だけど枝垂桜はもうきれいに咲いていた。


Sakura2

園内に池があって、その岸辺にも桜が。

Sakura1

たぶんこの辺の染井吉野の満開はこの土曜あたりなので、
まだまだお花見の宴会もこれから、という感じ。
花を見に来てた人も多かったけど、
まだその下で宴会をやってる、っていう人は
少なくて、おかげで静かにゆっくりと花を見ることができた。

個人的には染井吉野の花は、さくら、さくら、さくら
っていう自己主張が強すぎて、あんまり好きじゃないなぁ。(笑)
謙介の個人的な好みとすれば、もうちょっと地味目の
山桜なんかのほうが好きですね。それも木々の間に
桜も咲いていて、、という感じが好き。

京都にいた時、夕方不意に思い立って、友達と車で
奈良の吉野まで夜桜を見に行ったことがあった。
吉野の桜は「染井吉野」ではありません。(笑)
あそこの桜は山桜なんだ。でも、さすが吉野。
一目千本は圧巻だった。

ところで。
花見って、文字通り、花を見る、ということなんだけど、
見る、ということは、眺める、ということとは違う。
万葉集ではさくらを詠んだ歌って、少しはあるけど
やっぱり平安時代になってからだよね。
ただし、あの頃は、まだ染井吉野っていう品種は
なかったから、今、花見で見る風景とはずいぶんと
ちがって、もっと地味な花が咲く、というものだった。
今のさくらから想像して、平安時代を思ってはいけません。(笑)
全然印象が違うもの。

兼好法師じゃないけど、みんな咲くときにはあれほど
大騒ぎするんだけど、じゃあ、桜の花が咲く時って、
どういうふうになって咲くか、見てる?

花の咲く前に、どんどん桜の木全体が
紅くなってくる。それは赤っぽい茶色の霞のようにも
見える。木々はどんどん紅くなって、もうこれ以上
紅くなれなくなった時に、枝の先から花を開く。
その咲きはじめた花は、桜が植わっている土地の
力を思いっきり吸いこんできて、その土地の力が木の幹から、
枝の先まですべてに満ちて、そうしてその力が放射された、
っていう感じで、枝の先の花が開く。

花には、土地の力が宿っている。
「見る」という行為は、単に眺めるんじゃなくて
花を見ることで、その土地が持っている力を
人間の中に取り込もうとした。
見る、という行為は日本の古代では
呪術的な行為だったからね。
(↑これ、俺の卒業論文の研究テーマでもあるの。だから
詳しいの。笑)

ホラ、今だって、「手相を見る」って言うでしょ。
あれはただ単に手のひらを見てるだけじゃないよね。
手を見て、「占う」わけでしょ。 ほうら、呪術がからんで
いるじゃないか。


まぁ、昔の人は、春に咲く花を見たり、新緑の萌えるみどり
を見たりすることで、
そういう土地の精霊を自分の身体につけて
今年も一年無事に農作業ができますように。
大きな天災もなく作物が取れますように、
ということを祈った。
それが農作業の開始前とか、春の農作業が一段落した
春の一日のお休みなんかといつしか一緒になって
花見でどんちゃん、なんていうことになったんだろう、って思う。


どうぞ来年もまたこの時期、花を見ることができますように。
花にそんな願いをしながら、公園から戻ってきた。

(今日聴いた音楽 ささやかなこの人生 歌 風)

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Comments

謙介さんこんばんは。
先日はお返事ありがとうございます。
桜はやはり日本人には特別な意味を持つのでしょう。
桜の中に「におい桜」という芳香を放つ種類があるそうです。
「においおおしまざくら」「きぬがさ」などですが、気持ちを明るくする効果があるそうです。
英会話の先生に「お花見」の話をしたら「日本人の桜に対する思いが自分には良くわからない。」いう返事が返って来ました。
原体験の伴わないアイリッシュの先生にとって桜は花の一つなのでしょうね。
私も桜並木などよりは山の木々に混じって桜が咲いている風情が好きです。
中央道をおりて八ヶ岳の方に足をのばすと遙か山の上に山桜がちらほら咲いている。
そんなのが好きです。

Posted by: ラジオガール | 08. 04. 02 PM 11:20

----ラジオガールさん
 いえいえ、こちらこそ、お話どうもありがとうございました。アイリッシュの先生のおっしゃる「分からない」っていうことが、突き詰めて言ったら、「日本の文化」ということかもしれないですね。桜の花の開花の状態だって、「つぼみ」「つぼみ膨らむ」「咲きぞめ」「2,3分咲き」「5分咲き」「満開」「散りぞめ」、、とまぁ、区分がいっぱいありますし。これほどまで細かく花の状況を説明している、ということは、それほどまでに日本人が桜に対して細かく観察して注目をしていた、ということだろうと思うのです。そうした細かい観察こそが、文化なのだろうと思います。そういう状況とか、意識、というのがやはり分かりかねるのでしょうか。
 これからしばらく桜の花のニュースがあちこちから聞こえてくると思います。ラジオガールさんおススメの八ヶ岳の桜もまた、いつか機会があったら拝見したいですね。どうもありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 08. 04. 03 AM 12:16

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